nipple ディルックはシャツの釦を外すと、ため息をついた。“塵も積もれば山となる”なんて言い回しを、自分の身体で実感することになろうとは、考えてもみなかったのだ。
白く、豊かな筋肉と、柔らかさのある顔立ちに似合わない、大小の傷跡──その中に、冷え込んだ日には特に主張するベージュのとっかかり。明らかに、以前より乳首が大きくなっていた。
『nipple』
ぎろり、と音が聞こえるくらい厳しい視線が突き刺さっても、ガイアはご機嫌だった。なにせ、今夜は自分の要求がとおる確信があったので。
「なあ旦那様、頼むよ。譲り合いって大事だろ?人助けだと思って」
そう、譲り合いは大切だ。ガイアは、とある趣向をセックスに取り入れたいと言い出したディルックの望みをつい先日叶えてやった。そうであるから、今回は自分の番だと、そう言いたいのだ。
「君の要求を聞いたところで、誰が助かると言うんだ?」
「もちろん、俺だよ。なあなあ、良いだろう?この前はお前の頼みを聞いてやったじゃないか」
様々な“器材”が収められた鞄をガイアはベッドに軽く投げて、ディルックに押し迫った。確かに先日は嫌がるガイアをやや強引に言いくるめた。そういう自覚がある紳士は、奥歯をぎゅう、と噛んで、嫌々頷いた。
「……半分ずつ、だ。それ以上は譲らないぞ」
君と、僕とで、はんぶん。人差し指で指し示したディルックに、ガイアはぱっと顔を輝かせた。あまり想定していなかった条件だが、目的が達成できるなら、それでいいのだ。
「さすが、話の分かる旦那様だ」
ディルックが大きな舌打ちをするのを聞かなかったことにして、ガイアは先ほど投げ出した鞄を引き寄せた。そして、ディルックの上衣に手をかける。
「も、もうやるのか?」
狼狽えたディルックの姿は、ガイアに胸のすくような感覚を与えた。そう、いくらベッドの上でもやられっぱなしは性に合わないのだ。にた、と薄い唇が笑い、手際よく晒されたディルックの胸板に息を吹きかけた。
途端、ぴくりと反応する、目の前の身体が心底好きだ。冷えたせいか、気分の昂ぶり故か、やや主張しているそれが愛しく感じて、ガイアはキスをした。
「もちろん。可愛くしてやるから、楽しみにしててくれよ」
上目遣いに微笑む青い瞳は美しい。ディルックはガイアの身体に軽く膝を打ち付けて、ちらりと目線を逸らした。その先では、ガイアの鞄から、銀色の器材が転がり出ている。
セックスフレンド兼、縁を切った家族兼、暫定の恋人──ガイアの要求は、ディルックの乳首にピアスをつけたい、というものだった。
清潔な布巾に水を含ませて、乳頭を優しく拭う。白い地肌とも、引き攣れた傷跡とも違う色合いは、ガイアのそれよりも赤みがかっていた。
居心地悪そうに身を捩るディルックの膝に腰を下ろしてしまうと、ガイアはピアスホールをつくるニードルを消毒し、軟膏のたっぷり入った瓶に突き刺した。
「……それで刺すのか?」
「ああ。そんなに時間はかからないさ」
何でもないように言うガイアは、手早く準備を進めていった。軟膏の小瓶をベッドに添えられた小棚に置くと、鞄から裁縫用のペンシルに似たものを取り出す。身を屈めてディルックの身体をまじまじと観察したかと思うと、心臓がある方の胸板に手を添えて、ペンシルで乳頭に印をつけた。
「んっ……」
何も、イヤらしいことはしていない。ただピアスホールをつくるだけの準備だったが、ディルックの身体は微かに反応していた。漏れ出た声にガイアは顔を上げ、上気したディルックと目が合った。
「なに、見てるんだ」
地を這うようなディルックの声に、ガイアはにたりと笑ってペンシルも小棚に置いた。それの代わりにニードルを手に取り、目の前の紳士からよく見えるように掲げてみせた。
「いや?旦那様にも可愛いところがあるんだって、な」
「くっ……さっさとやれ」
「はいはい」
銀に輝くニードルをディルックの視界から下げると、ガイアはその先端をぴたりと添えた──ディルックの、乳首に。
ちく、と冷たい感触がディルックの思考に入り込む。ニードルの先のような狭い面積で、それが冷たいかどうかなど分からないと思う。ただ、自身の感覚が思ったよりも鋭敏になっているようにも感じた。
「もう刺すけどいいか?」
少しだけ、ニードルの先端を押し付ける。触れ合うたびに刺激され、随分敏感になった部分への鋭い感覚に、ディルックは唇をきゅっと閉じた。そのまま、赤いくせ毛に彩られた頭がこくりと頷くのを確かめて、ガイアは針を推し進めた。
──ぷつ、
尖った先端が、肉を突き破る。ヒルチャール暴徒に殴打されるのとも、剣術の稽古でうっかり切ってしまうのとも違う、痛み。敢えて言うならば、氷の矢に貫かれる感覚が近いが、それよりもっと鋭く、繊細だ。
身体中の感覚を凍らせんとするような刺激にディルックが身を固くしているのを、ガイアは自身が腰かけた脚をとおして感じていた。思っていたよりも大人しい反応に気を良くして、注意深くニードルを押し込んだ。
「っ……っく、ふ、」
痛みを耐えるディルックなど、そうそうお目にかかれるものではない。何せこの紳士ときたら、ばかみたいに腕っぷしが強いのだ。下手をすれば社交界に集うレディ達よりも重いような大剣を悠々と振り回し、氷スライムを溶かし、炎スライムは叩いてつぶす。ここ数年、ガイアは彼が痛みに苦しむ姿を殆ど見かけたことが無かった。
耳と違って、乳首は厚みがある。簡単には終わらないと思ったピアッシングだったが、刺したポイントが良かったのか、ディルックがじっとしていたのが功を奏したのか、ニードルの先端が、皮膚を突き破って顔を出した。
「はあっ……う、もう終わりか?」
「もうちょっと」
過剰な出血がないか、妙な痛みを感じている様子はないか、ガイアは少し潤んだ赤い瞳を時々伺いながら、仕上げを進めていく。十分にニードル刺し進めると、シルバーのファーストピアスを通して固定する。
氷の針が刺さったかのような感覚と、焼けるような痛みが、徐々に引いていく。ディルックが息を落ち着けて自身の胸元を見下ろすと、少し赤くなった乳首にきらりと銀色が輝いている。
「どうだ?ピアスホールが落ち着くまではこれで我慢してくれ。そうしたらもうちょっと良いやつを……ん?」
どさ、と押し倒された感覚があって、ガイアの耳元でベッドのスプリングが軋む音がする。抓んでいたニードルや止血用のガーゼ類を手放した後で良かった──などと、現実逃避をしながら、ガイアは自分を押し倒した男を見上げた。
「だ、だんなさま?」
「っきみの、せいだ」
ぜい、はあ、と深く息をつくディルックの胸は大きく上下している。そして、その先……彼の男の象徴は、膝で触れなくても分かるほど、萌している。見れば、頬もすっかり赤くなっていた。痛みのなかで、種の存続を本能が叫びでもしたのだろうか?
「……なあ、今日はあんまり動かない方が良いと思うんだが」
「だめだ」
室温がぐっと上がったように感じる。ガイアの胸元には、ディルックが口を寄せていた。歯並びの良い白いそれが開き、熱い吐息と鈍い痛みが襲い掛かる。抵抗もせずぞくりと背筋を震わせて、ガイアは目を閉じた。