僕の居場所「ねェ、ヒロくんの生まれたところってどんなところなのォ?」
藍良が目の前におかれたホットココアを冷ましながら言う。ふと窓の外に目をやると、ちらほらと雪が降っている。寒くて赤い鼻と、ふーふーとカップに息を吹きかけるその姿を、僕の目はいつもよりも幼く映し出す。
「お待たせいたしました」
店員が僕の目の前に真っ白なティーカップをコトンとおく。ホットレモンティーからほのかに香るレモンとアールグレイが心地良い。
「僕の故郷?」
藍良が僕の故郷の話を聞きたがるなんて珍しい。いつも僕に対して蛮族だとか野蛮人だとかそういうことを言っているから、故郷のことはよく思っていないだろうし、そんなに興味がないのだろうと思っていたけれど。
「うん。どんなところなのかなァって。」
「えっと、ここからははるか遠く離れた里にあるんだ。しきたりが多くて厳しいところだったけど、楽しいこともあったよ。…でも急にどうしたんだい?」
「なんとなく。そういえば聞いたことなかったなァって思って。……あちっ!まだぬるくなってなかったよォ…。舌火傷しちゃったかなァ…。」
どう?と舌をぺろっと出して見せてくる仕草が可愛くて思わず笑ってしまいそうになる。
「大丈夫そうだよ。まだ湯気が結構出ているし、もう少し経ってから飲んだほうがいいよ。」
「だってェ…さむいからはやくあったまりたいんだもん。あっ、このお店のパフェおいしそう!ヒロくんも一緒に食べよう?」
ココアを飲むのを諦めたのか、藍良はメニュー表をめくりデザートのページを見ている。
指差しているのは大きな苺がふんだんに乗ったいちごパフェ。
いちごの他にも生クリームやスポンジが幾層にも重なっていてかなりボリュームがありそうだ。
「僕は構わないけれど…でも藍良、ここに来たときにダイエットするからココアだけにするって言ってなかったかい?」
「明日からするのォ!美味しいものがあるのに食べないなんてもったいないでしょォ!」
藍良はるんるんでいちごパフェを2つ注文すると、メニュー表から僕に向き直り「それでさ、続きは?」
「続き?」
「さっきの話の続き!生まれてからここに来るまでずっとそこにいたんだから、もっと思い出とかあるでしょォ?お兄さんの話とかさァ」
「あるにはあるけど…藍良にとってはあまり楽しくない話かもしれないよ?」
「おれが聞きたいからお願いしてるんでしょォ」
そうこうしているうちに注文していたパフェが届き、藍良は「おいしそォ〜!」と生クリームと苺をスプーンですくって美味しそうに口に入れる。
「ン〜!おいしい〜!ヒロくんも食べな?食べながら続きのおはなししてよォ」
藍良があまりにも美味しそうに食べるものだから、僕もパフェを一口入れた。いちごの酸味と生クリームの甘さが合っていて、とても美味しい。けれど、今から話す内容にはそぐわない甘さだな。無言で食べていると藍良から「早く話せ」と言わんばかりの物凄い圧をかんじて、僕は諦めてぽつぽつと話し始める。
「…僕は生まれてから、兄さんに次期君主になってもらうために、そのためだけに生きてきた。
故郷の人々はみな兄さんにしか興味がなかったし、僕は逆に虐げられていたと言っても過言ではないかもしれないね。今となってはあの人たちは兄さんを君主にすることが大事で、兄さん自体には関心がなかったんだと思うけれど。
兄さんが偉い人たちの目を盗んで故郷に遊びに出ていたときは、どうして見張っていなかったんだと叱られ、時には殴られるときもあった。
抵抗すれば小屋に閉じ込められて三日三晩出してもらえないときもあった」
話す毎に僕がいた頃の故郷の情景が鮮明に思い浮かんでくる。兄さんも僕もいないあの場所は、今どうなっているのだろうか。藍良は僕の目を見て、度々相槌を打ちながら聞いている。
「でもそんな日々の中にも楽しいことはあってね。兄さんが都会に行った話を楽しそうに話してくれたり、遊んでくれたりするのが好きだった。あの頃の僕にはそれだけが、兄さんだけが生きる意味だった。」
藍良は今どんな気持ちで僕の話を聞いているのだろうか。僕のことを可哀想な人間だと哀れんでいるのか、それとも受動的に、何も知らずに生きてきた僕を滑稽な人間だと蔑んでいるのか。
「…でももう、兄さんにも故郷にすら勘当されてしまった僕には、帰る場所なんてないんだ……」
脳裏にある故郷や楽しかった思い出、あの頃の兄さんのことを思い出して自然と語尾がすぼんでしまう。気が付けば暗い雰囲気になってしまい、藍良もなんだか俯いた様子だ。
僕のせいだ。やっぱり話さなければよかったかな。でも、帰る場所がないといえども僕には今仲間がいるしなにより藍良がいてくれる。巽先輩やマヨイ先輩だっているし僕には居場所がある。それを伝えなければ。
「藍良、僕には藍良が…」いるから。
そう言いかけて、藍良がガタンッ!と勢いよく立ち上がる。そして喫茶店にいるとは思えない声量で、
「もォ、なんでそんなに寂しいこと言うのォ!?ヒロくんの帰る場所はここ!おれの隣!」
瞬間、その場にいた全員の視線が藍良に向いている。
藍良は「ヒロくん、分かったあ!?」と叫んだあと、ここが喫茶店だということを思い出したようで、血の気が引いたような顔です、すいませぇん!!と縮こまる。
「…ちがうんだよ、おれはヒロくんがすごく悲しい顔してたから元気づけようと思ってぇ………でも!嘘じゃなくてヒロくんの居場所はおれの隣なんだからねェ!」
そう言う藍良は、普段真っ白な肌をいちごみたいに真っ赤にしてパフェのおおきないちごを頬張る。
「藍良、ありがとう。僕も同じことを伝えようとしていたんだ。藍良が言ってくれて嬉しいな」
「べ、別にそんな大したことじゃないしィ?でも、いつか行ってみたいな。ヒロくんが生まれ育ったところ。大好きなヒロくんの、大好きな場所だもんねェ。」
「ふふ、僕も藍良に故郷の景色を見せてあげたいな。それに…」
「それに?」
「こんなに素敵な恋人がいるんだから自慢しなきゃだね。紹介したい故郷のみんなに藍良を紹介したいな。でもみんな混乱するだろうね、なんたって兄さんを連れ戻すために都会に来たのに、別の男性を、しかも恋人を連れて帰ってくるんだから。」
「そんなの関係ないでしょォ!ほんとにもう、故郷のことになるとすぐしおれちゃうんだからァ。ほら、パフェ食べて元気だして?」
ていうか素敵な恋人とか恥ずかしげもなく言うなァ!とぷりぷりしながら、大きないちごが乗ったスプーンを差し出される。
やっぱり僕には藍良が必要だ。帰るべき場所で居場所。
藍良、ありがとう。愛してるよ。伝えたらまた照れて怒ってしまうから言わないけれど。