一人で逝けナナミンが死んだ。
遺体が綺麗に残ることはなく、身体には大きな火傷と内側からの破裂。とてもじゃないが、回収出来るような状態では無かった。
無惨と言えば、そうなのかもしれない。
それでも、呪霊と戦って、戦って。
人を助けて助けて。
そんな彼の生き様を、誇らしい精神を遺したままの死だった。
なぜなら、俺は見た。
あの日、あの時、あの場所で。
俺は、彼の死を見たのだ。
「虎杖くん」
「後は、頼みます」
パチン。
ポケットで震えたスマートフォンで目が覚める。
開いた瞼の先は真っ暗で、もうとっくに夜が来訪していることを知った。
ここはナナミンの家で、二人の部屋で。
ソファーにもたれ掛かるに寝ていた身体はすっかり冷え切っていたが、いつもそれを諌めて起こしてくれるはずの人も、そっとブランケットをかけてくれる人もいない。
ここに、いない。
(とりあえず…飯、食わないと…)
そう思っても、身体は動かない。必要性がないと言わんばかりに、筋肉が動作を拒否する。
「…だめだよ、ナナミンに言われたんだから」
言い聞かせるように呟くと、渋々と頭が持ち上がった。関節がぎいぎいと軋んで、泥濘みからやっと這い出る感覚。サイドテーブルのリモコンで灯りをつけると、急な眩しさが網膜を焼いた。
変わらない。何も変わらない部屋の風景。
何も変わってないはずなのに、致命的なパーツが足りない。
足りない、いない。
―ナナミンが、いない。
のろのろと冷蔵庫を開けると、つい2日前にナナミンと一緒に作ったミートボールとポテトグラタン。確か、このグラタンの名前は「ヤンソン氏の誘惑」だっけ。変な名前の料理だねって、この台所で笑ってた。
一昨日まで笑ってた。
昨日まで笑ってた。
二人で、笑ってた。
「うっ…ぁ…」
急に鼻の奥がツンとして、目の奥から熱い波が押し寄せる。
知ってる、これ。泣きそうになったら来る感覚。
自覚をするともう止められなくって、俺は冷蔵庫を開けっ放しにしてその場に蹲った。
ナナミンが死んだ。昨日死んだ。
俺の目の前で、呪霊に殺された。
間に合わなかった。助けられなかった。
来た時には何もかもが手遅れで、ナナミンが死ぬ瞬間をただ見ていた。
「ぅ…うわぁ…ああああ…っううううう、あ、あああああ」
冷蔵庫が非難するようにピーピーと電子音を繰り返す。それを無視して泣いていると、やがて諦めたように電子音と照明が消えた。
出来なかった、何も出来なかった。
好きだった、大好きだった。
今までの感情がままごとだったと思う程に、強く深く愛していた。
なのに、なのに。
「ナナミン…う、あぁ、ナナミン、ナナミン、ナナミン…うあ、ああああああっやだ、やだよぉナナミン、ナナミン、いかないで…俺を置いていかないで…やだ、やだぁナナミン、ナナミン」
泣いた。泣いた。
ひたすらに泣いた。
空腹すら感じず、寒さも分からず、上下左右も判断できない程。
泣いた、泣いた。
「ねぇナナミン、逝かないで、逝かないで、お願い、お願い、逝かないで…」
逝かないで、逝かないで。
ずっとずっと、傍にいて。
一人でなんか、逝かないで。
虎杖くん、虎杖くん。
聞こえていますか虎杖くん。
またそんな所で寝て…風邪を引いてしまいますよ。
ほら、起きなさい。電気をつけて。
そうです、良く出来ました。では、次に食事にしましょう。もうとっくに夕食の時間です。
確か冷蔵庫にショットブラールと「ヤンソン氏の誘惑」があったはず。君が北欧の料理を知りたいと言って、二人で台所に立って作ったもの。正確には私の実家の料理ではないのですが…それでも私のルーツを知りたいと。
嬉しかったですよ、君の気持ち。あの時は言えませんでしたね。
虎杖くん。
虎杖くん。
私は、君にひとつ嘘をつきました。
「死ぬ時は誰でも一人」
私はかつて君にそう言いました。
大勢に囲まれて死ぬることを夢にしている君に、ひどく酷な事を言ってしまいましたね。それでもその時、私自身は確かにそうだと思っていましたし、そうだと信じていました。
―君を愛するまでは。
君を愛してから、私は多くを知りました。
誰かが自分を待ってくれること。誰か自分を呼んでくれること。誰かが自分を愛してくれること。
その数多の幸せを、私は君に逢ってからようやく知ったのです。
笑ってくれても構いません。君に偉そうに説教しておきながら、この世の何一つ理解していなかったのですから。
だから、そう、今の君にも分かるはずです。
あの時確かに、私は孤独ではなかった。
一人ではなかった。
私の傍には、いつだって君がいました。
今だってそうです。
虎杖くん、君だって。
今この瞬間も、君は一人ではないのです。
どうか、どうか泣かないで。
いえ…やはり泣いてくれても構いません。
でもそれはどうか、暖かいところで。
今の私には君を抱きしめることも、布団を掛けることさえ出来ないのだから。
ねぇ、虎杖くん。虎杖くん。
愛しています。この世の何よりも、誰よりも。
「君をずっと、愛しています」
それは夏のことだった。
磯の香りを含んだ風が乾いた唇を舐めて、清々しく視界を開いていく。
ざぁん、ざぁんと波が寄せる浜で、青年が本を開いた。上等な革表紙には年季が入っており、青年がそれを愛読していることが分かる。
一頁ずつを愛おしそうに捲っていく様子はひどく穏やかで、目には深い慈しみ。通りがかった人も思わず微笑みを溢すほどに。
ざぁん、ざぁんと波が寄せた。
時折遠くでぼぉーっと船が煙を上げた。
時計も時間もない浜辺にも少しずつ夕暮れはやって来て、やがて青年は本の最後の頁を捲る。
その最後に、印刷ではないインクの走り。
几帳面で誠実な筆致は、文字を書いた人間の性格を表すよう。
青年はその文字をゆっくりと撫でて、字の端にキスを一つ。
「…俺も、愛してるよ。そっちに行くまで、もうちょい気長に待っててね。ナナミン」
―君の最愛より、愛を込めて
七海健人