ぜんぶあげる▽バレンタインっぽい話
▽転生記憶あり現パロです
▽ぐだキャスギル
材料は三つだけ。チョコレートと生クリーム、それから仕上げ用のココアパウダー。チョコレートは、もう甘いものは食べ飽きているであろう彼にあわせて、ビターとミルクを半分ずつ。そのチョコレートは耐熱ボウルに割り入れておく。
まずは生クリーム。弱火でゆっくりじっくり、沸騰直前まで温める。沸騰直前、などと言われてもどうなったら沸騰したと呼ぶのかすら知らないので、勿論事前に検索してある。インターネットというものはどこでも便利である。
さて鍋の中の生クリームは、鍋の縁に沿って小さな泡をぷつぷつ浮かべている。ここで加熱を止め、先程割っておいたチョコレートにとろりと流し入れる。混ぜる時は耐熱性のヘラで。割ったチョコレートが完全に生クリームに溶けるまで、ヘラで上から下からかき混ぜる。あまりやり過ぎると温度が下がりそうだが、そう心配している間にクリームとチョコレートは混ざり合っていた。生クリームだけの時よりも更にとろりとしたクリーム状の液体。これにラップをかけ、冷蔵庫で三十分冷やす。タイマーをセットし、冷やす間に鍋などを片付け、タイマーを持って一旦キッチンから離れる。流石に三十分何もせずに待つというのは苦痛だ。読みかけの本など読んでいればあっという間だろう。
そうして三十分が経ち、タイマーがピピピ……と鳴り始める。読み終わらなかった本をとりあえずソファに置き去りにし、冷蔵庫からボウルを出す。これをこれから成形するのだが、その前に。
「……冷たいな……」
体温程度でも溶けだすらしいチョコレートを溶けないうちに成形するために、手の温度を下げておく、と書かれていたので氷水につけているのだが、これは冷たい。浸した瞬間から冷たいと痛いが交互に襲ってくる。冬にやる作業ではない。が、今を逃せば次は一年後だし、次回も同じ時期だ。次回は手を冷やさずに済む別のものを作ることにしよう、と心に決め、氷水から両手を引き上げる。痺れたような指先は、見る間にじわじわと赤く色づいていく。体温が戻る前に作業に取りかからねば。清潔なタオルで水分を拭き取り、出しておいたボウルの中身をスプーンで掬い、冷えた掌でころころと転がす。手は充分に冷えているらしい。やや歪だが球体になったチョコレートを、皿に並べていく。徐々に温かさを取り戻す手はその都度氷水で冷やす。然程難しい作業ではないが、冷たさだけが問題だ。手を冷やしたあとは凍える手でころころと転がす。皿に並べたチョコレートの球体は、全部で十六個。これにココアパウダーをまぶし、別の器に移し替えて冷蔵庫へ。……の前に、ひとつだけ味見で食べてみる。思った通りの味、とまではいかなかったが、悪いものではないだろう。
脳裏に浮かぶのは驚いた顔と、眩しい程の笑顔。――喜んで、くれるだろうか。
🍫🍫🍫
『今日、親いないから』などと、どこかで見たような聞いたような台詞だけれど、いざ自分が言われてみると大層な衝撃を受けるものなのだな、と、眼前でしろい頬を淡く朱に染めた可愛い人を見て思う。破壊力も効果も抜群だ。それが聞き間違いでないことは赤くなった耳の縁で解る。おまけに立香の学校指定のカーディガンを指先で軽く摘んでいる。聞き間違いでもなければ宛先間違いでもない。間違いなくいま、立香は可愛い恋人に家に誘われている。
「――聞いているのか、立香」
どこか拗ねたような声で問われ、立香はハッと我に返る。いま魂だけ宇宙に行ってたかもしれない。
「立香、」
「聞いてます聞いてます聞いてます 行きます行きましょうすぐに 今 から」
「は」
眉根を寄せて立香を見た、血の色が透けたような真紅が立香の声を聞いて大きく開かれる。それから瞬きをして、そうしてとうとう顔全部を朱に染めて頷いた。
🍫🍫🍫
ガチャガチャと金属音をさせて、マンションの一室へと続くドアを開けたギルガメッシュは、立香が入りやすいようドアを開けて待つ。以前ならば考えられないことだが、今は違う。それはもう充分承知しているのだが、それでも、何度招かれても立香はこの瞬間に慣れない。
「お邪魔しまーす……」
「まだ慣れぬのか貴様は。勝手知ったるなんとやらであろう?」
そろそろとギルガメッシュの押さえるドアを横切って玄関へ入る立香に、ギルガメッシュは呆れたように言う。それは確かにそうなのだが。
「なんか、どうにも……前はそんなことしてませんでしたし」
ドアを閉めながら内へ入ったギルガメッシュは慣れた手つきで施錠し、チェーンをかける。ごく普通の動作だが、それをするギルガメッシュというものに未だに違和感を覚えてしまう。
「我を何もできぬ王だとでも?」
「それはないです。何でもできるじゃないですか王様」
靴を脱ぎ、揃えながら立香を見上げるギルガメッシュが目を瞠り、それから逸らす。
「よく解っているではないか。それが解っているなら何が気にかかるのだ貴様は」
「なんか、うーん……記憶があるっていうのも不便……じゃないですけど、なんか、……上手く説明できませんね、コレ」
「何が言いたいのかさっぱり解らぬな」
「もやもや⌇⌇って感じです」
「もやもや⌇⌇か」
「もやもや⌇⌇です」
少し笑って、そうか、と呟いたギルガメッシュは廊下へ立ち、立香に先んじてリビングへ向かう。その後ろ姿も、前とは違う。とは言え立香も流石にもう現実を受け入れている。大きめのベージュのカーディガンも、学校指定の鞄も見慣れたものだ。なのだが、彼のあの背中は鮮烈に脳に焼きついていて、恐らくこれは何度生まれ変わろうが消えることはないと思う。
「――先に部屋へ行っていろ。茶で良いか?」
「な、なんでも!」
少しぼんやりしていたのか、急にギルガメッシュの声が届いて立香は慌てて返事をする。こうも思い出すのは浮かれすぎているからだろうか。いまの状況に向き合わなければ。
(部屋、部屋――)
もう何度も来ているのだが、ギルガメッシュの自宅は当然のように広い。マンションなのにロフトではない二階があり、一階と同じ広さに部屋が二つある。そのうちの片方がギルガメッシュの自室だ。立香は階段を上がり、一つ目のドアを通りすぎて二つめのドアを開ける。そこには古代メソポタミアの王に相応しい居室が――という訳ではない。真っ白、よりは目に優しい暖かみのある白色の壁で四方を区切られた部屋の中には、広めのベッドとやや散らかったデスク、それからそろそろ壁面を埋め尽くしそうな数の本の詰まった本棚、以上で終わりだ。金細工の美しい調度品もなく、天蓋つきの大きなベッドもなく、間接照明で仄かに照らし出されることもなく、ふかふかの絨毯もない。バルコニーに続くガラス張りのドアから差し込む光を、薄手の白いカーテンが淡く弱め、本棚だらけで必要なものしかないシンプルな室内を照らしていた。
「――何を突っ立っている? 疾く入らぬか」
「え? あ、ああ、はい、すみません」
部屋のドアを開けたところで立ち尽くしていた立香の腰のあたりを、後ろからギルガメッシュが硬い何かでつつく。振り向いてないから解らないが、多分お盆だろう。小突かれた立香は慌てて室内へ入り、ギルガメッシュはその後に続く。
「テーブルくらい出しておかぬか、全く……」
「えっ? あ、はい! はーい! 出します!」
背後から文句が聞こえて、立香は慌てて本棚と本棚の間に立てかけられている小さなローテーブルを引っ張りだして、折り畳まれていた脚をガチャガチャと伸ばして部屋の真ん中へ置く。金属音で立香には聞こえていないが、盆を持つギルガメッシュはその様にくくっと喉を鳴らして笑っていた。
「――お待たせしました! どうぞ!」
「うむ。よいぞ。褒めてつかわす」
言いながら、ギルガメッシュは床に膝をついて盆に乗せたガラスのコップをそれぞれが座るであろう位置に置く。向かい合わせ……ではなく二つ並べて。これはつまりそういうことだろう。そして最後に何かが盛られた器を、テーブルの真ん中へ置いた。
「…………チョコ?」
何が入っているのだろうと覗き見た器には、焦げ茶色で丸い形をしたチョコレートが盛られていた。山盛りではないが、そこそこに数は多そうだ。
「トリュフチョコ、というらしいな」
盆を置いたギルガメッシュが立香のすぐ隣へ腰を下ろす。俯き加減の横顔に、さらさらと金髪が流れた。
「トリュフチョコ」
その名前は聞いたことがある。比較的簡単に作れる部類のチョコ菓子。これでも以前はサーヴァント達に送るチョコレートを手作りしていたのだ。そのくらいの知識はある。あるのだが。
「これって……」
今日という日を立香は忘れていたわけではない。何せ毎年の恒例行事だったのだ。もちろん今年の分は前日までに完成させ、冷蔵庫に眠らせてある。ただその諸々は、ギルガメッシュのお誘いの破壊力に負けてすっかり忘れ去られていたが。
「これって、もしかして、バレンタインの……?」
「なんだ、忘れているかと思えば覚えているではないか」
立香のすぐ傍で、ギルガメッシュはコップを持ち上げて飴色の液体を一口飲み下す。その声はとても涼やかで、立香が受けた衝撃など全く理解していなさそうだった。
「こ、これ……これって、王様、自分で?」
チョコレートを指差す立香の人差し指は揺れている。彼であればどこかの高級ブランドのチョコレートを買ってきた、という可能性もある。というかその可能性の方が本来なら高いはずなのだが。
「ただ溶かし固めるだけでは能がなかろう? まあ、似たようなモノだが……よもや凡英霊共が騒いでいたモノをこの我が作ることになるとはな」
「王様の……! 手作り……!」
そう思って見ると器の中の丸いチョコレートがキラキラ輝いて見える気がした。
「食べていいんですよね?」
「見せるだけなどなんの意味がある?」
「ですよね! いただきまーす!」
やったー!と心の中で叫びながら、球体をひとつ取り上げて口に運ぶ。舌が感じたのはまず表面にまぶされたココアパウダー。ほんのり甘い粉を舌の上に撒きながら溶けていく。その後から現れた本体であるチョコレートは、甘さ控えめのビターに近いチョコだった。ココアの優しい甘みと混ざって、苦すぎず甘すぎずでちょうどいい。
「うま……王様、美味いですこれ」
「であろう、であろう。我が手ずから作ったのだからな」
満足気にふふんと笑うギルガメッシュは可愛い。普段の食事すら出前だのコンビニ弁当だので済ませる程料理というものから離れているギルガメッシュが、立香のためにキッチンに立ったのだ。これに愛を感じないはずがない。
「ほんと美味しいですこのチョコ。王様は食べないんですか?」
「我は良い。貴様に下賜するために作ったのだからな」
二個目を頬張りながら、ギルガメッシュにも勧めたが、あっさり断られてしまった。しかしこれを一人で味わうのは勿体無い。独り占め、ということもあるが、立香はむしろ共有したいと考えた。
「王様」
「なん、……んぐ」
ひょいと口にチョコレートを入れ、隣にいるギルガメッシュを呼ぶ。と、ギルガメッシュが立香の方へ顔を向け、立香はその唇を塞いだ。
「んんっ」
驚いたような声を上げたギルガメッシュの口内へ、舌に乗せたチョコレートをころんと転がした。チョコレートの上品な甘みが舌を伝う。押し返されるかと思ったチョコレートは、ギルガメッシュの口内で立香の舌に転がされている。唾液と体温で少しずつ溶けていくチョコレートの仄かな甘さが、立香の舌にも伝わってくる。その舌で上顎をくすぐったり歯列の内側をなぞると、ギルガメッシュが鼻にかかったような甘い声を漏らした。
「……ん、んん……ん、」
「美味しいでしょう?」
「ぁ、――」
唇が触れあう距離で呟いた立香にギルガメッシュが反応するのと同時、立香は角度を変えて再びくちづけた。ぞろりと舌を差し込んで少し小さくなったチョコレートを転がす。かつん、と奥歯に当たった振動が立香の舌先にも伝わった。
「ぅん……ん、ん……」
ギルガメッシュは抵抗を諦めたのか、立香の腰辺りのカーディガンを控えめに掴む。少し引っ張られるのを感じながら、立香は文字通りギルガメッシュの口内を味わう。さっき食べたのと同じチョコレートなのに、チョコレートを乗せたギルガメッシュの舌はひどく甘い気がした。
「――甘いですね、王様」
「……チョコだからな」
「王様だから甘いんですよ」
ちゅ、ちゅ、とギルガメッシュの唇に触れては離れる。薄い膜のような皮膚の下に、やわらかな肉が隠されている唇は、何度触れても足りない。
「王様、……」
息を吐くように呼んで、カーディガンに隠された肩を掴んで押す。すぐに理解したのだろう、ギルガメッシュは仰向けにゆっくりと身体を倒していく。ぱさりと床に金髪が触れて少し乱れ、前髪は耳に向かってするすると流れた。
「王様、」
蠱惑的な真紅の瞳が立香をじっと見上げている。その縦長の瞳孔は、天井からの明かりを遮られたせいか少し膨らんで見える。拒絶はない。むしろ奥底に情欲の炎が見えるような。
立香はそろそろとギルガメッシュのカーディガンに手を伸ばし、ぷちぷちとボタンを外していく。上から下まで外し、前を開くと細身の白いシャツがギルガメッシュの細腰を浮き上がらせていた。
「…………………………………………」
「? どうした?」
シャツのボタンを外されるのを待っていたのだろうギルガメッシュが、動きを止めた立香に不思議そうに問うた。
「あー、いや、えっと、」
「しないのか?」
「します!」
しどろもどろになった立香だが、ギルガメッシュの問いかけには食い気味で返した。この先をしないわけではない。
「ならば何が気にかかるのだ?」
「あー、……」
立香が何かを気にして手を止めたことをギルガメッシュは察したらしい。その〝何か〟までは解らなかったようだが。いや、これは解らないだろう。
「……いや、あの、王様が制服なので、」
「制服……?」
「なんか、あの、ものすごくイケナイことをしてる気分に…………」
フローリングの床に散る絹糸のような金の髪。まだ幼さを残したうつくしい貌、熱と期待で濡れた真紅、細い首に細い腰、それに加えてカーディガンの前を開かれ、これからシャツを脱がされようとしている姿は、なんだかとてもしてはいけないことをしようとしているかのように思えて。
「なんか、犯罪臭がする……」
「は?」
真面目に言い切った立香をギルガメッシュは怪訝な目で見遣る。何を言っているのだコイツは、と仄かに色づくしろい頬に書かれていた。
「今更か?」
「今更ですけど!」
そう、既にもう何度も肌を重ねているので、立香が言っていることは今更なのだ。
「ベッド行きましょうベッド。床がイケナイ気がします」
「なんなのだ、まったく……」
文句を言いつつ上体を起こそうとするギルガメッシュに立香は手を貸して起き上がらせ、立ち上がらせる。それから一度背を屈めてテーブルからチョコレートの乗った器を持ちあげ、ベッドへ向かう。ベッドまではそう離れていないのだが、繋いだ手はそのままにしておいた。
「……では、改めまして」
片手に持った器をサイドテーブルの上に置き、ギルガメッシュの手を引きながらベッドへ上がり込む。ギルガメッシュは枕側に呆れ顔で腰を下ろした。
「まったく、ムードも何もない……」
「それも今更じゃないです?」
呆れ顔に加えて溜め息をつくギルガメッシュに、立香は未だ繫いだままの手をにぎにぎと握り込んで言い返す。ムードがないと今まで何度言われただろうか。流石に数えてはいないのだが、相当数は言われていると思う。
「ん? ……まあ、それもそうか……貴様にムードなど求めた我が莫迦であったな……」
「そこまで言われると傷つきますよ?」
「ほう? この程度で傷つくほど貴様は繊細であつたか?」
「いえ、まったく」
立香の即答が気に入ったのか、ギルガメッシュは、くっと喉を鳴らして笑う。前から子どものような顔で笑う人だとは思っていたが、あどけなさを残す今の顔では更に幼さが目立つ。
「では立香、これより見事我をその気にさせてみよ」
「お任せあれ!」
気合を入れて返事をする立香に、ギルガメッシュは微苦笑を浮かべる。立香の方も「えへへ」だの笑いながら身を乗り出してギルガメッシュの顔へ顔を寄せる。何をするか悟ったのだろうギルガメッシュが目を閉じて立香の接触をただ待つ。その様子が愛らしくて、立香は触れる前に少し離れ、ベッドサイドに置かれた器からチョコレートをひと粒つまみ上げ、ギルガメッシュの形のいい唇に押し当てた。
「はい、王様、あーん」
「んん? チョコはもう……むぐ」
いらない、と続きそうな言葉を遮ってギルガメッシュの口の中へチョコレートを押し込む。入れてしまえばこっちのものだ。ギルガメッシュは食べ物を粗末に扱わない。なので、口の中でチョコレートを持て余すしかない。
「王様、口開けてください」
「ん、……あ」
ぱかりと口を開けたギルガメッシュの、肉の色をした口内に茶色のチョコレートが転がっている。
「噛まないでくださいね」
「あ」
ギルガメッシュが何か言おうとした気配は察したが、構わずその口を塞いだ。舌でチョコレートを転がすと、次第に表面から溶けていく。甘さ控えめとはいえチョコレートらしく甘い。ギルガメッシュの輪郭に手を沿わせて上向かせ、だらだら流れる唾液もそのままに舌先でチョコレートを舐め、ギルガメッシュの舌へ移すように擦りあわせる。それから綺麗に並んだ歯をなぞって、上顎をくすぐる。
「んぅ、……んん、あまい、」
鼻にかかった声を漏らす合間に苦情とも感想ともつかない声音でギルガメッシュが呟く。
「甘いですね。王様の舌、すごく甘いですよ」
「それはチョコのせいであろう……」
「オレにはチョコより甘いんですよ」
口を動かすと唇に触れる距離でそんな会話を交わしたあと、にこりと笑いかけてみる。ギルガメッシュは少しきょとんとして、それから緩く笑った。その顔が可愛らしくて、立香はきゅうと胸が鳴るのを聞いた。
「王様」
「ん、なんだ?」
「好きです、王様、――ギルガメッシュ王、好きです、大好き」
「りつ、」
ギルガメッシュが何かを言う前に、立香はその唇を塞ぐ。が、立香の胸元に触れていたギルガメッシュの手に力が入り、ぐっと立香を押し返した。何らかの意思を感じて立香は一旦身体を離し、ギルガメッシュを窺う。
「――王様?」
「言い逃げとは、卑怯だぞ」
む、と唇をへの字に曲げているが、熱っぽく潤んだ瞳で睨まれても怖くはない。
「言い逃げ、ってつもりはないんですけど……」
「であれば我の言葉も聞け。想いを伝えあうのがバレンタイン、であろう?」
「そ、うですね……」
「よもや我が貴様の想いを否定するとでも? そのような酔狂、想像するだに不敬よな」
「ゔ」
想像したわけではない。けれど、答えを聞くのが少し怖くはあった。立香もギルガメッシュも〝続き〟ではあるが、マスターがいなければサーヴァントは現界できない、といった縛りがあるわけでもない。世界を元に戻すなどといった大義名分もない。いま、ギルガメッシュはどこにでも一人で行けるのだ。立香の傍に留まる必要はない。離別を恐れて立香がギルガメッシュと同じ学校に入学したことなど、ギルガメッシュが知る由もない。
「その耳カラにしてよーく聞け。我は伊達や酔狂でここにいるのではない。全て貴様のせいだぞ? 立香」
「……え? あ、え、え? オレなんかしました?」
ギルガメッシュの言葉に耳を傾けていた立香は、自分のせいだと言われたことに驚く。何か悪いことでもしたのだろうか。いやでもそれなら離れていくはず……などと立香が見当違いのことを考えているのも見通しているギルガメッシュは、呆れたように笑って、
「離れがたいのは我も同じ、ということよ」
「離れ、がたい…………」
それが何を意味しているのか、立香は目をぱちくりさせながらギルガメッシュを見る。目があうと微笑まれた。かわい、うつくし、……可愛い。
(じゃなくて)
「王様」
「なんだ」
「それって、オレのことが……好き、ってことですよね……?」
「――……そこまで言わねば解らぬのか、貴様は」
まったく、と呆れたように溜め息をつくギルガメッシュの、背けたことで正面にきた耳は縁が仄かに朱に染まっていた。
「お、」
「お?」
「おうさま⌇⌇⌇⌇!」
ガバッと立香がギルガメッシュに抱きつき、ギルガメッシュは勢いに押されるがままベッドの上に仰向けに倒れる。ベッドと立香に挟まれて「ゔっ」と小さく呻いたが大した衝撃ではない。
「加減というものを知らぬのか、貴様は」
「だって王様が可愛いこと言うから!」
「かわっ……」
「王様にまた逢えて本当に良かった……」
可愛いと言われたことに抗議しようとしたギルガメッシュの言葉は、立香の真剣な声でかき消された。ギルガメッシュの腹の辺りに頭を押しつけて腰に腕を回している変な体勢の立香は、そのままくぐもった声で続ける。
「本当に、本当にオレ、王様が好きです」
絞り出すように立香が言えば、ぽんぽんと優しく頭を撫でられる。なんだか泣きそうだ。泣きたいほどに幸せだ。
「……そうか。我も立香のこと――」
途中で言葉を切ったギルガメッシュに、立香は顔を上げる。続きを催促するべきか迷っている間ににんまり笑ったギルガメッシュの顔が近づいてきて、
「我も、――――――」
「」
耳元で囁かれた言葉に立香はガバッと起き上がり、今度はのしかかるように正面から抱き竦めた。
「解りました。もう離しません、ギルガメッシュ王」
「――――」
何かを言おうとして口を開いたギルガメッシュは、けれど何も言わず立香の後頭部をぽんぽんと撫でた。
「――して、続きはするのか?」
「します!」
再びガバッと起き上がった立香は即答する。今日だけでこのやり取りをするのは何度目だろうか。こうして抱きあったりキスをしたり、傍で眠るだけでも心は満たされるが、それとこれとはまた別だ。立香の反応を喉で笑ったギルガメッシュは、正面から立香の首の裏へ両腕を伸ばし、後頭部をの髪をくしゃりと掴む。立香の目を覗き込む真紅の瞳に立香が笑いかけると、ゆっくり眇められて笑みの形を作った。
「――――」
何かを言おうと立香は顔を近づけ、それをキスだと思ったギルガメッシュは目を閉じる。何かを言おうとしていた立香は、ギルガメッシュの無防備な顔に心臓を鷲掴みにされ頬を緩めてくちづけた。舌を絡めればチョコレートはもう溶けてなくなっているはずなのに甘い味がする。
「……あまい……」
ギルガメッシュも同じ味を感じたのか、唇の隙間からぽつりと呟く。
「口の中、同じ味ですね」
「……ん、」
恐らく肯定したのであろう声が、熱に溶けかけているようで一音でも愛おしい。
「チョコありがとうございます、王様」
「ん、……ぜんぶ、食べるのだぞ?」
「……それ、王様も含めてます?」
「………………ぜんぶはぜんぶ、だ」
そう言って顔を横へ向けたギルガメッシュの耳は、縁の方からほんのり朱に染まっていて、また心臓がギュッと締め上げられる。耳まで赤くなっていることをギルガメッシュは気づいているのだろうか。この可愛い人は。
「…………」
一度身体を起こすと、離れていく身体に気づいたギルガメッシュは立香を目で追う。その視線を感じながら立香は両手をあわせ、
「では、ぜんぶいただきます」
短く一言。そして立香を見つめるふたつの真紅に、にか、と笑いかけると、今度こそ顔を朱に染めたギルガメッシュは「ばかもの」と小さく呟いた。