アヴァロン後▽アヴァロン終わったあとの話
▽ネタバレは特にないと思います
▽ぐだキャスギル
「――検査は」
「終わりました」
「夕食は」
「食べました」
「風呂は」
「入りました」
「歯は」
「磨きました」
「明日は」
「おやすみ! です!」
「ならばよし」
「うぇーい」
ベッド脇に立っていた寝巻き姿の立香が、気の抜けた声と共にベッドへダイブする。受け止めた布団がばふっと音を立て、寝台全体がぎし、と軋む。ギルガメッシュの身体は立香の方へ僅か傾いだが、倒れ込む程ではなかった。
「そこで寝れば蹴り出すぞ」
ダイブしたまま、寝台に顔を突っ込んだまま動かない立香にギルガメッシュは寝そべっていた上体を起こし、肩を掴んで揺する。
「……ん、大丈夫です……起きてまーす……」
寝言のように言った立香はのろのろと身体を起こして枕元へ這う。近づいてくる立香からは、大浴場に置かれている安い石鹸の匂いがした。
「はー…………」
枕元まで這い寄った立香は、ぼすんと枕に頭を落として深く息を吐く。安堵の溜息、という割には吐息に乗せられた物が重い。そのまま動かない立香を眺め、放っておけば眠るのだろうかなどと思考する。またぞろ厄介な異聞帯であったことは容易に想像ができるし、立香が無理無茶無謀をしたであろうことも、報告など必要なかった。令呪が刻まれているはずの右手の甲は今掠れた痣が僅かに残るのみだ。
「立香」
放っておくのをやめ、呼びかけてみる。今度は身体を揺するまでもなく、立香は寝返りをうって仰向けに寝転んだ。目があうと疲労の影が色濃く残る幼い顔で笑って見せる。ギルガメッシュは今回の全容をまだ知らない。現地へ一時召喚されることはあったが、その際に得られる情報は多くない。見て取れる範囲の様子では、立香はまたろくでもない事態の解決に奮闘しているのであろうことしか解らなかった。あんな場所への召喚など、それだけで術者の負担になると言うのに。
「……よくやった」
「うへへ……王様も、ありがとうございます」
緩く笑う立香に釣られて少し笑う。時々立香がするように、立香の額にかかる黒髪をそっと撫でてみる。ほんの僅か残る水分でしっとりとした前髪は、室内の空気で冷えた感触を返した。そうしてしばらく、撫でたり指で梳いたりしている間、立香は目を閉じたまま何も言わずにいて、室内に音はなく、眠ってしまったのかと思うほどに静かだった。
「――……立香?」
眠ったのだろうか。手を止めて声量も抑えめに名を呼んでみる。と、持ち上がらないと思った瞼が上がり、その下から澄んだ蒼が半分ほど現れた。
「……寝てません、よ」
ギルガメッシュの言いたいことが解ったのか、半分ほど目を開いた立香は重石の乗ったような声で言う。
「まだ、眠くない、です、し……」
「たわけ。半分以上眠ったような声で何を言うかと思えば」
「⌇⌇」
鼻を摘むと眉根を寄せて目を瞑った立香が唸る。幼い顔はそうしていると駄々をこねる子供のようだ。
「報告なら明日でも良かろう。休息もマスターの役目なのだから、駄々をこねずに疾く眠りにつくが良い」
「んん……報告、じゃなくて……」
手を離すと立香は自分の鼻を手の甲で擦り、目を開けてギルガメッシュを見上げる。
「久しぶりなので、もうちょっと王様に触りたいなぁ、なんて……」
ダメですか?と見上げる目は先程よりは開いていて、間接照明の柔らかい光を受けた海の色がやわらかに煌めく。
――ギルガメッシュはこの瞳にとかく弱い。
「………………一分だけだぞ」
「ええー、短すぎます。十分で」
「……三分」
「五分」
「………………」
眉間を押さえ、はぁと溜息をつく。それを了承と受け取った立香が、満面の笑顔で両手を差し出した。ここへこい、ということだろう。見慣れたものだ。矜持がどうこう、などという時期も過ぎた。その腕の中の心地よさを知ってしまっているのだから。迷うこともなく立香の腕の中へ身を寄せながら横たわる。ギルガメッシュが腕の中へ収まると、立香は両腕の力を強めて抱き締めた。
「んふふ、ふふふ」
「どうした? 疲労のあまり気がふれたか」
「王様を……満喫? 摂取? 充電? してるんです」
耳元で笑っていた立香は顔を正面へ戻して笑ったまま言う。そうしてまたすぐにギルガメッシュを抱き締めて、押し倒すようにかぶさる。のしかかる立香の体重は、どうということはない。
「あー……王様の匂い……」
呟く声が肉や布地で遮られながら身体に響く。立香の呼吸音は一定で、落ち着いている。布越しの体温はあたたかく、眠りに落ちる前のソレを思い出す。ギルガメッシュの首筋に顔をうずめている立香の後頭部を撫で、このまま立香が寝た場合己は己の雑務がこなせるのだろうかなどと思考する。のしかかられているが両手は自由だから、無理ではないだろう。
「………………王様」
脳内でシミュレーションしていたギルガメッシュは、立香に静かに呼ばれて我に返る。
「どうした?」
覆いかぶさっていた立香が起き上がり、ギルガメッシュの顔の左右に手をついて見下ろしてくる。いやに真剣な表情をしている、と思えばくしゃっと破顔して顔を寄せてきた。そういうコトか。
「――――」
触れた立香の体温はやはり高い。跳ねるような音を立てて何度も繰り返し触れては離れ、離れては触れる。離れる。触れる。離れる。触れる。それだけ。
「ん、――」
また、離れる。触れて、触れるだけ。それだけ、では、
(足りぬ)
しかし唇を開いてみても立香は乗ってこない。まさか解らないわけではないだろうが、立香の唇は触れて離れるだけだ。それ以上のことをする気配はない。
「んん……」
それならば、と立香の唇を舌先でなぞり、隙間に押し当ててみる。ここまでやれば流石に立香でも解るだろう、と、思ったのだが。
「――王様、」
ギルガメッシュの望むものは与えられず、唇の触れる位置で立香が囁く。
「五分、過ぎちゃいますよ」
眠気と熱の混ざった声。閉じていた目を開けてみれば、目前の立香は微笑むような、悪戯が成功した子供のような顔でギルガメッシュを見ていた。
「か」
「それに、オレ結構本気で眠いので……」
見下ろす顔が苦笑に歪む。己は今何を言おうとしていた?同時に発声したおかげで立香はギルガメッシュが何かを言おうとしていたことにすら気づいていない。助かった。
「そ、う、だな……」
「王様」
横へ向きかけていた顔を、立香は両手で挟んで正面へ向ける。それからまた触れるだけのくちづけを。
「……王様、明日はお・や・す・みですからね!」
四音に力を込めた立香は、眠そうな顔で笑ってギルガメッシュの頰から手を離す。そうか、休みか。
「よっこらせっと」
身体を起こした立香は、元いた位置、ギルガメッシュの隣へ寝転んでこちらへ顔を向ける。顔だけでなく身体も。
「王様」
「なんだ」
ギルガメッシュは身体を仰向けにしたまま、顔だけ立香の方へ向ける。疲労と眠気でへなへなではあるが、立香は満面の笑顔だ。
「ただいま」
「ああ――――おかえり、立香」
まだ崩せるのかその顔は、と問いたくなるような笑顔の立香は、その表情をゆっくりと戻していく。瞼が惜しむように降り、息を深く吸う。瞼はもう上がらない。緩やかな呼吸にあわせるように、立香は眠りに落ちていった。すぅ、と寝息が聞こえ始める。
「今回も、大儀であった」
目を閉じた立香の頬に触れ、目にかかる前髪を横へ流し、癖毛の黒髪を指で梳く。立香はむず痒そうにむにゃむにゃと、何かを言ったのか言ってないのか解らない声を発したが、目覚めたようではないから寝言の類だろう。立香を起こさぬようにゆっくりと、顔の側へ置かれた手へ手を重ね、指を絡めて軽く握り込む。反射運動か、立香の手が僅かに握り返してきて目を瞬く。眠っていても我の意を汲むとはやるではないか、などと心の中で賛辞を送り、重なった体温に満足気に目を細める。
「――我も明日に備えねば、な」
などと己に言い訳をしつつ、ギルガメッシュは目を閉じる。視界が遮られ、聞こえるのは立香の寝息。規則正しいその音を聞いているうちに、意識は微睡み始める。思えば立香が旅立ったあと、最後に眠ったのはいつだったろう。掌にあたたかな体温を感じながら、意識が眠りに溶け出していく。
――眠る必要がないことなど、もう随分前に忘れてしまった。