愛のかたち▽「巣作りする王様ってかわいくない」と思って書いた話です
▽オメガバについて浅い知識しかない人が書きました
▽転生記憶あり風味の現パロ
▽ぐだキャスギル
ぬかった。確かにここのところあれこれと立て込んでいたのだが、それを体調管理を怠ったことの言い訳にはできない(と、先程散々秘書に言われた)。周期的に言えばあと一週間は先のはずだつたから、大丈夫だと高を括っていたのは慢心だったか。身体が重い。熱い。息を吐くのも億劫だ。玄関先でへたり込みそうになる脚を叱咤して、背を預けていた玄関ドアから身を起こす。ここで座り込めば動けなくなる。ネクタイを緩め、震える指でシャツのボタンを二つ三つ外してズボンのポケットから引っ張り出したスマートフォンの画面を見やる。会話の履歴は今朝、『今日はバイトがあるから夜は遅くなる』という連絡だった。遅くなる、と言うことは閉店までいるのか。さて、閉店は何時だったか。零時か?それ以降だったか?常ならば持ち帰った仕事を片づけているうちに帰ってくるのだが、この状態でそれはとてもできそうにない。できることなら今すぐに帰ってきてほしい、が、無様にそれを請うほどまだ正気は失っていない。画面上の時計は正午を示している。状況を伝えるべきなのは解っているが、少し躊躇ってから画面をロックする。帰ってくるまで耐えればいいだけの話だ。深い溜め息を吐いてスマートフォンをポケットへしまおうと腰に当てたところで、振動と共に電子音が腰に伝わって思わず取り落とす。廊下の床にゴトッと重たい音を立てて落ちたスマートフォンの画面には着信を知らせる表示が光っていた。今確かに伝えるのをやめたはずなのに何故。一瞬無視するかとも考えたが、無視したところで諦めはすまい。壁に手をついてのろのろと屈み込んで拾い上げる。画面に触れ、耳に当てれば即座に切羽詰まった大声が鼓膜に飛び込んできた。
『――王様 もしもし 王様』
ぐら、と目の前が揺れたのは大声のせいだけではないだろう。同じ空間にいるわけでもないのに、声を聞いただけでだめなのか。
「大声を出すな……聞こえているわ」
『あっ、よかった……電話、なかなか出ないんですもん……』
「なに、手元になくてな……少し手間取っただけだ」
壁に半分寄りかかりながら歩き、寝室のドアを開ける。そうして思わず息を呑んだ。全ての部屋がそうなのだが、寝室は特に匂いが強い。
「……それより、こんな時間にどうした。昼食時であろう」
『どうもこうも……シドゥリさんから聞きましたからね』
「は」
まったく、できる秘書というのはこれだから。
『怒ったらだめですよ? 心配してくれてるんですから……王様は自分から言わないでしょうし』
「解っておるわ。優秀すぎるのも考えものよな」
彼女には何から何まで手間をかけた。その分たっぷり文句は言われたが、後顧の憂いなく任せられるのはあの者しかいない。この通り、詰めまで完璧にこなして見せるのだから。
『本当なんですか、ヒートがきたって』
「…………残念ながら真実だ」
ベッドまでが遠い。いや、遠くはないのだが、遠く感じる。電話は、まともに喋れているだろうか。部屋が暑い。いや、違う、身体が。
『だって薬飲んでますよね? なのになんで……』
耳に痛い問いだ。ネクタイとベルトを床に投げ捨て、のろのろとベッドに横たわる。
「ああ……それだがな、忘れていたのだ」
『はぁ 忘れてたぁ』
「言いたいことは解っておるわ……シドゥリにも散々言われたのだ、許せ」
先手を打って文句を封じれば電話の向こうで憤慨した様子で唸るのが聞こえて、つい笑ってしまう。
『笑い事じゃないですよ! 今家なんですよね?』
「ああ、いくら我でもこれでは仕事にならぬ」
『じゃあオレ今から帰りますから、』
「駄目だ」
まだ何か言おうとしていたのを遮ってできる限りの声で拒絶する。そう言うのが解っていたから連絡しなかったというのに。まったく。
「午後も講義があろう。今日はアルバイトもあると言っていたではないか」
『いや、休みますよ、すぐ帰りますから、』
「駄目だ。約束を忘れたか?」
『わ、すれてないですよ……でもこれは、』
「たわけ。この我が貴様の帰りが待てぬとでも? よいか、刻限まで帰ってきても家には入れぬからな」
『王様……』
「解ったらとっとと戻れ。昼食も摂るのだぞ。ではな」
『王様、待って、おうさ』
問答無用で通話を終了させる。スマートフォンの重みすら支えるのが億劫でシーツの上へ腕ごと投げ出す。暑い。熱い。あつい。腹の底が疼く。己を心配する声が耳の奥に灼きついている。部屋に染みついた匂いに呼吸の度目眩がする。
「立香、……」
あれだけ言えば帰ってはこないだろう。それでいい。立香には立香の生活がある。学業も、ダ・ヴィンチの店でのアルバイトも立香には必要なことで、それを邪魔するつもりなどない。たとえこの気が狂いそうな熱を治められるのが立香しかいないとしても、それとこれとは違う話だ。結局頼ることにはなるが、そうなのだから必要以上に邪魔はしたくない。そも、こうなっているのは己の慢心のせいであるし、ただでさえこれで立香を煩わせるなど不本意もいいところだが、立香以外に、など、考えたくもない。それならば狂ってしまった方がマシだ。
息を吐く。苦しい。立香の匂いがする。部屋の空気も、手繰り寄せた毛布からも、ここにいない立香の匂いが。
「立香、 りつか……、」
ほんとうはいますぐかえってきてほしいいますぐあいたいさわってほしいだいてほしいりつかのてでゆびでくちでしたでめでこえでぐちゃぐちゃにしてなにもわからなくなるくらいかきまぜてなんどでもいかせておくまでさわってなまえをよんでてをつないでくちづけをしてさわってかんでいかせてりつかにあいたいだいてほしいおくまでいれてほしいぐちゃぐちゃにしてほしいりつかのたねがほしいはらみたいさわってりつかにあいたいりつかの
「――ッ、クソ」
違う違う違う違う、これは違う、こんなものは違う、こんな、一時の発情に惑わされるような、そんなものは違う。
「……立香よ、待つ、とは言ったが、これは」
果たして、立香が戻るまで正気を保っていられるだろうか。これに当てられれば立香も危うい。あちらは薬を飲んでいるだろうから己よりはマシだろうが、あのお人好しのことだ。請われれば後先考えず頷いてしまう可能性はある。大丈夫だと思いたいが、正直、今この状態で立香を相手にして理性を保つ自信はない。帰ってこなければいい、が、それはない。
「久々の共寝がこれとはな……まったく、ままならぬ……」
目を閉じる。眠気はないが身体は重い。眠ってしまえば余計なことを考えずに済む。乱れる呼吸を整えることに意識を集中する。脳の芯が痺れるような空気ではあるが、致し方ない。深く吸って、深く吐く。繰り返す。繰り返して、そのうち、意識が溶けるような、そのまま、手放して、次に目が覚めた時には、立香がいたら、いい。
✣✣✣
『たわけ。この我が貴様の帰りが待てぬとでも? よいか、刻限まで帰ってきても家には入れぬからな』
「王様……」
『解ったらとっとと戻れ。昼食も摂るのだぞ。ではな』
「王様、待って、おうさ」
プーッ、プーッ、と不快な電子音をさせるスマホから耳を離して溜め息をつく。昼休みに入る少し前、シドゥリさんから連絡がきた時にはすぐにでも帰るつもりで、同じ午後の講義を受ける友人にノートを頼んだし、ダ・ヴィンチちゃんにもこのあと連絡するつもりだった。事情は知ってるから許可がおりない心配はないし、そしたらすぐにでも帰れた。でも、あの様子じゃ今帰っても本当に家に入れてもらえない可能性があるし、入れたとしても許してもらえないだろう。あんなにつらそうにして、全然隠せてないのに、意地を張るところは昔から変わってない。そういうところも好きなんだけど、もっと遠慮なく頼ってくれていいのに。
「はぁ……」
もう一度溜め息をつく。今頃ひとりで耐えているのかと思うと胸が痛い。せめて少しだけでも早く帰らせてもらおう。
昼食を食べる気分ではなくなってしまったけれど、食べろと言われたから食べないわけにもいかない。嘘をついてもすぐバレる。講義を受けるのだから、ノートの話もしないと。スマホをしまって、渋々学食に向かった。
✣✣✣
結局、午後の講義もバイトも集中なんてできなくて、終始うわのそらでいたものだからこちらから言うまでもなく、ダ・ヴィンチちゃんには事情を言わされ、早く帰りなさいと言われてしまった。むしろ素直にバイトしに来たことの方が驚きだよ、と呆れ半分に言われてぐうの音も出なかった。自分でもそう思う。けど行かないとあの人が自分を許せなくなるのを知ってるから、勝手なことはしない。本当は、そんなの気にしなくていいし、どっちにしろ選ぶのはオレだし、自分で選んだことを後悔はしないし、覚悟だってそんなの、ずっと前からできてるのに。なんでも知ってるくせにどうして解んないかなあ、とぼやいて玄関の鍵を開ける。
「うわ、 ぁ」
薬は飲んでる。飲んでるし効いてる。のに、ぐらっと目の前が揺れて咄嗟に壁に手をついた。つい今まで平穏に動いていたはずの心臓が突然全力で脈を打ち始める。つられて呼吸が乱れたのをTシャツの胸をぐちゃっと掴んで堪えた。嫌な汗が背中と首筋を伝う。これは。これは、今日のは、すっごいぞ。早く帰ってこれてよかった。連絡がきた時に帰れてたらもっとよかったのに。こんなんでひとりで何時間も、いくらあの人だからって、こんな、こんなの、。
玄関から寝室まで、点々と荷物が落ちている。普段ならきちっと片づけられている鞄や、そもそも玄関にあるはずの靴やら、くしゃくしゃになった高価なスーツのジャケットやら、金色のブレスレットやら。それらをひとつずつ拾って、寝室のドアの前に立つ。深呼吸は逆効果だ。意識を浚われないように、頬を一発思いっきり叩いて、ヒリヒリしているうちにドアを開ける。
「――――」
電気もつけずに真っ暗な部屋の中、床にはなにか、布の塊が落ちていて、部屋、の空気、空気が、息をして、息をしたら、匂いが、息が、
「だあああっ」
バシッと両手で頬を引っ叩く。予想以上にやばいぞ。がんばれオレ。がんばれ藤丸立香。
「――……りつ、ぁ」
気合いを入れ直して部屋に入ったところへ、消えそうな声が聞こえた。いつもの威厳なんて欠片もない。こんなになるまで耐えたなんて、いい加減にしてほしい。
「王様、帰りました。ちゃんと、言われたとおり行ってきましたよ」
講義はうわのそらだしバイトは早退だけど。
ぐちゃぐちゃになった布が散らばっているベッドに近づいて、側にしゃがみ込む。見覚えのある布はオレの服だった。しろい指が縋るように握り締めている。その手に手を重ねると、指が緩んで開く。上から握り込むと、弱い力で握り返された。
「いま、……じかん、」
吐く息が震えている。が、時間を気にしているということは意識はまだ保っているらしい。かろうじて、という感じだったが。
「……二十一時、です」
嘘をつくか一瞬だけ迷って、正直に答えた。「はやい」と震える声が咎める。目は開いているけれど、焦点はあっていないから見えているのかどうか。重なった手のあたりへなんとなく向けられている。
「仕事にならないし、いても邪魔だって追い出されたんですよ……代わりに、今度休み返上です」
「ばかもの……」
「薬飲み忘れた王様に言われたくないですぅ〜」
「んう゛」
妙な呻き声を漏らす彼の顔に張りついている髪を指でどける。触れた頬が熱い。
「これに懲りたら今度から薬だけはちゃんと飲んでくださいよ」
「んん……」
素直にこくこく頷くのを見て不覚にも胸がきゅんとする。かわいいのだから仕方ない。かわいい。
「りつか」
「はい?」
動悸が落ち着くまで、と思ったのが半分、ぼんやりしている彼がかわいいのが半分で頭を撫でていると、熱っぽい声で呼ばれた。鳩尾がざわざわする。
「ふく、……よごした、 すまぬ」
きゅう、と指が少し締めつけられて目を瞬く。濡れた紅い瞳がこちらを向いている。言われた簡潔な言葉はすぐに理解できたけど、何を指しているのか解らなくて辺りを見回す。ベッドの上には明日洗おうと思ってまとめてカゴに突っ込んでおいた服が散らばっている。くしゃくしゃになったそれを一枚手繰り寄せて、開く。
べったりと付着していた液体が、糸を引いた。
「おお……」
思わず感嘆っぽい声が出た。これはどう見てもアレだ。そういえばよく見れば横たわっている彼は下に何も履いていない。ということはそういうことだ。原因を思えば当然とも考えられる。この一枚だけではなさそうだけど、これで済んだのはすごいのでは。
「ふく、りつかの、…………、りつかが、 りつか……、ふく、りつか、におい。が、」
「大丈夫、大丈夫ですよ。服くらい、いくらでもありますから」
舌が回っていない。自分が何を言っているか解っているかも怪しい。こんなになるまで我慢しなくてよかったのに。服なんかじゃなくて本体を頼ってくれていいのに。服に負けたっぽくてちょっと悲しい。いや、オレの服が選ばれたことに感動するべき?実際結構かなりめちゃくちゃ嬉しいけど!
「王様、上脱がしますよ? オレの服もどけちゃいますね」
見ればシャツの裾の方は付着した液体が乾いているのといないのとで汚れている。洗濯でなんとかなるだろうか。高いヤツだからダメかもしれない。ぐったりしている彼を仰向けに転がして、ボタンを外す。生地が肌を擦れるのがもどかしいのか、身じろぎながら鼻にかかった声を漏らすから理性を保つのがつらい。脱がした服を床に降ろして、散らばってるオレの服は適当に床に投げる。カゴに入れてた数日分と、パジャマにしてるスウェット全部集めてきたらしい。嬉しいような恥ずかしいような。洗濯物溜めててよかった、のだろうか。
立ち上がってシャツを脱ぎ、Tシャツも脱ぐ。洗濯物の山にまとめて投げようとして、ズボンを掴まれた。見下ろすと、何かを訴えるような目がこちらを見ていた。
「王様?」
屈み込んで、はくはく動く唇に耳を寄せる。
「ふく、いまの、よこせ」
「えっ」
手元を見る。今の?脱いだやつ?これ?なんで?
「りつかの、におい……」
うっとりと囁きかけられて、背筋がぞわぞわと粟立ったけど、その台詞は聞き捨てならない。
「本体ここにいますけど!?!?!?」
「あっ」
服を思いっきり放り投げて、裸体を思いっきり抱き締める。まだ風呂にも入ってないからいつもならご遠慮願うけど、今そんなこと言ってられない。ぎゅうぎゅう抱き締めるついでに背中の下に突っ込んだ手で腰を撫でて、肩に噛みつく。本当に噛みたいところは違うけど、そこはオレだけで決めていいことじゃないから、肩とか鎖骨とか、痕にもならないくらいに噛む。それだけなのに腕の中で仰け反って甘い声をあげるからたまらない。晒された骨の浮く喉をなるべく見ないように、熱い肌に唇を押し当てて弱く吸う。
「あっ、あ、くすぐった、りつか、もっ、つよく、」
「服より本体の方がいいって言うまでこれです」
「あふ、ふは、ぁっ、あ、は」
脇腹をさわさわ撫でて、皮膚の薄い部分に唇を押しつける。身をよじって逃げようとする彼が笑っていて、さっきまでの混乱したような弱々しい顔よりずっとよくて安心する。そうやって笑っていてくれたらそれでいいのに。
「やめ、やめよ、りつかっ、あっ、ふ」
「服よりオレのがいいですよね? ね?」
もはや完全にくすぐりながら、涙の浮いた目を覗き込む。いくらか光が戻った真紅がオレに焦点を結んで映す。少し困ったように眉尻が下がって、目が眇められる。濡れた赤色が、縁から零れて落ちそうだ。ややあって、血の色が透けた唇が動く。
「貴様の……立香のだから、よい、……ほしいのだ、と、……いわねば、わからぬ、か? ……まったく……」
呆れたような言い方だったけれど、その声も向けられた瞳もやわらかくて、息が詰まりそうになった。実際何秒か止めてたと思う。苦しくなって息を吐く。
「…………服だけでいいんですか?」
答えはなく、瞼が伏せられる。伸びてきた腕に引き寄せられて、招かれるまま赤い唇を塞いだ。
なんでも知ってるくせに、なんで解んないかなあ。ずっと一緒にいるのに。だいたいオレはもうずっと前から、ずっと、■■■■■のに。
(王様のばーか)
あなたが望むなら、自分の人生だって、心だって、魂だって、なんだってあげるのに。