王様に聖杯をあげた時の話▽フランちゃん辺りが名前だけ出てきます
▽ぐだキャスギル
「王様、これを」
立香の部屋を我が物顔で占拠している王に、靴が沈んでしまいそうな柔らかな絨毯に片膝をついた立香はできる限り恭しくそれを差し出した。心の中で、脳の裏で、いったいこの王の顔がどのように華やぐのかと浮かれた気持ちで想像しながら。
「…………我は忙しい。下らぬ戯れは後にせよ」
しかし、一瞥のみで視線を外す王の反応は、立香が思い描いていたものとはかなり異なった。絶賛はされないだろうし他の者のように喜びを露わにはしないかもしれないが、気が利く、くらいの褒め言葉は頂戴できると思っていたのだが。
「これ、聖杯ですよ?」
「そんなことは解っている。不要だ、と言っているのだ。渡す相手を間違えたか? 惚けた顔をしていると思っていたが、遂に頭蓋の中身まで惚けたか」
立香からすっかり興味を失ったように、ギルガメッシュは書類と端末の画面を交互に見比べ、顎に指をやって思案げな表情を浮かべる。立香の方などもう見ようともしない。黄金の聖杯を手に立香は拍子抜けしたような落胆したような気持ちで立ち上がり、ギルガメッシュのいるベッドへ近づく。そうして見下ろしても、ギルガメッシュはやはり立香の方へ一瞥もくれない。
「渡す相手も間違えてませんし、ボケてもいません」
これは、立香がギルガメッシュに渡すべく、その力を更に強力に、今回の現界においての制限を取り払うべく持ってきたものだ。決して、フリでもふざけてるのでも遊んでいるわけでもない。第一、聖杯はダ・ヴィンチやスタッフによって厳重に管理されている。いくら立香と言えど戯れに持ち出すなど許可されるはずもない。そんなことくらい、ギルガメッシュもよく理解しているはずなのだが。
「…………間違えているだろう」
そこでようやく、ギルガメッシュは立香を仰ぎ見る。溜め息をつきつつ、渋々といった体ではあったが、ようやくまともにその真紅へ立香を映した。
「間違えてませんって。どうしたんです? なんでそんなこと……」
ベッドに腰を下ろし、ギルガメッシュの方へ身体をひねって目線の高さを合わせる。金属のような聖杯は、立香がずっと握り締めていても温度は変わらず、少しひやりとしているままだ。
立香と同じ高さで目を合わせたギルガメッシュは、真っ直ぐに見つめる立香からふいと目を逸らした。あれ、と立香が思う間に、形のいい薄い唇が僅かに開き、
「……間違っているだろう。……ソレは、我ではなく、あの、人造の――」
いつもの覇気が感じられない低い声が、そこで途切れる。はた、と口を噤んだからだ。まるで口を滑らせたかのように。そうして唇を真一文字に引き結んで、なんでもない、とだけ告げて端末へ視線を落とした。横顔は、無表情に見える。
はて、じんぞう。ギルガメッシュは今じんぞう、と言ったように思う。立香の聞き間違いでなければだが、聞き間違いではないだろう。じんぞう。じんぞう。腎臓頭の中で漢字変換を試みた立香は首を傾げ、顔を背けているギルガメッシュの横顔を再び見る。やはりこちらは向いていないが、
(あれ?)
ふと気づく、ギルガメッシュの僅かな変化。
そしてもう一度考える。じんぞう、人造。
(いやでも、まさか)
「王様、」
「忘れよ。我とて言い間違うことくらいある」
「忘れませんし言い間違いでもないでしょ。王様、もしかしなくてもフランちゃんのこと、言ってます?」
そう立香が追い討ちをかけてもギルガメッシュは手を止めなかったし、動揺を顔に出すこともなかったし、立香を見たりもしなかった。けれど、僅かだった変化は、更に進行している。そうして、立香は確信する。
――人造人間。人の手によって造り出され、棄てられた、作り手の名を冠された少女。バーサーカー・フランケンシュタイン。人造の、とギルガメッシュが呼んだのは恐らく彼女のことだろう。理由は簡単、立香は彼女に聖杯を既に二つ渡していた。
「……、……。…………ソレはあの娘に渡すつもりであったのだろう。故に、渡す相手を間違えている、と言ったまでだ」
観念したのか、口を開いたギルガメッシュは苦虫を噛み潰したような声で呟く。顔は背けているままだが、それでは全く何も隠れていないことに、ギルガメッシュは気づいていない。白い肌は、何かを隠すにしても向いていない。
「……王様、それって、やき」
「そんなはずがなかろう」
淡々と思い切り立香の言葉を遮るギルガメッシュ。けれど立香は顔がにやけるのを抑えられないし、抑えるつもりもない。耳飾りの揺れるギルガメッシュの耳朶は、上から下までぐるりと朱に染まっていて、その色は白い頬にまで及んでいる。つまりは顔が紅い。この王にこんな一面もあるなんて、と感動にも似た感情を覚えざるを得ないくらいには紅い。
「王様」
「だからいらぬと……」
「聞いて。王様」
く、とギルガメッシュが息を呑んで、空気が震えた気がした。立香は靴を脱いでベッドへ上がり、聖杯片手にギルガメッシュへ這い寄る。近づくギルガメッシュが若干身構えた気がしたが、関係ない。
この聖杯は、間違いなくギルガメッシュのために持ってきたものだ。受け取ってもらわねばならない。
「これは違います。これは王様のものです。間違ってもいませんし、冗談でもありません。
オレはこれを貴方に捧げたいんです、ギルガメッシュ王」
「――っ、いらぬと言っておろう。貴様、いい加減しつこいぞ……!」
真っ直ぐに見つめればたじろいだようだったので、これはイケる、と思ったのだが、差し出した聖杯はぐいと押し返された。もう引っ込みがつかないのか、受け取ろうとはしない。が、ここで引かないのが立香である。押し返された聖杯をもう一度差し出す。
「貴様――」
「これは違います」
「だから、」
「これは、王様にお返しするだけですよ」
元々貴方のものですから、と言えばギルガメッシュの真紅がひたりと聖杯を見据え、やがて僅かに見開かれる。
何の変哲もない金の盃、いつもの聖杯、に見えていたのだろうが、これは、あの時ウルクからカルデアへ還る立香に、ギルガメッシュが渡した聖杯だった。
「受け取ってください。これは貴方のものです、ギルガメッシュ王。貴方から頂いたものです」
「……ハ、我が下賜したものを突き返そうというのか?」
「もー、ああ言えばこう言う……」
「いい加減、」
「オレがもらいました! オレがもらったんだからどう使おうとオレの自由ですよね オレは今これを王様に受け取って欲しいんです! 貴方に! 王様に! ギルガメッシュ王に」
弁舌で立香がギルガメッシュに勝てようはずもないのは解りきっている。頑なに頷かないギルガメッシュに、立香は痺れを切らして怒濤のごとく叫ぶ。立香の声か勢いか、その両方か、驚いたように立香を見るギルガメッシュは、言い返しもせず眼を瞬く。
「オレは王様が好きですよ。好きな人にプレゼントしたいし、でもオレにあげられるものなんて何にもないし、これくらいしかしてあげられないし、好きな人には……王様には強くなってほしいし、これは王様にもらった大事な聖杯だから、絶対王様にあげようって思ってたし、……」
思っていることをとにかく言ってしまおうと思えば自然とギルガメッシュから視線が外れた。記憶を探るように自分の思考を、浮かぶ言葉を辿って目を泳がせる立香の声は語尾にいくにつれどんどん小さくなる。
「オレ、王様が、好きだから……なにかあげたいじゃないですか……」
「………………」
もう何を言えばいいのか、何を言っているのかよく解らなくなってしまった。とにかくこの気持ちだけは伝えたくて「好きなんです、」ともう一度繰り返す。
「…………どうしても、ダメですか?」
無言を貫くギルガメッシュが今どんな顔をしているのか、どういう気持ちで聞いてくれたのか、立香は恐る恐るギルガメッシュを見ようと視線を上げ――――
「わぶっ」
がばっ!と両目から鼻にかけてを何か、柔らかくて暖かいもので覆われて、突然何も見えなく……いや、黒く影のかかった肌色が視界を塗り潰して、肌色、肌……これは、手のひら?
「お、王様? 見えないんですけど、手? これ王様の手?」
引き剥がすつもりはなく、ただ本当に手なのかを確認するべく目を覆う暖かいものに両手で触れる。顔面に押しつけられているのは柔らかい皮膚だが、立香の手が触ったのはごつごつした関節、骨の浮いた、手の甲。そこから伸びる、なめらかな肌と、硬い布の感触。これはギルガメッシュのあの水色をした装飾?服?だろう。やはり、手で両目を塞がれている。
「お、王様……? 何か言っ」
「……喧しい。少し黙らぬか」
ギルガメッシュの手首を掴み狼狽える立香に、ギルガメッシュが低く短く言う。立香がいくら引いてもギルガメッシュの手はびくともしないが、ああ、とか、うう、とか何か唸るような声が聞こえてきて立香は何があったのかと掴んだ手を引き剥がそうともがく。そのうち、意識が逸れたのかギルガメッシュの指が僅かに動いて、片目に隙間が生じる。
「――――」
王様、と呼びかけようとして、やめる。指で黒く区切られた向こうにいるギルガメッシュは、耳の全部、頬の端まで真っ赤に染めて、空いた片手に顔をうずめて呻いていた。これは、どう見ても。
立香は抵抗をやめ、口許に力を入れる。そうしないと、にやける顔が抑えられない。こんなことしても抑えられないだろうけど。ギルガメッシュが落ち着いたら、もう一度聖杯を渡そう。今度は受け取ってくれる。そう確信しながら、立香はギルガメッシュに気づかれないように、可愛い恋人の照れる姿を網膜に焼きつけるべく目を開いた。