ぐだおが怪我をした時の話▽ぐだおが怪我をしています
▽ぐだキャスギル
視界が悪い。眼帯など初めてつけたがこれは結構不便だ。目だけでも治療してもらえばよかったかな、などと思いながら頬に触れればふわふわしたガーゼに指が当たった。その下に鈍痛があって苦笑する。部屋に戻るのがほんの少し気が重い。何せあの人の目の前でやらかしたのだ。咄嗟の事とは言え自分の身を危険に晒したのだ。いや、ああしなければあの子は死んでいただろうからあれは正解だと思うが、ぼやける意識の中で見た王は明らかに怒っていた。あれは絶対叱られる。普段から散々不必要に無謀な事はするなと言われているのに。いやでもあれは不必要じゃないよなあなどと思考しながら自室の扉を開ける。知らず溜息が漏れた。
「――戻りました」
瞬きした目を開いて見れば珍しくギルガメッシュはベッドに座っていた。クッションに寄りかかるでもなく、寝そべるでもなく、部屋の割りに大きなベッドの真ん中あたりであぐらをかいて座っていた。片目で見るその顔は険しい。ああ、これは叱られる。
「……貴様、その顔はどうした。治療を受けたのではなかったのか」
開口一番で怒鳴られる事も覚悟していたのに、その口から出たのは意外なほどに落ち着いた、静かな声だった。
「えっと……大きな傷は治してもらいましたけど、軽傷は、まあ。治療にも電力使いますし。無駄遣いできませんし」
この怪我は自業自得でもあるし、この程度なら今まで何度も経験しているし、耐えられないものではないから治療は固辞した。全体的に数日で治るとは言われているし、経験上数日で治るのも解っている。痛みはするが何かに支障を及ぼす事はないと判断した。目だけは腫れが引かなければ治療すると言われたしそれはそうしてもらうつもりではあるが。
「……まあよい。で、いつまでそんなところに突っ立っている?」
「はい……」
諦め混じりでベッドへ近づく。無言でかつ顎で向かい合わせに座るよう促されてそれに従ってベッドへ座る。思わず正座してしまった。
「遠い」
「え?」
「寄れと言っている」
「あ、え? はい」
正座のままにじり寄る。すると同じ事を言われて、またにじり寄る。それを何度か繰り返せば膝と脚が触れる距離にまで近づいた。説教を受けるには近すぎると思うのだが。ギルガメッシュの顔は未だ険しい。怒っているのは明らかなのだが、何も言われないのが少々不気味でもあった。
「……何か言う事があるだろう」
「え?」
首をひねる。怒ってても綺麗ですね、が違うのは解る。綺麗なのは確かなのだが。
「えっと……ごめんなさい?」
じっと見つめてくる真紅を見つめ返しながら言う。と、盛大に溜息をつかれた。外れか?遂に説教か?と思う立香の前でギルガメッシュがおもむろに身体を起こし、膝立ちになる。
「あの……王様?」
見上げれば見下ろされる。見上げた顔はもう険しくはなかった。表情から感情は読み取れない。
「……立香」
す、と両手が持ち上げられて咄嗟に目を瞑る。頬のガーゼをおそらく手のひらが掠めたが、何かの衝撃がくるでもなく、代わりに脚の上にやわらかなものが触れる感触と、鼻先に皮膚、それから、背中と包帯が巻かれている頭に手の触れる感触。
おそるおそる目を開ければ、目の前が暗い肌色だった。瞬きをしても暗い肌色だ。これはもしかしなくても抱き締められているのでは?と考えている間にふわりと触れていた腕に力が込められる。その腕に引かれた顔面が、むぎゅっと胸のあたりに押しつけられた。呼吸が遮られる。苦しい。
「お、王様、ぐるじい、王様、」
「喧しい。少し黙れ」
脚に当たっていたのは服だったのだろう、ギルガメッシュがゆっくりと座り体重がかかる。正直重い。座ったせいでずりずりと顔面が肌に擦れ、鎖骨のあたりが顔に当たる。手は後頭部と腰のあたりにある。苦しいくらいに抱き締められているが意味が解らない。頭の中に疑問符しか浮かんでこない立香をギルガメッシュはしばらく無言で抱き締め続け、やがて溜息と共に腕を緩めた。代わりに脚にかかる負荷が増え、思わず呻く。正直重いのだ。
ようやく顔が見えた。やはり怒りは見えない。怒ってはいない、のだろうか。
「……あの、」
「貴様は、己のした事を正しいと思うか」
子供を庇った事だろうか。
「はい」
「……聞くまでもない問いであったな。貴様はそういう奴だ」
「そうですね。……何度でも、やると思います」
状況次第ではある。虐殺を、ただ見ているしかできなかった事もある。けれどそうでないのなら。後を任せられる事が解っているならば、何度でもやる。自分の命を軽く扱っているわけではない。ただ、手を伸ばせる人がいるなら、絶対にやる。
立香の返答を聞く、見下ろす顔は穏やかだ。やや呆れているようではあった。
「周りを信用しすぎるなと言ったであろう」
「解ってます。でも、まだその時じゃないでしょう?」
言えば今日一番長い溜息を聞いた。ギルガメッシュは片手で額を押さえ首を左右に振り、完全に呆れた顔になっている。
「精々死なぬようにする事だな。貴様のようなやり方では守れるものも守れん事もあるだろう」
「……善処します」
「その物言いはやらぬ人間がすると聞いたが?」
「誰に聞いたんですかそんな事……」
「さて、誰であったか」
雑なごまかし方をしたギルガメッシュにもう一度ふわりと抱き寄せられる。今度は立香の肩口に顎を乗せているので顔面が押し潰される事はなかったし、立香もギルガメッシュの肩へ顎を乗せられた。耳にさらりとした髪が触れる。眼帯で隠れている側へ身体を寄せられたので、目を動かしても頭は見えない。
丸められた背中へ腕を回す。何本かの指に巻かれたテーピングが邪魔をして肌の感触は曖昧だ。
「痛むか」
「平気です」
「そうか」
肩に平たいものが押し当てられる感触がする。額だろうか。
「貴様の治療以上に重要な使い道があるとは思えんがな」
耳元でぽつりと呟かれる。服の背を両手で握り締められてようやく、立香は思い至った。
「……王様、もしかして心配してくれてます?」
「誰が雑種の心配などするか。……ばかもの」
口ではそう言うが覇気はない。思えば最初からいつもの高圧感はなかった。無表情に見えた顔は、感情を上手く表せてなかった、とも取れる。さすがに考えすぎか。
「大丈夫ですよ。そう簡単には死にませんから。オレには最高のサーヴァントがいますし」
「……当然であろう。この我がいてそうやすやすと死なせるものか。殺してでも生かしてやる」
某婦長のような矛盾した言葉にちょっと笑って、立香はギルガメッシュの身体を引き寄せる。丸まっていた背中が伸び肩に乗っていた頭が離れ、代わりに立香の頭の横側には耳を覆うように細い糸のようなものが押し当てられる。この感触は髪だろう。立香の顔も位置が変わり、唇は鎖骨のあたりへ触れた。引き寄せるがままぎゅうと抱き締めると、ギルガメッシュの尻が乗っている足へずしりと体重がかかる。そろそろ痺れてきた。
「王様すみません、そろそろ重いです」
「罰と心得よ。この程度で済ませてやる我の寛大さを噛み締めながらな」
「はい……」
心配させた分と思えば安いものだろうか。心配。心配させてしまったのか、この人を。敵の攻撃に倒れた立香を見て、不安に思ったのだろうか。背に回した腕に力を込めれば抱き返す手を、縋っているみたいだな、と思い、そんな筈ないか、と思い直した。
「王様、あとでちゃんと顔見せてください」
「貴様がその目を治せばよかろう」
「……そうですね」
ギルガメッシュの肩に額を預けながら苦笑する。一度断ったものをもう一度頼むのは大変心苦しいが、そんな見栄より欠けた視界で見る事の惜しさの方が勝った。あとでもう一度医務室に行こうと決めながら目を閉じる。頭にかかる負荷は、彼の頭だろうか。それはやはり、縋っているように思えた。