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    Dk6G6

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    Dk6G6

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    カブルーがミスルンのストーカーを順繰りにボコボコにしていく話

    鐘の音は響かないミスルンは時たま魔物の調査報告のために城にやってくる。
     その際に近況報告も兼ねてとカブルーと一緒に食事をするのが恒例となっていた。カブルーがちゃんとしたものを食べてるのか、魔物調査で無茶をしでかしてないかと質問しては、ミスルンが変わりない、問題ないと答えるのが常となっている。ミスルンは迷宮外ではきちんと習慣に従って生活しているので何ならカブルーよりも健康的な生活をしているが、迷宮で彼の世話を焼いた時の癖のようなものがつい彼の心配をさせてしまうのだ。なので彼がいつもと変わりない健康的な生活をしていることを知っては安堵し、困ったことがあったらいつでも相談してくださいね、と返すのがお決まりのパターンとなっていた。
     だから、今日もそんなやり取りを行うのだろうと思いながら、彼に誘われるままにミスルンの自宅へと向かった。今回は彼が趣味で手打ちしてる蕎麦をご馳走してくれるらしい。あの抜け殻のようだった隊長が今では趣味のようなものまで持つようになるなんて……と子の成長を見守る親のような気持ちすら抱きながらミスルンの家の前へと辿り着いた。
     そこでカブルーは違和感に気が付いた。以前訪ねた時とは確実に異なる点がある。
     そう、郵便受けがいっぱいになっているのだ。まるで数か月も家を留守にしていた人の家のように郵便受けからは手紙が溢れかえっていた。彼に長期的に家を留守にするほどの任務はなかったはずだが。

    「郵便が溜まってますよ。きちんと処理していなかったんですか?」
    「いや、昨日空にしたばかりだ」

     そこでカブルーは何か嫌な予感を感じ取った。一日でこんなに郵便に手紙が届くことなど早々ない。何か嫌な予感がした。そして残念なことにカブルーの予感は割と当たる。
     
    「すいません、俺が開けてもいいですか?」
    「構わない」

     彼に断りを入れて、震えそうになる手で郵便入れの蓋を開け、中にある大量の手紙の内の一枚を手に取った。染み一つない真っ白な封筒だった。宛名も送り主の名前も書かれていない。そのことに気味の悪さを感じながらその手紙の封を切り、開いてみる。

     そこには、彼への劣情をひたすらに書き連ねた文章が余白なく綴られていた。

    「…………」

     その手紙をとりあえず捨て置いて別の手紙を開く。次の手紙には、彼が昨日一日何をしていたのかの仔細が気持ち悪い感想付きで綴られていた。カブルーはその手紙を思わず破り捨て、もう一枚手に取った。そちらには彼の様々な角度の肖像が描かれていた。こちらにもご丁寧に彼のどんなところに性的魅力を感じるのか詳細が記されている。カブルーは手の中でその手紙を握りつぶした。

    「ストーカーじゃないですか!!!」

     しかもタチの悪いタイプだ。いや、ストーカーに良いも悪いもないのだが、彼についているのは特に気持ち悪いタイプだった。最悪なことに、先ほど手に取った手紙の筆跡は全て違った。つまり、最低でも三人は一方的に彼に劣情をぶつけている相手がいるのだ。怖すぎる。どうやったらこんな短期間のうちにストーカーを大量に惹きつけることができるのだろう。

    「何で早く言わないんですか!?」
    「聞かれなかったからだ」

     その返事に頭が痛くなるような心地がした。彼には嫌なことをされても避けたいという欲求が湧かないとはいえ、普段と違うことが起こっているのならカブルーに相談してくれてもいいだろう。何だか胸の奥がもやっとしたが、今はそれよりも彼についているストーカーを全員撃退する方法を考える必要がある。

    「ミスルンさん、今まで何をされたかしっかり報告してもらいますからね」
    「蕎麦は……」
    「蕎麦はまた今度です」

     少ししょげたような気がするミスルンに罪悪感を抱きつつも、カブルーはこの件を徹底的に追及するために屋敷で彼の話をじっくりと引き出すことにした。

    「それで一体いつからこんな手紙が届くようになったんですか」
    「一月ほど前からだ。ある日突然手紙が届き、日に日に増えるようになった」
    「相手に心当たりは?」
    「ないが、最近何故かやけに道を聞かれるようになったな」
    「それ絶対関係がありますよ!」

     彼の口から恐ろしいエピソードが次々と飛び出てくる。気が付くと私物がなくなっている、見知らぬ人物から親し気に声をかけられる、家に帰ると物の配置が変わっている等々。カブルーは途中で思わず耳を塞ぎたくなかったが、彼の身の安全を考えるためには全て聞くしかなかった。彼の話を総括すると、一か月前ほどから郵便受けに手紙を入れられるようになったが、敵意を感じなかったので放置していたら、今のような状態になってしまったらしい。

    「しばらく俺と一緒に行動しましょう」
    「特に今のままでも問題はないが」
    「問題大ありですよ……。このままだと一層過激になって襲いかかってきますからね」

     実際ストーカーは道を聞くという体裁を取って彼に接触しているのだ。彼は方向音痴なので全て分からないからと断ったそうだが、もし大人しく道案内していたら怪しい暗がりにでも連れていかれていたかもしれない。そう考えると背筋がゾッとする。

    「いいですか、知らない人についていっては駄目ですからね。あと安全のために俺も今日はこの屋敷に泊まります」
    「分かった」

     こくりと頷く彼からは危機感を感じられない。欲求を失っているので仕方ないが、自身が貞操の危機に晒されていることを自覚して欲しい。彼の実力なら本来はストーカーなど一瞬でお縄に出来るはずなのだ。少しずつ回復の兆しを見せているとはいえ、未だに彼の他人の好意や悪意に対する感度は低い。他人からの悪意や異常な好意に晒されても、それに対して拒絶するような態度を取らないのだ。流石に攻撃されたら反射的に反撃ぐらいはするだろうが。もしかしたら彼の他人に敵意を示さないその有様がストーカーを引き寄せてしまったのかもしれない。非常にムカつく話である。

    「ストーカーどもを牢獄にぶち込んでやりましょう……!」
    「そうか」

     ミスルンは他人事のように「頑張れ」とカブルーに告げた。
     その瞬間から、カブルーvsストーカーの戦いは始まったのである。


    「やられた……!」

     朝起きて真っ先に確認した郵便受けには、既に手紙が十五通ほど溜まっていた。まさかストーカーがこんな早朝から活動してくるとは思わなかった。その行動力を別のことに生かせばいいのにと思いながら手紙を杜撰な手つきで開く。そこには相変わらずミスルンに対する異常な好意が記されていた。それに辟易しながらも別の手紙を開いてみる。

    「うわ……」

     そちらの手紙には責め立てるような口調でカブルーのことを問い詰める文が綴られていた。つまりストーカーは何らかの手段かでこちらを観察しているのだろう。あまりにも気色悪かったので指の端で摘まみながら全ての手紙を屋敷の中へと持ち帰る。

    「もう届いていたのか」
    「ええ、これも証拠として保管しておきますから」

     貴方は見なくていいですからと断りを入れながら筆跡ごとに整理していく。文字が乱れていて判別しにくいものもあったが、整理した限りではやはりストーカーは三人いるようだ。これらのストーカーは結託しているのか、それとも個別にミスルンにストーカー行為を行っているのかは分からないが、どちらにせよ害悪なことは間違いない。カブルーは容赦なく奴らをぶちのめしてやることに決めた。そのためにストーカーどもをおびき出す方法を考える。
     そして一つ試してみたい方法を思いついた。

    「とりあえず一緒に買い物に行きましょうか。途中で怪しい気配や人物を見かけたらすぐに報告してください」

     そう言って彼の手を握る。自分よりも一回り小さい手は、ひやりと冷たい感触がした。その細い指の間に自身の指を滑り込ませ、恋人同士が行うような繋ぎ方にする。きゅっと手を握って彼に微笑んでみたが、ぼんやりとした表情のまま首を傾げられた。カブルーがこうして喜ばない人間がいなかったのだが、やはり彼には効かないらしい。

    「この手は何だ」
    「恋人繋ぎですよ。ストーカーは俺の存在を知って反応してたので、こうして恋人同士のような振舞をしたら尻尾を出すんじゃないかと思いまして」

     嫌ですか、と少し卑怯な問いかけをすると、予想通り嫌ではないという返事が返ってきた。彼が嫌がることなどないと分かっていたものの、その返事にほっと胸を撫でおろし──うん?と首を捻った。何故自分は彼に拒まれなかったことにこんなに安堵したのだろうと、疑問が泡のように浮かび上がったが、彼の声がその泡をぱちんと弾けさせてしまった。

    「準備はもう済んだ」
    「すいません、考え事をしてました。行きましょうか」

     彼と手を繋いだまま屋敷を出て商店へと向かう。道中手のひらに汗をかいてないかと余計なことに気が散って仕方なかった。必死にその思いを脇にどかし、周囲に後をつけている人物はいないか確認する。今のところそれらしき気配はない。

    「今日はいつもより視線を感じるな」
    「……普段から常に複数の視線を感じているんですか?」
    「うん」

     うんじゃない!と叫びたかった。すんででその言葉を飲み込んだので、カブルーは不審者にならずに済んだ。代わりに彼に向かってゆっくりと言い聞かせるように言葉を発した。

    「貴方はもう少し他の人間を頼りにしてください」
    「もう十分なほど頼っている」
    「ストーカー被害にあってるじゃないですか。視線を感じたり手紙が届きだした時点で俺に相談して欲しかったんですよ!」

     そこまで言ってカブルーは再び、うん?と首をひねった。別に相談相手はカブルーでなくてもいいだろう。これでは自分に早く頼ってくれなかったことを拗ねてるみたいじゃないか。

    「いや、俺相手じゃなくてもいいんですけど……とにかく、もっと人に相談してください!」

     見苦しい言葉をつけて無理やり言葉を締めくくる。ちらりと横目で彼の表情を確認してみたが、相変わらずの無表情だった。その反応にホッとするやら寂しい気持ちやらが同時に襲い掛かってくる。自分の感情なのに全くコントロールが効かない。嫌に早い心臓の音が繋いでいる手のひらごしに彼に伝わらないかと不安になってきた。

    「店に着きましたね。今日の昼食はシチューにしましょうか」

     ごほんと咳払いをして気分を切り替える。そして商品を見るために店に入ろうとしたところで、ぐいっと腕を引っ張られた。繋いでいる手に少し力を込められる。

    「これからは真っ先にお前に相談する」

     少し遅れて、さっき言ったことに対する返答だと気が付いた。ぶわっと顔に血が昇る。
     返事をしなくてはと思うものの、普段はよく回る口が今日に限って上手く動かない。ミスルンがストーカーにあっていると知ってからカブルーの調子はやけに悪い。そのことに対しての答えを見つける前に、ミスルンの指がするりとカブルーの手の甲を撫でた。偶然だったのかもしれないが、カブルーの頭はたった一瞬のその動作に囚われてしまう。カブルーの心を弄んだ当のミスルンは知らん顔で「入らないのか」と尋ねてくる。カブルーは急激に乱高下する感情に疲労感を感じながらも、彼と手を繋いだまま店へと入った。

    「こんなもんでいいですかね」

     必要なものを袋に詰めて、会計を済ませる。買い物の最中も特にストーカーらしい人影を見かけることはなく、ごく普通に買い物を済ませることができた。他の作戦も考えた方がよいのだろうかと思案していると、店員から渡されたお釣りが手から零れ落ちてしまった。ちゃりんと音を立てて硬貨が地面へと転がる。

    「私が拾おう」

     荷物を抱えているカブルーの代わりにと、ミスルンが屈んで小銭を拾おうとする。けれでも硬貨は別の人物の手によって拾われてしまった。ごく平凡な容姿のトールマンの男だ。年齢は三十半ばぐらいだろうか。身体はそれなりに鍛えられているが、嫌に気配の薄い男だった。男は感情の読めない表情で拾った硬貨を握った手をミスルンへと差し出した。受け取ろうと差し出されたミスルンの手のひらにちゃりっと音を立ててお金が置かれる。カブルーは感謝を述べようと口を開いた。

    「……何をしているんですか」

     けれども口から飛び出たのは咎めるような低い声だった。その男は小銭が置かれたミスルンの手を握りしめ、放そうとしなかったからだ。両の手でミスルンの片手を包み込むように握る仕草が癇に障る。それを振り払おうとしないミスルンにも苛立ちを覚えてしまう。カブルーはその手を振り払わせるために身体を割り込ませて男の前に対峙した。

    「お知り合いですか?」
    「いや、見たことない顔だ」

     男はカブルーの顔を見て苦々しいような表情を作った。まるで恋敵でも見たかのようなその表情にストーカーである可能性が頭に浮かび上がる。もしストーカーならば逃してはならない。確かな証拠を掴み、彼を牢獄へとぶち込んでやらなければ。カブルーはひとまず彼を問い詰めてみるかと、足を一歩踏み出した瞬間、男は店の外に向かって走り出した。

    「逃がすか!」

     脱兎のごとく逃げ出した男の脚は想定よりも早かった。あっという間に視線の彼方へと消えていく。慌てて後を追うために走り出そうとしたカブルーよりも前にミスルンが先に飛び出した。握っていた手を外し、転移術を行使したのか彼の姿が一瞬で搔き消えた。そして次の瞬間には、少し向こうから男の悲鳴のような声が聞こえてきた。

    「ミスルンさん!」

     急いで彼の下へと走ると、男はミスルンの下敷きになって倒れていた。うっかり転移事故を引き起こした訳ではなかったらしい。その事実にほっと胸を撫でおろす。男は気絶しているようでぴくりとも動かなかった。ミスルンに怪我がないか確認してから、周囲の人間が騒ぎを起こす前に男を連れて路地裏へと身を隠す。

    「何か証拠となるものでもないですかね」
    「それならこれがある」

     ミスルンが封筒をぴらりとカブルーにかざした。その手紙の種類は郵便受けに入っていたものと全く同じものだった。どうやら先ほど手を握られた時に手渡されたようだ。まさかいきなり直接手渡す暴挙に出るとはと呆れのような感情を抱えたまま手紙の封を切る。

    「……貴方は読まないでくださいね」

     それはもう酷い内容だった。如何に自分がミスルンを愛しているか、そして隣に立っている男はどんな関係だと詰るような文章が書き連ねられている。彼の頭の中ではミスルンは自分の恋人であったらしい。朝に届けられた手紙よりも粘着質かつ一方的な感情が書かれているため、見ているだけで気分が悪くなってくる。こんな手紙をミスルンの目に触れさせたくない。

    「兵を呼んでこの男を牢に入れといてもらいましょうか」
    「そうだな」

     こくりとミスルンが頷く。カブルーはふうと息を吐いて男の様子を確認した。

    「ん……?」

     じっくりと観察してみると、男の指がぴくりと動いていた。それに薄っすらと目を開き、せわしなく瞳孔を動かしては周囲の様子を伺っている。これは完全に意識が戻っているなとカブルーは悟った。なので、再び意識を奪うべく相手の服の襟を掴み、腕を十字にして相手の頸部を絞め上げた。んぐっとくぐもった悲鳴とばたつく足を無視したまま絞め続けると、次第に男の抵抗は弱まり、少ししてぱたりと手が地面へと落ちた。

    「殺したのか」
    「殺してませんよ。意識を落としただけです」

     こんなところで殺したら証拠隠滅も大変だし、という言葉は飲み込む。それに蘇生術のなくなった今では人の命は重いのだ。そうホイホイと奪ってよいものではないことをカブルーはしっかりと理解している。

    「まだあと二人いるんですよね」

     そう考えると気が遠くなる。こんな変態があと二人も存在しているなど面倒極まりない。思わず大きく息を吐いて肩を落とすと、カブルーの手をミスルンが突如握りしめてきた。そしてその手を自分の方へとぐいっと引っ張る。そのせいでカブルーは前へとたたらを踏んで転びそうになった。

    「突然どうしたんで……」

     驚いて飛び出た言葉は途中で途切れた。彼が位置の下がったカブルーの頭を抱えて撫でてきたからだ。ミスルンがあやすようにカブルーの巻き毛を手のひらで幾度も撫でつけてくる。一体何分そうされていたのか、ぽんぽんと頭を優しく叩かれたところで飛んでいた意識がやっと戻ってきた。
     
    「……俺は子供じゃありませんよ」
    「知っている。お前は成熟した人間だ」

     彼の仕草は昔養母がしてくれた撫で方を彷彿とさせた、一瞬彼も自分を幼子のように扱っているのではと疑惑を向けたが、そうという訳でもないらしい。彼の顔には慈愛や愛玩の情のようなものは一切浮かんでいない。ただそうするのが当然といったような表情でカブルーの頭を撫で続けている。

    「こうするとトールマンは癒されると聞いたんだが」
    「それは相手によりますね」
    「では、私相手では嫌だったか?」

     その質問を受けて、思わずごほっと咳き込んだ。嫌だったかって何だ。いや、言葉の意味は分かる。けれども彼がそれを気にする理由が分からない。彼には自分の言動がどう捉えられるか気にする欲求はなかったはずだが。考えが頭の中でぐるぐると回る。中々返事をしないカブルーに苛立ったようにミスルンが頭を掴んでカブルーと無理やり視線を合わせてきた。

    「どうなんだ」

     ミスルンの黒い瞳にカブルーの姿が映し出される。我ながら動揺しきった情けない顔をしていた。

    「い、嫌じゃないです……」

     かろうじて絞り出せたのはその一言だけだった。その返事を聞いてミスルンは満足そうに僅かに微笑み、「そうか」と答えた。

     ミスルンと手を繋ぎながらゆっくりと道を歩いていく。彼の歩幅に合わせながら歩くと、どうにもむずかゆい思いになった。自ら望んで恋人同士のような振舞をしたはずが、墓穴を掘っているような気がしてならない。

    「こういう手合いの人間の対処には慣れているから、そんなに警戒しなくても構わない」

     妙に緊張しているカブルーのことを警戒していると捉えたらしい。淡々とした口調でそんなことを告げてきた。慣れてるってどういうことだ。まさかそんな頻繁にストーカー被害に遭っているとでもいうのか。

    「迷宮主になる前は度々私物を盗まれては恋文のようなものを一方的に送りつけられることがあった」

     ミスルンがそう言葉を付け加える。昔の彼は外向きは完璧な青年だったらしいので、過剰な好意を募らせる人間も多くいたらしい。その外面がなくなっても何だかんだ人に敬意と好意を向けられるのは彼の素の人間性のおかげだろう。けれども、今の彼はその頃と違って自ら異常な好意に対処しようとしないのだから、警戒心など持って当然だ。カブルーが注意しなければ彼はストーカーを放置しといたままだったに違いない。

    「怪しい人物には絶対近づいちゃいけませんからね。変な手紙や物が送られてきたらすぐ通報してください」
    「では、怪しい人物が自ら近づいてくる場合はどうしたらいい」

     ミスルンが道の先に向かって指をさす。そちらの方向からは鼻息を荒くして、包丁のようなものを持った男がこちらに突っ込んできていた。

    「あれは時折私に道を聞いてきた男だな」
    「そんな悠長に構えないでください!」

     男の目は血走っており、明らかに興奮状態に陥っていた。見かけは小太りぐらいの中年の男だった。そのため足はそれほど速くない。それに構えからして戦闘経験はろくになさそうだった。カブルーの頭がすっと冷えて、精神が研ぎ澄まされる。養母に叩き込まれた知識がこの男を止める動きを一瞬の内に導き出した。カブルーはそのままに身体を動かせばいいだけだ。
     自ら男の方へと飛び込み、左手の上腕で包丁の軌道を逸らす。そしてそのまま男の腕を掴んで拘束した後、すぐさま男の顎に目掛けて拳を叩き込んだ。その衝撃に男はたたらを踏み、包丁を手から落とす。すかさず包丁を蹴り飛ばして男の首を極めた。ほんの数秒で男の意識は落ち、がくりと首が地面へと向く。パッと手を離して男を地面へと落とし、一息吐いた。やはり人間相手は楽だ。

    「怪我はないか」

     ミスルンがカブルーの腕を掴み、袖を捲って傷がないか確認してくる。傷一つないことを確認して彼は少し大きめに息を吐いた。

    「無茶をするな。私でもあの程度の人間ならば対処できる」

     そう言ってするりとカブルーの袖を戻す。

    「だが助かった。ありがとう」
    「い、いえ」

     彼の感謝の言葉に思わずどもってしまう。今日の自分は本当に調子が悪い。顔も熱い気がするし、熱でもあるのかもしれない。茹だった思考を無理やり引き戻し、カブルーはこの男も牢獄へとぶち込んでやるべく、近くの兵士を探した。


    「疲れましたね……」

     まさか半日の内にストーカーが二人も釣れるとは思わなかった。入れ食い状態にも程がある。そんなにもカブルーの存在がストーカーの感情を刺激したのだろうか。昼用の食材を抱えたままカブルーはため息を吐いた。兵士にこの男についての説明をしていたせいで随分時間が過ぎ去ってしまった。カブルーは城の兵士とは大抵知り合いなため、普通よりは早く済んだだろうが、それでもお昼の時間には少々遅い時刻になってしまった。
     ふらふらとした足取りのカブルーとは対照的にミスルンはしっかりとした足取りだった。そんな二人が手を繋いでいる光景は傍から見たら面白いだろうな、と下らないことを考えながら家へと戻る。入る前に郵便受けを確認したが、ストーカーを一気に二体も確保したおかげか手紙は入ってなかった。そのことにホッと一安心する。

    「お昼のシチュー作りますね」
    「私も手伝おう」

     二人でキッチンに立ち、食材を手に取る。そういえば彼は蕎麦打ち以外の料理は出来るのだろうか、と疑問に思ったところでダン!と大きい物音が響いた。恐る恐る顔を向けると、真っ二つになった人参と指から大量に出血しているミスルンが目に映った。真顔のまま再び包丁を振り下ろそうとするのを慌てて止める。

    「すまない。指を切った」
    「指を切った量の出血じゃないですよ!」

     ぼたぼたと落ちていく鮮血は彼の衣服を汚していっている。急いで手当をしないといけないだろう。

    「問題ない。治癒魔術で治せれる」
    「今度からは気をつけて下さいね。俺は貴方の着替えを取ってきます」

     治癒魔術で治せれるとはいえ、彼に易々と怪我をして欲しくない。今後は彼に刃物を持たせるのはやめようとカブルーは決意しながら、ミスルンの私室へと赴く。
     ガチャリと扉を開け、ミスルンの部屋に入った瞬間、カブルーの全身に鳥肌が立った。本能が危機を警鐘する。一瞬だったが間違いなく殺気のようなものを感じた。
     部屋の中を目だけを動かして確認する。以前と配置の変わらない机と椅子、そしてベッドに棚一つと簡素な部屋だ。貴族階級のエルフらしからぬ部屋の中で、カブルーの観察眼はほんの僅かな違いを見つけ出した。
     カブルーは静かに部屋に足を踏み入れ、近くの時計を片手に取った。そしてそれをベッドの下に勢いをつけて投げ入れる。ベッドの下からは驚いたような悲鳴とガタリとベッドの床に頭を打ちつけたような音が響いた。すかさずベッドの布団を剥ぎ取り、下にいるであろう人物の視界を塞ぐために投げ入れた。ベッドの下に足を差し入れ、腹部があるであろうところを蹴り飛ばす。ぐうっと呻く声が聞こえてきたので、ベッドの下を覗いて、足を引っ張って下に潜んでいた人物を引き摺り出した。

    「ベッドの下にストーカーがいるとかとんだホラーだな……」

     下にいたのは全身をマントに包んだ如何にも不審な人間だった。幸い武器は持っていなかったようなので、取り敢えず抵抗できないように布団で腕と足を拘束しようと近づくと、ストーカーが大声で喚き出した。

    「お前は彼の何なんだよ!邪魔をしやがって!!」
    「何だっていいでしょう。貴方には関係ありませんよ」

     聞き苦しい罵倒と言い訳を垂れ流すので適当に何か詰めようかと辺りを見渡すも、部屋には高級そうなハンカチしか見当たらない。流石にこれを人の口に詰めるのは気が引ける。しょうがないので顎を蹴り飛ばしてやると、やっとストーカーは静かになった。ついでにストーカーの全身を縛り上げ、床に落ちた時計を拾い上げる。
     騒ぐ声が聞こえたのか、開け放したままの扉からミスルンが姿を現した。部屋の様子をぐるりと観察した後にカブルーへと向き合う。

    「何があった」
    「ベッドの下にストーカーがいたんで捕まえました。家の鍵をすぐに変えた方がいいですよ」
    「そうか。分かった」

     ミスルンの視線が縛られたストーカーへと向く。まるで縋りついて助けを求めるかのような瞳がミスルンを見つめたが、彼は興味なさげに一瞥した後に顔を背けた。

    「助かった。今日はお前に無理をさせたな」
    「いえ、一日で解決できたのなら良かったですよ」

     ミスルンがストーカーの傍に近寄ると、耳元で何か囁いた。するとストーカーの全身の力が抜け、脱力しきった様子で地面へと倒れ伏した。

    「睡眠の術を使った。これで当分は目を覚まさない」
    「ありがとうございます」
    「礼を言うのはこちらの方だ」

     そう言ってミスルンがカブルーの手をそっと包み込んだ。ドクリと心臓が早鐘を打つ。心なしかミスルンの顔が輝いて見える気がする。いや、何か顔が近くないか。ミスルンの顔が睫毛が触れそうなほど近くまで寄せられる。カブルーが一歩足を踏み込んだら簡単にキスできてしまうだろう。カブルーはどう行動したらいいか分からず、ただ目を瞑って彼に身を委ねた。

    「そこだな」
    「はい?」

     がちゃんという音とともに窓の外から悲鳴が聞こえた。よく見ると先ほどまで握っていた時計が手から消えている。現状を理解できていないカブルーを置いて、ミスルンは窓枠を乗り越えて外へと飛び出た。それとほぼ同時に窓の下からは恐ろしい悲鳴が聞こえてくる。慌ててカブルーも窓へと近づき、身を乗り出して下を覗いた。そこには頭にたんこぶを作った男と、そいつに馬乗りになった状態で拳を振り下ろすミスルンの姿があった。

    「何をやっているんですか!?」
    「ストーカーの処理だ」
    「まだいたんですか?」
    「お前のだ」

     お前の、つまりカブルーのということだろうか。まじまじと倒れている男を観察する。確かに見覚えのある顔だった。

    「以前酒場で意気投合して一緒に飲んだ人ですね」
    「お前は誰彼構わずたらしこむのを控えた方がいい」

     ぐうの音も出ない。一体いつから着いてきていたのか。ミスルンのことに気を取られていて気が付かなかった。これではあまりミスルンのことを言えない。

    「ありがとうございます……」
    「気にするな」
    「よくすぐに気が付きましたね」

     自分のストーカーに対しては無頓着であったくせにカブルーへのストーカーに対しては随分と迅速だった。この対処の早さを出来れば自分のストーカーにも見せて欲しかったなと思っていると、ミスルンが手を叩いて立ち上がった。

    「お前のことならすぐ分かる」
    「……それはどういう意味で?」
    「そのままの意味だが」

     素知らぬ顔でミスルンが答える。カブルーは人の言葉から意味を汲み取るのは得意だが、ミスルンに対してはその能力は上手く働かない。言葉を詰まらすカブルーを置いて、ミスルンは窓枠を乗り越えて部屋に戻ってきた。そしてカブルーの手に自分の指を絡ませてくる。そのまま黙ってカブルーの目を見つめてきた。沈黙が数十秒ほど続く。カブルーは何か言葉を発そうと思ったが、この沈黙を破ってはいけない気がして口を閉ざした。そしてどれほど時間が経ったのか、カブルーの目を見つめていたミスルンがそっと控えめに微笑んだ。口角を僅かに上げただけの、本当に些細な表情の変化だった。それなのにカブルーの心臓が激しく鼓動し、ぎゅんっと顔に血が昇る。ほとんど反射的に口から言葉が零れ落ちた。

    「貴方のことが好きです」

     そう言ってから、やっと自分の感情を理解した。いつの間にかこの年上のエルフの男に惚れてしまっていたらしい。そう気が付くと、今日の自分の言動が頭に過り恥ずかしくなってきた。何より、何の準備もせずに衝動的に告白してしまったことが辛い。出来ることなら時を巻き戻したい。
     そんなカブルーの後悔は一瞬で流されてしまった。何故って、ミスルンが背伸びをして、カブルーの頬にそっと唇を寄せたからだ。ちゅっと軽いリップ音とともにカブルーの頬に少しかさついた感触が伝わってくる。

    「知っている」

     くすくすとした笑い声とともにそう告げられた。今自覚したばかりのカブルーの恋情は、ミスルンには筒抜けであったらしい。照れくさいような嬉しいような気持ちになりながら、カブルーはミスルンの腰を抱いてお返しに唇へと口づけを返した。
     祝福の鐘の音の代わりに、窓の外からはぐうっと低い男の声が響いてきた。
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    Replies from the creator

    Dk6G6

    DOODLEカブルーがミスルンにマッサージするだけの話
    未来永劫、貴方だけ目と目が合った瞬間、カブルーは自分が幻覚を見ているのではないかと真っ先に思った。だから瞬きを何度かしてみたけれども視界の景色は全く変わらない。一度視線を逸らし、もう一度焦点を合わせてから見ても無駄だった。数メートル先ではいつも通り泰然とした様子のミスルンが立っている。これが城や街中ならカブルーはいつも通りにこやかに声をかけただろう。
     しかし、今の彼の立っている場所が場所だ。視界を少し上に向けると、彼が出てきた店の看板が堂々と掲げられている。マッサージ屋と謳われているそこは、いわゆる夜のお店だった。歓楽街の中心地に健全なマッサージ屋などそうあるものではない。それにマッサージ屋とは書かれていても、その店の外観に張られているポスターや雰囲気を見れば、通常のそれでないことは一目瞭然だろう。そんな店からミスルンが出てきた。幻覚を疑ってもしょうがない。だって、彼に性欲などないはずだ。通常の男の知り合いがこんな店から出てきたのならカブルーは相手の性格によって軽く揶揄ったり、逆に見なかったふりをする。知り合いに性を発散しているところを見られたら、誰であれ多少気まずさは生じるだろう。でも相手はミスルンだ。羞恥心もないし、性欲もない。
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