無題「ねえ、最近香水変えた?」
アスモデウスの部屋でヘアアレンジを教えてもらっているとアスモデウスが突然そう聞いてきた。私はヘアアイロンをしていた手を止め、自分の服を嗅いだ。
「ううん、変えてないけど…どうしたの?」
「なんかさあ、最近キミから殿下の匂いが微かにするんだよねえ。え、もしかして僕たちに内緒であんなことやこんなこと」
「やめてよお、そんなことないよ」
一瞬で顔が真っ赤になるのがわかる。いくら親しいとはいえ、お茶会を一緒に楽しむぐらいで、まだその関係には至っていない。どの香水を使っているのかは知らないし、知っていても使えないだろう。さらにアスモデウスが気づいていたということは、嘆きの館のみんなも気づいているということだ。特にマモンやルシファーあたりはすぐ気づいただろう、どうして誰もみんな言わないの!?私は急な羞恥心に襲われ今すぐ部屋から飛び出したい気分になった。
「え、すごい顔真っ赤!えーやっぱり僕に内緒で!?」
私の真っ赤な顔の真意を勘違いしたアスモデウスがあれこれ質問してくる。私は全部違う、と答えながらも匂いの原因はどこなのかわからずじまいだった。
「アスモデウスがそのようなことを?」
それから数日がたち、私はディアボロに誘われて魔王城を訪れた。本当は訪ねてからすぐお茶会が開かれるはずだったが、ディアボロに急用が出来てしまい、一時間後に開かれることになり、その間バルバトスさんとお菓子の盛り合わせの手伝いとして厨房にいることになった。
私はバルバトスさんの隣でクッキーをお皿に乗せながらこの前のアスモデウスとのやり取りを話した。バルバトスさんは私の話を聞きながらも丁寧にカップケーキにクリームを乗せていく。
「そうなんです。私は全然自覚していないんですけど」
「それは不思議ですね。確かに坊っちゃまがあなたに香水をお渡ししたことはないですね。心当りは?」
「心当りですか…」
そう聞かれ私はうーん、と唸った。香りに関係するもの…
「あ」
「ん?」
「ディフューザー」
そういえばちょうど2週間前だった。ディアボロが八咫烏グループの試作品としてディフューザーをもらったが自分は香水を持っているからいらない、ぜひ使ってくれ、と言われ新品のディフューザーをもらった。黒い箱から取り出すと淡い桃色の液体が透明なガラスの瓶に入っていて、すぐ気に入った私は早速その日から部屋に飾っている。
「でもどんな匂いがするかは知らないんですよね。箱にも書いてなかったし」
「なるほど…」
うんうん、とうなずいたバルバトスさんはクリームを乗せたばかりのカップケーキをお皿の上に乗せると「それかもしれませんね」と続けた。
「きっとその事を坊っちゃまに言ったら喜びますよ」
「喜ぶってどういうことですか」
「秘密です。ですがいずれわかりますよ」
ふふふ、とバルバトスさんは何か知っていそうな含みを持たせた笑みを浮かべた。私がどういうことですか、ともう一度聞こうとするともうすぐ坊っちゃまが帰ってきますね、と言いカップケーキを乗せたお皿を持ち厨房から出ていった。私ははぐらかされたと気付きマカロンが詰まった箱を持ちバルバトスさんの後を追うように厨房から出た。
「今回はどのような試作品を?」
試作品を届けに訪れた八咫烏グループの重役を見送り、主の元に戻ったバルバトスは主が持つ黒い細長い箱を一瞥した。
「今度の新作だそうだ。ディフューザーを作ったらしい」
「ディフューザーですか」
それを聞き、バルバトスは来訪した八咫烏グループの重役の顔を思い出した。主に決まった匂いがある訳ではないが、香りというのは個人の価値観が蔦のように絡み付く。香りを選ぶのは常に慎重にならねばならない。個人の意見を尊重しつつ次期魔王としての威厳を失わせないように、一挙一動はもちろん香りにまで気を遣ってきたバルバトスはその重役とのこれからの付き合い方を考えねばならないと考えを巡らせた。
「ただのディフューザーじゃないそうだ。受け取った相手が送り主に好意があると送り主の香りを放つ代物らしい。これ自体には香りはないそうだ」
「ほう、そうなのですか」
どうやら自分の考えは杞憂に終わったようだ。バルバトスは30秒前の思考を破棄した。
「お贈りしたいお相手でも」
試しに聞いてみると主は箱を一瞥し「そうだね」と口を開いた。
「一人、いるかな」
眉を下げながら続けたその言葉にバルバトスはある一人の人物を思い浮かべた。この魔界では圧倒的弱者になるあの人間。どうやら主はその人間に渡したいようだ。
「そうですか。うまくいくといいですね」
バルバトスは目を細め主に向かって微笑む。主も「ありがとう」と笑顔を見せた。