こみゅにけーしょんいずいんぽーたんと「教官……変なこと聞いていいか」
MCトレーニングセンターで訓練生として鍛錬を積むボシュは、教官であるルークにそう切り出した。それを聞いてアップをやめたルークはボシュに向き直り、聞く体勢に入る。
「どうした、珍しいな」
「その、彼女……すばことのことなんだけど」
ルークはちゃらんぽらんな態度とは裏腹に真面目な性格をしており、訓練生からのどんな質問でも真摯に向き合い、自分なりの考えを教えてきた。だがボシュのこの相談には少し難を覚えたのか、刈り上げをばりばりと掻く。
「あー……俺、三十半ばにして未だ独り身なんだけど力になれそうか?」
「教官くらいしか相談できる人、思い付かなくて……」
大きな図体を丸めて小声で話す二人は、傍から見たら滑稽である。
「すばこは子どもが欲しくないって感じで、俺はすばことの子どもが欲しいって思ってる……そういう時って、どうしたらいいんだ?」
「どうしたらって、そりゃあ……」
ルークは暫し顎に指を置き、考える素振りをした。そして思いついたように指を立て、ボシュに聞こえるよう言った。
「子どもが欲しいって思ってる女に乗り換える」
「……!」
「ってのは、冗談で」
「教官!」
ボシュは一途な性格をしており、すばこを一身に愛していた。今更別の女に乗り換えようなど、思ってもみない。冗談だったとしても、ルークに対して抗議の声を上げる。
「あぁ、悪かった。マジメに悩んでそうなもんで、一回リラックスしてだな」
「そんな笑えない冗談で、リラックスできるかよ」
グルルと喉を鳴らしそうなほどボシュはルークを睨みつける。それを宥めると、ルークは改めてボシュに向き直った。
「俺はすばこが何故子どもを欲しがらないかは分からないし、聞くつもりもない。すばこなりの事情があるんだろうが、それを聞くのはおまえの役目だ」
「…………」
真剣な眼差しで告げるルークに、ボシュは静かに頷いた。ボシュとすばこの悩み相談を受けることが多いルークだったが、プライベートな面は絶対に聞くことはしない。もちろん、推測も。
「ボシュ、おまえに甲斐性があるなら、すばこの気持ちを尊重するんだ。子どもが欲しい気持ちも分かるが、出産で身体に負担がかかるのはすばこの方だからな」
「そう、だよな……」
子どもは欲しいと思えばポン、と出てくるものではない。母体の中で十月十日羊水に揺られ、壮絶な苦痛を伴う出産を経てようやく儲けられるものだ。
「まあ……すばこと納得いくまで話し合いをするのがいいな。おまえ達、いつもコミュニケーション不足っぽいし」
「そ、それは……合ってる……」
「だろ? 可愛い弟子のことなら何でもお見通しだ」
さっき事情は知らないと言ったばかりなのにいけしゃあしゃあと続けるルークに、ボシュは横目でジトリと見やった。
それでもルークのアドバイスは的確だった。ボシュとすばこはコミュニケーション不足による齟齬で度々喧嘩しており、それが原因で一度破局したこともあった。だが今は晴れて復縁し、喧嘩しながらも仲睦まじくし暮らしているようである。
「じゃ、汗を流して帰ったらたっぷり話し合いを」
「そうと決まれば……教官! 俺帰る! 相談乗ってくれてありがとう!」
「あ、おい! ボシュ!」
善は急げとボシュはロッカールームに向かい、ルークの助言もまずまずにトレーニングセンターを飛び出していってしまった。残されたルークは、焦って妙な展開にならなきゃいいが、とまた頭を搔いた。
「珍しいね、早めに帰ってくるなんて」
メトロシティで借りている部屋で、ボシュとすばこは同棲していた。すばこは日中バイトやトーナメントで金銭を稼ぎ、夕方頃帰宅し夜遅くまで鍛錬するボシュのために簡単な料理を作って待つことが日常と化していた。
「少し、話したいことがあって」
「……ご飯食べながらでも大丈夫?」
「できたら、食べ終わってから」
そうボシュが言うと、すばこの箸の進みがあからさまに遅くなった。
ボシュとすばこはちょくちょく喧嘩をする。その始まりは大抵、ボシュからすばこへの指摘であり、開き直ったすばこにボシュが逆上し大事になるというパターンが多かった。それもあり、すばこは『話したいこと』への漠然とした不安を感じてしまっていた。
「ええと、悪いことじゃない。ただ、すばこの考えを聞きたいことがあって」
「私の考え?」
「ああ。真面目なことではある」
粗方食べ終わった皿をすばこが下げていく。シンクにそれを置くと、改めてボシュの正面に座る。
「それで、話って?」
「ああ、その……すばこは低用量ピル? を飲んでるよな」
「うん、服用してるよ」
すばこはボシュと出会う前から低用量ピルを継続して服用しており、妊娠しない体質であった。それはボシュも知っており、事情があるから服用していると思っていたのだ。
「俺は、すばことの子ども……欲しいって思ってる。でもすばこは、違うんだよな?」
「……ボシュとの子どもかぁ」
そう問われ、すばこは首を傾げて暫し考える。てっきり即座にそうと言われるものだと思っていたボシュは不意を突かれ、一縷の望みを胸に抱いてしまう。
「二十代の頃だったら金銭的な心配があったし、育てられるか自信がなかったけど……ボシュとの子どもは欲しいかな」
「っじゃあ……!」
「ただ妊娠したら格闘はやれないから、ボシュに頑張ってもらうことになるけど」
「それは当然!」
妊娠したすばこに無理させられない、とまだ懐妊もしていないのに息巻くボシュにすばこは微笑んだ。
「あと、ピルを服用してたのは婦人病の治療と、防犯対策」
「ピルって治療にも使われるんだな」
「知らないのも無理ないよ。私も調べるまで知らなかったし」
女の人の体って大変なんだな……とボシュは感心した。
「防犯……?」
「日本を発つ時に予習したんだ。レイプされた時、心身のダメージを減らせるならそれに越したことはないって」
すばこの口から“レイプ”の単語が出た途端、ボシュの目付きが鋭いものになる。毛を逆立てた動物のように怒りに満ちている。
「まあ実際はすぐ教官のところに行ったし、襲ってくる輩はぶっ飛ばせるようになったから心配することはなかったけど」
「……それは、良かった」
ボシュはそう呟いて座り直した。だが良かった、と呟いた後で良かったのか? と自問自答するような微妙な表情を浮かべた。
「すばこだから、子どもが欲しいって思ったんだ。だからすばこがいいなら……」
「私、もう三十超えてるから高齢出産になるけど……それでも大丈夫?」
「っそれは……俺は嬉しいけど、身体に負担がかかるのはすばこだろ」
「ボシュと、ボシュとの子どものためなら頑張れるよ」
ちょっと今のはクサかったかな、とクスクス笑うすばこにボシュは心臓をギュッと締め付けられたような感覚に襲われた。自分が愛した女性はこんなに健気なのだと噛み締め感慨深くなり、涙ぐんですらいた。
「ありがとうな……」
「ううん、こちらこそありがとうだよ」
「そうと決まったら、結婚の段取りも決めないとな」
結婚。ボシュはナイシャール国籍でありすばこは日本国籍で、所謂国際結婚となるのだがその単語を聞いた途端すばこは固まった。
「け、結婚?」
「ああ、お互いの親に挨拶も」
「ちょちょ、ちょっと待って」
すばこはボシュの前に手を突き出し、話を遮った。
「こ、心の準備が」
「出産は良くて結婚はダメなのか?!」
「呼べる友達いないもん! リーフェンくらいしかいない! あとカケダシ!」
「籍入れるだけでもいいから……!」
「でも恥ずかしい……」
「どこに恥ずかしい要素があるんだよ?!」
これからも二人のコミュニケーションは続いていくことだろう。紆余曲折を経て、そうして絆は深まっていくのであった。
……多分?