【ディミレス/サンプル】ミッシング・リンゲージ◇
瞼を閉じれば『彼』が思い起こされる。
もう、九年の歳月が過ぎているにも関わらず鮮明に――。
*
日課の鍛錬のため訓練場へ向かうと、一際賑やかな輪が視界に飛び込んで来る。
「……うーん、こう?」
「いや、こうだろ!」
「そうだな、もう少し構える位置を下に。そうすれば間合いが捉えやすくなって、先手を踏み出せるからな」
輪の中に居たのは数名の少年と青獅子の学級の級長、ディミトリ=アレクサンドル=ブレーダット。どうやらディミトリが少年達に剣の指導をしているようだった。
「分かった、こうだ!」
「……あぁ、そうだ! 皆、筋が良いな!」
「へへっ、やったぁ!」
「よしっ、そうしたら次は狙いをあの木人
に定めて……」
剣を手にする子供達は笑顔に溢れておりそんな彼らを指導するディミトリもまた、楽しげな表情を浮かべている。その光景は見ていて気持ちが良くて、胸の中が温かくなっていく。
(……む。お主がいつもより昂っていると思ったら、あのディミトリという小僧か。小僧のやつ、小童達に随分と殊勝なことをしておるではないか)
「……彼らしいな。……理由は分からないけれど、見ていると気分が良いんだ」
(ふふーん。お主、本当は分かっておるのではないのか? あの小僧に惚れておる! あの笑みに惚れておる! そうじゃろ!?)
「何それ?」
その気持ちは私の中の彼女にも伝わったのか、楽しげに語り掛けてくる。彼女が最後に何故そんなことを言って来たのかは分からなかったが、この光景に心を掴まれているのは違いない。
(……な、何じゃ! 小童どもがこちらに向かってくるぞ!?)
そんな時、彼女が慌てたように告げて来る。彼女の言う通り、ディミトリが指導している少年達が訓練用の剣を片手に声を上げながらこちらに向かって来ていた。そんな少年達の剣を私は咄嗟に受け止める。
「――!? 先生、大丈夫か?」
受け止めるや否や、私を気遣ってディミトリがやって来る。やって来たディミトリに問題ない旨を答えると彼は胸を撫で下ろし、少年達に向き直る。
「こらっ、向かうのは木人だと伝えただろう! ……先生だったから良かったものの」
「……ごめんなさい。先生も俺たちの仲間に入りたそうにずっと見ていたから」
「……そういう訳じゃないと思うぞ。それに、先生は忙しいんだ。困らせるようなことは言っては駄目だ」
「でも、先生もディミトリと同じで強いだろ? 二人に教えてもらえれば、もっと強くなれると思って……」
「……先生、すまない。この子達はレア様が教会に引き取った子供達なんだ。たまたま俺が騎士団の方達と打ち合っている時に通り掛かった彼らに剣の稽古を付けてくれと乞われ、それ以来教えていてな。……迷惑を承知で言うが、俺も気持ちはこの子達と同じでお前に手を貸して貰えると有り難い。先生なら剣の腕も確かだしな。……だが、お前は学級のことで忙しいだろう? ……担任でも無い先生に付き合って貰うのは」
ディミトリに咎められるも少年達は尚も私に寄って来る。純粋な思いから私に教えを求めて来て、……ディミトリも気持ちは少年達と変わりないようだ。
「……? 先生、その顔……」
「ん? ……顔って?」
「……ああいや、悪いな。……お前が見たこともないくらい嬉しそうな顔をしていたから、つい……」
嘘も偽りも感じられない真っ直ぐな思い。少年達と、――ディミトリの思いに私の胸の中がまた温かくなって笑みが零れていたらしい。そんな彼らを前に私もその思いに応えたいと、自然とそんな気持ちが込み上げて来る。
「……楽しそうな君達を見ていたら一緒に稽古をしたいなと思ったんだ」
「……え?」
「迷惑じゃない。この子達の言う通りで仲間に入りたかったってことさ。……構わないかな?」
「……!? ……もちろんだ!」
込み上げて来た思いから自然と口を衝いて出て来た言葉。私の答えに少年達そして、彼ら以上にディミトリが嬉しそうに顔を綻ばせると私に向かって手を差し伸ばしてくる。
「恩に着るよ、先生。……よろしく頼む」
「……こちらこそ」
(ふふーん、やはりお主、満更ではなさそうじゃのう!)
差し出された手を取りながら、彼女は楽しそうな口調で告げて来る。彼女が何故そんなことを口にしたのかはやっぱり分からなかったが、私はこの温かい気持ちに心地良さを感じていた。
:
:
:
(……しかし、お前は俺の学級の担任でないのに毎度付き合わせてしまってすまないな)
(何が半人前だ。先生は立派な指導者だよ)
そうして、子供達との稽古をはじめとした心地良い時間を『彼』は惜しみなく与えてくれた。
(私が本日ここへ参ったのも、殿下の命になります。我々は敵を同じくする者同士……共闘できるものならば、と)
(我々の戦力は少なく、激戦を終えたばかり。今、帝国の本軍と真正面から衝突するのは時期尚早に過ぎる。橋の通行を許可するだけならば問題ないが、合流は難しいのではないか?)
……だというのに、私は応えなかった。『彼』が寄越した使者から敵を同じ帝国とする以上、共闘出来るものならばと。はっきりと求められていたにも関わらず、私はその時の『最善』を選んだ。
……その果てに待っていたのは彼が戦死したという知らせ。
(ああ、久しぶりだな、先生……)
(いたずらに人を死なせ、また俺は一人……生き残ってしまった)
だが、応えなかったのにも関わらず私の元にやって来てくれた。そんな『彼』に告げたのは『きっと生き延びた意味がある』なんて言葉。
(生き延びた意味、か。本当に……皆、難しいことを言う。それがわからないから、俺はずっと……)
意味を求めて来た『彼』に私は答えなかった。……どう答えるべきなのか自分自身分からなかったにも関わらず、中身が空っぽな『言葉だけ』を与えてしまった。
(……なあ、先生。ここに来たのは……俺の選択を、誰かに話しておきたかったからだ。
俺には帝国を倒すどころか王都を取り戻す力も……その資格もない。だから……)
……何を思って、私はそんな酷い言葉を投げ掛けてしまったのだろう? そのまま『彼』の思いの丈を聞いて、去って行くのをただ見送った。
(夢か現かは知らないが、……その者はどうしても君にだけ顔を見せたかったのだろう。君に導かれることを求めたのだろうな)
応えることの無かった私が想う資格なんて無い。……自分で選択した結果今更どうにもならないことだと分かっているのに、どうして私は『彼』のことを垣間見てしまうのだろう?
/1
「……陛下、大丈夫かね?」
落ち着いた声色で呼び掛けられ、微睡みから引き戻されたベレスは瞼を開く。目を覚ましたベレスは向かいに座っている補佐役のセテスが心配げな視線を送って来ていることを前にして、彼を安心させるように小さく首肯したのちに口を開く。
「……ようやくここまで来たんだね」
言って、ベレスは乗っている馬車の窓から外に目を向けると見覚えのある穀倉地帯が飛び込んで来る。九年前訪れた時に比べ荒廃してしまっている景色を目の当たりにし、四年前にこのグロンダーズの地で行われた旧帝国、旧王国、旧同盟の会戦が苛烈なものであったのだと思い知らされる。
「馬車でガルグ=マクを発って三週くらいかな? ……徒歩で行った方が早かったかもね」
「先の戦乱の影響で過去使えていた街道が使えず、迂回せざる得ない箇所もあるためやむを得ん。それに、一国の王に歩かせる訳にはいかんだろう。即位して日が経つのだからもう少し立場を自覚したまえ」
呆れたようなセテスの指摘にベレスは悪かったよ、と苦笑混じりに答えると少し思案を巡らすような素振りを見せたのち再び口を開く。
「……しかし、今でも考えるよ。新しいフォドラの王なんて私には向いてないなって」
口を開いて漏らしたのは本心からの思い。旧帝国の皇帝、かつてのベレスの教え子だったエーデルガルトが九年前に引き起こした戦乱をセイロス聖教会を先導し収めたのが四年前。セテスをはじめとした教会の要人そして、かつて教会の大司教だったレアから功労者として讃えられたベレスは新たなフォドラの統治者として即位する運びとなった。だが、即位して数年の歳月が経っても尚、脳裏から消えない、――振り払うことの出来ない『過去』が指導者に向かないというベレスの思いをより強くさせている。
「私も、……レアも君しか居ないと判断したからこそ推薦したのだ」
「向いていないとは思っているけれど、投げ出すとかいう話では無いから一応そこは安心して。ただ、私がもっと上手く導けていれば多くの人々、……教え子の命を散らせずに済んだだろうとは考える。特に多くの犠牲者を出したここグロンダーズに関してはね」
「……グロンダーズ。鷲獅子戦が催され、旧帝国、旧王国、旧同盟の三国が刃を交えたこの地だな。……」
ベレスのその言葉を受けて何か感じることがあったのか、セテスはそれ以上返すことなく口を噤む。それから暫しの間を空けたのちベレスはまた、ゆっくりと話し出す。
「……クロード。あの子は初めて出会った時に抱いた油断できない相手かもって印象が強いままで、指導どころじゃなかったな。きっとだけど、彼も私に同じ印象を抱いてたから同盟は教会を頼ることはしなかったんだろうね」
「そうか。……彼は四年前の会戦以降、未だ行方が分からないな。風の噂では東の方の異国に渡った、という話もあるようだが」
「……でも、気ままな風のような彼とは恐らくこの先も二度と会うことが無い気がするよ」
セテスの言葉にベレスは返すと、物思いに耽るように窓の外に目をやりながら再び口を開く。
「……エーデルガルト。私は黒鷲の学級を受け持って級長の彼女とは交流を重ねて充実の日々を過ごして来たけれども、勝手に彼女を分かった気になっていたのかもしれない。私達の道が交わることはなく私は彼女のことを、……戦乱を引き起こした彼女が創り上げようとする未来を理解することがどうしても出来なかった。それに、彼女が直接手を下した訳ではないけれどジェラルトのこともあったからね。闇に蠢く者達と結んでいた彼女への気持ちを整理出来なかった、かな。……討つ直前、『私と歩きたかった』と彼女は言い掛けていたけれど、彼女は自らが選んだ道を正しいと思って進んでいったんだ」
ベレスはそこまで口にすると窓の外へ向けていた視線を向かいのセテスへと戻す。それから、暫しの沈黙を経たのちセテスの方から再び口を開く。
「結果としてクロードとエーデルガルトは君の導きを望まなかったことになるが。……けれど、三国の会戦の前に一人だけははっきりと我々に協力を申し出て来たな。……」
話し出すもセテスは口ごもり、二人の間には再び静寂が訪れる。セテスを見据えるベレスは息を付くように瞼を伏せたのち、ゆっくりと口を開く。
「……覚えてる? 会戦の報告を受けた夜、外郭の都市に風を当たりに行った私を探しに来てくれた君に、『誰かいなかった?』って聞いたこと」
「……あぁ。私には君が一人で呆けて立っているようにしか見えなかったが」
「その時セテスは私に『誰かが君に会いに来ていたのであれば、その者はどうしても君にだけ顔を見せたかったのだろう。君に導かれることを求めたのだろうな』って言っていたけれど」
「……やはり、君は誰かと話していたのか?」
セテスの問いにベレスは小さく頷くと瞼を閉じる。瞼の裏側、――今でも鮮明に浮かび上がってくる光景を思い起こしながらベレスは言葉を続ける。
「……もし夢じゃなかったとしたら、ディミトリが来てくれたんだ。……彼は自分の選択を誰かに話しておきたかったから来たのだと言っていたよ。自分には帝国を倒すどころか王都を取り戻す力も資格もないから、ってね」
「……そうか、ディミトリが」
「あの子の来た理由が君の言葉通り私に導かれることを求めたからだとしたら、私は彼の選択を、……思いを受け取ることはしなかった。それどころか『きっと生き延びた意味がある』だなんて、中身も空っぽな酷い言葉を伝えてしまったんだ」
そこまで言ったところで言葉を切り、ベレスはゆっくりと瞼を開く。暫しの間、静寂が両者の間に訪れるもセテスはベレスへ掛ける言葉を探すように視線を一瞬逸らしたのち、改めて彼女の方を見据える。
「……王国が我らの力を求めて来たあの時、手を貸すのは得策では無いと私も進言をした。君一人で責任を感じることではない」
「……私の言葉で不快に感じてしまったのならば悪いね。けど、君を責めている訳じゃないよ。……結局、自分の感情よりその時の最善を優先して決断したのは私さ」
「……分かっていたとしても、君は後悔しているということか?」
「……そういうことだね」
セテスの問いを受けたベレスはどことなく乾いた笑いを漏らしながら言うと、そのまま話し出す。
「……今、私がすべきことは他国からの脅威に対抗し、戦乱で荒れた国を復興させてフォドラの人々が安心して暮らせるようにすることだ。けど、そうやって自分の役割をこなして時が過ぎ去れば過ぎ去る程、彼とのことが鮮明に思い起こされるんだ。もちろん、過去は今更どうにもならないことも分かっている。……後悔する資格なんて無いのにね」
問いの答えを言い終えたベレスはどこか自嘲気味な笑みを浮かべながら語り、セテスを見据える。
そう、今更後悔をした所で過去の選択が変わる訳でも無かったことに出来る訳でもない。それはベレス自身理解しているのだが、拭えない過去の記憶は時が経つ程に色濃く浮き彫りになっていく。
「……過去を思い起こすこと、後悔することは悪いこととは私は思わんが」
「……え?」
そんなベレスの答えを聞き届けたセテスは少し考える素振りを見せたのち、おもむろに口を開く。その言葉はベレスにとって思ってもいないものだったのか思わず驚愕の声が漏れ、驚きを露わにしている彼女にセテスは改めて視線を送ると先を話し出す。
「……そういった思いを抱いている者の方がかつての過ちを繰り返さないよう立ち回ることが出来るのでは無いだろうか。……現に今回のグロンダーズをはじめとした戦地を君が訪問していることも示していると思うがね」
「――。……そう、かな。……あはは、君の言うように立ち回れていると良いけどね」
セテスからの指摘を受けたベレスはどこかばつの悪そうな表情を浮かべながら、気恥ずかしさの入り混じったような声色で返す。そんなベレスの心境を察してか、セテスは更に言葉を重ねることは無かった。
「私が昔のことを繰り返さないよう上手く立ち回れているかはさておき、ここに来られたのは良かったと思っている。戦後の処理や、……私がここに来る決断に至るまで時間が掛かったせいで随分と遅くなっちゃったけれど、出来ることをするつもりさ」
暫しの沈黙を経たのち、ベレスは決意を新たにするように言うと窓の外へ再度目を向ける。それから、静かに瞼を閉じると横のセテスに対し、ぽつりと声を掛ける。
「……まだ掛かるだろう? もう少しだけ眠らせて貰うとするよ」
ベレスの言葉にセテスはあぁ、とつとめて落ち着いた口調で返す。それを聞き届けたベレスは一言だけ感謝の言葉を述べるとそのまま、微睡の中に身を委ねていく。
(生き延びた意味、か。本当に……皆、難しいことを言う。それがわからないから、俺はずっと……)
微睡の中、ベレスはまた『彼』と邂逅を果たす。夢の中で出会う『彼』ともし、――もしも再会が叶うのならば過去を繰り返すことなく応えられるのだろうか。
(きっと、生き延びた意味があるんだ。……だから。……)
出会うことなど決して有り得ない。そう思いながらもその先に伝えるべき答えと応えに思いを馳せ、ベレスの意識は眠りの中へ落ちて行くのであった。
◇
瞼を閉じれば『彼女』が思い起こされる。
もう、九年の歳月が過ぎているにも関わらず鮮明に――。
*
「ディミトリ、この後時間はあるかい?」
「あぁ、特に予定は無いが」
「そう、良かった。……今日は誕生日だよね?」
「……!?」
「稽古もひと段落したし、良かったら一緒にお茶でもどうかな? 細やかだけれど、お祝いをさせて貰えればと思ってね」
いつものように子供達へ剣の稽古を終えた昼下がり。今日、星辰の節、二十日が俺の生まれた日だとどうしてか知っていた先生が、良い香りのする紅茶と沢山の菓子を持ち寄り祝いの茶会を開いてくれた。
「今日も随分と熱が入っていたね」
「熱心に来るものだから、ついな。しかし、俺の学級の担任でないのに毎度付き合わせてすまない。たまたま訓練場に来たお前に俺が教えていた子供達が向かって行ったことで……」
俺の謝罪に先生は首を横に振ると、茶を啜りながら続ける。
「いつも言っているけれど、気にしていないよ。私も基礎の稽古になるしそれに、子供達や君が楽しそうなのを見ていると楽しいから」
「……俺も楽しそうに見えるのか?」
「違うの?」
「……実は子供の相手はあまり得意な方ではないから、そう見られて驚いているというのが正直な所だ。楽しげに一生懸命学んでくれる子供達に釣られたのかもしれないな」
「苦手には見えないけどな。……半人前教師の私に言われても説得力は無いかもだけれど、君の教え方は筋が良くて教師に向いているよ」
「何が半人前だ。先生は立派な指導者だよ。でも、俺が教師に向いているというのは大きく出過ぎているな」
「そんなことないさ。……いつか君と並んで教鞭を取れる日も来るかもしれないよ」
「……そうか。けれど、先生からそう思われているというのは、……悪くないな」
「それは良かった。でも、教会の人に聞かれたら『一国の王子に無礼な!』なんて叱られてしまいそうだ。君の中だけにしまっておいてね」
こんなやり取り、先生にとってはいつも通りの日常の中に存在する些細なことなのかもしれない。それでも、受け持つ学級の生徒でもない俺の生まれた日を知っていたこと、打算など何一つない言葉と思いをぶつけてくれることに言葉に出来ないモノが込み上げて来る。俺が抱いてはいけない感情だと、……抱く資格も無いと理解しているにも関わらず――。
「そろそろ日も暮れそうだし、お開きにしよう。楽しんで貰えたかな?」
それからも多くの会話を交わしていく内にあっという間に時が過ぎ、茶会の終わりが訪れる。とても『楽しい』時間だった。……だったからこそ、このまま別れるのは腑に落ちない。
「あぁ、とても楽しい時間だったよ。……なぁ、先生。お前の誕生日はいつなんだ? ……剣の稽古に付き合ってくれるだけでなくこういった祝い事を開いてくれたりと、お前にはいつも世話になっている。……礼と言ってはあれだが、改めて感謝の気持ちを伝えられればと思ってな」
「ん? 星辰の節の二十六日だけど」
「六日後だって? それに、前日はガルグ=マク落成を記念した舞踏会じゃないか……」
返って来た答えが思っていたよりも近い日付だったことに俺は驚きの声を上げる。そう、先生の誕生日前日はガルグ=マクの落成日を記念した学校行事の舞踏会も控えている。その準備で慌ただしい中に加え短い期間で先生に喜んで貰える品を調達出来る自信は正直に言って無い。
「……どうやって街に行く時間を作るべきか。……それよりも、何を贈れば良いか」
「贈り物だなんて気を遣わずとも良いんだよ」
働かない頭を無理やりに働かせているとそれは言葉となって出てしまっていたのか、俺の言葉を聞いた先生は軽く笑いながら告げて来る。
「……俺は面白みのない奴だから気の利いた物は贈れないかもしれないし、先生のような祝い方は出来ないかもしれない。けど、先生がこうして祝ってくれて俺の心が満たされたように、俺はお前にも同じ思いを感じて貰いたい。一方的な感情で迷惑なのかもしれないが、俺は……」
そう、こうして先生の存在に助けられ心が満たされている。そんな先生に俺も同じか出来ることならばそれ以上返してやりたい。その思いから気遣いは無用だと告げられても尚、どうしても拭えず口にした。
「……迷惑なんかじゃないよ」
それから、暫しの沈黙ののち。俺の言葉を聞き届けた先生はぽつりと漏らすとおもむろに顔を上げた。惹きつけられざる得ない穏やかで温かい微笑みを浮かべる先生を見据えながら、俺は先の答えを待ち受ける。
「君は私の学級の生徒でないのにこうして私と頻繁に交流を重ねてくれて、ましてや誕生日まで祝ってくれようとしてくれている。その気持ちだけで十分だったんだけど、ここまで言われてしまったら甘えてしまっても良いのかなって思って来たよ。六日後、期待しても良いかな?」
冗談めかしたような、それでいてどこか嬉しそうな声色で告げてくれた。その言葉に俺の心はまた満たされそんな先生に応え、満たされて欲しいという思いがより一層強くなっていく。
「……先生に喜んで貰えるよう努力するよ」
その思いをそのまま言葉に乗せる。俺の答えを聞き届けた先生は小さく笑みを浮かべると、茶器を片付け始めながら口を開く。
「じゃあ、お言葉に甘えて。……ディミトリからのお祝い、楽しみにしてるね」
そして、そう言い残した先生は空のポットと皿を手にすると軽快な足取りで後にした。 そんな先生の反応を前にし、俺の心も尚更に期待と高揚で弾んでいく。
それから、日は跨ぎ。舞踏会の準備の合間を縫って祝い方や贈り物を考え抜いたものの全く浮かばない。生憎俺自身、茶も菓子も花にも疎いやはり面白みの無い男だ。
(子供達や君が楽しそうなのを見ていると楽しいから)
それでも、敬愛する先生を祝いたいという気持ちが収まることはない。物が浮かばないならばせめて日頃の感謝をと。紙と筆を取った俺は文(ふみ)をしたためることに決めた。
『……誕生日おめでとう。月並みな言葉だが、良い一日を』
たった一言さえ中々書き出せず一日中掛かってしまったなど情けないにも程があるが、この後受け取った先生がどんな顔を浮かべてくれるのかと考えるだけで心が躍って仕方がない。
星辰の節、二十六日。折角ならば日を跨ぐ瞬間に贈ることを試みて先生を探したものの、舞踏会で生徒達に捕まっていたのかはたまた別の理由か見つけることはかなわなかった。
……失敗ってしまったものの先生の誕生日は始まったばかりだ。
夜明けと目覚めを迎え、自室を後にした俺は先生を探し求めて駆け巡る。
だが、先生を探す最中気に掛かったのは、修道院内に蔓延っている異様な空気。昨日の舞踏会で広がっていた温かな空気など微塵も感じられない。
「……礼拝堂へと急げ!」
その空気を際立たせているセイロス騎士団の兵士達とすれ違う。兵士達を前に妙な胸騒ぎを覚えた俺の足は自然と彼らの後を追って行く。青かった空は黒ずみ、大粒の雨が降りしきる。強くなる雨に呼応するかのように、俺の胸騒ぎも強くなっていく。
そして、廃棄区画にある礼拝堂に辿り着いた俺の視界に飛び込んで来たのは兵士達に支えられている先生と、彼女の足元で血塗れになって倒れているジェラルト=アイスナーの姿。
(……ッ。……先生)
最愛の父を喪って失意に打ちひしがれる先生を前にして、手渡す筈だったモノを握り潰しその場に立ち尽くすことしか出来なかった――。
:
:
:
「……せい。〝先生〟、起きてー!」
――また、見ていた。こうしてかつての出来事を夢に見た所でもう、何も無い。
あの日から九年。結局、先生を楽しませるどころか力になることもかなわず、彼女と分かれ己の目的も果たせずに四年前の会戦を生き長らえた。生き長らえた俺を介抱してくれた村人の慈悲にどう応えて良いものか分からぬまま村人の生活を助け、子供達相手に『教師』の真似事なんてしながら只、曖昧に生きている。
「誕生日、おめでとう。……月並みな言葉だが、良い一日を。 ……これ、誰かへのお手紙?」
……何も無いのに、星辰の節に入ると毎年のように思い出し筆を取って書き出している。四年前の死の淵で『先生に会いたい』と願いを抱いたことと似たようなものだ。
(……きっと、生き延びた意味がある)
……願いを抱いただけでなく幻想の彼女に導いて貰うなど。俺が生み出した幻想が発した答えにも関わらず、生き延びた意味を探し続けている。もっとも、答えを得ないまま歳月だけが過ぎる。生み出した幻想の問い、いわば自問自答に答えが出ないのは当たり前だというのに。
「それより先生! ……ルーとキーファが森の中に入っちゃってまだ帰って来ないの!」
先生の、――否、自分自身が生み出した幻に導かれそうになっていた所で教え子の言葉によって引き戻される。
「……最近の森は獣が活発だったりとどこか異様だ。……中に入るなとは伝えていたよな?」
「……うん、だから入り口の方で遊んでいたの。でも、二人ったらとつぜんぼうっとしちゃって、中に入って行っちゃったの。ちゃんと止めたんだけど、二人とも聞いてくれなくて……」
この子をはじめ村の子供達は皆、言い付けを破ったりすることなど無い。森に異常が起きていることが原因かもしれないと、そう判断した俺は教え子の頭を撫でながら、告げる。
「……二人のことは探して来るから大人しく待っているんだ。村長や他の大人にも伝えたか?」
「うん、おじいちゃんに話してきたよ。おじいちゃんが先生に話すようにって言ったからここに来たの。……そういえばねおじいちゃん、りょうしゅ様だけじゃなくて知らない人達とお話ししていて」
「……今日は客人が来るから出掛けると言っていたような気がするな。……詳しい話は後程と話していたから特には聞かなかったが」
「よろいをきた兵士さんに、緑色の髪のおじさんとお姉さんもいた! ……お姉さん、すごくきれいな人だったわ。 先生が読んでくれたご本に出て来た、女神様みたいな人!」
「――」
思わず、息を呑んでいた。女神様みたいな人。教え子の言葉によって思い浮かんだのは、一人だけ。脳裏に浮かび上がった先生の姿は鮮明になっていく。
「……ねぇ〝先生〟。それ、捨てちゃうの?」
反射的に握り潰していた紙へと視線を向ける。握り潰されたそれはもう、文とは呼べない。
「……大したものじゃないからな」
「本当に?」
「あぁ、必要ないんだ」
そう、必要など無い。曖昧に生きているだけの俺に文(ふみ)を出すことも、出すに限らず会う資格など無い。
「……じゃあ、行って来る」
この手で握り潰したモノのように彼女への想いも粉砕してしまえば何も無い。
……だというのに俺は幻想が、……先生が伝えてくれた生き延びた意味を探し求めるかのようにまた、当てもなく歩き出して――。
/2
九年前はガルグ=マク士官学校の模擬戦『鷲獅子戦』の舞台。四年前は旧帝国、旧王国、旧同盟三国の激しい戦地となったフォドラ一の穀倉地帯『グロンダーズ平原』
かつて旧帝国の軍務卿を輩出していたベルグリーズ家が治めていた土地であったものの、四年前ベレスが率いたセイロス聖教会がフォドラ統一を果たしてからは新たな領主を派遣し、近隣の村人達の力を借りながら戦火の爪痕が残る土地を復興すべく奮闘している。
「陛下、そしてセテス殿もようこそお越し下さいました。こちらはかねてより文でお伝えしておりました、近隣で最も歴史のある村の長になります」
戦火の犠牲者の弔いそして、現在のグロンダーズの状況を視察に訪れたベレスとセテスは領主と初老の村長に迎えられる。ベレスは領主の挨拶に応じると隣に控える村長に顔を向け、深々と頭を下げながら話し出す。
「死者への弔いや荒れ果てた土地の復興と、悲しみや負担を強いてしまったね。……私の訪問もこんな時期になってしまい申し訳ない」
「滅相もございません。陛下自ら足をお運び下さっただけで皆、奮闘する気力と希望を頂けております。戦火に見舞われた当初は悲嘆に暮れることもありましたが、陛下が派遣下さった教会の方も誠実に尽力して下さり、少しずつ元の生活を取り戻せております。……ですので、どうか頭をお上げ下さい」
ベレスの言葉を受けた村長は恨み言など一つも漏らすことはなく、逆に感謝の念を伝える。感謝の言葉を聞き届けたベレスは頭を上げると、穏やかな笑みを浮かべながら再び口を開く。
「……ありがとう。そうしたら早速で悪いけれど案内をお願いしても良いかな?」
「承知しました。順番にご案内いたします」
それから、死者を偲ぶように祈りを捧げながら領主の配下である兵士と共に荒れた土地を復興すべく尽力している領内各地の村の人々の姿と各地を視察して行く。
一通り視察したのち、四年前の会戦で命を落とした死者達の墓地へ足を運ぶ。ベレスは墓前に花を携えるとセテスも彼女の横に静かに並び立ち、同じように花を添え二人は祈りを捧げた。
「……他の地を回った時にも同じことは感じてはいたけれど改めて思ったよ。今を生きる人々が安心して暮らせるように務めていこうとね」
祈りを捧げたのち、ベレスはおもむろに語り始めそんな彼女の言葉を聞き届けた村長は深々と頭を下げ、口を開く。
「……こうして実際お越し下さった陛下と触れ合ってお話を交わし、貴方はこの国を担うに相応しいお方だと改めて実感致しました。……どんなに惜しんでも亡くなった命が還って来ることはありません。だからこそ、今を生きる我々は彼らの分まで懸命に生きて、次代を担っていくべきだと考えております」
「……私もその通りだと思うよ」
「そこで、不躾を承知で陛下にご相談があるのです。……陛下が修道院の士官学校の再開を検討しているという話を領主殿より伺っていたのですが、誠でしょうか?」
これからの未来を見据えるかのような話を交わす最中、どこか躊躇いがちにベレスに視線を向けながら村長が切り出す。
「あぁ。時間は掛かってしまったけれど、年が開けて暫くすれば再開に漕ぎ付けられそうでね」
「……。……左様でしたか」
ベレスが答えると、一度言葉を止めるも村長は意を決したように顔を上げ、続きを口にする。
「……私は戦火を生き延びた村の子供達に次代を担う存在になって貰いたいと考えており、そのために子供達には学び舎で楽しいこと、生きるために必要なことを学んで欲しいのです。ただ、士官学校は元々貴族の子弟が多く通っていた場所で平民が通うには莫大な資金が必要であったと聞き及んでおりました。纏まった資金など恥ずかしながら以前よりも持ち合わせておりません。しかし、子供達には学んで貰いたい。……すぐにとは申しませんがそういった子供達もいずれ迎え入れて頂けるような仕組みをご検討頂けないでしょうか?」
そうして、己の思いを伝え終えた村長はベレスに対して再度深く頭を下げる。村長からの相談を聞き届けたベレスは傍らで佇んでいるセテスに視線を向けると、彼は特に口を挟むことなく顔を小さく頷かせる。それは戦後、これまでのフォドラの枠に囚われない新たな取り組みをベレスと共に推し進めて来たからこそ、彼女の判断に任せるという意思表示であった。
「……顔を上げて。私自身、今は王という立場だけれど平民の生まれで傭兵だったんだ。元々築かれていた制度をいきなり全て変えてしまうのも難しいこともあってまだ十分ではないけれど、これまでの枠に嵌まらないフォドラを築き上げて行きたくてね」
そして、ベレスは村長に顔を上げるよう促すとゆっくりと話し出す。
「……五年に及んでいた戦争が終わって新しい始まりを迎えたんだ。貴族、平民なんて枠組みは無くして学びたいと思う子供達誰もが学べる場所にして行きたい。そういった子供達こそ次代を担う存在になってくれると信じているからね。……まぁ、資金という現実問題はあるけれど、それを考えるのは指導者である私達の仕事さ。だから、君の村の子供達が本当に学びたいのなら私は大いに歓迎するよ」
ベレスは穏やかな笑みを投げ掛けながらこれからの展望を語ると、村長は感極まったかのような反応を見せ思わず言葉を詰まらせる。
「……本当にありがとうございます。〝先生〟のお陰で様々なことに興味をもち、学ぶことの良さを子供達が分かってくれたというのに、この村に留めたままではそれが失われてしまうと思っておりましたから。……陛下のお陰で希望が見えて参りました」
暫しの間を空けたのち、落ち着きを取り戻した村長は礼を述べたのちに告げる。
「先生? ……あぁ、すまないね。私自身、教鞭を執っていたものだから気になってしまって」
そして村長の口から自然と出て来た言葉に自身もかつて同じ立場であったからこそ気に掛かり、思わず問い掛ける。ベレスの問いを受けた村長は失礼しましたと相槌を打つと、そのまま語り始める。
「〝先生〟との出会いは四年前の戦の後です。……平原の片付けを終え村へ帰る最中、道中の森で出会ったのです。まだ、息があったものですから放ってはおけず村へと連れ帰りまして」
「……三国いずれかの兵士だったのか?」
「……鎧を着ていらしたので、おそらくは」
ぽつりとセテスが問い掛け、村長は答えると更に話を続ける。
「身に付けていた鎧も激しく損傷しており、どこの国の方かは判断出来ませんでした。当時ここは帝国領でしたが、戦後の惨状を目の当たりにして敵か味方かなどはどうでも良くなりましてな。……介抱すると数節で普通の生活が出来るくらい快復致しました。……帰参を勧めたかったのですが、戦火の影響でグロンダーズ周辺の街道は酷く荒れ果ててしまい、真っ直ぐ帰るのは困難そうでしたので復旧するまではと村に滞在するよう勧めたのです。
……そんな時期、村の近くの森に尋常でない大きさの獣が現れました。村の男衆が集まったとしても追い払うことすら儘ならずどうしたものかと困り果てていた時、やって来て下さりあっという間に獣を仕留めたのです……!」
尋常でない大きさの獣と聞いて『魔獣』を思い浮かべたベレスとセテスは顔を見合わせたものの、続けて語られた村長の言葉によって二人の心配は杞憂に終わる。それから、村長は少し興奮してしまった感情を落ち着けるように一息吐くと、話を続ける。
「大人子供問わず感銘を受けた我々は改めて歓迎し、特に拒まれることなく農耕、周辺の見回りといった村のことも手伝ってくれるようになりました。それだけでも十分だというのに子供達に請われる形で勉学や簡単な身を守る術も教えてくれて、いつしか〝先生〟と呼ばれるようになっておりました。我々大人達も敬意を込めてそう呼ぶようになったのです」
「なるほど、それで〝先生〟か。その人のお陰で村の子供達は学ぶことに興味を持ってくれたんだ。……自分自身大変な目に遭っただろうに、とても素晴らしい人だね」
聞き届けたベレスは心から抱いた思いを告げると、村長は視線を落としどこか遠くを見るようにし再び口を開く。
「えぇ、とても素晴らしいお方で。……そんなお方を村に縛りつけるべきでないとは分かってはいるのです。けれど、自分のことは何一つ語ることなく村に残り尽くして下さっている〝先生〟に甘えてしまっていて。……陛下、不躾ながらもう一つご相談があるのです」
それから、村長は改まって言うとベレスを真っ直ぐ見据える。これまで話していた〝先生〟という人物に対し何かしらの思いを抱えているのだと察したベレスは敢えて何も言わず、村長が続きを話すのを待った。
「……おじいちゃん!」
だが、村長の口が開かれる直前、響き渡った幼げな声によって遮られる。ベレスが声のした方向に顔を向けると金髪の長い三つ編みを結った少女が立っており、目が合うや否や駆け寄って来る。
「……すごく、きれいな人。女神様みたい」
「……ありがとう」
少女はやや頬を赤らめながら口にして、ベレスは彼女に目線を合わせると礼を告げる。ベレスを見て呆けていたものの暫くして、本来の目的を思い出したのか少女は村長へ顔を向ける。
「……そうだ! ……おじいちゃん、聞いて!」
「今日は領主様とお客様をお迎えするから村から出てはいけないと言っていただろう? 陛下、申し訳ございません。この子は村の子供の一人でして今すぐ帰るように聞かせますので……」
「いや、構わないよ。それより、随分慌てているみたいだ。何か大事な用があって来たんじゃないのかな?」
村長は少女を宥めて帰らせようとしたものの、彼女の様子を前にベレスは用件を聞くよう促す。ベレスの言葉にこのまま話しても問題ないと悟ったのか、少女は一つ深呼吸をすると口を開く。
「……ルーとキーファが森の中に入っちゃって、まだ帰って来ないの」
「……!? ……子供らだけで森の中に入ってはいけないと話していただろう?」
少女の言葉を受けた瞬間、村長の表情が強張る。村長の表情を前に少女は顔を俯かせると、再び口を開く。
「……うん、だから入り口の方で遊んでいたの。でも、二人ったらとつぜんぼうっとしちゃって、中に入って行っちゃったの。ちゃんと止めたんだけど、二人とも聞いてくれなくて……」
「二人に限って、そんな……」
それから、少女は先の言葉を詰まらせ村長も眉根を寄せると言い淀む。二人のやり取りにベレスは直感からただならぬ事態の可能性を察し、村長へ問い掛ける。
「昔、森に尋常でない大きさの獣が出た事があると言っていたね。……もしかして、ここ最近も?」
「……陛下の仰る通りです」
ベレスが投げ掛けた問いに村長はゆっくり首肯して、そのまま話し出す。
「戦後暫くは無かったのですが、ここ最近目撃したという村人がおりました。それに、天候が悪くないにも関わらず不可解な霧が発生する日もありまして、〝先生〟と相談し子供達に森に入らないよう言い聞かせていました。……決して言い付けを破る子供達ではないのですが」
「大きい獣だけでなく霧、か……」
霧、と聞いてベレスの脳裏を過ぎったのはかつて霧を駆使して来た魔導士、その魔導士を率いていた勢力のこと。ベレスがガルグ=マク大修道院で教鞭を執っていた時代、黒鷲の学級を率いて当時の大司教であったレアに反乱を企てた旧王国領の小領主の討伐に赴いた際、戦地撹乱のため闇魔法を駆使し霧を発生させていた魔導士がいた。その反乱のように闇魔法を駆使する精鋭、魔獣を各地にけしかけ影からフォドラに混乱をもたらしていたのは『闇に蠢くもの』という、三国とは異なる教会と長きに渡り敵対していた勢力。
戦乱の中でベレスは首魁を討ち旧同盟内のゴネリル領に存在していた本拠地を壊滅に追いやったものの残党が存在し、彼らが引き起こしている事態ではないかと。村長の答えを聞いたベレスの中にそんな疑念が浮かび上がる。
「……闇魔法で作られた霧の影響を子供達が受けてしまった。……その可能性も有り得るな」
疑念はベレスだけでなく彼女と共に戦って来たセテスも抱いたようで、静かに呟く。セテスの言葉を受けてベレスは彼を見やると小さく頷き、村長に向き直る。
「君はこの子と戻って〝先生〟をはじめとした村の大人達へ伝え、子供達を探しに行くんだろう? 今日は訪問ということでわずかばかりしか連れて来ておらずで申し訳ないけれど、騎士団の手勢を連れて私も森へ行くよ」
「騎士団の方だけでなく陛下御自ずから!? しかし、お手を煩わせるわけには……」
「事情を聞いてしまっては見過ごすわけにはいかないよ。だから、私にも協力させて欲しい」
申し出に村長は慌てた様子を見せるもベレスは穏やかな笑みを浮かべて言葉を返す。ベレスの申し出に村長は暫し考え込んだのちに感謝申し上げますと。深々と頭を下げながら告げた。
「セテスは残って情報を集めて。私と、……君の考えが正しければ霧も奴等の残党が関わっている可能性があるかもしれないからね」
「そのつもりだ。……本来、王自ら行くことなど止めるべきなのだろうが、事が事のため君が向かうのが良いだろう。だが、くれぐれも無理はしないように」
「あぁ、いつも通りやるだけさ」
去り際、ベレスが告げると意図を察したようにセテスは頷き返す。セテスの見送りを受けたベレスは軽く微笑むと案内役を買って出た領主の後に付いて、手勢と共にその場を後にする。
「……確かにこれは酷い霧だな。……昼間までは何も無かった筈なのだが」
それから、領主の先導の元ベレスと手勢の騎士は森に辿り着く。入って早々眼前には深く濃い霧が広がっており、一寸先の景色すら見えにくい中、領主が用意してくれた松明の灯りを頼りに進んで行く。
「木々の香りと鳥のさえずりを風が運んでくれるような、普段は穏やかな森なのです。……こんなにも深い霧が立ち込めたのは私がこの地に来てから初めて、ではないでしょうか。まるで、森が何者かに支配でもされてしまったかのような……」
領主の言葉通り木々のざわめきや鳥のさえずりは聞こえて来ず、深い霧が辺り一帯を覆っているだけ。森が漂わせる異様な雰囲気にベレスは警戒を強めながら足を進める。
「……道が分かれております」
「得策では無いかもしれないけれど二手に分かれよう。一刻も早く子供達を見つけることを優先したいからね」
暫くして分かれ道に差し掛かりベレスの指示の元、領主・手勢数名、ベレス・手勢数名の二手に別れ、再び子供達の捜索を開始する。
「……更に霧が深くなりましたね。領主殿の話では普段こうも発生することはないようですが、……セテス殿が先程申していた通り闇の魔法によるものなのでしょうか」
ベレスと手勢が先を進んでから数分。松明を持っていても尚、一寸先すら見通すことが困難になるほどに森を覆う霧が更に濃くなっていく。
「昔、闇魔法で引き起こされた霧の中で戦いの経験が合ってね、今発生している霧はその時のものと近しい気がする。……もしそれによる霧だとすれば発生源の術者が近くにいる筈だ」
「……だとすれば」
「……早く見付け出さないと子供達が危険だね」
深くなった霧を前に手勢が思わず口にし、その言葉を受けてベレスもまた、抱いた可能性が確信に変わり始めたことに危惧を抱く。
(……ソティス。……君の力を貸して)
一刻も早く子供達を見付け出さねばと、ベレスは女神が授けてくれた力を乗せて、周囲に意識を集中させて行く。
(――ぅ、っ)
(――だい、じょうぶだ……)
集中させて間もなく、微かな音がベレスの耳をつく。耳をついたのは悲痛の入り混じった声。
「陛下、どうかされましたか?」
「――。……声だ」
「声、ですか? ……私には何も」
「きっとすぐ先だ。……君達はここに居て、連れて戻って来るから」
姿こそ見えないものの声の正体にベレスは思い当たり、手勢にこの場に留まるよう指示を出すと駆け出して行く。霧によって視界は相も変わらず遮られているものの、耳に届く声に導かれるかのようにベレスは迷うことなく森を駆けて行く。
「……ぅうっ。……ここ、どこなんだ?」
「キーファ、大丈夫だ。……俺が側にいるから」
やがて霧がいくらか薄まった場所に辿り着き、体を寄せ合いながらうずくまっている黒色の髪と金色の髪をした二人の少年をベレスは見つける。ベレスは少年達に駆け寄ると彼らの前にしゃがみ込み、ゆっくりと口を開いて話し掛ける。
「……君達、この近くの村の子だよね?」
「……はい。気が付いたら友達とこんな所に来てしまっていたんです。……あの、お姉さんは?」
ベレスが問い掛けると金色の髪の少年が答える。墓地で出会った少女の話では二人の少年の様子が可笑しかったとのことであったが、少年の様子から今は特に霧の影響も受けていないことを悟りベレスは安堵する。
「私は村長のお客さんとして来たんだけど、詳しい話は後にして今は一緒に村に帰ろう。私の側から離れないで」
それから、ベレスは告げて手を差し伸べる。金色の髪の少年はやや躊躇っていたもののベレスの手を取って立ち上がり、隣の黒髪の少年の背を優しく摩りながら彼を立ち上がらせる。
「……見えないよ」
「……っ。確かに、足元が見えづらくて」
「二人共、私の側から離れないで。……!?」
立ち上がらせたものの、視界が遮られているのもあって少年達の足取りは覚束ない。そんな少年達をベレスが支えながら歩き出そうとしたその時、突如として木々がざわめきだしその様子から咄嗟に身構え、彼らを自らの背後に庇うようにして立った。
「……取っておいた餌を連れて行こうとする者を仕置きしようと思って来てみれば、……憎き凶星とはな」
そして木々のざわめきが止んだのと同時に、尖った仮面と黒いローブを身に纏った者が姿を現しベレスに対し憎々しげに言葉を放つ。相手を前に森の霧を引き起こしたのは『闇に蠢くもの』の残党の魔導士であったと、ベレスは自身とセテスが抱いた疑念が的中したことを悟った。
「……計算外だったがまぁ良い。逆に好機と捉え、卑しき獣の餓鬼ともども始末してくれる」
そして、魔導士は言い捨てると両手を空へ掲げ、その行為に応えるかのように地響きと共に巨狼の魔獣が現れる。魔獣が咆哮を上げると強風が吹きすさび、風に乗って木々の枝や土が刃と化してベレス達の元へ飛んでくる。
「……ッ!」
ベレスは腰に刺していた獲物、『天帝の剣』を瞬時に抜き去ると襲い来る刃を打ち落とす。打ち落とすや否や、背後にいる少年達の方へ振り返り声を上げる。
「……君達はひたすら前に走って!」
少年達に向かってベレスが指示を飛ばすと金色の髪の少年が強く頷き返し、黒髪の少年の手を引いて言われた通りに走り出す。走り出した少年達を追撃するように魔獣は動き出すが、ベレスは前に割って入り進路を阻む。魔獣は巨体に似つかわしくない程の俊敏さを見せ爪や牙を突き立てようとするものの、ベレスは避けつつ攻撃を剣で捌きながら走る少年達に危害を加えさせぬよう上手く立ち回り続ける。
(……状況は良くない。……でも、今は耐えないと)
ベレス一人であれば攻撃を躱し瞬時に斬り込むことが出来るものの少年達を守りながらそして、魔獣の背後に居る魔導士に気を配りながらとなると事はそう簡単に運ばない。魔獣に攻撃の意識を集中した瞬間、魔導士が少年達に魔法を放って来るかもしれない。魔獣を避け、魔導士を優先すれば魔獣が少年達に追い付いてしまう。想定出来る災厄をベレスは頭の中で次々と並べていき、冷静に分析し打開策を考え続ける。
(――!?)
考え続ける最中も、魔獣の猛攻を防ぎ続けるベレスであったが瞬間、彼女の頬の右側を赤黒い炎の弾が掠める。
(魔獣の召喚に魔力を割いているのに魔法を放って来た。……捨て身って訳か!)
炎弾を前に魔導士の思考を理解したベレスは魔獣と対峙したまま後方へと勢い良く跳躍し、一秒前に頬を掠めた炎弾を打ち返す。返すや否や魔獣の背後の魔導士は再度炎弾を放ち、それをまたベレスが打ち返す。その後も次々と放たれる魔導士の炎弾、目の前の魔獣の連撃をベレスはいなし続け、一進一退の攻防が繰り広げられる。
(……討つまでに至らなくても良い)
攻防の中、ベレスの脳裏に浮かんだ打開策。だが、その策を実行するには相手方の隙が必須であり、その機会をベレスは虎視耽々と狙い続ける。
(魔獣の動きを一瞬でも止められれば――)
そして、ベレスがその考えに至り『祈願』した直後――、
「……そこの御仁! 聞こえているのなら上に跳べ!」
願いが叶ったかのように、後押しするような声が背後から投げ掛けられる。どこか『懐かしく』『聞き覚え』のある声にベレスは迷い無く応え、地面を強く蹴って頭上へと跳躍する。
「――Urra!?!?」
上空に到達したのと同時にけたたましい声が響き渡る。下に目を向ければ魔獣の顔面に棒状のモノが深々と突き刺さっており、その場でもがき苦しんでいる。
「……はあぁぁっ!」
そんな魔獣を前に好機と。そう判断したベレスは剣を構え、魔獣の背後に居る魔導士目掛けて圧倒的な疾さで降下して体に剣を突き刺した。致命傷を受けながらも咄嗟の詠唱が間に合ったのか魔導士は転移の魔法を発動させることに成功し、命からがらその場より消え失せる。
(……ッ、逃した! ――でも、今は残りを片付ける!)
それから僅な間も置かず、ベレスは視線を魔獣に戻すと同時に剣を前方に振るう。剣の先端は蛇腹のように幾方向にも伸びて魔獣を拘束し、拘束された魔獣は振り子のように体を大きく揺らされたのちに地面へと叩き付けられる。地に伏した魔獣は立ち上がる事はなく、体は砂と化し霧散していった。
「……槍、だったのか」
魔獣を屠り、ベレスは剣を収めると消えた跡に残されていた棒状のモノを拾い上げる。それは何の変哲もない鉄の槍。だが、その槍が魔獣の動きを止め、その槍を放った人物が居たからこそベレスが好機を得られた。常人離れした槍捌きに加え、どこか『懐かしく』『聞き覚え』のある声にベレスは誰かと巡らせる。
(……なあ、先生。ここに来たのは……俺の選択を、誰かに話しておきたかったからだ)
「……〝先生〟!」
巡らせて、たった一人。その人物が誰かと思い至った瞬間、耳に届いた〝先生〟の声を受けてベレスは我に返る。声の方に目を向けたベレスの視界に映ったのは先程の少年達そして、金髪をざんばらに顔へ垂らした隻眼の大柄な男。
「……ディミトリ」
「……。……久しぶりだな、先生」
もし、再会が叶うならばと。思い、追い求めていたディミトリとの再会を果たしたベレスは先の言葉を紡ぐことが出来ず、只ひたすらに彼を見つめ続けるのであった――。