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    たまを

    @shime_tkg

    小説の進捗など

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    5/3 「超刻印の誇り2023」発行予定の新刊進捗です。蒼月の章、鉄血の鷲獅子終了〜王の凱旋の期間。
    想い合っているもののディミトリとの未来を望んではいけないと心を閉ざしているベレスと、彼女の心に踏み込むことを決意したディミトリが結ばれるまでの話。
    (進捗に記載してませんが、R18パートも含むので発行時はR18になります)

    誰ガ為ノ世界/ディミレス/1
     ひたひた。
     真っ暗な闇の中。青白い炎が灯り、燃え上がった炎から数多の人の貌をした死者が現れる。
     焼け爛れた顔の彼らは、口を揃えて俺を誘う。
     
    〝――お前は、こっちだ〟
     
     ひたひた。ヒタヒタ。
     見知った顔がひとつ、ふたつ、みっつ。
     
    〝所詮お前には、復讐を果たすなど無理だったか〟

     父と継母と、友の顔をした彼らは揃えて口にする。彼らの表情は酷く軽蔑の色に満ちている。
     無理もない。無念の中で死んでいった彼らの期待に応えられないまま、ここに来てしまったのだから。
    「……申し訳ありません」 
     救うことが出来なかった酷い無力感に苛まれる。
    「無念を晴らすなど俺には初めから無理だったのでしょう。……だって俺は、父上達のお側に居られれば良かったのですから」
     けれども同時に、心は安堵している。生きている理由が無くなったのだ。ならば、後は逝くだけ。俺を遺して、……置いて逝ってしまった人達の元へ。
     
     ひたひた。ヒタヒタ。ひたヒタ。
     俺の少し先を行き誘っていた死者達がぴたり、と足を止め『死』が目前に迫っていると理解する。距離にして目と鼻の先、と言った所だろうか。
     お前達の、……否、俺の望みがようやく叶うのだ。喜んでそっちに逝ってやる――。

    〝――ねぇ〟
     
     パリン、と。頭の中に破片が砕けた音が響き渡ったのちに、背後から澄んだ女の声に呼び止められる。
     ……あぁ、『また』だ。先へ逝こうとする俺を呼び止める女、――先生の声が抑止力となってそれ以上は一歩も動けない。先生が迫って来ると死者達は呻き声を上げながら青白い炎へと返り、炎は灰と化し暗い中舞って行く。
     
    〝……その先は、怖いよ〟

     そうして、すぐ真後ろに辿り着いた先生は俺を抱きしめるとそんなことを口にする。
     
     「……まるで、見て来たような口振りだな」
    〝……そうだよ。君の最期に触れる度にこの先が怖い所だって見て来ているから〟
    「……問題ない。……その先は俺の求めている場所なのだから」

     冷たく吐き捨てるも、先生の俺を抱きしめる腕の力は増して行く。

    〝……この先が君の求める場所だとしても、君にだけはって欲しくないんだ〟

     そのまま、強く言い切られる。先生がそんなことを口にする理由が俺には分からない。
     ……その先に逝きたい筈なのに、先生の言葉は不思議と心地良い。同時に、苦しくて仕方が無い。
     どうして、先生は『また』――。

    「……ディミトリ」
     ……あぁ、生き長らえた。距離にして目と鼻の先、と言った所だろうか。先生の顔がそこに在る。
    「……生きていて、良かった」
     言うと、先生は地面に項垂れている俺の体を抱きしめる。そうして、先生は俺の髪を優しく撫で上げながら良かったと、譫言のように繰り返す。
    「……何故、そんなことを……?」
     どうして言うのか、俺は一向に理解が出来ない。
    「無念を晴らすことの出来ない俺に生きる資格など、……理由も無い。……逝ける、のに」
     分かるのは先生によって生かされたということだけ。
    「……無理矢理捻じ曲げられている君からすれば、分からないよね」
    「……?」
    「私のかけがえの無い人になった君を死なせたく無い。……私の信念だね」
    「……お前の?」
     答えを受けても尚、俺には理解が出来ない。
     まだ、『また』生きているだけに過ぎない俺など、死なせてくれれば良いのに――。



    〝あなたの命は……他でもない、あなたのものだ。それは……あなたの信念のために、お使いなさい〟

     それから、『また』俺は生かされて一人を喪った。 
    (――どうして、生きている?)

     理由を求めて、ひたすらに駆け出していた。否、実の所理由なんてものは必要無かった。
     
    「――どこへ?」
     駆け出して、間も無く。これまでと変わらない澄んだ声の先生に呼び止められる。……もう、阻まれるわけにはいかない。関係のない話だと冷たく吐き捨てて強引に横を過ぎ去ろうとした瞬間、
    「帝都に向かう?」
     投げ掛けられた問いに、どうしてか足が止まる。
    「それが死者の望み?」
     そして続け様に告げられたのと同時にずきり、と。胸に刃が突き刺さったような感覚に苛まれる。
     ――違う。これは、これは彼ら死者の望みだ。
    「……黙れ。生き残った者が、彼らの意志を……無念と憎悪とを、背負わねばならない。……いつか言ったな。それが、俺のなすべきことだ、と」
    「……そうとは限らない」
     否定されて、より胸の痛みが増していく。強くなっていく胸の痛みに呼応するかのように空から降りしきる雨の勢いも強まっていき、二重の痛みを振り払うかのように俺は声を振り絞る。
    「……俺はずっと、彼らに報いるためだけに生きてきた。すべては復讐を果たし彼らの無念を晴らすためのものだった。……生きている理由など、それしかなかった」
    「自分を許してやれば良い。……もう、十分苦しんだでしょう」
     そして、先生は悼むような表情を浮かべながら口にした。……自分を許す? 何を言っているのかが分からない。
     そう、俺が生きていけた理由は彼ら死者のためだった。けれども、結局の所は成すべきことを果たせずに生き残り、代償としてまた一人喪った。これ以上生き続けてどうしろと言うのだ。
    「……ッ。なら……俺は、誰のために……何のために、生きていけばいい……」
    「……自分の信念のために」
     答えが授けられる。聞き届けた瞬間、俺の胸がまた酷く痛んでいく。けれどもその痛みは決して不快で怖ろしいものではなかった。
    「本当に……そんな生き方が許されるのか? 人殺しの化け物に成り下がった俺に……。あの日、生き残ってしまった俺にも……自分のために生きる権利が、あるのか……?」
     俺には『自分の信念』がよく分からない。それでも生き続けて良いと、――生き続けている意味があるのだと先生の言葉から伝わって来て、口にしてくれた言葉の意図を求めて問い掛ける。
    「……!」
     問い掛けたのと同時に、白く眩い手が先生によって差し出される。それはまるで一つのしるべのように見えて、思わず伸ばすと先生はそっと俺の手に触れる。触れ合って先生の温もりが伝わって来たのと合わせて、五年前、彼女と過ごして来た日々の記憶が脳裏へと蘇る。
     出会った当初は人間らしい表情が感じられず、怖いとすら感じた人。だが、共に過ごして行く内に食事を楽しむ表情、俺を初めとした教え子の成長を見て喜ぶ表情、そして、最愛の肉親を喪って怒りと悲しみに満ちた表情と先生の人間らしい表情をたくさん見て来た。
     ……見て行く内にいつしか特別な想いを抱き、先生は俺にとってかけがえの無い人へとなっていった。

    〝私のかけがえの無い人になった君を死なせたく無い。……私の信念だね〟
     
     死の淵で見た錯覚かもしれないが先生にとっても俺はかけがえの無い存在に当たるようで、現に俺は何度も彼女に救われて生き続けて来た。そんな人と共に喜びや幸福、怒りや悲しみを享受して共に生きて行けたらなどと、抱く資格も無い願いを抱いていた。
    「お前の手は……こんなにも、温かかったんだな」
     ……それでも、この願いは自分の信念の一つには違いなくこの先も生きて果たして行きたいと。その想いから、俺は先生の手を握り締める。伝わって来た温もりから、この手が何にも変えられないモノだったのだと俺はようやく理解する事が出来たのだ。
    「……君に信念なんて語っておきながら、私のやって来たことは程遠いことなんだ」
     ――にも関わらず、先生の口から落ちて来た言葉を受けて俺の脳裏に再び疑問が浮かび上がる。疑問に対する答えは沸かずに首を傾げていると、先生は俺を真っ直ぐと見据えながらゆっくりと口を開く。
    「……私の我が儘で捻じ曲げ続けた結果、辿り着いたんだからね」
     そう口にした先生が見せた表情は、俺が今までに一度も目にしたことのない悲しげなものに見えた。
    「私にとって、かけがえの無い君が生きてくれているだけで十分だもの」
    「……ッ。……俺にとってもお前は――」
     先生の言葉に胸がざわついて仕方が無い。……それを取り払うために想いを伝えようとしたものの、先を紡ごうとした唇は先生の指によってそっと塞がれる。
     それから、先生の表情は俺がよく知る慈愛に満ちた表情へと変わる。変わったのと同時にパリン、と。頭の中に破片が砕けた音が響き渡り、そのまま視界はぐにゃりと歪んで行って――。

    「……あぁ、まだ寝てないと駄目だよ」
     いつ落ちてしまったのかは分からない。意識を取り戻したのと同時に声を掛けられ、声のした方を見る寝台の縁に先生が腰を掛けていた。
    「……ここは?」
     別の場所から引き戻されたかのような不思議な感覚。まだぼんやりとしている意識の中で状況を整理するように呟くと、先生が答えをくれる。
    「厩舎の前で話をした後に気を失ったから、部屋に連れて来たんだよ。……傷も癒えてない中で雨に打たれて、消耗したんだろうね」
    「……そう、か」
    「覚えていないなら、まだ疲れている証拠だよ」
    「……覚えているさ。お前の手は温かくて。……あたた、かくて」
     そう、覚えている。
     ……にも関わらず大事な何かが欠けたような喪失感があって、その先を思い出そうとするも上手くいかない。大事な筈なのに、何を忘れてしまったというのだろうか。
    「ほら、今日はもうおやすみ。……君が眠るまでここに居るから」
     思い出そうと巡らす最中、先生は俺の頭を優しく撫で上げると瞼をそっと覆った。

     ――まだ、思い出せていない。
     ――だから、眠ってはいけない。
     抗おうとするも、先生の温もりと外で降りしきる雨の音によって睡魔を誘発され、意識が微睡んで行く。
    「……生きていて良かった。それ以上は望まない。……望まないから」
    (……先生?)

     落ちる間際、先生から告げられた言葉の意味を問い正すことはかなわず、俺の意識は優しい眠りの中へと溶け込んで行く――。



    〝俺たちはまだ出会ったばかりだし、難しいのかもしれないが……。俺は、先生とも喜びを分かち合いたい〟
    〝……ほら、一緒に行こう、先生!〟
    〝なんだ、随分と楽しそうな顔だな。俺は、先生のそういう顔が好きだよ〟

     初めから打算の無い笑顔と振る舞いで接してくれた彼は、私に取って好ましいと思える人だった。
     ……彼への感情が『特別』なモノである事を自覚したのは、最愛の父ジェラルトを喪ってからのこと。
     喪ってから数日経っても事実を受け止めきれずに居たものの、皆の先生である私がいつまでも悲しみに暮れては居られないと。無理矢理自分自身に言い聞かせ生徒達の元へと足を運び、修道院近くの森で課外活動をこなしていた或る日。
     
    〝――先生。お加減はもう大丈夫ですか?〟
     
     やって来た私に、生徒達は次々と声を掛けてくれる。
     大丈夫。私はこうして立って居られている。
     胸は、まだ痛い。……痛くても、皆の先生で居られている。

    〝……先生。今日の課外活動は中止にしよう〟

     ――だというのに、彼だけは違う声を上げた。思いも寄らない言葉と怒っているかのような表情をぶつけられ、私はどうしようも出来ずに立ち尽くす。そんな私を彼は強引に連れ出した。

    〝……どこへ連れて行くつもり?〟
    〝どこだって良いさ。……そんな顔をしない場所ならどこだって良い〟
     
     問い掛けて、投げ掛けられた言葉を受けて胸の痛みが増して行く。
     そのまま、皆から離れた森の一角に連れられる。そこに辿り着くや否や彼は押し黙り、私達の間に流れている音は側にある小川のせせらぎだけ。そんな中で思考を巡らすも彼から告げられた言葉の意味はやはり理解出来ず、私はまた問い掛けた。

    〝……そんな顔をしないって?〟
    〝つい数日前にも言っただろ。……無理をする必要はないと〟
     
     また、胸が痛む。痛みは次第に大きくなっていって、それに抗うかのように私は声を上げる。
     
    〝……大丈夫だよ。それに、ずっとこうしていたら皆に迷惑が――〟
    〝迷惑な訳があるか。……先生、そうやって嘘をつく必要はないんだ〟

     嘘、と。何を以って嘘なんて言うのか。私は答えを求めて、彼から告げられた言葉を繰り返す。けれども答えは浮かばずに胸の痛みだけが只、大きくなっていく。
     ……そんな繰り返しの中で、私の体は彼に抱き寄せられていた。

    〝憎しみや、悲しみをそう簡単に乗り越えることは出来ないものだ。無理をして気丈になる必要は無いし、苦しいのであれば存分に叫んで、泣いて、休めば良い。……そうしたって良い。……いや、するべきなんだ〟
    〝……そんなの、ジェラルトに笑われてしまうよ〟
    〝そんな筈があるか。……有りのままで居て良いんだ〟
    〝……私のままで〟
    〝……それがジェラルト殿に対する何よりの弔いになると俺は思うよ〟
     
     それから、穏やかな口調で答えを告げられる。彼の答えを聞き届けた瞬間、最愛の父ジェラルトを喪ってから生じていた胸の痛みが和らいでいくのを感じた。同時に私の頬には涙が伝っていた。
     零れ落ちて来たモノを止めようと試みるも、頬を伝う涙の量は増していく。そんな私を見て彼は泣くのを止めるよう促すこと等は決してせず、ただひたすらに抱き締めてくれた。

    〝……ん? ……今の腹の音、先生か?〟
    〝……まいっちゃうよね。こんな時だろうと体は正直なんだから〟

     そんな中、どうしてか私の腹から情けない音が立ち上がる。
     
    〝これも前に話したが、どんなに悲しくても涙はいつか枯れてしまうし、腹は減る。当たり前のことだし、……それが有りのままの先生だろう?〟
    〝……そうか。……そうだね〟
    〝なら、皆の元に戻ったらまず腹ごしらえだな。……確か、メルセデス達が昼食を用意してくれていた筈だから〟
    〝……それは楽しみだな〟

     どんな状況でも空腹を訴える自身の体に対し呆れてため息をつくも、穏やかに笑いながら告げてくれた彼の言葉を聞いている内に自然と口元が緩んでいった。

    〝……先生。いつだって俺を頼ってくれ。俺は他の誰でもない、……お前の力になりたいから〟

     それから、彼に手を引かれて皆の元に戻る道中彼から告げられた言葉。その言葉が決め手となって、彼は私にとってかけがえの無い人になった――。

    〝……父上も、継母上もそんな顔をなさる必要はありません。きっとすぐに、彼女の首を持ち帰ります。必ず、その無念を晴らして……〟
     
     だから、どんな手を使ってでも。
     ……『捻じ曲げて』でも彼を喪いたくなかった。

    〝無念を晴らすなど俺には初めから無理だったのでしょう。……だって俺は、父上達のお側に居られれば良かったのですから〟
     
     死者の無念を晴らすこと。
     死者の、――かけがえの無い人達の元へ向かうこと。
     それらが彼の望み、――生きる理由だと理解しながらも私は自分の我が儘を貫き通した。

    〝お前の手は……こんなにも、温かかったんだな〟

     『刻』を戻して捻じ曲げて、繰り返しの果てに辿り着いた運命は紛れも無く私が、――私だけが望んだモノだ。
     捻じ曲げる度に流れ込んで来た彼の望みは、私の望みと相反してることは分かっていた。

    〝……ッ。……俺にとってもお前は――〟

     だから、それ以上は望まない。……望んじゃいけない。
     かけがえの無い彼が生きてくれている。私にとってそれが最上の幸福なのだと言い聞かせて――。

    /2

    「……先生」
     目を覚ましてディミトリは辺りを見回すもベレスの姿は無い。だが、つい先程まで頭の中でベレスの声がしたこと、――彼女の夢を見ていたことは確かで、ディミトリは誰も居ない空に向かって彼女を求めるように呟いた。

    〝……生きていて良かった。……それ以上は望まない。……望まないから〟
    〝だから、それ以上は望まない。……望んじゃいけない〟
     
     一節前、グロンダーズの会戦を経てすぐの雨の夜。あの時、ベレスから告げられた言葉の意図を求めるかのように彼女の夢を繰り返し見るようになった。その意図を現実のベレスに問おうにも彼女とは王都奪還に向けたセイロス騎士団や王国兵を交えた軍議で顔を合わせるばかりで、まともに話が出来ていないまま月日だけが流れた。
    「……望まない、なんて。……先生にとって俺は?」
     そもそも、夢の中のベレスの言葉が彼女の本心の余計に表れであるのならばと余計にディミトリの胸をざわつかせる。もし、べレスが夢の通りの感情を抱いているとしたら。そう考えてしまったが故にベレスの口から答えを聞くことを恐れて何も出来ずにいる。
    「……それと、あの雨の夜だ。……俺は何か忘れているんじゃないか」
     加えて、もう一つ気掛かりなことは雨の夜の記憶。その時の記憶は酷く曖昧で、ベレスから他にも大切なことを告げられていたような気がするのに思い出せず、思い出そうとすると記憶が霞み掛かっているかのような感覚に陥って行き詰まる。
    「……む」
     繰り返し夢を見るばかりで思い出すこともかなわず、自分自身に対しての苛立ちが募る中でくぅ、と。力の無い音が腹から立ち上がる。
    「……こんな時でも腹は減る。……こんな時だからこそ、何か口に入れた方が良いのかもな」
     
     己の心に反して正直な体に対しディミトリは溜息をつくと、寝台からおもむろに起き上がる。それから、簡単に身支度を整えて部屋を後にすると腹の虫を満たすため食堂へ向かった。



    「――あ! 殿下、おはようございます!」
     食堂に辿り着くや否やディミトリの視界に飛び込んで来たのは見慣れた顔ぶれで構成された輪。輪の中の一人、アネットが来訪に気が付くと朗らかに声を上げ、そんな彼女へ手を振って応えながらディミトリは輪の中へ向かう。
    「殿下、おはようございます。……傷のお加減が十分で無いなら、もう少しお休みになられていても」
    「そうねぇ、結構なお寝坊さんだったけど大丈夫〜?」
     空いている椅子に腰を掛けたのと同時に、輪の中に居たドゥドゥーそして、メルセデスから気遣いの声を掛けられる。
    「二人共、ありがとう。傷も塞がったし生活に支障は無いさ。……ところで」
     そんな二人を逆に気遣うかのようにディミトリは問題ないことを告げる。それから、卓に広がっている紙面に記載されている文字に視線を写し、話題を切り替える。
    「……前菜、サラダパスタとベリー風味のキジローストに熟成肉の串焼き。スープはタマネギのグラタンスープを提供し、メインディッシュはバイクの贅沢グリル。デザートと備え付けの紅茶はブルゼンとレスターコルネリア……」
    「はい!アッシュは仕込み、フェリクスとシルヴァンとイングリットにはお肉の調達をお願いしていて、あたし達三人は盛り付けの最終確認中でした! ……えへへ、今から楽しみすぎちゃって」
    「……それは良かったが。……その、これは何の催し用だ?」
    「……えっ、と。……まさか忘れちゃったとか、ですか?」
     ディミトリがアネットに問い掛けると彼女も首を傾げながら問い掛ける。逆に問い掛けられた側のディミトリも何故そのような反応をされたのか合点がいかず、二人の間には沈黙が立ちこめる。
    「……あ、あんまりですよ!」
     それから、暫しの間を経て。アネットは勢い良く立ち上がったのと同時に声を上げる。その剣幕に圧されたかのように、ディミトリは溜まらず目を丸くする。そんなディミトリを前にして、アネットは更に畳み掛けるように言葉を続ける。
    「確かに、フェルディアを奪還出来てもいないのに浮かれ過ぎかもしれないですよ! でも、今回の企画は特別なことだからって殿下も賛成してくれたじゃないですか!」
    「……ま、待ってくれアネット! 俺が何かしたと言うのなら謝罪をするが……」
    「だって、折角の先生の――」
    「もう、アンったら落ち着いて〜。ディミトリは忘れている訳じゃないと思うわよ〜」
     興奮冷めやらぬといった様子のアネットに対して、メルセデスは穏やかに声を掛ける。メルセデスの言葉を受けて落ち着きを取り戻したらしいアネットは恥ずかしげに頬を赤らめて、ゆっくりと席に着く。そんなアネットを見届けたメルセデスはディミトリに顔を向け、小さな笑みを見せると再び口を開く。
    「……先生のお誕生日会をやろうってお話、今節の頭に皆でしたことは覚えているわよね〜?」
    「……!?」
    「ふふ、やっぱり覚えていたわよね〜。だってディミトリには宴の席に先生を連れて来る大事な役目を任せたんですもの〜」
     メルセデスに告げられて、ディミトリはアネットが興奮気味に伝えて来た理由をようやく理解する。
     今日、竪琴の節十七日はベレスが生まれたいわゆる彼女の誕生日。帝国との戦争で混乱の最中ながらも、これまで青獅子の学級ルーヴェンクラッセひいては、ファーガス神聖王国・セイロス聖教会の面々を導いて来たベレスには感謝の意を込めて、ささやかな宴を開きたいというアネットを初めとした級友らの企画申し出にディミトリ自身も賛同したのだ。
    「……もちろん、忘れていた訳じゃないさ。……俺に課せられた役目の準備だって出来ている」
     言葉の通り、ディミトリとて忘れていた訳では無い。一節前の雨の夜にベレスから告げられた言葉そして、その言葉が引き金となって見るようになった夢によって抜け落ちてしまっていたというのが本当の所だった。
    「……けど、大事な役目は俺以外の者に変わって貰った方が良いかもしれない」
     そして、ベレスが口にした言葉の意図・夢の真偽が分からぬまま彼女を祝うという行為に抵抗感を覚え、ディミトリの口から溜まらず本音が零れ落ちる。
    「……どうして〜? 士官学校の頃も率先して先生をお祝いしてくれたのはディミトリじゃない。今回も貴方にしか大事な役目は任せられないと、みんな思っているのだけれど〜……」
     ディミトリの言葉を受け一瞬だけ場は沈黙に包まれるも、すぐさまメルセデスは穏やかな口調で問い掛ける。メルセデスの言葉を受けても尚、ディミトリは言い淀んでいたものの、彼女が醸し出す雰囲気に呑まれたのかあるいは観念したのか、やがてぽつりと話し出す。
    「会戦の後以来、先生とは軍議以外でまともに話せていないんだ。……避けられているのかもしれなくてな」
    「……そうなの〜? 貴方のことを気に掛けてくれていた先生が避けるなんて考えにくいけれど、貴方が感じているのならそうなのかもね〜」
    「……。……と言う訳で、俺に大事な役目を託すのは辞めた方が……」
     そう、メルセデスの言葉通りベレスがディミトリのことを気に掛けていたことは自身も理解している。ベレスのお陰で今こうして生き長らえられていると言っても過言ではない程に。だからこそ、ベレスが口にした言葉の意図・夢の真偽が分からぬまま彼女を祝うという行為を躊躇してしまう。
    「でも、それこそ今日、先生に理由を聞いて仲良しさんに戻る良い機会なんじゃないかしら〜?」
    「……え?」
     だからこそ、自身に託すのは辞めた方が良いと。そう伝えたにも関わらずメルセデスから告げられた思い掛けない言葉を受けて、ディミトリの口から呆けた声が零れ落ちる。それはアネットも同じ思いだったらしく、ディミトリよりも先にメルセデスへと投げ掛ける。
    「メ、メーチェ! どういう意味?!」
    「意味〜? 私はお話すれば良いんじゃないかと思ったのよ〜。……ほら、私とアンだって喧嘩していたけれど、しっかりお話したら仲直り出来たでしょう?」
    「そ、それはそうだったけど! でも、殿下と先生は喧嘩をしている訳じゃないんじゃあ……」
    「あら、そうなの〜? けど、ディミトリはこのままで良いの? 大事な先生をお祝い出来ないなんて、悲しくなぁい?」
    「……」
     良い訳が無い。そして、ベレスへの感謝と親愛を示すべき日に彼女を祝えないなど悲しくない訳が無い。しかし、その反面で自身の胸の内にあるわだかまりの正体を確かめることを怖れているのも違いない。それでも、ベレスが自身にとってかけがえのない存在で、彼女に対する想いを偽ったままでは居たくは無い。
    「……俺は」
    「――って、先生!?」
     心の内から振り絞りディミトリが答えようとした矢先、アネットの驚愕の声が食堂内に響き渡る。その声に反応してディミトリが振り向くと、当のベレスその人が入り口付近に立っていた。
    「どどど、どうしてここに!?」
     突然のベレスの登場にディミトリは思わず硬直し、ドウドゥーとメルセデスはいつものように落ち着いた佇まいと微笑みを見せて、アネットは口をぱくつかせる。異なる四人の様子にベレスは不思議そうに首を傾げながらも、ゆっくりと口を開く。
    「突然君達から『今日、先生はお休みする日です!』……なんて言われても、時間を持て余してしまって」
    「で、でも、今日は釣り堀に幻の魚が出現する日でしたよね!? 夜になるまで釣り三昧なんてどうですか?!」
    「もう釣れてしまったよ。温室の手入れは終わったし、動物達にもご飯はあげたしそれから……」
    「修道院の中で持て余しているのなら、良いお天気だしお外へピクニックに行くのはどう〜? 近くだったら賊も居なくなって来たことだし良いんじゃないかしら〜」
    「……ピクニック。うん、悪くないね。皆の夕飯になる動物や植物を採って来れるかも……」
     ベレスの答えを受けて慌てふためくアネットに助け舟を出すかのようにメルセデスが告げる。提案を受けてどことなく楽しげな様子で返答するベレスに対し、メルセデスは再び告げる。
    「そうだわ〜! ディミトリも一緒に行ってきたらどう? 貴方、疲れている顔をしているし〜」
    「――!? ……しかし」
     メルセデスからの提案に溜まらず口ごもるとディミトリはベレスを見やる。きっと断られるだろう。そう思っていたディミトリだったものの、予想に反してベレスから返って来たのは柔らかな微笑みと肯定を意味する頷き。
    「確かに疲れた顔だね。よし、今日は皆の言葉に甘えて一緒に休暇と行こうか」
    「……あ、あぁ。……お前がそれで良いのなら」
     思いも寄らなかったベレスの返事に動揺しながらもディミトリは何とか言葉を返す。そんなディミトリの答えを聞き届けたメルセデスは嬉しそうな表情を浮かべて彼へ微笑み掛けたのち、再び口を開く。
    「そうと決まればお弁当よね〜」
    「……メインの仕込みで余ったアミッドバイクでアッシュがフィッシュサンドを作ってくれていた。……持って行け」
     メルセデスの言葉にドゥドゥーがそっと追従すると、ともなく持って来たバスケットをベレスへと手渡す。手渡されたバスケットを快く受け取るとベレスはディミトリへと視線を移し、空いた片方の手を手を差し伸べる。そんな行動に面食らいつつもディミトリが立ち上がり、差し出された手を握り返すとベレスは満足そうに笑みを深くして彼の手を引いて歩き出す。
    「お夕飯の調達は気にしなくて良いわよ〜! 時間になったら二人で食堂へ来てちょうだいね〜」
    「――あぁ、分かったよ」
     出入り口付近、背後から掛けられたメルセデスの声に一度振り返って答えたのちに、ベレスはディミトリの手を引いてまた、軽やかに進み行く。
     
    「……先生、その」
    「ほら、早く行こう。今日は皆の厚意に甘えてのんびりしようじゃないか」
    「……そうだな」
     久方振りとなるベレスとの二人での外出。心の奥底では一節前の雨の夜と夢の中で告げられた言葉に対する不安を抱えてはいるものの、こうしてベレスと過ごす時間を得られたことへの喜びが勝り、ディミトリの頬と――心が自然と緩む。ベレスと繋いだ手がじんわりと温かく、その温もりと柔らかさが心地良い。

    (……あぁ、俺はやはり先生のことが――)

     好きだな、と。ベレスの想いを改めて自覚したディミトリは彼女から告げられた言葉の意図を問う決意を一旦胸に仕舞い、彼女の傍をゆっくりと歩き行くのであった。

    /3

     ガルグ=マク大修道院内の市場横にある正門を抜けてから程なくして、二人は山あいの森へと辿り着く。五年前の士官学校時代、日々の休息を兼ね課外授業でよく訪れていた森の景色は戦争の影響によって少し変わってしまったものの美しかった頃の様相は留めており、森の穏やかさが完全に喪われて居ないことを物語っている。
    「……」
    「……」
     並んで歩き行く中、取り立てて会話らしい会話は無い。折角得たひと時。何か会話の一つや二つをとディミトリは巡らすものの、森の中に入った今も発することはかなわず只、黙々と歩み続ける。
     そんな中、沈黙を断ち切るかのようにくぅーっと情けない音が上がる。音の正体はディミトリの腹から上がったもので、ベレスは目を丸くしながら問い掛ける。
    「私かと思ったけど、今のはディミトリ?」
    「……こうしてお前と出掛けられたというのに、いきなり腹が減ったと伝えるのもどうかと思ってな。……まぁ、腹が空いているのは確かだ。……ん?」
     ディミトリがベレスに答えたのと同時に、新たな情けない音が上がる。続けて上がった音の正体はベレスの腹から上がったもので、その音を聞き届けた二人は溜まらず吹き出して笑い合う。
    「いやぁ、私と君のお腹は気が合うみたいだね」
    「……そのようだな」
    「――というわけで、散策する前にまずは腹ごしらえだね。手を洗うにも丁度良い小川もすぐそこに在るみたいだし」
     それから、ディミトリの手を離したベレスは目と鼻の先にある小川まで進み、バスケットを小川の側に生えている草花の中に置いてから水で手を洗う。そんなベレスの後にディミトリも続いて、手を清め終わった二人は並んで草花の上へと腰掛ける。
    「じゃあ、頂きます」「……頂こう」
     そして、バスケットの中からフィッシュサンドを取り出すと揃って食べ始める。野菜とアミットバイクが凝縮されたサンドイッチをベレスはあっと言う間に一つ、二つと平らげ、彼女の食べっぷりに釣られるようにディミトリも口を開けて一つ頬張る。まだ足りないとばかりにベレスの胃袋からは小さな音が鳴って、その音を受けてディミトリの口から笑みが溢れた。
    「先生、相変わらず良い食べっぷりだな」
    「……しまった。これじゃあ君の分までうっかり食べてしまいそうだ」
    「はは、構わないさ。お前の食べっぷりは見ていて気持ちが良いからな」
    「それじゃあ駄目だよ。……ほら」
    言って、ベレスはバスケットからフィッシュサンドを取り出すとディミトリの口元へと持って行く。大丈夫だと遠慮がちに首を横に振るディミトリだったが、ベレスが引かないことを察すると観念して差し出されたフィッシュサンドを一口頬張った。
    「おかわりは?」
    「……ひ、ひぇんへぇ。まぁら、く、ちに……」
    「ふふ、遠慮することないよ。まだあるからね」
     咀噛する顔を覗き込まれ、途端に湧く気恥ずかしさにディミトリは思わずどもってしまう。その反応を前にベレスは悪戯っぽい表情と共に笑みを深めると、ディミトリからのストップが掛かるまでフィッシュサンドを差し出し続けて――。

    「はぁ、苦しいね」
    「……そうだな。腹がはち切れそうだ」
     それから、バスケットの中のフィッシュサンドがすっかり無くなった頃。ベレスは草花の上に寝転び、ディミトリも彼女に続いて寝転ぶと満たされた腹を摩りながら空を見上げる。日は高く昇っており既に昼過ぎであることを伺わせ、穏やかな風の流れと時折聞こえる鳥のさえずりに耳を傾ける。

    ※以降は後日発行の新刊にて
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