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    tsr169

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    アラサーくらいのこじれたタイプの巽マヨ いかがわしい雰囲気はあるけどまだ何もしてない 腸内洗浄描写を書くか書かないか決めたら続きを書いて支部に入れます。アルカメン各自モブと付き合ってるあるいは付き合っていた描写があります。

    感作性の愛 あの日に浴びた愛の囁きも、熱も、何もかも全てが毒だった。熱っぽい体を密着させられて、初めてそれに気が付く。
     過剰に反応した体の奥底から一気に噴出してきた熱の塊に、私は息を呑んだ。目の前で彼は日頃の聖職者然とした微笑みを剥がして、ほのかな影を帯びたまま微笑んでいた。
    「俺の事を何とも思ってないのなら、出来ますよね?」
     そう言われて、出来ないなんて言えなかった。否定する事はそこに情がある事を認めてしまうからだ。だんだんと近づいてくる顔をどうにか拒否したいと思うのに体が動かない。唇に温かい皮膚が触れた瞬間に漏れた吐息はすっかり熱を帯びていた。


    「タッツン先輩の引っ越しを祝って……乾杯~っ」
     藍良さんの元気いっぱいのコールに各々の飲み物をテーブルの中心でぶつけ合う。一彩さんはビール缶、藍良さんは甘い目のカクテルの缶、私と巽さんは丁度巽さんが撮影現場で貰ったというウィスキーをジンジャーエールで割って、ライムを切って入れたものを手にしていた。一口飲むと辛い目のジンジャーエールが口の中で弾ける。
    「タッツン先輩の荷物って、それにしても全然なかったねぇ」
     机には頼んだピザと寿司を所せましと並べてある。藍良さんがゴルゴンゾーラのチーズが乗ったピザにはちみつをかけて一口食べると、垂れたはちみつが口元をしたたり、慌てて拭う様はとても愛らしい。
    「そうでしょうか。これでもそこそこ増えたと思ってたんですが」
     巽さんが寮を出たのは二十歳を過ぎてしばらくだった。改めて久しぶりに彼の家具を見てみたが、確かに相変わらず少ない。マンションを一部屋購入した巽さんの引っ越しを手伝うという名目で彼の家に上がり込むのは、何年ぶりだろうか。仕事場や一緒にご飯をする事以外で出会う事もなくなったので、何だか新鮮な感じすらある。ただし大型の家具は業者が運び終えていたので、私たちがした事といえば包まれていた数少ないカトラリーをばらしてたり、彼の服や靴なんかをウォークインクローゼットに移し替えた程度だった。
     見渡してみると、以前より広くなったリビングには壁に収納棚を備えたテレビ台があり、そこには彼が以前から所持している宗教関連の本や、私たちが写っている写真立てなんかが飾ってある。リビングの真ん中には、何人かが座れる大きなソファとテーブル。いくつか部屋の隅に観葉植物が見当たる以外は生活感すら乏しく物が少ない。以前の家では人を招くような大きなソファなんかはなかったはずなので、ものが増えたというのは明らかだ。それにしてはシンプルなので、まるで飾りっけのないモデルルームのようだった。
    「おれの部屋とは大違いっていうかさぁ」
     藍良さんも独り立ちしてから久しいけれど、実は藍良さんの家では四人で鍋パーティやご飯会をする事が多いので、見慣れている。壁一面に推しのアイドルのグッズや写真が敷き詰めるように並んでいて、初めて部屋に訪れた時は感心した記憶がある。なんなら本棚も雑誌の切り抜きやアルバムなんかでみっちりと詰まっていた。寮で過ごしていた頃は人の目もあって最低限のものだけを持ち込んでいたようだが、一人暮らしを始めるために実家にあった大量のグッズ類を引き取った結果、とんでもなくカラフルで目立つ配色の部屋になっている。
    「藍良さんの部屋は藍良さんらしさが詰まっていて、良いじゃないですか」
     巽さんも丁度藍良さんの家の様子を思い浮かべたのだろう、くすりと笑ってから箸で寿司をつまんで口に運ぶ。
    「そうだね、実に藍良らしいと僕も誇りに思う」
    「ヒロくんに褒められるとなんか素直に受け取りづらいなぁ」
     甘いカクテルでは酒が進みやすいのか、さくさくと缶を空けて2本目を物色する藍良さんはファジーネーブルの缶を選んでプルタブを引っ張った。
    「藍良、飲み過ぎると帰れなくなるよ」
    「いいんだよぉ、ここのソファーで寝るもん」
     ソファはL字型になっていて、足を伸ばして寝転ぶような姿勢をとれる広い場所がある。藍良さんはすっかりくつろぎモードだった。
    「構いませんよ。今回選んだ部屋では人を招けるようこのソファーを購入したので」
    「タッツン先輩の前の家って、ほんとに独り暮らし用って感じだったもんねぇ」
     へらりと笑う藍良さんの頬はすっかり赤く染まっていた。ああ、とても愛らしいですねえ、なんてしみじみ鑑賞している私をよそに、藍良さんはポテトチップスの袋を広げて開けてしまうと、ぽいぽいと口に運んでいく。今日くらいはカロリーの事はとやかく言うつもりもないので、私も目の前のピザをひとかじりして味わう事にした。マルゲリータのピザはローマ風の生地でパリパリとした薄い生地はスナックのようで美味しかった。
     確かに巽さんの以前の家は、そこそこ知名度のあるアイドルに不似合いな1Kのシンプルな家で、なんでこんな狭い部屋に住んでんのォ⁉ と藍良さんが悲鳴を上げていた覚えがある。以前は通いやすいという圧倒的にシンプルな理由でマンションを決めたらしいが、今回は少しESビルからも離れたマンションだ。
     比較すればこの部屋は、寝室とリビングは別だし、ピアノが置いてある部屋も別にある。全室防音の部屋で、見晴らしのいいベランダには、彼が愛でている植物やハーブなんかが綺麗に陳列されていた。以前に比べればかなり豪華な造りになったとも言える。
    「人を呼ぶって、彼女とか?」
     唐突な藍良さんの一言に、巽さんはわずかに思考が止まったのか目を瞬かせた。
    「どうでしょう」
     それからさらりと躱すと、お酒を一口飲む。私はと言えば、何となく居心地が悪くもう一枚ピザを運んで口に放り込んだ。食べていれば何も喋れなくても不思議ではないからだ。
    「ええ~なんかこないだ映画で共演した女優さんと週刊誌に載ってたじゃん! 一緒にご飯してタクシーに乗って……ってやつ~! あれほんとなの~?」
    「ああ、そういえばそうでしたな」
     まるで他人事のように微笑む巽さんに、藍良さんは頬を膨らませた。
    「知りたいなぁ」
    「ああいうのは、先方の事務所からの守秘義務なんかもありますからね、俺から言えることは何にもないですよ」
     なんて他人行儀な言い回しなのだろう。ただし彼の言い分は正しい。本当に同業の方とお付き合いしているのであれば、なおさら先方の事務所の意向なんかも絡んでくる。私たちの誰かに伝えてしまって、そこから漏れるような事があれば、契約に違反する事になってしまうのだろう。
    「ええ~じゃあ、あの人かどうかはともかくさ、実際彼女いるの?」
    「さて、それもどうでしょう。お伝えする事が出来る日が来れば、真っ先に藍良さんにお伝えしますから」
     まだ食い下がる藍良さんの追撃も難なく躱して、巽さんはこちらを見た。
    「マヨイさんは、以前お付き合いされていたバンドのベースの方とは、その後いかがですか?」
    「んぐぅっ」
     突然こちらに話の矛先が向く事を予想していなかった私は大きな塊のままピザを飲み込んでしまった。
    「あのぉ。その……」
     喉に詰まりかけたピザをどうにか酒で流しこんだものの、言葉が上手く浮かんでこない。
    「マヨさんは先週フラれたばっかりなんだから、あんまり触れちゃだめだよぉ! まだ傷心中なんだよね?」
     その話を打ち明けていたのは藍良さんだけだったので、一彩さんと巽さんにはまだ伝えていなかった事だった。
    「ああ、そうでしたか」
     すっと細められた巽さんの視線があまりにも痛い。一彩さんはそうだったんだね、とやや同情の眼差しでこちらを伺っているが、どちらにせよ針のむしろだ。藍良さんとはたまたま先週現場が一緒だったから、伝えてしまったのだ。別に黙っていたわけではない、と言い訳したかったが、とりわけ巽さんには言うつもりはなかった。


     別れを告げられた時はひどくショックだったが、ああ、やっぱりという気持ちもあった。彼はいい人だったのに、私が傷つけてしまったのだ。行為の最中、熱に浮かされて、またあの人の名前を呼んでしまったのだ。喘ぐ声で誤魔化してやり過ごしたつもりだったが、彼には伝わってしまったらしかった。
     もはやこれは身体に仕込まれてしまった罠のようだった。これで何人目かの失敗だった。何年も前から似たような事を繰り返しては、失敗している。いい加減人と繋がるのを諦めた方が犠牲者を増やさずに済むだろうと思えてきた頃合いだった。
     たまたまフラれた日に藍良さんと一緒だったから弱音を吐いていたのだ。恋愛ってなんて難しいんでしょう、とぼやく私を必死で慰めてくれた藍良さんにひとつも落ち度はない。弱音をこぼしてしまった私が全面的に悪いのだ。
    「マヨイさんほどの美しい人を振るなんて、もったいないですな」
    「ほんとだよねぇ」
    「ウム、僕もそう思うよ」
     口々に言葉を重ねられてますます居心地が悪い。
    「ううっ……私の事は気になさらずにぃ……ほかの方のお話を聞きたいですぅっ」
     慌てて矛先を変えてみると、一彩さんが力強く頷いた。
    「僕は相変わらず兄さんと愛し合っているよ!」
    「この流れでその言い方はまずいでしょ~」
     けらけらと笑う藍良さんはすっかり出来上がっている。一彩さんは最近燐音さんとルームシェアをしているので事実は事実だが、根本的には純粋な兄弟愛だ。
    「おれは結構順調なんだよねぇ~もしかしたら、この中で一番結婚早いのおれかもね~、なんて」
     藍良さんは世間には勿論公表はしていないが、実は普段からスタッフとしてついてきてくれているメイクの女性と付き合っている。曰く彼女とは、ツアーの打ち上げで意気投合したとかなんとかで。私たちも知っている顔なので、このメンバーとしては周知の事実なのだ。
     そこからはどういう結婚式がしたいだとか、せっかくなら牧師先生はタッツン先輩がいいよなんて話で盛り上がって気が付けばすっかり机の上の食べ物は空になり、終電も近い時分になった。藍良さんは赤い顔のまま居心地よさげにソファーで眠り始め、一彩さんは兄さんが心配するから、と帰っていった。
    「ふふ、眠りこけている藍良さんも可愛らしいです……♪」
     そこそこお酒も飲んだので、ふわふわとした気持ちで藍良さんを眺めていると、巽さんが寝室から毛布を持ってきてくれた。
    「風邪をひいてはいけませんからね。これを使ってもらいましょう」
     もうすぐ桜の開花時期という季節だけれども、まだまだ夜は寒い。藍良さんは毛布を被せられるとむにゃむにゃと言葉にならない単語を発し、お礼を伝えたようだった。そこからは静かな寝息が響き始めて、巽さんと思わず顔を見合わせる。にこりと微笑まれて、私はふと自分の置かれた立場に気が付いた。藍良さんは寝ている。巽さんと二人きりと言っても過言ではない。この状況は良くない、と脳が警鐘を鳴らしている。ここ数年ずっと避けてきた状況に、期せずしてなってしまっていた。
    「ああ、えっと。お片付けしたら私も帰りますので……」
     体の向きを変えて立ち上がりかけた自分の手を背中越しに掴まれて、身体が硬直する。
    「マヨイさんがお付き合いされていた方とお別れした事を、実は知っていましたよ」
     耳元でそう囁かれて思わず振り返ると、巽さんがにっこりと微笑んだ。
    「どうして……」
    「ご本人から連絡がありましたから。どうやら俺との浮気を疑われていたようでしたので」
    「……」
     行為の最中に名前を呼んでしまった事を、あろうことか本人に知られていた事実に、私は言葉を失ってしまった。心臓がばくばくと音を立てている。ユニットとして一緒に何度かライブをしているバンドのメンバーの一人なので、連絡先を知っていてもおかしくはなかったが、わざわざそんな確認をされていただなんて。
    「た、巽さんはなんて……」
    「ご想像の通りですとお伝えしました」
    「ひどい……」
     唖然としたまま口から零れた言葉は非難の言葉だった。私と巽さんが浮気しているなんてそんな事実は一ミリもない。ここ数年はプライベートで二人きりで会うこともなかった。正確には避けていたのが事実だ。
     彼はつまり、私が浮気していたと巽さんに嘘をつかれ、私に別れを切り出したのだ。
     誠実そうな彼と、熱に浮かされてベッドの上で他の男の名前を呼んで誤魔化す私と並べれば、どちらの言葉を信じるかなんて、火を見るより明らかな話だ。
    「ひどい、ですか? 心外ですな。俺からすれば、ずっとあなたに振り回されてきたというのに、これくらいの嘘は許されたいです」
    「そんな……私は巽さんの事は何も振り回してなんか」
    「マヨイさんこそ。俺を避けて、他の男と何人も寝て。……俺が何も感じないとでも思っていたんですか?」
     気が付けば体を抱きすくめられていて、身動きがすっかり取れなくなっていた。巽さんの背後には寝息を立てている藍良さんがいる。
    「こ……ここで、そんな話は止めて下さい……藍良さんが聞いていたら」
     震える声で何とか懇願する。ユニットの関係性を壊したくはなかった。藍良さんが知ったらショックを受けるだろうし、きっと気を遣うようになる。
    「場所を変えましょうか」
     巽さんもそこは理性があったらしい。
    「ひっ……」
     体を離されたかと思うと、あっさりと抱え上げられてしまう。一瞬の隙をついて逃げようとしていたのを見抜かれたのか、されるがまま私は寝室へ運ばれてしまった。


     ガチャリ、と音を立ててしまるドアに、巽さんが鍵をかちりとかけてしまう。もはや逃げ場所はなかった。ベッドの上に座らされた私は出来るだけ体を縮こまらせて、これから起こりうる尋問に怯えていた。
     隣へと座った巽さんに「こちらを向いて下さい」と言われ、恐る恐る視線を横に投げる。今日一日彼は朗らかに笑っていたはずだった。今は不機嫌を隠さずに険しい顔をしている。知っていた事実を心にしまって、今の今まで人当たりの良い巽さんでいたというのだろうか。
    「まず初めにお伝えしておきますが、俺に今付き合っているお相手なんかはいませんので」
    「そ、それは守秘義務だったのでは……」
    「あなたにこれを隠し立てしても仕方ないでしょう。このままでは俺が不義理な男になってしまいますから。週刊誌のあれは、映画の宣伝を兼ねた飛ばし記事です。いや、正確にはプロモーションのようなものです。先方の事務所からの提案でして俺は一度断ったのですが、英智さんが受けるよう指示してきたので、仕方なくそういう事になりました」
     映画の中で共演した二人が実際にお付き合いしているかも、というのは確かにセンセーショナルなタイトルだっただろう。事実ネットでは相当話題になり、私も何度か質問を受ける羽目になった。映画の興行収入は順調なのもあり、先方の事務所は本人に任せていますだなんて、まるで認めたかのような発表をしていた。
    「そういう事だったんですか……」
     私はといえば、内心その言葉にほっとしたような、ざわつくようなよく分からないざらざらと雑音の混じった感情が喉をこみあげてくる。彼にはふさわしい相手と恋愛をしていて欲しいという気持ちはもうずっと変わらない。一方で、私にだけは特別な感情を持っている事を改めて思い知らされてしまった。その事実に、長年蓋をしてきた感情が漏れ出てきてしまいそうだった。
    「あなたばかりを責めるつもりはありません。俺だって何とか忘れようと、四苦八苦してきましたから」
     言外に他の誰かと関係を持ったらしい事を打ち明けられたが、それはお互い様でしかないので、私は押し黙ったままでいた。


     忘れたい一夜だった。ライブの打ち上げでお酒を飲み始めた年齢で、お酒に強かに酔って、そのままの勢いで、初めて誰かと肌を重ねた。その相手があろうことか巽さんだったのだ。完全に若気の至りだったが、清廉とした日頃の彼とは似ても似つかないほど情熱的な情事だった事が起因して、いまだに引きずっていた。一夜明けてそのまま告白されたものの、あれは事故だったのだと言い聞かせ、巽さんを遠ざけてきたのは私だった。
     理由なんていくつもある。まず自分がふさわしいとは思えなかった。彼は一度挫折をしている。せっかく陽の光が当たる道を歩めるようになったのに私との醜聞なんて、デメリットにしかならない。それにユニットメンバーの関係性が変わってしまう事が怖かった。例えばもしここでお付き合いしたとしても、うまくいかなかったら? 私はそれでも平気でユニットメンバーとして彼と接する自信は、まるでなかった。
     巽さんにはもっとお似合いの女性がいて、その人と幸せになって欲しいと思い描いていた。だから出来るだけよそで恋人を作って、忘れようとしたし、それを口実に彼を遠ざけてきた。
     でも無駄だった。箍が外れて、喘ぎながら巽さんの名前を呼んでしまう事が幾度もあった。あの日の夜の事が私の中でずっと楔になっている。荒れ狂う嵐のように痛みを伴う荒々しいセックスから、体の奥に眠る快感を導き出され、最後には熱に浮かされながら降り注ぐように浴びせられる愛の言葉を享受した。
    あの日から、男に抱かれる事に目覚めてしまった体は最早世間的にマジョリティに属する恋愛を出来なくなってしまった。選ぶ相手は男ばかりだったし、常に抱かれる側の立場を選んできた。
     もう何年も前になるのに、体に刻み込まれた体験は色褪せず、私のその後の人生に多大な影響を及ぼしてきた。
    「あの日の朝、俺はあなたにお伝えしたと思いますが」
     言葉一つ一つですら、鮮明に覚えている。ホテルのベッドで、柔らかい毛布と暖かい彼の体温にとろけながら、聞かされた言葉だった。
    「マヨイさんは俺の事を好きなのでしょう」
     そう言われて、泥濘んだままの思考で頷いてみせた未熟な私とあの日の巽さんは、幸せそうに笑っていた。俺もあなたが好きです。続いた言葉は抱かれている間に何度も繰り返された言葉だったから、知ってますよ、なんて返したのは愚かな情に溺れきった私だった。
     その後、冷静になってから突然彼を遠ざけ始めた私を、巽さんは何度も問いただした。それが辛くてますます私は彼を避けるようになった。結果がこの有り様だ。


    「マヨイさんは今でもそのお気持ちは変わらない、そうですか?」
    「まさか。もう昔のことです……」
    「ではどうして今更俺の名前を呼ぶのです。他の男に抱かれながら」
     ずばずばと切り込んでくる彼の言葉にあっさりと言い訳を封じられて、私は口籠る。
    「そ、それは。日頃から一緒にお仕事とかしていますし……」
    「日頃から一緒にお仕事をしている相手であれば、セックスしながら名前を呼ぶのでしょうか?」
    「そ、そうなんじゃないかなって……」
    あからさまに分が悪い。もう許して下さいと白旗をあげてしまいたかった。合わす顔がなくて俯いたまま、ベッドの真新しいシーツを指でつまんだり伸ばしたりするのが精一杯だ。
    「なら試してみましょうか?」
     挙句の果てにとんでもない提案をされ、私は伏せていた顔をあげた。
    「た、試すって」
    「今から俺がマヨイさんを抱きますから。マヨイさんはどうぞ一彩さんや藍良さんの名前を呼んでみて下さい。そうすれば、俺も納得出来ますから」
    「そ、そんな」
     とてもじゃないが呑める提案ではない。だというのに、身体の血管が沸き立つ。カッと熱くなった身体は先程まで摂取していたアルコールのせいにするには、やや時間が経ってしまっていた。


    「俺の事を何とも思ってないのなら、出来ますよね?」
     気がつけば、私の鼻先に巽さんの髪の毛が触れた。巽さんの吐息が私の唇を湿らせる。逃げ出さなければ。あるいは嫌と言ってしまわないとまずい事になる。
     焦っている内面とは裏腹に、背中をあやすように優しく撫でられて、私自身も熱っぽい溜め息をこぼしている。
     ここに至ってあの日の夜の情事がまるで毒だった事に気付かされてしまった。巽さんの情熱に感作してしまった私の身体は、今一度抱かれてしまうと最早全てを暴かれてしまうし、今度こそ陥落してしまう。長年蝕んできたあの日の記憶が、私の身体をいつの間にか彼に順応するように、作り変えてしまったのだ。


     そのまま湿った唇が触れた。
    「あっ……」
     何年ぶりかに再び流し込まれた毒はみるみるうちに身体を満たす。顎を開くように固定され、髪の毛を優しく漉かれて、自然と開いた口の中に、巽さんの舌が遠慮なく侵入してきた。
    「ん、ぅ……」
     流し込まれる蜜が少し苦いのは、最後に彼がビールを飲んでいたせいだ。広がるアルコールの香りが思考を焼く。何度も舌を絡め取られ、あっさりと火照る身体はいつの間にかベッドの上に転がっていて、顔を離した頃には巽さんは私を見下ろしていた。彼の背中越しに天井のライトをまっすぐに浴びて、眩しさに目を細める。ライブや日頃のコミュニケーションで手を繋ぐ事はあっても、ここまで密着する事はなかった。
    「や、止めましょう……巽さん、こんな、」
     まだ何とか逃げ出そうと足掻く私の足の間に巽さんの腿が割って入る。
    「ここをこんなにしておいて、よくそんな事が言えますね」
    「あうぅっ……」
     期待に満ちた熱をもって形作る股関を裏側から彼の腿にやんわりと擦り上げられて、私は腰をよじった。
    「夜はまだ長いですから。ゆっくり確認させてもらいましょう」
     優しく微笑む巽さんの言葉はあまりにも残酷だった。耐えられるとは到底思えない。早々に白旗を上げてしまいたい。弱音を零す私の内心を、理性が叱咤する。関係性が壊れないように守ってきたつもりなのでしょう、私なりに。それを手放すのですか?
    「あっあのぅ……!私その、声がすごくっ響くのでぇ……」
    「ええ、よく存じています。この部屋も防音仕様なので気兼ねしなくても大丈夫です」
    「そそそそそれにっ! 色々、準備とかいりますしっ……」
     何とか逃れようと悪あがきするが、巽さんはサイドボードの引き出しを黙って開けると、中からガチャガチャと音を立てて、道具を引っ張り出してきた。
    「考えうるものは既に準備してありますよ、どれから使いたいですか?」
     ベッドの上に転がされた諸々は、ローションにゴムだけではない。拡張用のプラグや、ご丁寧にシリンジ型の浣腸器まである。その辺ですぐに手に入れられるものではない。目眩がした。
    「いつから……こんな……」
     今日たまたまの事ではない確信があった。予め計画されていたのだ。罠にまんまと誘い込まれて袋の口を閉じられた獲物の私は、最早八方塞がりだった。
    「マヨイさんがなかなか素直になってくれないものですから、俺も少々強引な手を使わせてもらったまでです」
     ここに至って隠し通してきた感情すら見抜かれている。私はどこで何のボタンをかけ違えてしまったのだろう。今からでも入れる保険はあるのだろうか。戻れる道筋が存在するのだろうか。巽さんに髪を束ねていたリボンを解かれて緩んだ三編みを指でほぐされていくのをぼんやりと眺めながら、思考だけがまだ最後の悪あがきを続けていた。
     
    続く
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    感作性の愛 あの日に浴びた愛の囁きも、熱も、何もかも全てが毒だった。熱っぽい体を密着させられて、初めてそれに気が付く。
     過剰に反応した体の奥底から一気に噴出してきた熱の塊に、私は息を呑んだ。目の前で彼は日頃の聖職者然とした微笑みを剥がして、ほのかな影を帯びたまま微笑んでいた。
    「俺の事を何とも思ってないのなら、出来ますよね?」
     そう言われて、出来ないなんて言えなかった。否定する事はそこに情がある事を認めてしまうからだ。だんだんと近づいてくる顔をどうにか拒否したいと思うのに体が動かない。唇に温かい皮膚が触れた瞬間に漏れた吐息はすっかり熱を帯びていた。


    「タッツン先輩の引っ越しを祝って……乾杯~っ」
     藍良さんの元気いっぱいのコールに各々の飲み物をテーブルの中心でぶつけ合う。一彩さんはビール缶、藍良さんは甘い目のカクテルの缶、私と巽さんは丁度巽さんが撮影現場で貰ったというウィスキーをジンジャーエールで割って、ライムを切って入れたものを手にしていた。一口飲むと辛い目のジンジャーエールが口の中で弾ける。
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