同級生〜1年生編〜突然ですけれど、自己紹介をしましょう。
私の名前は、オデット・オーリン。ヌビア学研究所附属大学の附属高校1年生です。
ところで、オーリンという名字に聞き覚えはありませんか?
……なんですって、無い?
貴方、それでも少しはヌビア学を修めているのでしょうね?…まぁいいです。貴方のような愚民が、同じヌビア学研究所の地面を踏んでいると思うだけで怖気がしますけれど、この私の優しさに免じて許して差し上げます。
我が母は、あらゆるヌビア学の統括をする、通称『六幹部』の第5位。同時に、このヌビア学研究所附属大学附属高校の理事長でもあります。すなわち私は、理事長令嬢にして、幼少期よりヌビア学を叩き込まれたエリート中のエリートなのです。ちなみに兄のオデル・オーリンは、本校生徒会長でもありますわ。勿論、次々期生徒会長は間違いなく私。
全ては、ヌビア様復活の後の世界のため。
左大臣の座をこの私のものにするために。
*****
下校のチャイムがとっくに鳴って、校内の人はまばらになりました。私は、教室のドア前に立つと、ある人を待ちます。
その影が見えた時、私は一番美しく可愛らしい微笑みを浮かべました。
「あら、偶然ですわね。エルベさん」
私がそう声をかけると、同じクラスの彼────エルベ・ヴァルトシュレスヒェン───は露骨に嫌そうな顔をしてきました。いつものことですから、気にも留めません。私が笑顔を壊さずにその場で見つめ続けていたら、今度はため息を吐きました。これも、いつものことです。
「何か用か?」
エルベさんはぶっきらぼうに、どこか吐き捨てるように言い放ちました。誰に対してもクールで大人びた対応が目立つ彼ですが、私につきましては一層際立って冷たくされているような気がします。まぁ、別に良いのです。実験生命に好かれたところで、良い気はしませんから。
「私、偶然と言いましたわよ?用事なんて、ありませんわ」
「………ふぅん、そう」
「むしろ、エルベさんがそんなに話しかけてくださるなんて。なにか御用ですか?」
「そこをどいてくれ。教室に入れねぇ」
私は、ウフフと笑いました。だって、敢えて教室の前に立っていたのですもの。まるで今気付いたかのように「あら、ごめんあそばせ」と言ってドアの前から退けば、エルベさんはまたため息を吐くだけで、それ以上の文句は言いませんでした。
「本日は、実験はございませんの?」
すれ違いざま、私が言います。一瞬ですが、彼の金色と深い赤色の瞳がギラリと光ったように感じました。彼はすぐさまいつものクールさを取り戻すと、「あったところで、お前に言う必要はねぇだろ」と突き放されました。
(なるほど、今日は実験がありますのね)
私は、内心で笑いました。実は、こんなやり取りをするのは初めてではありません。何度目かになります。ですから私は、法則を知っているのです。彼が「ない」と言う日は実験のない日。「言う必要はない」と言う日は、実験のある日なのです。
「それも、そうですわね」
私は小首を傾げて笑いました。エルベさんは一瞬こちらを見たきり、一言も発さずに教室の中へ消えてしまいました。
*****
さて、実験があるとなれば、今日これからの私の行動は決まります。実験施設へ、先回りをいたしました。警備が厳重な研究棟の、その通用口近くの茂みに身を隠しました。エルベさん自身に、そして研究員に見つからないように、研究棟へ入り込んでエルベさんの実験の様子を見るのです。
なにしろエルベさんは【ヌビアの子/記憶】。そんな彼に行われる実験と言えば、ヌビア様の記憶を引き出すものに違いありません。
私の胸が高鳴ります。少し前の記憶が、蘇ります。
以前、一度だけ母様に我儘を言って、エルベさんに行われたヌビア様の記憶のアウトプット実験の結果の映像を少しだけ見せていただいたことがありました。その時の彼といえば─────確かに────普段のエルベさんとはまるっきり別人でした。瞳の奥が、明らかに違っていました。そのときのものは上手くいかなかった実験のようで、すぐに人格は混濁してしまいました。ほんの5秒くらいの映像。それでも、私は、ヌビア様の素晴らしさを痛感いたしました。ヌビア様に、恋をいたしました。
(あんな愛想の悪い人格、さっさと押し込んで、ヌビア様の人格だけにしてしまえばいいのに)
思うだけで、口にはしませんけれど。【ヌビアの子】は、今や法的に保護されている存在ですから。その人権侵害にあたる行為も、当然許されません。
(呪いを受けた生き物に、人権があるのかは別として)
ふ、と会話をする声が聞こえました。
「……って……だよな」
どこかで聞いたような声。顔を上げると、なんとそこにいたのは、エルベさん。それから隣には、
(【ヌビアの子/優しさ】…?)
本校2年生でもあるはずの、ラナーク・クライド先輩がいました。姿を見るのは、これでやっと2回目くらいでしょうか。何しろ、ラナークさんは他の高校生【ヌビアの子】と比較しても、抜きん出て学校に馴染む気のない方なのです。教室に来ることは滅多になく、そもそも学校に来ているのかどうかすら怪しい、と専らの噂。
そんな私の驚きなど当然知るよしのないお二人は、会話を重ねていきます。
「でもさ、そんなにラサが好きならデートかなんかにでも誘えよ、って思うじゃん。トゥニャって、そういうとこビビリなんだよなぁ」
「奥手って言うたったれや」
「ラナークは思わねぇの?あいつ日和ってんなーって」
「そらまあ、思っとるけど」
「だろー?」
私は、思わず声を上げそうになりました。
エルベ・ヴァルトシュレスヒェンにしても。
ラナーク・クライドにしても。
(あんなに楽しそうな姿、初めて見ましたわ…)
知りもしないラナーク先輩はさておいても、エルベさんは明らかに『いつもと違う』と断言できました。だって、今の彼は、明るく楽しく、ケラケラと笑っています。仏頂面で突っ慳貪な態度の目立つ学校での様子とは、限りなく正反対の姿でした。
(あれが、本当の彼なのかしら)
私の思いをよそに、二人は通用口の近くで立ち止まります。それから、エルベさんがラナーク先輩の方に向き直りました。
「じゃ、また明日な」
「……ええの?オレ、行かんくて」
ラナーク先輩は不安げにそう言いました。エルベさんは、一瞬だけ「あー」と惑うような声を上げましたが、すぐに「平気」と笑いました。少しだけ、形の良い眉を困ったように下げながら。
「今な、ハンザが中で実験してんだ。それが終わり次第、俺の実験なんだよ。だから…」
「あー…うん、そういうことな。了解。ほな気いつけてぇや。何かあったら呼びぃ」
「うん。ありがとな」
掌の中で携帯電話を振って見せるラナーク先輩に、エルベさんは微笑みかけます。どこまでも仲の良さそうな、信頼関係を具現化したような、その姿。
私の中で、そくっ、と寒気のようなものが這い上がりました。
(……呪いを受けた生き物達同士で、群れ合っているということかしら)
学校にいるときとの2面性。
【ヌビアの子】同士だからと思わせるような、信頼。
得体の知れなさ。
そのすべてが、私には空恐ろしいものに思えました。
(あ、)
身を震わせている間に、通用口のドアが閉まっていたことに気づいたのは、誰の姿も見えなくなってからでした。