朝、目を覚ますとオベロンはいつも先に起きている。隣でくつろいでいるだけであったり、もう着替えて俺が起きるのを待っている。
俺がオベロンより早く起きたことは記憶にない。いつもオベロンに起こされていた。
実際俺は起きるのが苦手だし、カルデアに来てからブリテンでの活動が嘘のように身体が重く何をするにも億劫に感じていた。だからオベロンが俺より早く起きることに対して何も思うことはなかった。
俺は早起きが苦手で、オベロンは人並みの生活習慣が身についている。ただそれだけだ。そう思っていたのだが。
段々と起きた時にオベロンのふにゃふにゃの顔が腹立たしく思えてきたのだ。
オベロンの美的感覚はすこし、というかかなり変わっている。俺の顔が可愛いとあいつは本気で思っている。
きっと俺の寝顔を見て可愛いだとか思っているに違いない。間抜けな顔して呑気に眠っていると馬鹿にしているのだ。警戒心もなく悠々と寝ている顔はそりゃ可愛いだろう。
そう思われていると思うとなんとなくムカムカしてくる。
だったらおまえはどんな顔をしているんだと対抗意識で興味が湧いてきたのだ。
面白い顔が見れたら笑ってやろうと考えていた。
物事に対して何もかも億劫で、生きる気力というものを感じなかったりヴォーティガーンが初めて何かをしようと自ら行動に移した瞬間だった。
オベロンより早く起きるには魔力供給で気絶してはいけない。気絶したら最後、オベロンに起こされるまで目を覚ますことはないのだ。
どんなに疲れてもどんなに眠くても、朝は1番に起きるのだと決意を込めて眠らなければいけない。
いけないのに!
「ぁ、〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
視界が真っ白になるほどの快楽に一瞬で意識が飛んでしまった。
瞼が重くても、眠ってしまえば楽になれるとわかっていてもオベロンより早く起きるという決意のもとにどんな激しい行為にも耐えていたのに。
へその奥を貫かれたような衝撃が下から突き上げられた瞬間、何も考えられなくなった。自分の名前も忘れてしまうくらい頭が溶けてしまった。
オベロンがキスをしてきて優しい声で名前を呼ばれて目を覚ますまでいつも通り眠りこけてしまった。
頭を抱えて絶望してても、何にも知らないオベロンは「今日もかわいいね」なんてキスの雨を降らせてきた。
魔力供給はオベロンが生きるために必要だというから止めることはできないらしい。けれども回数くらいは減らせるだろうと相談をした。
「なんで?」
怒っているようにも聞こえたその言葉に、お前より早く起きて寝顔を見てみたい。なんてことは言えなかった。
彼は自分の代わりにカルデアでの仕事を引き受けているのだ。俺のくだらない目的のために彼が唯一安らげるという行為を取り上げることはできない。ましてやそれが疲れてしまう、なんて絶対に言ってはいけない。
「なんでもない」
自力で起きなければ。
しかしそうは言ってもなかなか難しい。
気がつけば1週間経っていて、さらに言えばもうすぐ、ひと月が過ぎようとしている。
昔はすぐに身体を引きずってでも起きれたような気がするのに。その時にもオベロンはもうその場から消えていたけれど。
本当はそもそも俺と同じベッドで寝たくないのではないのだろうか。そんな考えが過ぎるようになった。
カルデアに来たからと言って生まれが変わるわけじゃない。俺はあの島の嫌悪感から生まれた虫でしかなくて、オベロンのようなキラキラした妖精とは似ても似つかない存在だったはずだ。
嫌いだ消えろと何度と泣く彼の口から聞いてきた。可愛いなんて言葉はここにきて突然囁くようになったのだ。
そう俺に伝えていた方が何かと都合が良いのだろう。魔力供給にしてもカルデアでの立ち回り方にしても。でなければ突然そんなこと言い出すわけない。
愛しているだとか好きだなんて言葉を囁かれたことがない俺は、オベロンからそれらの言葉を告白されて喜んでいる姿はさぞ滑稽な姿なのだろう。
別にオベロンの言葉が嘘だったことにショックは受けない。
浮かれてた態度は改めようと思った。
俺はそんな単純じゃないんだからな。
「おはよう、ヴォーティ。気分はどう?」
「…別に」
ベッドに横になったまま、眼前でオベロンはいつものように笑顔で挨拶を投げかけてきた。
そう言えば俺が喜ぶと思っているのだろう。もうそんな態度は見せてやるものか。
「機嫌が悪いね?どこか痛いの?」
「なんともない」
「メロンあるよ?」
「……いらない」
ペラペラと話しかけてくるオベロンにヴォーティガーンはその会話に乗ることはなかった。
いつもと違う様子のヴォーティガーンにオベロンもそのうち口を閉ざして、黙ってベッドから起き上がっていた。
何も話しかけずに部屋を出ていくオベロンに遅れて、ヴォーティガーンは身体を起こして閉じた扉を見つめた。
「…」
オベロンだって、いらない会話をしなくて済むと思っているはずだ。だから俺だってこんなに胸を痛める必要なんてないのに。
ヴォーティガーンの目的が当初と大きくズレ始めていることに本人は気付いていなかった。
会話をしなかった朝から、2人は顔も合わせることなく夜を迎えた。そもそも日中はオベロンがいない。
会話なんて朝しかせずに、夜はオベロンに求められるまま身体を繋げていただけだった。
思えばそんな時間しかないのにオベロンは何を思って俺に嘘までついて擦り寄ってきたのだろう。
貴重な朝の時間は好きなように使えば良いのに、出撃するギリギリまでいつも俺に構っていた。
ひとりでも寂しいわけないじゃないか。俺は元からひとりだ。カルデアにも妖精國にも心を通わせる友人はおろか、ヴォーティガーンとして言葉を交わした奴だっていなかっただろう。
それなのにオベロンはまるで俺が寂しがっているみたいにべったりとくっついて来て、常に身体のどこかが触れていた。
髪を梳かして顔を拭いて、服を着せて、よく嫌いな相手に都合とは言えそこまで構えるなと感心した。今日はオベロンがいなかったから髪の毛はボサボサで、服のボタンも上手に留められなかったけど。でもオベロンがいなければ髪型も服装も、外見を気にする必要なんてちっともないのだ。
汚い醜いヴォーティガーン。おまえがどんなに着飾ったって、くさい呪いの臭いは消えないよ。
オベロンと会話をしなくなって1週間経った。
俺はあれから一度もベッドから身体を起こしていない。起きる気力が湧かない。
指一つ動かすのも面倒で、息をすることすら苦痛に感じていた。まるで生まれたあの時のようだ。
頭の中もぐちゃぐちゃでドロドロに溶けて意識もなくなって消えてしまうのではないかと思った。
やる気がないだとか、怠け者だとかそういうレベルのものではなくて。もっと根本的な、そう。
生きている事が辛い。
1週間、あれほどオベロンが望んでいた魔力供給すら求められなかった。やっぱりあんなのは必要ない行為だったのだ。
あれは嫌がらせだ。暴力だ。オベロンがあまりに優しい声で、嬉しい言葉をかけてくるから忘れていたのだ。本当は痛くて苦しくて辛くて大嫌いな行為だったのに。いつからそんなことを忘れていたのだろう。
そんなことよりも、なんでここにいるんだっけ。ここはどこだっけ。滅ぼさなきゃいけないのはなんだっけ。
ぼやけた視界に白い人影が映る。
あれ、は。えっと。そうだ。
「おべ、ろ」
掠れた声は音にならない。唇も喉にも鋭い痛みが走った。だがヴォーティガーンは痛みにすら鈍感になっていた。
「酷い顔だよ。君。最後に寝たのはいつ?」
ねた、のは、えっと。おかしい。もうずっと寝てるはず………。
「終末装置に戻ってる」
「ぁ……、ぇ…?」
オベロンの言葉が理解できない。
だって、だって俺は終末装置だろ?戻ってるって、なんのこと…。
黒く塵状になりはじめている腕を取った。
「ここはブリテンじゃない。君が滅ぼすものはもうない」
「な、に……?」
「僕のせいだ。ごめんね」
奈落の虫へ変態する身体をオベロンは抱きしめた。塵のひとつも逃さないように身体を丸めて抱え込んだ。
「僕が怠けていたから君を不安にさせてしまっていたんだね」
オベロンが何を言っているのかわからない。
不安?怠ける?なんのことだ。
おれは、俺が自分の立場も忘れてオベロンからの……。
「毎朝、君が穏やかな顔をして眠っている姿を見る事が僕の日課だった。その顔を見るだけで、僕が頑張ってきた甲斐があったと思えた」
僕らが汎人類史を助けて頑張ったなんて笑っちゃうだろ、とオベロンは自嘲する。
「この苦しみを君が背負わなくていいと思ったら、十分だった」
終末装置の君が本当は誰の死も望んでいないことは知っていた。あのブリテンは君が護るべきものであり、本来ならそこに住まう神秘も人間から庇護すべきもののはずであった。
自死のために生まれた子が他の生き物を愛するなんてそんな可哀想な生き方があるかと思った。
僕にしてもそうだ。
僕は、オベロンが今ここにいるのは君が救ってくれたから。君が救おうと走り続けてくれたからだ。それが命と引き換えにした刹那の輝きであったことを知った僕が追いかけたのはもう随分遅くなってからだった。
異聞帯で生まれた命が、それを踏み躙った汎人類史に名前を刻まれサーヴァントとして働かされるのは死んでなお続く拷問だろう。
生まれた命を無意味だと殺していくカルデアを君は絶対に許さないだろう?
償いをさせて欲しい。これだけで許されるとは思わないけれど。
「奈落の底から君を追いかけてきたんだよ。それが君を陥れるためのものだなんて、君の言葉でも許さない」
ほとんど人の形を保っていない、黒い影のようなものにキスをした。
ふに、と柔らかい唇の感触を味わった瞬間に当たりを漂っていた呪いの塵は消え、生まれたままの姿のヴォーティガーンが腕の中にいた。
「サーヴァント、オベロン。この生涯をかけて君に償い、君を愛し、君を守る。それを許して欲しい」
恭しい騎士のように左手を手に取って甲にキスをした。
深い隈を作ったヴォーティガーンはようやく安心したような顔をして眠りについた。それを見届けたオベロンはまた彼を強く抱きしめた。
ヴォーティガーンの寝顔はオベロンにとって、何にも代えられない薬であり栄養であった。
少し乱暴にでも寝かせていたのだが、ある朝彼の機嫌を悪くした。
心当たりはなかったが、ここ最近自分よりも早く起きようと声をかける前に重たい瞼を擦って開けていた気がする。
彼の自堕落な生活の改善をオベロンは大いに喜んだ。普段無気力で手足を動かすのも緩慢な動きの彼が、どんな理由であれ自分で考え行動を起こすことに反対するわけもなかった。
感情の起伏だってそうだ。不機嫌になったことにオベロンは安堵した。彼にもまだ自分の感情が残っていたのだと。
だからほんの少し目を離してしまった。いや、遠くからその行動はちゃんと見ていた。
オベロンから接触がなくなった瞬間、彼はまた蛹に戻ったかのように動かなくなった。目は開いている。意識はあるとおもう。けれどなんの反応も示さなくなったのだ。
やってしまったと気付いた時には彼はサーヴァントであることを忘れ、このカルデアを飲み込もうと奈落の虫へ変貌しようとしていた。
僕らに愛の言葉は通じない。彼の理解が浅いのか、それともそういう仕組みなのか。分からないけど彼はオベロンの紡ぐ告白を受け入れてはいなかった。
けれどオベロンがそばにいる事だけは捻じ曲げようのない事実であり、彼が慈しむ手をヴォーティガーンへ施す行為は嘘偽りのない行為であると知っていたらしい。
終末装置ではなく、オベロンヴォーティガーンとしての理性を保っていられたのはオベロン自身の存在だと、オベロンも今回の件で自覚した。
言葉が通じなくとも、彼が人型を保っているだけでオベロンの愛は確かに彼に届いている。
ヴォーティガーンはその事実に理解を示さなかった。自分が奈落の虫に変貌していることなど全く気付いていなかったのだ。
「とにかくヴォーティはもう僕のそばを絶対に離れちゃダメだからね」
ヴォーティガーンはまた彼の甲斐甲斐しい世話と、甘ったるい言葉と行動の数々にもやもやとさせられるのだった。
その感情もまた彼への愛から生まれるものであることを2人は気づかない。