指輪のサイズは7号だよ翡翠さんと京から帰ってきて、学校の友達に「彼氏できた」と言った頃はよかった。──おめでとう、どんなひと? 写真見せてよ! そんな反応が、照れくさくて、でも嬉しくて、楽しかったなあと思える。
3ヶ月も京にいたからか、変わらず翡翠さんと過ごすからか、古典の成績がぐんと上がり、英語の成績が輪をかけて危うくなり、心配してくれた友だちが、明日あてられる私のために、勉強会を開いてくれた。……というのはもっともらしい口実で、女子高生の必須科目であるファミレスでの寄り道が目的だ。今日は私を入れて三人だから、フライドポテトの取り分がいつもより多い。しかも窓際のシートに通された。ラッキーだなあ、とストローの袋を破りながら思う。
勉強会もそこそこに、「ねえ」と声をかけられた。みんな、翡翠さんの話を聞きたがるから、今日もそれかな? と思っていたら、一人が思いつめた顔で切り出した。
「ねえ花梨、あんただまされてるんじゃない……?」
ええっ。予想してなかった言葉に、ドリンクバーの薄めのメロンソーダが、喉の変なところに入ってしまう。噎せたのが落ち着いてから、私は訊ねた。
「な、なんで?」
「だってその靴! 壊れたのは仕方ないけど、それで突然「プレゼントだよ」って、新品の靴が出てくる?!」
友達が指さしたのは、先日翡翠さんにもらった靴だった。私だってびっくりしたよ、と言おうとすると、その前に友達のもう一人が声を上げた。
「そうだよ! 翡翠さん、絶対花梨の指輪のサイズも知ってるよ! 靴のサイズと指輪のサイズを知ってる男なんて、いい男を通り越してよほど抜け目のない男なんだから!!」
「ぬ、抜け目のない……」
脳裏で、幸鷹さんが眉間をおさえてうつむくのが見えた。確かに、抜け目ない。
「毎回話聞いてたけど、私ももう限界。花梨、翡翠さんとの最後のキスはたばこの味がするよ……」
「翡翠さんたばこ吸わないもん!」
やっと突っ込めたけど、言ってから、そういう話じゃないか、と冷静な自分が思う。
「女子高生なんてコドモだもん、飽きられたらポイだよー」
うわーん、となぜか友達が机に突っ伏して泣いてくれる。ちっともそんなことを思ったことがなくて、私は目を白黒させていた。
「You are always gonna be the one……」
「もーやめてよー!」
もう片方の友達が口ずさむ。盛り上がってる、どうしよう――そう思ったとたんに、とんと、机に見慣れた手が置かれた。
「……花梨、そこの綴り、間違っているよ」
「翡翠さん!」
「ほ、ホンモノ!?」
顔を上げると、いつもの笑顔があった。
「どうして……」
「外から、きみたちの姿が見えてね。どうやら宿題でもやっているようだ。それなら手助けして、浮いた時間でデートに誘おうと思ってね」
「目、いいですね……」
そりゃあ、ついこの前まで京の人だったんだもの。――あ、そういう経歴は言えないから、余計に翡翠さんが謎な人物として伝わってしまったのかもしれない。翡翠さんは詰めてくれるかな、と言って、とても自然に私の隣の席についた。
「お仕事、今日は終わりなんですか?」
「ああ、それで花梨のけいたいに連絡したんだが、気づいてなかったろう?」
まだふられてもないのに修羅場みたいになってたけど、どこから見ていたんだろう。そんなことを考えながら、携帯を取り出してメールをチェックする。何通か、新着メールがあった。着信も。ごめんなさい、と言ったらいいんだよ、ウインクされた。その流れ弾に当たったらしい友達が、ちいさく悲鳴を上げる。
「あ、あのう」
「うん? どうしたんだい。私に何か?」
「お仕事は、何をされてるんですか」
友達の唐突な問いに、私と翡翠さんは顔を見合わせた。ふむ、と翡翠さんが口元をおさえる。
「宝石を扱っているよ。ばいやー、というやつかな?」
――とある場所で、目利きができてしまったのが縁ではじめた、というのはナイショ。
「へ、へえ」
「英語、得意なんですか?」
「いや、そうでもないよ。仕事では通訳を使うし。ああでも、問1はF、問5はTだね」
……通訳と、クライアントの英語の話を聞いていたら、マスターできちゃったのも、ナイショ。そういわれた友達は、消しゴムでごしごし、書き込んだ答えを消していた。
おしゃべりが目的なところもある寄り道だったけれど、思わぬ闖入者に、まじめに取り組んでしまった。でも時計はそんなに進んでいなくて、教え方がうまい翡翠さんに、友達はふたりともため息をついていた。
「お、終わった……」
「これで予習はばっちり……だね」
思わぬ進捗に、ふたりとも、疲れながらも達成感があるみたいだった。ジュースもらってこよう、と席を外す。
「さて神子殿」
「は、はい」
懐かしい呼び方に、つい返事をしてしまう。
「これくらいなら、女子高生も大丈夫かな?」
翡翠さんはいたずらっぽく笑って、開いたメニューを指差した。こくり、と無言で頷く。
と、友達が連れ立って帰ってきた。やっぱりウーロン茶にしたみたい。あんまりジュース飲んでると、カロリーが気になるもんね。
でも、その努力は……、と、思いながら、うちのテーブルに向かってくる店員さんを見る。
「──チョコレートパフェでございます」
「え?」
「皆、頑張ったからね。私からのご褒美だよ──その代わり、花梨を連れて行かせてもらうけれど」
チョコレートパフェがふたつ、机に置かれる。
呆然としている二人は、「いいんですか?」「え、でも……」と口々に言う。
「ご、ごめんね二人とも。これは埋め合わせだとおもって……」
私は荷物をまとめて、翡翠さんに続いて席を立った。
「またね。花梨と仲良くしてくれてありがとう。ああ、あと」
翡翠さんは、その間に友達ふたりに顔を近づける。何か耳打ちして、ふたりは顔を真っ赤にしていた。
***
「……さっき、二人になんて言ってたんですか?」
翡翠さんの車の助手席に乗り込んで、私はちょっとむくれて訊ねた。あんなに顔を近づけること、なかったと思うんだけどな。
「大したことじゃないよ」
翡翠さんは上機嫌に、歌うように言う。こういう時、絶対答えてくれないんだよね。行き場のない気持ちが、頬を膨らませてしまう。
「ふふ、かわいいねえ。その花の顔を、もっと見せてくれまいか」
信号が赤に変わる。翡翠さんが助手席のシートの肩を掴んで、覗き込むようにして、膨れた私にキスをする。