⬛︎が辿り着く場所 この瞳は隠れた本質を強制的に映し出す。過去の記憶、秘めた本心、それらの何もかもを。街中で咽せ返るほどの情報を浴びせられて気分を害した俺を気遣ってマスターが駆け込んだのは駅前のドーナツチェーン店だった。
「好きなのを選んでいいからね」
閉店が近づき、既に半分が空っぽになった棚の前でマスターは白いトングと黄色いお盆を持って申し訳なさそうに笑った。
「わぁ、嬉しいな。こういうのって遠慮する方が失礼だよね」
片っ端から適当に選んでいく。生クリームが詰まった丸いドーナツ、モチモチとした生地が数珠繋ぎになったドーナツ、腹持ちがしそうなしっかりとした茶色いドーナツ、蜂蜜の香りが漂う細長いドーナツ。シュガーシロップの代わりにチョコレートがかかったものも選ぶ。マスターが少し青い顔をしながら指差したそれら積みあげていく姿は滑稽で、丸一日連れ回された対価には釣りないものの、少しは溜飲を下げてもいいと思った。
「お、期間限定ドーナツがまだ残ってる。これ食べたい?」
マスターがトングで示した先にそいつはポツンと残っていた。
不恰好に曲がった首、取れかけた赤い鼻、痩せこけたように見える頬。店内のポップに映った写真とは似ても似つかぬ不細工な顔立ちだった。
明らかな売れ残りだった。一般的なドーナツの倍の額を出してそれを買おうとする人間はいなかったのだろう。残忍なまでのルッキズム。残酷なまでの優生思想。凝縮された人間社会の悍ましさに吐き気がして、ぐるる、と唸った。
正面に立てば、黒く濁った目と視線が合った。そして空気を読まない妖精眼はそれの記憶を憚ることなく暴いてしまう。さながら古いレコードを再生するが如く、カラカラとフィルムが巻き戻る。
それが産まれたのは三時間ほど前だった。客のピークに合わせて揚げられ、ホワイトチョコレートとクランチでトッピングされた台座に差し込まれて誕生した。早く早くと急かされたせいか、鼻を強く差し込まれた時に両脇が凹んでしまった。
そして蛍光灯の元に運び出されて世界を知った。大量の人間の目がこちらをジロジロと見つめていた。
文字通り、品定めだ。顔の整った仲間たちから先に売れていった。生地にまだほんのりと熱が残っているうちに次々と捌けていった。
「うわ、こいつ曲がってる」「隣の方がいいんじゃない?」「これはちょっと……」
トングや手は自分を素通りして、隣や奥へと伸びていく。どれもこれもが人間の本音だった。悔しいとも悲しいとも思わない。単なる事実でしかないのだ。我々は人間の食欲を満たすために産まれてきたのだから、その生に意味を求めても仕方がない。
けれど売れ残ってしまったら廃棄される。棚の背後に設置してある白いゴミ箱はドーナツたちにとっての墓場だった。落ちたもの、完全に形が崩れて売れなくなったものはそこに放り投げられる。そして誰に味わられることなく収集業者に回収される。ロスは巨大なミキサーで粉砕され、家畜の餌に生まれ変わる仕組みらしい。店内のキッチンでジュワジュワと揚げられていた時に店長が新人バイトに話していた。
怖い、と思った。自我が無くなるまで真っ暗な空間で擦り潰され、粉末と化す未来は想像したくなかった。なのにタイムリミットは刻一刻と迫ってくる。
環境への取り組みなど知ったことか。数多の屍を生み出してエコを語る二枚舌を知っても反抗すらできない己の無力さが苦しかった。
そんな最中に現れたのが若者の二人組だった。その片割れの男は美しい翠の目をしていた。向けられた感情は哀れみでも、嫌厭でもなく。人の理を悍ましいと思う、自分と同質の怒りだった。
「おまえ……」
目前の男が口を開いた。後に続く言葉を選んでいるようで、何度も浅く開いては閉じてを繰り返していた。かける言葉が見つからないといった様子だった。
「俺の腹に収まったら真っ暗な世界で塵になるまで堕ち続ける。君の恐れる未来そのものじゃないか」
彼は随分とファンタジーな胃袋をしているらしい。そしてとんだお人良しだ。ドーナツ一つに心を揺さぶられる純真な心の持ち主だ。願わくば彼の手でこの短き生を終わりたいと思った。
見つめ合うだけで暖かい想いが溢れる。こんな気持ちを教えてくれてありがとう、と店内の音楽が心象を吐露して少し照れ臭くなった。
「マスター。このドーナツは半分にしない。俺が全部食べる」
「いいけど、そんなに気に入ったんだ……」
オベロンと呼ばれた男の手が伸びてくる。ほんの少しの浮遊感の後、二重にチョコレートがかかったドーナツの隣に着陸した。
「君が、俺を、求めたんだ。逃げられると思うなよ?」
細められた双玉は嬉しそうに蕩けていた。
オベロンvsミ◯ドのポン・デ・ディグ◯