いつかの話 兄が亡くなったのを知ったのは、兄の死からもう何年も経ったあとだった。
今まで携帯のメッセージでやり取りをしていたのが、いつの間にか一方的に手紙が送られてくるだけになっていた。相変わらず定期的に振込がされていて、子供たちのお祝いごとの時期になると『これで足りればいいけれど』なんて手紙と一緒に十分すぎるほどのお金が送られてくる。
もうこんなことしないで。お兄ちゃんが自由に使うものなんだよ。
何度か手紙を返したけれど、私の願いは聞き入られずにまた、同じように振込まれている。そういえば昔からちょっと頑固なところはあったけれど、変わらずなのは微笑ましいを通り越して呆れてしまっていた。
振込まれたお金は、子供たちへのものはありがたく使わせてもらいそれ以外は全部通帳に取ってあった。いつか兄に何かあれば、今度こそ私が助けることができるように。
なのに。
下の子が二十歳の誕生日を迎えたのを最後に、連絡がパタリと途絶えた。そしていつも振込がされている時期に、一人の男性が家を訪ねてきたのだ。
「乙骨憂太くんの妹さんでよろしいでしょうか。……ああ、本当だ。近くで見ても、憂太にどこか似ている」
キレイな白髪を蓄えた初老の男性は、真っ黒なサングラスを外す。初夏の光輝く青空のような瞳で私を見ながら、柔らかくそう、呟いた。それから、ご連絡が遅くなってしまいすみません、と深々とお辞儀をしたのだった。
聞けば、兄はもうずいぶんと前になくなっていたのだという。詳しくは教えてはもらえなかったけれど、職業柄、遺書をきちんと残していたらしい。私へ送る手紙とともに。下の子が成人するまでのお祝いとともに。
『兄妹ってみんなこんな感じなの?』
『さぁ……? けれど、僕にはこれくらいしかできませんから』
そう言って、笑っていたという。
兄が笑っていたと聞いてふと思い出したのは、まだ里香さんが亡くなる前、まだ子供だったころの屈託ない笑顔だった。どこか抜けていて、よく笑う。ふにゃふにゃとした笑顔が大好きだった気がする。
それがどんどん笑わなくなって、たまに見せるのは苦しそうに絞りだしたような笑顔になってしまった。それが、ちゃんと笑えるようになっていたんだ。
ポツリ、ポツリと教えてもらった兄の話は子供のころの、まだよく笑う兄を思わせるエピソードばかりだった。男性と兄の関係はわからない。けれど一つ一つを語りながら大切そうに目を細めるのを見ながら、兄は幸せだったんだろうな、と。それだけはわかった。
「ありがとうございます」
兄のことを教えてくれて。兄と一緒にいてくれて。溢れる想いは上手く言葉にできず、ただそれだけ告げて、頭を下げた。
本当はもっと早くに連絡をしなくちゃいけなかったのに申し訳ない、時間が経ってしまったので手続きが面倒になってしまうけど。男性は静かに告げると、ゼロがいくつも並んだ通帳を私に手渡した。
「いただけません。……これはきっと、あなたがもらうべきでは?」
「今の法にその権利はありませんよ。それに……もっと色々なものを憂太にはもらってますから」
柔らかく笑った笑顔は、どこか兄に似ている気がした。