May I invite you to "May" breakfast屋上に繋がる鉄のハッチを開けると、眩い光とともにまだひんやりした空気が流れ込んでくる。
立ち並ぶバラックの屋根に朝日が反射して輝き、
ところどころ朝餉を用意する煙が立ち上り街が活気付き始める。
遠くに見える山の稜線はもやで霞んでいるが、
金色から乳色に穏やかな諧調をなす空を見て今日も天気がよくなりそうだ、と安堵する。
梯子を降りると、まだ布団に包まって丸まっている恋人の頬を撫でた。
「おはよう、眠そうな人」
眠そうな目を気怠げに開く。
彼はいつもすぐ起きるほうだが、身体を重ねた翌日は疲れが残るのかなかなか起きない。
枕に顔を埋もれさせながら眠気にゆるゆると抗う様子は、それはそれで愛おしい。
「プレストン、おはよ…」
長い睫の影が、微かに緑色の縁取りを持つ淡いヘーゼルの瞳に落ちる。
この瞬間を独り占めできるのは俺の特権でもある。
肌寒そうに肩を縮めて布団の中にしまう彼を見ると、もう少し寝かせてやりたいと思ってしまうが、今日は早めに出なければ間に合わない。
「ラッドチキンのマカロニチーズが冷めないうちに、ハニー」
白い首に紅く残った昨夜の痕跡を撫でつつ、彼の意識を睡眠欲から食欲に切り替えさせる。
今朝のお品書きを伝えると目を輝かせてベッドから飛び起きる。
よだれもこぼしそうな勢いだ。
ここはホーム・プレート。
ダイヤモンドシティの中にある建物のひとつだ。
ここを彼が購入したのは春先のこと。
以前はサンクチュアリからも近いレッドロケット・トラックストップの跡地に住んでいた。
だが、あるときからワークベンチの電源を入れると建物全体が停電するようになってしまった。
建てられた当時、壁の中に埋め込むように作られた電気系統が今になって故障したのが原因らしかった。
こういうことは得意なはずだが、故障箇所が壁の中とあっては流石にお手上げなようだった。
ここを初めて訪れたときはモールラットの巣だらけだったので、奴等があの歯で噛み付いたせいかもしれないし、
長い年月の中で被覆が劣化し配線がショートしたせいかもしれなかった。
何にせよ、俺達はレッドロケットを離れることにした。
引越しはジュンが手伝ってくれた。
よく晴れた日、バラモンの背に必要なものを載せチャールズ川を渡ってきたのだ。
慣れた場所を離れるのは少し寂しい気持ちもあったが、
連邦北西に位置するレッドロケットよりも、市街地に近いダイヤモンドシティのほうが各居住地に行きやすく便利ではある。
俺の内心の感傷はなんてことはなかった。
住んでみたら二人で住むには丁度よい広さだったし、
屋上にパラソルを広げて早めの夕餉を摂っているときなどは巡回中のDCガードが気楽に声を掛けてきたり、
マーケットが近いので急遽食材が足りなくなったときは、彼がレイダーから回収したばかりの武器を持って買いに走ったりもする。
討伐で遅くなってしまったときは夜中でも営業しているタカハシの店に行ってヌードルで済ませることもある。
レッドロケットの静かな雰囲気も良かったが、ここは人々の暮らしが身近に感じられる。
住んで二ヶ月ほど。何だかんだ気に入っている。
カトラリーを並べていると、
背中に111と番号の縫い付けられたおなじみの青い服を着た彼が降りてくる。
「いただきます」
おいしい、おいしい、といいながら一生懸命頬張る。
まだ暗いうちから、空が茜色に染まるまでライフルを担いで走り回ったり、
工具を手に夜通し拠点の修理をしている彼には二人きりの時くらいゆっくり美味いものを食べてほしいと常に試行錯誤しているのだ。
戦前の食物の味を知っているはずの彼が旨いと評するのだから、きっと俺の料理の腕はなかなかなのだろう。
食器を洗い終わった彼が手を拭き拭き戻ってくると、ティーポットに湯を注ぐ。
ティーコージー代わりのオーブンミトンを被せ、武器の軽メンテナンスをするのも、ここでのルーティンのひとつだ。
マスケットのクランクにオイルを注しているとふと気付いた。
チャンバーフレームのハンダがひとつ取れかけている。
昨日モングレルに飛び掛られたとき、咄嗟に銃身で受けたからかも知れない。
工具箱からコテとコイルを持ってくると「俺、やろうか?」
と今コルトのスライドストップを嵌め終わった彼が顔を上げる。
「頼めるか?」
不器用ではないと思っているつもりだが、こういう事は彼のほうが得意だ。
音もなくあがる鉛の蒸気を漂わせて、取れかけたハンダをウィックに吸い込ませる。
コイルから出た真新しいハンダが銀色の雫になり、ワイヤーの先端があるべき場所に固定された。
そのままスコープを覗き照星をキャリブレートする。
ワークベンチから取り出した布でストックを巻きなおしていく。
武器を労るように動く指先を見て思う。
自身と住民の命を守るこの愛銃を預けられるのは、彼とスタージェスくらいのものだ。
「このくらいの時期になるとね、ひなげしが一面に咲いたんだ」
「白とか、黄色のもあるんだけど、この辺は真っ赤のが多かった」
紅茶を啜りながら思い出したように彼が言葉を紡ぐ。
彼はこうして武器をいじったり、寝る前や食後に時々「まだ世界がこうなる前」の話をする。
それは、大体他愛もないものだ。
奥さんが作ったアップルパイを1ホール平らげてしまって怒らせてしまった話だの、
憧れて買ったものの、黒のコルベガ・ワゴンはルーフが透明で夏は暑くて大変だっただの、
おむつ替えですっぽんぽんになったショーンが、あろうことかコズワースのスラスター目掛けて粗相をしてしまったときの事だの、
ボストン茶会事件で紅茶が投げ込まれたほかに、ボストンの海は糖蜜が大量に流れ込んだことがあるだの…
茶会事件のことは博物館で展示されていたから聞いたことはあるが、どちらもオールドノースチャーチの近くらしい。
そういった取り留めのない話を聞いては、どちらともなく笑い合う。
「ひなげし、ってどんな花だ?」
もちろん俺はそれを見たことがない。俺が生まれたときから世界はこうなのだ。
枯れた樹木と、環境に適合することができた僅かな花や野菜のみだ。
「高さは脛くらいだったかな?茎は細くて、風が吹くとゆらゆら揺れて…ドラムリンダイナーの周りもいっぱい生えてたよ」
花はこれくらい、と体格のわりに長い指で輪っかを作って見せた。
世界がこうなる前に戻りたいという感傷的な気持ちというより、
実際にそこに足を運んだらまだそこにその風景が広がっているかのように、
「今度一緒に行こう」と土産話を聞かせるようだ、とも思う。
「はい」メンテナンスの終わったマスケットを渡される。
彼の目は実にころころと印象を変えるのだ。
こういう話をするときは陽だまりのように穏やかで柔らかく、
遮蔽物に息を潜めてスコープを覗き込んでいるときのひんやりした昏さ、
旅路の途中、命を落とした人達の亡骸にそっと酒を置いて発つときの空虚な色。
200年前に何が起きたか、いや、遥か昔から人々がどういう歴史を紡いできたのか
どういう結末を迎えるかよく知っているだろうが…それでも決して光を失うことがない。
争いの結末がどうあろうと、誰がどこに旗を立てようとも
繰り返し人々が傷つき斃れ、それを何度も繰り返してきた。
いつか俺たちのしていることも、この地の砂塵に埋もれてしまうような物かもしれない。
永い時のなかで人々が変えられなかった歴史。
それによって突然全く違う未来に塗り替えられてしまった彼の人生そのもの。
それでも、彼は必ず前を向き俺達の道標となる。
大きな歴史のうねりの中でほんの小さな草が抗うような物かもしれないが、
無意味ではないと思わせてくれる何かがあるのだ。
木々が緑色の影を地面に落とし、
鮮やかな色の花で覆われ、人々の生活で活気付いた街。
彼の瞳を覗き込むとき、彼の話や記録でしか触れられない、
こうなる前の世界が僅かに見える気がするのだ。
俺が憧れ続け、いつか取り戻せるかも知れない連邦のあるべき姿が。
「そろそろ行こっか!ノードハーゲンビーチの雨漏り、早いとこ直してあげないといけないもんね」
小柄な身に手早くレザーアーマーを着込むと、ダイヤモンドシティ・マーケットに面したドアを開ける。
そういう彼の瞳は陽の光を受けてよりいっそう輝いて見えた。