おまえはおれのもの① 仔猫のエレンは喉が枯れるほどミーミーと鳴き声をあげて鳴いていました。お腹がとにかく空いていて、けれども尻尾を振るのさえ億劫だったので、誰かに見つけてもらわないとどうにも助からないと思ったからです。いつもエレンにごはんをくれる父さんと母さんは、しばらく前に荷馬車にぶつかったっきり、ピクリとも動かなくなってしまいました。仕方なく、自分でごはんを探しまわってみたものの、未熟なエレンには羽虫1匹捕まえられませんでした。
エレンはひもじくて眠たくて仕方なかったのですが、眠る前に大好きな青くて広い空を見たくなりました。
重たいまぶたをどうにかあげてみると、目の前にはお日さまのような黄色いまん丸が二つ並んでいます。それは人間の男の子の瞳でした。
男の子はおずおずとエレンに指先を伸ばしてきます。エレンはのろのろと近づいてくる薄桃色した肉の塊に、小さな牙を突き立てました。肉は以外と硬く、なかなか噛みきれなかったので、口の中に広がる血をチュウチュウと吸い込みます。
少しは空腹がおさまったので、抵抗のない指先を解放してやりました。人間の男の子はエレンの顎下をくすぐってから、おもむろに立ち上がって、どこかへ行ってしまいました。
エレンには男の子を追いかける体力がまだ戻っていなかったので、小さくなる背中を呆然と見つめることしかできませんでした。
エレンはとてもがっかりしました。人間の子がずっとそばにいて、エレンの空腹を満たしてくれるのだと思っていたからです。
エレンが何かを憎いと思ったのはこれが初めてのことだったので、どうして自分の胸がムカムカするのか分かりませんでした。
空の色が青から橙色に変わった頃、エレンのもとにさっきの男の子がやってきました。男の子は欠けのある木製の皿をエレンの前に置きました。それから皮の水筒を取り出すと、その中身を皿に注いで、エレンを手招きしました。皿に満ちた白い水はエレンの母さんのお乳と似た香りをしていました。小さなベロを伸ばして舐め取ってみると、母さんのお乳を薄めたような味がしました。エレンが皿の底まで舐め取ってしまうまで、男の子の手のひらはエレンの背中をそっと撫で続けていました。
それから数日、人間の男の子はエレンの元に訪れて、ごはんを与えてくれました。エレンがすっかり元気を取り戻し、小鳥や野ネズミを捕まえられるようになった頃。人間の男の子はぱったりと姿を現さなくなりました。エレンは必死に鳴き声をあげて人間の男の子を呼びました。エレンは自分で狩りができるようになったので、もう男の子からご飯をもらう必要はありません。薄桃色の指先が背中や顎下をくすぐる感触や、エレンを見つめる黄色い瞳。エレンにとってその男の子はそばにいるだけで満たされて、そこにいないだけで飢えさせられる存在になっていました。エレンには分かりません。男の子がどうして自分に優しくしてくれたのか。どうしていなくなってしまったのか。それまで知らなかった心地よさを覚えさせておいて、それを身勝手に取り上げた男の子のことが憎くてたまりませんでした。沸々とお腹の下から煮えるような心地がします。エレンはみっともなく鳴き声をあげて男の子に呼びかけるのはやめました。あちらが来ないなら、こちらから探しに行けばいいのだと気づいたからです。
美しく育った黒猫は月夜に照らされて駆けていきました。