蓮の君(仮) 泥の中を、溺れるように、泳いでいる。
この世が汚泥で溢れていると知っている。
見えてしまう。聞こえてしまう。
────顔を背けて生きることなど、出来なかった。
「呪術師に、なります」
だから決めた。
あの日の言葉に後悔はない。
けれど、
「ひっでぇ顔」
「……」
「聞いたよ。任務の最中に、巻き込まれた一般人、死なせたんだって?」
「…………ッ」
高専の救護室でのことだ。
程度はそこまでながら任務で負傷した為、手当を受けている最中、医務員が席を外したタイミングで五条がやってきたのだ。
ぎち、と奥歯が嫌な音を立てる。
二級相当、と聞かされて向かった現場にいたのは格上の上級呪霊だった。
呪い自体は何とか自力で祓うことが出来たものの、幽霊が出る、と噂を聞きつけて面白半分に入り込んだ大学生の男女を見逃していたのだ。帳の中に呪霊と共に閉じ込められた二人は、逃げ惑う最中、戦闘中の私に出くわし、結果的に女性を庇った男が死んだ。
私のせいではない、と夜蛾先生には言われた。
補助監督からも、現場の初動と管理ミスだと謝罪を受けた。
それでも私の実力不足が招いた結果であることに変わりはなく、何とか呪霊を祓い助け出した女性からは泣きながら頰を打たれた。
どうして見殺しにしたの、と。
現場を離れ、補助監督に肩を抱かれ、泣き崩れる彼女に私は頭を下げることしかできなかった。
「…………何よあんた。わざわざ、嫌味言う為に、こんなとこに来たわけ?」
「ハハっ、自惚れんなって。先生に頼まれて、硝子呼びに来ただけだっつの。そしたら、やたら辛気臭い面晒してるからさ」
「……」
「人が死ぬなんて職業柄、珍しくもないだろ? 歌姫弱いんだからさ、格上相手にお荷物守りながら戦うなんて器用な真似、出来るわけねーじゃん。最善尽くして生き残ったんだから喜べよ。なに憂さ晴らしに殴られてやってんの?」
馬鹿なんじゃないの、と五条は腕を組み、せせら嗤う。整った顔立ちに冷ややかな嘲笑はよく似合っていた。
強者の傲慢だ。
私は、じとりと、生意気な後輩の顔を睨み上げた。
「だから、何よ。あんたには、関係ないでしょ」
「あるだろ。お前らの尻拭いすんの、誰だと思ってんだよ」
「……」
「目の前で誰か死ぬ度に、通夜みたいな面で反省会する気なわけ。ああすればこうすれば、なんて出来もしねーこと挙げ連ねてどうすんの? そんでなくとも弱いくせに、うじうじじめじめされてっと、見ててこっちまで不愉快なわけ」
「ッ……あんたね!」
思わず、カッとなった。
立ち上がり、胸倉を掴む。
私よりも遥かに背の高い年下の男は揺らぎもせず、ただ、少しだけ眉を顰めてみせる。
睨む私の目の前で、口の端が、緩く吊り上がった。
「辞めたら?」
「ッ!」
「呪術師。歌姫、才能ないし、向いてねえよ」
犬死する前に、とっとと尻尾巻いて逃げ出せば?
あからさまな侮蔑を込めて嘲笑う五条を、私は思い切り、殴り飛ばした。
「ッ」
「────うるっさい! あんたに、私の、何がわかるっていうのよ!?」
握り拳は弾かれることもなく白い頰を捉えた。勢い任せの暴力に、抵抗の様子もなく尻餅を突いた五条は、変わらず薄笑いを浮かべて私を見つめる。
真っ直ぐな、目。
皮肉な笑みには見合わぬ視線に耐え切れず、その場から逃げ出した。
わかっている。八つ当たりだった。
「さい、あく……」
いつもだったら我慢できた。けれども今日は、駄目だった。腹は立つがあの男は事実しか言っていない。だから、こんなにも、胸が痛い。
私は、弱い。
己の窮地に他人の命を救うほどの能力はない。わかっている。私は、私にできることをした。あの時、庵歌姫が為せる最上で最善の成果が、今だった。
それでも悔いは残る。もしかしたらと、一縷の可能性を模索する。泣き崩れる女の声が鼓膜にこびりついて消えない。私がこの背に負うには烏滸がましい自責に苛まれる。
────いつも、泥の中を、沈むように泳いでいる心地がしていた。
自分で選んだ道である。汚泥に身を投げる行為だとわかっていた。だって、私には、ずっと見えていたのだから。知らぬ素振りで平凡を生きることが出来なかった。死に臨む恐怖を奥歯で噛み殺し、虚勢を張ることに命を懸けると決めた。死ぬ覚悟なんて未だに定まらない。私はただ、否応にもこの目に映る凄惨から視線を逸らせずに、ここに辿り着いただけ
才能は、ないのだろう。
人の死はいつも平等に辛い。明日は我が身と怯えながら、仲間の死を幾つも見送った。無関係の他人が目の前で死ぬこともある。何度繰り返したところで、胸を打つ悔恨に慣れることはない。これまでも、これからも、恐怖に蝕まれながら生きていく。
そして次第に、暗く冷たい泥の中に、体が沈んでゆく。
それでも前に進もうと足掻いている。私にもできることがあるのだと、信じているのだ。それがどんなかささやかなものであれ。私は、私の意義と価値を認めたい。
決して、あの馬鹿のようには、なれなくとも。
同じ重苦しい闇の中に生きながら、軽やかに笑い駆ける五条に私は到底及ばない。私が自身に望む程度の理想などあの男にしてみれば呪術師として為すべき最低限にすら達してはおらず、そう思えば、時に悲嘆から蹲って動かない私に辞めてしまえと笑顔で詰るのも道理である。まあ、だからって許さないけれど。あいつにあいつの考えがあるのは認めてもいいが、私だって、生半な覚悟で呪術師をやっているわけじゃない。
犬死なんかする気は、ない。
いつか近い未来、泥に呑まれて息絶える日が来るとしても、戦うことをやめたりはしない。
足掻き続けると、決めたのだ。
たとえ生涯、無力感に苛まれ続けようとも。
見上げた先で咲く笑みに、手を伸ばしたところで、届かないとしたって。
それでも。
「…‥……馬鹿。あんただって、憂さ晴らしに、殴られてやってんじゃないの……」
暴言を許容する気はないが、殴ったのはやはり、やり過ぎだった。
赤くじんわり熱を持った拳を摩り、後で謝ろう、と心に決める。
ばたばたと遠ざかる足音を見送って、頰を押さえ、ふむと唸る。
「……やっべ。言い過ぎたわ」
「何が?」
「あ。硝子」
よ、と片手を挙げると、救急箱に氷嚢と大荷物を抱えて隣室から顔を覗かせた硝子が顔を顰めた。
「五条? 何で? 先輩は?」
「先生探してたから呼びにきた。歌姫は、今、捨て台詞吐いて出てったとこ」
「……また余計なこと言って、怒らせたんでしょ」
手当ての途中だったのに、と溜息を吐いて、荷物をテーブルの上に一旦下ろす。
俺は床の上に胡座を掻き、頬杖をついた。
「なあ、惚れた女に危ない目に遭って欲しくないって、そんなキレるようなこと?」
「別に。普通なんじゃない?」
ただし、と注釈をつけて、硝子は俺に氷嚢を投げて寄越した。
「言い方にもよるけど」
「おっと」
「素直にそのまま、好きだからこれ以上危ないことしないで、って言ったの? 違うでしょ」
「……」
その通りである。
その通り、なのだが。
俺は、患者不在で行く宛を失ったらしい氷嚢を自分の顔に当て、むくれた。
「…………んなもん、言えるわけねーだろ……まだフラれたくねえし……」
勝ち目のない戦に挑むほど、馬鹿にはなれない。
もし歌姫に俺が告白する日が来るとすれば、歌姫が俺に惚れていると確信したか若しくは無理矢理にでも諾と言わせる算段がついたその時だ。
いずれ必ず俺のものにするけれど、しかし、今は準備不足だ。日常の戯れに嫌いだと怒鳴りつけられるのは別に堪えはしないが、きちんと告白してきちんと断られるのは流石にダメージが大きい。想像するだけで泣きそう。ああ嫌だ聞きたくない。
硝子は、そっぽを向いて黙った俺に呆れたような流し目を寄越した。
「妙なとこで繊細だね。いつもの強気はどうしたの」
「男心は複雑なんですぅーっ」
「ぶりっ子キモい」
一刀両断である。俺を見る目が死んでいた。
好きな女に頰を打たれて傷心のクラスメイトを慰める気はおろか、手当てをする気もないらしい。硝子は用意したばかりの救急箱を抱え直し、腫れが引いたらさっさと出て行け、と犬でも追い払うように手を振った。
任務に忙殺される日々が続くあまり、胸のしこりを解消する暇もないままに、時間ばかりが過ぎていく。
────そんな、いつも通りの、ある日のこと。
「………………、ぁ」
「気付いた?」
「……。ご、じょう……?」
酷い顰め面で覗き込む男の顔に思わず声を上げるものの、それは酷く掠れて嗄れていた。それに、やけに視界が狭い。
私はどうやら、どこかのベッドの上に寝かされているようだった。つんと鼻腔を突く刺激臭からして、恐らく、病院だろう。心当たりはない。ただ、体のあちこちに痛みはあった。
何故。
また一つ、頭の中に疑問符が増える。
一先ず起きあがろうとしたものの、大きな手が肩を押さえて強引に押し留める。
「寝てて」
「でも」
「腹の傷、応急処置しかしてない。まだ、硝子来るまで時間かかるから。……じっとしてろよ」
「……」
低く地を這うようなその声色に、ああそういえば、呪霊にやられて怪我をしたのだったと思い出した。
元々、何があるかわからないと、事前に警告を受けていた。上級呪霊が複数体確認されたと報告があったのだ。被害は徐々に拡大しており、早急な対処が必要とされ、討伐隊が組まれたのだ。
私が参加したのは、人手不足からだった。本来なら、階級が足りない。故に、危ないと思ったら即時撤退するよう指示されていた。
けれど。
「ごめん」
「……」
「あんたの……言う通りに、なるとこだった。面倒かけて、悪かったわね。……この間、も」
殴ってごめんと呟いて、俯くように私を見下ろして動かない、後輩の男の顔に手を伸ばす。
つるりと滑らかな輪郭に、私が怒りをぶつけた痕跡は残っていない。良かった。私の好みではないが、折角綺麗な顔をしているのだから傷など残らない方がいいに決まっている。そう思い、ほ、と息を零した。
五条は唸る。
「…………聞いた。負傷した一級呪術師、庇ったんだって?」
「……」
「何ですぐ逃げねえんだよ。撤退命令出てたんだろ。足手纏いなんて置いてけよ。弱い奴が無理して挙句死者カウント増やすとかマジ笑えねえんだけど」
「……五条」
「ねえ。現場駆け付けて、呪霊祓ったのに、血塗れの歌姫が目の前で倒れた時の俺の気持ち、わかる?」
間に合わなかったかと思った。
頬に宛てがった私の手を握り、口元に押しつけて、五条が呻く。
鎮痛な声に、私は呆然としてしまって、頭が真っ白になった。
「…………ごめん、なさい」
「何に謝ってんだよ」
「だって、あんたが……そんな、私、そんなつもりじゃ」
「いい。謝んな。謝るくらいなら、呪術師、辞めてよ」
「っ……それ、は」
「出来ないんだろ。わかってるよ。……だから、いい」
両手で私の手を包み、顔を隠すように押し付ける。無骨で堅い掌は冷たかった。それが、今は、心地よい。
五条は言う。
「死ぬなよ。歌姫」
「……」
「どんな手使っても生き延びろ。俺が行くまで。他人の為に、死ななくて、いい」
生きていてくれたら、助けられるから。
だから死ぬなという五条に、私は目を細め、ゆっくりと白い頭を引き寄せた。
「…………うん。ごめんね、五条」
「……」
「私のこと、助けてくれて、ありがとう」
「…………。ちっ」
謝罪もお礼も要らねえんだけどと舌打ちをくれる五条を抱き締める。宥めるように髪を梳いても苛立ちは治まらず、寧ろ増したようであった。
これだから歌姫は、と、胸の上でもごもご唸る声が聞こえた。
「このじゃじゃ馬が。知ってた、わかってたよ歌姫がそういう奴だって」
「……」
「弱いんだから、大人しく後ろで守られりゃいいのに。馬ぁ鹿」
「……今の、聞かなかったことにしてあげる」
「いててててててて」
酷い侮辱だ。
怪我人に鞭を打つなんて、本当に、デリカシーのない。
私はむっとしながら五条の耳を引っ張って、「全然聞かなかったことにしてねえじゃん」と叫んだ五条にうるさいとぴしゃりと怒鳴り返し、結果大騒ぎをした挙句遅れて駆けつけた硝子に二人してこっぴどく叱られた。
生まれついて、人より優れている。
それは、蒙昧にただ漠然とこの世に生を受けたのではなく、運命とかいう作為が素知らぬ顔で用意した偶然なのだと直感的に理解していた。
俺は、この薄汚い闇の中、勝ち残るように設計されている。
神様やら何やらの思惑など知ったことではないものの、五条悟という存在が、呪術師になるべくして用意されたものであるのはまず間違いがないのだろう。古く続く家柄。相伝の術式。特異な目。人並外れた身体能力に明晰な頭脳、そして、それら全てを繊細に扱いこなすだけの才能。人格がどうこう罵られることは多々あるが、それでも今のところ悪事に手を染めたことはない。その程度の良心と分別は備わっている。全て揃えて産み落とされ、順当に勝ち組のレールに乗り、今に至る。
良くも悪くも、俺の居場所は此処である。
泥の中でも難なく息をするように造られた。他の生き方など、初めから、選びようもない。
────けど、お前は違うだろ。歌姫。
他の道だって選べたはず。どうせ花をつけるのならば、清く整えられた土壌にすれば良い。大切に世話をされ、守られて、咲いた後に実を結び種を蒔く環境を望めるものを、何も敢えて蕾どころか芽吹くことすら困難なへどろにわざわざ根を下ろすことはないじゃないか。
どうして、好んで、この世の地獄を選ぶのか。
泣いた顔など見たくない。ましてや、真っ赤に染まって冷たくなった姿などは御免なのだ。弱っちい歌姫なんていつ死ぬとも知れないのだから一か八かで死に急ぐことはない、プライドなんて犬の餌にでもくれて、俺の背中に隠れていてよ。守るから。この先も陽の下で笑っていてくれるのなら、どんな脅威も、決して君の元に行かせはしない。
有象無象のその他大勢のことなんて、本当は、心底どうでもいい。俺の大事な人間が、無辜の誰かを助けたいと足掻くから、ついでに守ってやっているに過ぎなかった。肝心要の君が守れないなら、俺がこの場所で、現世に押し寄せる闇を祓い続ける意味はない。
守らせてよ。俺に。
どうせなら義務ではなく、自ら望んで全うしたい。大切な者の為に戦っているという大義が欲しい。あわよくば君の目が俺に向くといいなんて、そんな、都合のいいことも願ったりして。
だけど。
なのに、
「……」
「また来たの、あんた」
がらがらと病室のドアを横に引けば、ベッドの上で体を起こした歌姫が顔を顰めた。
くしゃり、と歪んだ表情がよく見える。ガーゼは外れたらしい。痛々しい傷の痕跡も露わになっていた。
出血は派手ながら程度は浅く、抉られた腹を優先して後回しにされた傷はすっかり痕に残ってしまった。流石に硝子もそこまでは治せなかったらしく、申し訳なさそうにしていた。
しかし、当の歌姫は気にしていない。いい教訓だわと笑って傷痕を撫でていた。
腹部の致命打は、背後に仲間を庇った際に避けきれず顔を裂かれ、噴き出した血に視界を塞がれたその隙に与えられたものなのだという。
ベッド横に置かれた椅子に腰を下ろすと、歌姫は皮肉げに鼻を鳴らす。
「まったく、あんたと来たら毎日毎日、よっぽど暇なのね。ちゃんと任務出てるわけ?」
「あったりまえだろぉ? 忙しい中わざわざ、退屈してる歌姫ちゃんのために体空けてやってんじゃーん。ほら」
「ッいちいち減らず口を……。あ、ありが、と」
「どーも」
差し入れにコーヒーを渡すと、歌姫はお礼を言って黙った。何とも形容し難い複雑な目をして睨んでくる。
俺は笑った。
損な性格の女だなあと、改めて、思う。
「ところで歌姫、いつまで入院してんの? あんま病室でぐうたらしてっと、ただでさえ弱いのに身体鈍っちゃって、復帰とか絶望的なんじゃね?」
「ッ……うるっさいわね私だってわかってるわよ……明日診察して問題なかったら退院よ! そしたら、今まで以上に活躍してあんたに吠え面かかせてやるから、目ん玉かっぽじってよく見てなさいよッ」
「へえ〜そう、まあ、期待しないで見てるわ」
「〜ッッ、あんた、ほんと、ムカつく……!」
プルタブを捻ったばかりの缶コーヒーを、握りつぶしかねない勢いで歌姫が震えている。そんなに短気を起こして、折角硝子が塞いだ傷がまた開いたらどうするのだ。この女はもう少し、自制心というやつを身につけた方がいい。
まあ、怒らせたの、俺なんだけど。
気は強いが、普段は寧ろ平和主義で温厚なタイプなのも知っている。こうも容易く挑発に乗るのは俺に対してだけ、そう思うと、特別感があってそれはそれでちょっといい。
なんて、考えていたことが全部顔に出てしまっていたらしく、御機嫌でにやつく俺を見て歌姫が不愉快そうに目を吊り上げた。
「腹立つ顔ね……マジであんた何しに来たのよ……」
「え? イケメンすぎて見惚れたって?」
「言ってないッ」
ぎゃん、と噛み付くように吠えた後、怒りを鎮めるつもりか缶の中身を一気に飲み干す。
どん、とベッド脇の小さなテーブルに叩き付けられたそれを回収し、俺は立ち上がった。
「んじゃまあ、行くわ。退院になったら言えよ」
「何であんたに言わなきゃなんないのよ」
歌姫は心底鬱陶しそうに呟いて、しっしっ、と犬でも追い払うような仕草を見せる。
「ほら。さっさと帰れ。任務帰りにこんなとこ寄ってる暇あったら、ちゃんと休みなさいよ。馬鹿」
「……」
「……言っておくけど、私、辞めないからね。絶対」
「…………。あっそ」
じゃあ精々死なないように頑張れよ、と薄笑いを浮かべ、病室を後にする。
俺をまっすぐに睨む目が綺麗だった。
以前より短くなった前髪も、顔を半分に切り裂いた傷痕さえも、元々の美しさを際立たせる手助けにしかなっていない。
────彼女が呪術師でなければ、出逢うことすら、なかっただろう。
俺は、呪術師に成るべくして生まれたから。もしも歌姫が、俺が望むように、平凡を選んで非日常から目を逸らしていたのならこうして憎まれ口を叩き合うような間柄にさえなれなかった。顔も、名前も、互いに何一つ知らないまま、通りすがりの偶然すら気付かないで他人よりもずっと遠い隔たりを今も保っていたことだろう。
君が、呪術師だったから、好きになったのだ。
醜悪で腐敗した泥の沼の中、それでも咲いた花だったから見惚れていた。わかっている。今ここで、足掻いて、死に挑んで、諦めることのない君が一番綺麗だ。呪術師を辞めろというのは、君の根本を否定することに他ならない。
本当に君を守ろうとするのなら、ただ危険を遠避けるだけでは、駄目なのだ。
「……大変だなぁ」
俺は頭の後ろで腕を組む。
どうすべきか、何をなすべきなのかは、まだ、答えが見つからない。
それでも何とかしてみせよう。いつか、必ず、どれだけの時間と労力を払ってでも。それだけの力が備わっている。面倒だとは思うものの、望みを叶える為だと思えば苦ではない。
─────いつか。
全て叶えて、身近な死に怯えることがなくなったその日には、君も、俺に笑いかけてくれるだろうか。