OLみっち、お使いへ行く「カクちゃん!」
「よお、タケミチ。わざわざ悪いな」
「ううん。カクちゃんこそ忙しいのにありがとう」
迎えに現れた男の顔を見てホッとした。何せ初めてのお使い、しかも場所が場所だ。
受付で名刺を差し出し、名乗る時には無茶苦茶緊張した。もしかしたらボコられるんじゃないかとかなんとか。
いや、反社じゃあるまいしそんなはずはない。
自分に言い聞かせながらおかけくださいと示されたソファでじっと待つこと十分。
迎えにきてくれたのはつい先日、偶々再会した幼馴染の男だった。
「迷わなかったか?」
「大丈夫。近くまで送ってもらったから」
「そうか。相変わらずマイキーは過保護そうだな」
「そんなことないよ。まあ、オレ一人だと無事に辿り着けたかは不安だったけどね」
「こっちから迎え寄こしても良かったんだが」
「それこそ過保護だって」
ざわりと周囲がどよめく。勿論、オレの姿を見てのことではなく、隣で先導してくれる背の高い偉丈夫を見てのこと。
カクちゃんはこの会社の社長秘書。そんな彼がわざわざ一階受付ロビーまで出てくるなんて、そりゃびっくりするだろう。
周囲の社員たちはちらちらと視線を向け、ひそひそと言葉を交わしている。あらぬ噂が立たなければいいのだが。
昔はやんちゃで坊主頭だったカクちゃん。今ではすっかり精悍な顔つきでガタイも良い。きっとモテモテなんだろう。
オレは微妙な笑顔を浮かべ、そそくさとカクちゃんの影に隠れる。
相変わらず人の視線には慣れないものだ。仕事柄人前に出ることは随分増えたように思う。けれどここはアウェーなのだ。どうしても緊張するし、もしかしたらプレゼン対決のことを知っている人がいるかもしれない。
「しかし、よく許してもらえたな」
「え? 何が」
「いや、一人でココに来ること」
「あー、うーん。タブン大丈夫だと思う」
あはは、と笑い飛ばす。カクちゃんは訝し気な表情でオレを見ていた。
ダイジョウブ。ダイジョーブなはず。両手にしっかりと抱えた会社封筒。今日はこれをS62ホールディングス社長のイザナ君に届けることがミッションである。
イマドキ手で届けるなんて随分と面倒くさい話だ。PDFでメールなり、少し古典的ではあるが郵送で送ることだって出来るこのご時世。
「イザナのヤツが面倒なことを言ってすまない」
「全然、オレもイザナ君と話してみたかったから大丈夫。カクちゃんにも会えるし」
案内されたのは社長室のあるフロア直通のエレベータ。東京卍會と同じ、というよりもどこの会社にも社長なり幹部役員用のエレベータがあるのは普通なんだろう。乗り込むとほんの一分ほどで到着。ぐっとかかったエレベータのGで少しだけ足元がふらついた。
扉が開くとそこには広々としたロビー。うわっ凄いシャンデリアがぶら下がってる。眩い光につられて見上げると、重厚な雰囲気漂う白い煌きが見えた。
赤、というよりは真紅の絨毯が敷かれ、ロビーの真ん中にはオレが両手を広げたくらいの大きさの花瓶がドンと置かれている。中には大振りの花が飾られていた。胡蝶蘭にユリに薔薇? なんだろう凄く豪華な盛り合わせ。総じて言えるのは、とにかくゴージャスだ
鮮やかな紫色の胡蝶蘭を見ていると不意に男の人の顔が浮かぶ。そう、ここに勤めているらしい某兄弟。その兄の方の名前と一緒だ。
あの人たち、花の名前をしていたな。思わず顔が引き攣ってしまったのは致し方ない。もしかしてあの兄弟たちもいるのかな。
「タケミチ、こっちだ」
「あ、うん!」
先に進んでいくカクちゃんの後を、オレは緊張しながらついて行った。豪華な内装には馴れてきたと思ったけど、ここはまた別世界だ。
豪華絢爛。その言葉がピッタリと当てはまる。東京卍會の社屋はどちらかというと、スタイリッシュでシンプルなんだよな。
上質なものばかりで揃えられていたのは間違いないけど。別会社に訪問することがほとんど無いオレは、まるで遠足にきた子供の心境だ。視線がつい、あちこちに向いてしまう。
「ええっと、イザナ君いるんだよね」
「ああ、勿論だ。呼びつけていないとか、さすがにそこまで無作法じゃない」
「そうだよね、いや、だんだん緊張してきた」
顔を合わせたのは一度きりの話。あまりいい雰囲気の中ではなかった。
そもそもイザナ君は果たしてオレのことを認識してるんだろうか。してるから指定してきたんだろうけど、顔とか覚えてるのかな。
正直平々凡々な顔立ちだ。これといって特徴はない。強いていうならば童顔とビー玉みたいな青い目。
マイキー君があんまりにもオレのことを毎日カワイイって言うもんだから、ちょっといい気になってしまっていた。アレは特別だよね。
「とって食うワケじゃねえよ。ああ見えてイザナは面倒見もいい」
「へぇ…なんか意外かも」
初めて会った場所とタイミング。競合企業として、プレゼン対決をした相手がこのS62である。
オレは社長秘書として向き合ったのだが、とりあえず思ったことはひとつ。
「すんげー美人だけどなんか怖かった……えーっと、暴力的というか」
「ああ…まあ、いや、事実だからいいぞ」
カクちゃんの手前、なんとかマイルドに伝わる良さげな言葉を考えたが何も浮かばなかった。
けれどそれで正解らしい。どこの会社も社長というのは理不尽なのかもしれない。
「ところでさ、イザナ君とマイキー君って本当に兄弟? 性格は確かに似てる気がするんだけど」
「ああ。兄弟ではあるが義理だ。詳しくはオレから話せんが、まあ業界では割と有名だぞ」
「へー。そっかー」
「仲がいいわけではないが、まぁ悪くもないな。いいライバル関係だと思う」
義理か。カクちゃんのいう通り、部外者がとやかく言うことではない。切磋琢磨し合う爽やかな関係とは言い難いかもしれないが、悪くないのは確かだ。
イザナ君の方がお兄さんらしい。そういえばプレゼンの時も最終的にイザナ君から勝ちを認めてくれた。
「ついたぞ」
「ひゃい‼」
ぼんやりしていると目の前にドンと構えられた大きく立派な扉。両開きの重厚な扉、お城についているような雰囲気を漂わせている。
なんだか魔王の部屋に赴くような気分だ。
「イザナ、連れてきたぞ」
ノックをしながら声を掛けるカクちゃん。しかし返事がない。魔王は不在なのだろうか。
怪訝な顔つきになりながら、カクちゃんはドアに手を掛ける。さすがにそこまで無作法ではないと言っていた手前、カクちゃんも焦っているのだろうか。
扉の先は廊下と変わらず、否、廊下以上に豪奢な部屋であった。天井から吊り下げられた重厚なシャンデリア。壁面にはゴージャスな装飾が施され、さながら宮殿だ。思いつくのがベルサイユ宮殿しかない。きらびやかな調度品溢れる空間に、思わず二の足を踏んでしまう。そりゃそうだろ。ここは庶民が立ち入っていい場所ではない。
一歩、後ろへ退いた時ドン、と身体が硬いものにぶつかった。壁? いや、ここは廊下。壁に当たるような位置には立っていなかったはず。
「あれ、すっぴんちゃんじゃん!」
「ひえっ……⁉」
「ホントだ。なんでここにいんの?」
ぶつかった何かを確認すべく、振り返るとそこには垂れ目のイケメンが二人。
さっき思わず過ったせいだろうか。件の二人の登場に、悲鳴が漏れ出てしまった。
この二人、決して悪い人ではないと思っているものの、どうにも悪戯が過ぎる。特に兄である蘭さんの方。
竜胆さんは初めてタッチアップをしてくれた恩人であるため、多少は苦手意識が薄い。けれど久しぶりだね、なんて和やかに言葉を交わせる相手でないことは確かだ。オレはカリスマ兄弟に挟まれ、思わず小さくなってしまう。
さながら攫われた宇宙人の心境である。どう答えるべきか悩んでいたオレ。そこにぴしゃりと鋭い声が響いた。
「オレが呼んだ」
どうやら部屋の奥には別室への出入り口があったらしい。そこから出てきたのは褐色の美丈夫。
このS62ホールディングスの社長であるイザナ君その人。
「部屋の前でがやがやうるせぇと思ったら……鶴蝶、テメェ客も静かに連れてこれねーのかよ」
「す、すまん」
理不尽。まさにマイキー君の兄弟だ。オレはそのやり取りを目を丸くしながら見つめていた。
「で、相変わらず間抜けヅラだな。ハナガキタケミチ」
「は、はい。すみません……」
「まあ入れよ。ったく、アイツも何でコレがいいんだか」
ぼやくように呟かれた言葉。ごもっとも。オレもそう考えていたことがありました。
けど、今はそうやって自分を卑下することは辞めた。拳を作り、気合を入れる。まずは挨拶からだ。
マイキー君の秘書として、しっかり自己紹介する。でもって、今日は言いたいことがある。
「あ、あの、先日はちゃんとご挨拶出来なかったんですが、オレ、東京卍會の」
「愚弟の秘書で、婚約者だろ」
さらっと爆弾発言。え、なんて?
横のカクちゃん、カリスマ兄弟も目を点にしている。特に弟の竜胆さんは「は? に、兄ちゃん、タケミチが!」と何だか酷く動揺していた。
けれど一番驚いているのはオレだ。
「は、な、なんで」
知ってるんですか⁉
思わず叫びそうになる。まだ社内の、誰にも言ってない。マイキー君の右腕で、オレにとっても良き相談相手であるドラケン君、お兄ちゃんポジションである三ツ谷君にも。相棒の千冬にも言っていない話だ。それをどうして、他社のイザナ君が知っているのか。
マイキー君にプロポーズされたのは事実だ。指輪を持って正式に申し込まれた。マイキー君らしからぬ、ロマンティックでベタな演出付で。
もらった指輪はネックレスとして肌身離さず持っている。指に付けないのはまだ会社の皆に話をしていないからだ。
「家でうるせーんだよ。タケミチタケミチ、ガキかよ。全く……」
「あ、それはご迷惑を」
ちゃんと実家で会ってるんだ。ちょっとほっこりしてしまったのは無理もない。だってあのマイキー君が、実家で義兄に話をしている。
物凄くちぐはぐで、けれど所帯じみてて安心してしまった。
「だったら会わせろ、つったらアイツ嫌がるしよ」
なら呼びつけるしかねーだろ?と笑う。
その自信満々の天上天下唯我独尊笑いには既視感があった。オレの良く知る、マイキー君とそっくりな顔。
やっぱり兄弟なんだなぁ。そう感じて思わず笑う。漏れ出た笑い声にイザナ君がギロリとひと睨み。なにがおかしいんだよ、と素っ気ない言葉だけど声は柔らかいトーンだった。
「いえ、その挨拶が遅れてすみません、義兄さん」
「は⁉ だ、誰がッ」
しれっと義兄呼びしてやった。オレが笑っていると、ようやく頭が追い付いたのか、イザナ君は虚を突かれたような顔から、慌てて身を乗り出してきた。
顔が真っ赤だ。どうやら照れ隠しで間違いないらしい。なんだかんだ言いながら、イザナ君はきっとマイキー君が弟として可愛いのだろう。だからオレのこと気にしていたのかな。
イイ兄弟だなぁと和んでいると、にゅっと後ろから抱き込まれた。振り返るとそこにはコリもせずに蘭さんが立っている。
「ど、どうしましたか?」
「ねー、蘭ちゃんのことも義兄さん、て呼んでいいよ?」
「はあ⁉ ふざけんな! ソイツはウチのヨメだ‼」
イザナ君の剣幕に、蘭さんとオレがびっくり。ウチのだって。つまり佐野家のこと、なのかな。
マイキー君の家族にそう言われると、より一層嬉しく感じる。歓迎してもらっているってことでいいのだ ろうか。
じわじわと湧き出る幸福感に、頬が緩む。きっとイザナ君とも仲良くなれるだろう。笑みを浮かべてイザナ君に声を掛けようとした瞬間。
「タケミっち!!」
「え、マ、マイキー君!?」
「チッ、足止めしろよ、獅音め……」
重厚な木製の扉を蹴破り、現れたのはオレの婚約者様にして雇用主。
東京卍會社長の佐野万次郎である。ぜぇぜぇと荒い息を吐きだしながら、鋭い目つきで殺気立っている。
ちなみにイザナ君が口にした獅音さんは役員の一人であるらしい。予めマイキー君の襲来を予想していたイザナ君が、足止めのため一階ロビーで対応するように命じていたとのこと。
しかしながらその強さ、S62ホールディングスの役員の中でも最弱。東京卍會最強の男であるマイキー君には程遠い。
ちなみに何の強さかは推して知るべし。
今頃一階ロビーで大の字であおむけになって転がっていることであろう。その風景はもはやS62ホールディングスでは見慣れたものなので、誰も気にしない。
「イザナ、どういうつもりだ」
「はあ? オレはオマエのヨメに挨拶してだけだが」
しれっとヨメと呼称されている。耳にした瞬間、思わずにやけてしまったのは仕方あるまい。だってあんな厳しいこと言いながら、イザナ君は認めてくれているのだ。心なしかマイキー君の顔も緩んでいるように見えた。
あ、喜んでくれてるの? そういうとこカワイイんだよね。嬉しいよね、だって家族が認めてくれたんだもん。
「……だからってオレに断りなく勝手に連れ出しやがって。タケミっちもオレとの約束忘れた? 知らないところで勝手にふらふら出ていくなよ、てオレ言ったよね?」
「エッ⁉ いや、だって三途君が……」
まさかのオレにも注意喚起。予想外の話に思わず言い訳がましい言葉が出た。確かに会社から出たけど、ちゃんと許可は取っているものだと思っていた。
「あ⁉ アイツが……」
「はい、そうですけど」
マイキー君の顔が珍しく驚いたまま固まった。
珍しくオレ指名で来た仕事。驚いたものの、せっかく頼まれたのだからこれはラッキーな偶然だと思って意気揚々と出てきた。命じてきた相手は三途君。だったらちゃんとした仕事だろう。
マイキー君至上主義の彼がオッケーを出しているのだから、当然マイキー君の許可は取っているはず。しかもわざわざ車も用意してくれたのだ。たかが一社員が取引先に赴くために車は大げさだろう。けれどそこは社長秘書であり、恋人でもあるオレだからとしか理由はない。
「あ、イザナてめぇ、シンイチローに言いやがったな!」
「オマエが素直に連れてこねーからだろ。おい、ハナガキ」
「は、はい!」
イザナ君の弾んだ声が響いた。
「コイツ、ガキみたいなとこしかねーけどいいんだよな?」
掴み掛ってくるマイキー君をひらりと避け、イザナ君は楽し気に笑っている。
オレへの問いかけも、決して脅すような口調ではなく、どこか優しさを感じるトーンだ。
「はい! そういうマイキー君が大好きなので」
タブン、この回答は百点だったのだろう。素直に言葉が出てきたのは、本当にオレはマイキー君が大好きだから。
イザナ君のノロケかよ、というツッコミとマイキー君のオレも! の声が綺麗に重なった。
◇◇◇
「……真一郎君、ちゃんとマイキーに説明してくれるんだよね。じゃないと絶対オレ、ただじゃ済まないんだけど」
「任せとけ! まあアイツも素直じゃないかな。春千夜のお陰でイザナにも話出来て感謝してるだろうな。いやー、ホント良かった。まぁ弟に咲きこされたのはちょっと癪だけど、可愛いヨメ貰ったらアイツも落ち着くだろうし」
「いや……相手はあのマイキーなんで……」
「え? 大丈夫だって、オニイサマに任せとけ!」
三途の予感は的中した。
案の定、マイキーは実の兄にも容赦がなかった。