部下の頭をウイスキーのボトルでかち割る話。部屋に充満した酒の匂いと女の呻き声が、ブレイズデルの胸をむかつかせた。
彼の右手には、割れたウイスキーのボトルが握られており、向けられた破片の先では部下が酒に濡れた頭を抱えてうずくまっている。
床に飛び散ったウイスキーがじわり、と赤い絨毯に染み込んでいくのをブレイズデルは眺めていた。
彼女の頭をボトルで殴ったのが数分前。
元々、自分の意思がない部下は、何に対しても自分自身で決断することが出来ず、周囲からも少なからず見放されていた。部下に必要だったのは優柔不断な自分を受け入れて、代わりに決断をしてくれる人間。
それに目を付け、利用したのがブレイズデルだった。
彼女の中で、唯一自分を受け入れてくれたブレイズデルの命令は絶対で、彼の言葉ひとつで喜んで動いた。
最初はそれでいいと思っていた。
だが、部下は日に日にブレイズデルに依存していった。
宮殿内にはブレイズデルのことをよく思っていない人間も多かった。彼を侮辱する声が聞こえれば、たちまち部下は激怒した。そして翌日には、その人物は行方不明、もしくは、山や路地裏で謎の死を遂げていた。
そのほとんどが誘拐や盗賊の仕業で片付けられている。
だが、ブレイズデルは気が付いていた。
誰かが死ぬ前は彼女の機嫌が悪いことも、翌日は機嫌が良いことも。
ブレイズデルは部下を問い詰めた。
しかし、彼女は特に悪びれる様子もなく満面の笑みで言った。
「奴らは、死んで当然の屑です。」
あの時の部下の笑顔を思い出すだけでも鳥肌が立つ。普段から馬鹿みたいに笑う奴で気持ちが悪いと思っていたが、こいつは異常だ。
怖かった。
ほとんど衝動的に、近くの棚に置いてあったウイスキーのボトルを手に取る。
部下はブレイズデルの行動を黙って見ていた。その目は、次にブレイズデルが何をするのかが分かっている。
それでも部下は、逃げ出すことも、自分の頭上に振り上げられたボトルを避けることもしなかった。
がしゃん、と、鋭い音が部屋中に響いた。
殴られた衝撃で部下は床に倒れ込んだ。口の中に酒が入ったのか、顔を顰めて、けほけほと乾いた咳をしている。
「お前……お前は一体何なんだ?何故そこまで私に執着するんだ?目的は何だ?」
部下はしばらく瞬きを繰り返していたが、やがて、首をゆるゆると横に振って口を開いた。
「目的なんてありません。私はただ、純粋に貴方を信じ、愛しているだけです。」
部下は身体を起こすと、おぼつかない足取りでブレイズデルへと迫った。それに合わせてブレイズデルは後ろに退く。部下が一歩近付くと、ブレイズデルは一歩後退した。
そうして、あっという間に壁際まで追い込まれたブレイズデルの手を取り、恍惚とした表情で、その手に頬を寄せて唇を伏せた。
生温かく柔らかい感触が肌に触れるや否や、ブレイズデルはかぼそい悲鳴を上げるとともに、部下の手を振り払った。
ブレイズデルの行動をさして気にしていない部下は、腕をブレイズデルの腰に回し、顔を胸へと埋める。胸の中で二回ほど深呼吸をして、肺をブレイズデルの匂いで満たした。
「ブレイズデル様、どうか怖がらないで。本当に愛しているんです。私が気に入らないのなら、いくらでも殴っていただいて構いません。貴方に与えられたものなら、痛みでも喜んでお受け致します。」
ゆっくりとブレイズデルを見上げた焦点の合わない目に、全身の毛が逆立つのを感じた。
「貴方だけなんです、ありのままの私を受け入れてくれたのは。初めてなんです。 " お前は変わらなくていい " なんて、言われたのは。何もかもが初めてで、私の初めてを貴方が……。」
部下の吐息混じりな声が、胸のむかつきを倍増させる。
喉奥から急激に吐き気が込み上げてきた。
今すぐこの女を突き飛ばして、この状況から逃げ出したかったが、身体が動かない。足が地面に縫い付けられているかのようにびくともしなかった。
恐怖の中で、気持ちばかりが焦った。
部下の頬は微かに赤く染まっていたが、それが酒のせいなのか興奮によるものなのかは、ブレイズデルにはもちろん、部下にも分からなかった。
部下の薄い唇が、冷酷に吊り上がった。
「だから、どうか私をお傍に置いて下さいね。」