様々な武器、少し使える程度の魔道、勝つためのありとあらゆる戦法を使ってきた身ではあったが、それは謂わば実戦経験の積み重ねであり基礎などはなぞるだけ。得意の剣術ならまだしも、他はとても人に教えられるものではなかった。思えば就任してからすぐの頃は教育者として何もかもが足りていなかったとベレトは思う。父であるジェラルトの教育のお陰で読み書きや算術は問題なく出来ていたが、ここではそれは当たり前のことで教師という立場は常に教え子以上のものを求められていた。
報酬を貰うからにはそれに見合った働きをする、というのは傭兵の頃から叩き込まれていた為、ベレトは日々の授業や鍛錬の合間を縫って今まで以上の知識をつけようとガルグ=マクの本を読み漁っていた。ただでさえ口下手で分かりやすく言語化出来ない身ではあったが、本を読めば文章として説明が出来るようになっていく。今まで上手く伝えられなかった事がスムーズに伝わるようになれば生徒達も関心したり驚いたりと様々な反応を見せてくれた。傭兵という職業から教師へと転じてからの変化にはベレト自身でも驚きと、そして今までにない楽しさを見出していた。
先生、と自分を慕う彼らを守り、育て、導きたい。彼らの期待に応えられる自分でありたい、彼らが誇ってくれる自分でいたい。
灰色の悪魔と呼ばれ、ただ生きるために剣を振っていた時には考えられないような、使命感にも似たもの。ベレトは茶会で、訓練で、時には課題の最中でとにかく一人一人と真摯に向き合うことを心掛けていた。自己研鑽を怠らないのは最早自分の為ではなく、生徒たちの為であるとも言えるくらいに。
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「……私に、剣術を?」
紅茶を一口飲み下した後、ヒューベルトは訝しむようにベレトを見た。
級長であるエーデルガルトの従者、なにかにつけてベレトを監視し、時には殺気まで放ってくる、少し扱い難い教え子の一人。とはいえ四節ほど付き合いを続けていれば彼なりの考えは読み取れるようになったし、警戒心を露わにしていた当初から比べれば茶会の際に暗器の場所当てを試してくる程度には打ち解けたように思う。それが正しい教師と生徒のお茶会と言えるかはまた別の話ではあるが。
彼の主君であるエーデルガルトは強く美しい。勿論ヒューベルトは今のままでも彼女の側に相応しい男であり、そのうちエーデルガルトの従者ではなく懐刀と呼ばれるまでになるだろう。
しかしベレトは「もっと鍛えられるのでは」という思いをヒューベルトに抱いていた。通常とは異なる理を元にした魔道の才、冷静な判断を下せる頭脳、これに加えて近接戦闘も出来れば彼と彼の主にも利があると考えたのである。そしてその胸の内を愚直すぎる程正直に本人に話し「剣術もやってみないか」と持ち掛けた。
――教育は武具の手入れに似ている。
丁寧に研ぎ、手入れをして、実戦で刃毀れなどしないように、無茶な扱いをして壊れないように。当たり前の事ではあるが中々に神経のいる作業だ。
鋭く、薄く、研ぎ澄ませる。美醜に今まで興味は無かったが、磨き上げられた教え子達は贔屓目抜きで魅力的で美しく見えるだろう。一人一人を手ずから磨く機会なんていくらあってもいい。
思考を読んでいたソティスが「お主のそういうところは嫌いではないが、少し重いのではないか?」と呆れた声を出していたがベレトからしてみれば今に始まったことではない。大切な人たちの事を考えれば胸の内はいつだって温かく、教育者としての情熱はそれこそ鉄を打つための炎のように燃えているのだから。
「剣術の指南と言ってもただ剣を振るうだけではなく相手との距離に応じた戦闘方法や防御、回避法なども自分は教えられる。それに後衛や支援を任される君が敵に接近された時に対処が出来ないと命に関わるだろう。実践に使う使わないにしろ、知識や経験を得る事に利はあっても害は無いはずだ」
一方、ヒューベルトにとってベレトは未だに底が知れない警戒すべき男である。しかし指導者としての才はそれなりに信用できるものであり、先生が苦手分野を克服してくれた、新しい道に目覚めた、などという話はよく耳に挟んでいた。黙ったまま考え込む教え子をベレトはじっと熱意を込めた瞳で見つめ続ける。居た堪れない視線に晒され続けた結果として、ヒューベルトは仕方ないと態とらしくため息をついた。
「剣術は貴殿の得意とするところですし、そこまで仰るのならばまずは一節だけ試してみましょう」
――使えるものは何でも使う。それが主のためになるならば。それにこの男の得意分野を習えば弱点とまではいかずとも癖などが見抜けるかもしれない、とヒューベルトは来なければいい『いつか』を見据えていた。
そんな事は露知らず、了承を得たベレトはきっと君たちの役に立つ、と表面上は相変わらずの無表情だったが頭の中では教えたい事で頭が一杯だった。
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まずは今の実力がどれほどなのかを知りたいというベレトに対し、人前での訓練を嫌がったヒューベルトは自分で訓練の日程と場所を指定した。
ガルグ=マク大修道院の直ぐ側にある森の中、少し木々が開けた場所に月の光が落ちている。木剣を構えたヒューベルトを見据えるベレトは訓練と言うには剣呑な雰囲気を纏った視線に少しの期待をしていた。そう遠くない場所で食事時の人々の賑やかな声がするというのに、剣を握っている男二人がいるこの場所は酷く静かである。
「……参ります」
言うが早いか、ヒューベルトが動いた。地面の上だというのに踏み込みの音がほぼ聞こえない事に加えて目の前にいるのに気配が薄い。突くような切っ先が容赦なく首筋に向かってくるのを少し体を引いて狙いをずらし、刀身で剣先を滑らせた。そこから的確に急所ばかりを狙ってくるそれを弾き飛ばすのは容易ではあったが、あくまでこれは訓練なのでベレトは受け流すことに専念する。
――斬るというより突き刺すような動きが多い、この動作が本人に合っているならば教えるのなら剣よりも槍のほうがいいのだろうか。長身だから槍の扱いは難なく覚えられるだろうが、皇帝の側で常に仰々しく槍を持っているのはどうなのだろう。ああでもこの動きならレイピアなどに適正があるかもしれない。
あれこれと思案するベレトに対し本気の打ち合いではないとはいえ、急所を狙われているのに動揺もせずいつもの無表情でいる担任をやはり底が知れない、気味が悪いとヒューベルトは思っていた。
――ここで、木ではなく本物の刃を突きつけたらこの教師はどうするのだろう。
ヒューベルトの不穏な思いつきは「そこまで」というベレトの声で実行する前に終わった。気が向かないとはいえ手は抜かなかったのでヒューベルトの息は少し乱れている。
「突きの動作がが多いのは何か理由が?」
「ええ、私の腕力では相手を断ち切るには難がありますので。剣を使って確実に敵を屠るとなるとこれが一番最適かと」
「確かに今から実戦に向けて筋力をつけるのは現実的とは言えないか……、槍術なら伸びそうな気もするが……」
ヒューベルトから木剣を回収したベレトは剣を二本持ったまま考え込み、ヒューベルトを上から下へと眺めた。不躾な視線を寄越されて眉を寄せれば徐ろにベレトは剣を手から離し――ヒューベルトの首元へ手を伸ばす。揺らいでいた空気が一瞬で張り詰めたのを感じ、ヒューベルトは袖口から刃の薄い短剣を取り出してベレトに突き付けようとするも逆にその手を掴まれて捻られる。
「くっ……!」
キン、と微かな音を立てて短剣が地面に落ちた。油断は確かにしていたかもしれないが、警戒は怠っていないはずだった。何をする気なのかと強く睨みつければ相変わらずの無表情がじっとヒューベルトを見つめている。そして首を指先で触れられ、背筋が凍った。ベレトはやろうと思えば今の一瞬でヒューベルトを殺せたというのがわかる。
「例えば、こうしてここまで接近されて、武器も落とされた時にどうすべきか」
「…………は?」
「距離を取り直すべきだがここからどうやって打開する?」
「……このまま闇魔法を直に撃ちます」
「なるほど、では魔力も無かった場合は?」
このまま自分の手の内を見せるべきか思案しているヒューベルトの手をベレトは離した。それなりに痛みがあった手首を擦りながら素早く下がって距離をとるヒューベルトを見てベレトは「威嚇する猫みたいだ」という感想を言い掛けて辞める。ソティスは「そんな可愛いものではなかろう!」と騒いでいるが。
「自分はこういう時の対処を教えたい」
現状最も警戒すべき相手にそんな事を言われて言葉のままに受け取るヒューベルトではない。しかし真っ直ぐ射抜くような視線は本気だった。いざとなれば反対側の袖口にある剃刀をベレトに突き付けるつもりではあったが、また完封されるだけだと一先ず見掛けだけ緊張を解く。
「貴殿が剣術の指南を口実に私を消すつもりかと思いましたよ」
「自分が君を殺す理由なんてない。驚かせたならすまなかった。それで、どうだろうか」
「どう、とは?」
「通常の剣術だと難しいと思う。とりあえず槍術と近接戦闘について教えたい」
ヒューベルトは先程掴まれた腕を振り払うことは出来ないことも無かった。その程度の護身術は既に習得しているが、元からベレトの観察を含めてこの話を飲んだのだから。
「そうですね、予定通り一節だけお願いしましょう。それ以降も指導して頂くかどうかは貴殿の教え方次第ですが。……ちなみに先程の組手の答えはなんですか?是非ともご教授願いたいのですが」
「相手の眼球に向けて唾を吐く」
想定していたものとは違った答えにヒューベルトは絶句し、ソティスは「いくらなんでも品が無さすぎる!」と抗議した。
「とはいえ相手が激昂する可能性があるからこれは最終手段として、まずは掴まれた方の手を開いて――」
「お待ち下さい先生。まさかとは思いますが、他の生徒、いえ、エーデルガルト様にもそのような指導を……?」
「いや、エーデルガルトにはまだ教えていない」
「まだ、ではなく。今後も、絶対に、教えないで下さい」
何故、と不思議そうな顔をするベレトにヒューベルトは深く深く溜息をついた。ヒューベルト自身は目的の為に手段を選ばない、それこそ相手に唾だって吐けるがエーデルガルトにそんなことはさせられないしそもそもそんな手段があると知ってほしくない。知ってしまえばそれが今後の選択肢に入ってしまう。接近を許した挙げ句敵兵に唾を吐くエーデルガルトなんてヒューベルトは見たくなかった。
「たしかにエーデルガルト様は士官学校の生徒という身ではありますがその前に皇女です。私も貴殿の有能さに免じて多少のことは目は瞑っておりますが、そのような事を教えるとなると話は別ですよ」
眉根を寄せて苦言を呈され、少し気落ちしつつベレトはヒューベルトが落とした短剣を拾った。
食事の時に使うナイフと同じくらいの短剣は手に持てば薄くて軽い。持ち手の部分も指に挟み込める厚さをしており、手に持って斬りつける以外に投擲なども視野に入れられそうだ。
「投げてみてもいいか?」
「……どうぞ」
持ち主の許可を得て短剣を親指と人差し指で持ち、軽く振る。顔の横まで手を持ち上げて軽い力で振り下ろすようにすれば、風斬りの音も最小限に木の幹に短剣は突き刺さった。
「いい武器だ。こうして使ったことは?」
「そういった用途としても使えるのは確かですが、投げた後に回収をしなければいけないのは手間ですので」
暗に痕跡を残したくない仕事をしていると匂わせたところでベレトの表情は動かない。木の幹から短剣を抜き、欠けた部分が無いか確認してからヒューベルトへ返す。ベレトの目の前で暗器を仕舞うのを躊躇ったヒューベルトは短剣を持ったまま立ち尽くした。
「暗殺術は専門じゃないが自分も勉強しておこう。普段の戦闘から使える動きもあるかもしれない」
皆が大切だと、守りたいと、どんな手を使っても生きていて欲しいと言いながら、ベレトは戦場でもない場所で他者の命を奪う術を教えようとしている。そのちぐはぐさはヒューベルトには不気味にすら思えた。ベレトの言う『皆』から外れてしまった人間はどうなるか、想像するのは難しくない。尚も警戒心を強めるヒューベルトの気持ちも知らぬまま、ベレトはこれから先が楽しみだと浮足立ちながら次回以降の予定の擦り合せを始めたのだった。
――――――――――
「次の出撃にヒューベルトを君の副官としてつけたい」
「は、」
ベレトに茶会に誘われ、自身の好む東方の着香茶をご馳走されたフェルディナントはご機嫌だった。槍術の覚えも良い、馬術の才もあると他ならぬ担任から褒められて得意気になっていたところでこの発言をされて心底嫌そうな声が出る。カチャ、と紅茶のカップが音を立てる程に動揺するフェルディナントを見てベレトは少し残念に思う。無作法な振る舞いを誤魔化すようにフェルディナントはコホン、と態とらしい咳をした。
「それは、その、彼も承知しているのか?」
「ヒューベルトにはまだ伝えていない。この場合前線に出るのは君だから先に君の承諾を得ようと思ったんだが……、どうしても嫌だというなら考え直そう」
嫌だ、と即答したいのをフェルディナントは飲み込んだ。フェルディナントの個人的な好悪で言えばヒューベルトの印象は良くない、むしろ悪い。少し前にベレトに昼食に誘われて承諾し席に向かった際、先にヒューベルトが座っていた時には思わず踵を返しそうになった。お互い相手をを良く思っていないだろうに何故先生は自分と彼を誘ったのかと目の前で聞いてしまうくらいにはフェルディナントとヒューベルトの仲は良くない。
「理由を聞いてもいいだろうか」
「ヒューベルトにフェルディナントの槍捌きを見せたい。君の槍術は自分の学級の中でも一番だから間近で見ればヒューベルトの学びになると思っている」
フェルディナントはベレトの褒め言葉に喜ぶよりも疑問の方が先に出てしまった。ヒューベルトは魔道を扱う後衛職なのに何故槍術を見せたいのかがフェルディナントには理解が出来なかった。確かにここ暫く訓練場でヒューベルトが槍を持っているのを目にした事はあるが、単なる体力作りの一環だとフェルディナントだけでなく、他の生徒たちも思っていただろう。
「君にも分かるだろうが訓練では教えられない、実戦でしか分からない事がある。勿論副官のヒューベルトには慣れている魔法職で出陣して貰う。だからフェルディナントは普段通り戦ってくれるだけでいい。ただ、君自身にはあまり利のない話だから無理強いはしない」
「……先生は彼に槍術を修めて欲しいのか?何の為に?」
「戦いの術が魔道だけだと魔力が枯渇した時に困る。扱える武器は多いほうがいい」