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    sasori141118_

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    課題で出す小説‼️‼️読んで感想ください‼️‼️頼む‼️‼️‼️‼️

    ひがんのあなた まだ五月の末だというのに、その日の神戸はやけに暑かった。蝉の声ひとつ聞こえてきたほうがまだ嫌にならない程だ。羽織っていたカーディガンをトランクケースの持ち手にむりやり括りつけて、ぼんやり空を見上げれば、暫くご無沙汰だった清々しい青空が目に入る。ここのところ、東北は雨続きだった。台風が大きくなっているだの雨雲が近いだのとお天気お姉さんは真剣な顔で知らせていたが、そんな予報が嘘のようにからりと晴れている。おおきくグイと伸びをして、久しぶりの神戸の空気を肺いっぱいに溜め込んだ。

    「じゃあ、写真は後で送るから」
     私に続いて改札を出てきた父が言う。暑いなー、と独り言にしては大きな声で呟いて、カッターシャツの袖をくるくると捲った。
    「うん、ありがとう。おばあちゃん、まだまだ元気そうで安心した」
    「そうだなあ。俺も久しぶりに会った。ユウキもほんとに久しぶりだったよな? たしか十年ぶりくらいだろ、神戸」
     たしか、最後に神戸へ訪れたのは小学生の時だ。神戸に住む祖母に会いに行こうと、今回と同じ目的で飛行機に飛び乗った記憶がある。その時の記憶は朧気でほとんど何も覚えていないが、その頃から全く変わっていない祖母の様子に安心したのが昨晩のことだ。笑うと下がる目尻も、会うなり抱き締めてくるその大袈裟なところもそのままだった。
    「すっごい久しぶりだった! 自分一人じゃ東北から関西まで行こうなんてなかなか考えられないから、お父さんが誘ってくれて助かったよ」
    「まあ、俺もたまには顔出さないとだし」
     神戸に住む祖母の元へ旅行に行こうと言い出したのは父だった。関西なんて行く機会そうそう無いからと二つ返事で提案に乗り、飛行機代も出してくれるという父に今度なにかお礼の品でも買おうと心に決めたのが一ヶ月と少し前だ。急に決まった用事だったが、せっかくだからと溜め込んでいた有給を消化して長めの連休を作った。父は祖母に会ったら次の日には帰ると言っていたが、ただ行って帰ってくるだけの旅行にしてしまうのは勿体ないと思ったのだ。
    「で、今から四国まで行くんだっけ。何しにそんな所まで行くんだ?」
    「まあ、ほら、一人旅だよ。今年でもう二十七になるのに、なんだかんだで今まで一回もしたことなかったし。行ってきます」
     父に手を振りキャリーケースを倒して引くと、括っていたカーディガンの裾がぴらりと垂れた。一瞬、直そうと立ち止まろうとして、ちょっと不格好だけれどそのまま行くことにした。タイルの溝に合わせてキャリーケースがかたんかたんと小さく跳ねる。でも心臓は、手に伝わるその小さな振動よりも随分早く鼓動していた。いつの間にか早歩きになっていた。どれだけ急いでもバスの出発時間は変わらないのに、早く早くと気持ちばかりが急いてしまってどうしようもなかった。
     今から私は、遠く離れた恋人に逢いに行く。そう思うだけで、いてもたってもいられなかった。


     香川県高松市行きの高速バスは空いていた。三席独立タイプのバスをわざわざ選んで予約したのだが、こんなに空いているならそこまで拘る必要もなかったかもしれない。
     悠々とリクライニングを倒し窓の外を眺めると、東北とはまるで違う景色が目に飛び込んでくる。神戸が言わずもがな都会なのもあるが、そもそも生えている木の種類が全然違うような気がした。話し声すらしない静かなバスは、小さくがたがたと揺れながら高速道路を走っていく。淡路島を通りついに四国地方へ入っても、私の気持ちは落ち着かなかった。車窓から広がる、どこまでも穏やかな水平線とは正反対に思えた。

     目星をつけていたうどん屋さんは混んでいた。お昼のピーク時を過ぎたようで行列とまではいかないけれど、こじんまりとした店の軒下に十人ほど並んでいた。大人しくその列に並び、メニューを見ながら時間が過ぎるのを待つ。段々、面白いように気温は上がり、神戸で浴びたあの日差しより強い気がした。後ろから聞こえる親子の会話に、脳内で適当に相槌を打ちながら待ち、ようやく私がうどんにありつけたのはもう昼過ぎに差し掛かるような時間だった。
     言わずもがな、自称うどん県のうどんは別格だった。有り体に言ってしまえばとにかく美味しいのだ。私の知るうどんより幾分か太く、もちもちとした弾力は若干顎が疲れるほどで、薄色の出汁の風味が口に広がる度に
    「この先人生で食べるうどん全部これがいいなあ……」
     とちょっと馬鹿っぽいことを一人で呟いて、あとはひたすらにうどんを啜っていた。満腹になったお腹をさすりながらレジで店員の眩しい笑顔を全身に受け、こんなに美味しくてこんなにいい店ならそりゃあ混むはずだろうと納得する。
     あの人とも、よくうどんを食べたなあとレシートを見ながら思い出す。簡単に作れるたまごうどんだったけれど、私がバイトから帰ってくると深夜だというのにそれを作ってくれる彼女のことが大好きだった。私があんまりにも大袈裟に喜ぶので、彼女は私の好物をたまごうどんだと勘違いしていた。たまごうどんが嬉しかったのではなくて、あなたが作ってくれたから嬉しかったのだと伝えられたことはあっただろうか。

     ビジネスホテルに早めにチェックインして、部屋に入るなりベッドに思い切りダイブした。スプリングで一瞬だけ体が浮き、またベッドに沈み込む。移動の疲れと暑さによる疲弊からか、目を閉じたらすぐにでも眠れそうだ。このまま微睡んでしまいたい気持ちをぐっと飲み込み、どうにか起き上がってハンドバッグを引っ掴んで部屋を出る。このまま部屋にいたら明日の朝まで動けない気がした。
     ホテルの近くにいては勿体ないとバスを乗り継ぎ、屋島まで行くことにした。穏やかな海が眼前に広がり、潮風がぴゅうと耳を掠める。高速バスの車窓から見た景色とはまた違って見えた。

    「屋島、行ったことある? あそこ遠いし山だし行くの大変なんだけど、水族館がある展望台から海を見渡すのが好きなんだ」
    「屋島? 香川の? ……行ったことないや」
    「そっか、じゃあ今度あたしに会いに来た時に寄ってみるといいよ。都合が合えば私も一緒に行くし……瀬戸の海は穏やかで静かで、綺麗なんだ」

     数年前、彼女がそう言っていたのを思い出す。ぐねぐねと曲がる道を登っていくバスの中で、いつかの記憶を掘り返した。

     展望台まで登ってしまえば波の音は届くはずもなく、麓よりも強まった風が、染めたばかりの髪をくるくると弄んだ。
     ふと彼女が、綺麗でしょと隣ではにかんだ気がした。そちらに意識を向ければ、両腕を広げて風を一身に浴びて、飛ばされそう! と、ばたばたと暴れる上着もそのままに、眩しいくらいの笑顔を私に向けている。
    「ほら、ユウキもやってみなよ! 気持ちいいよ!」
     頭の中に響く彼女の声に従って、両腕を思い切り上に伸ばした。途端、腕が風で後ろに持っていかれて転げそうになる。
    「あはは! 風、強いね!」
     そうだね、と返した言葉は風に飲み込まれてどこかへ飛んでいってしまって、きっと彼女には届かなかった。
     瞬きをしたら、もう彼女はいなくなっていた。

     水族館をさっくりと周りまたバスで山道を下って屋島を出て、適当な居酒屋でお腹を満たしホテルに帰った頃には、私の体はへとへとだった。
     部屋に入るなりハンドバッグをキャリーケースの上に放り投げ、数時間前と同じようにベッドにダイブする。はあ、と小さくため息をついて暫くぼーっと天井を見つめてから、よっこいしょと声を出して勢いをつけてベッドから起き上がった。いくら疲れているとはいえ、シャワーくらいは浴びて寝たかった。


     早朝からまたバスに揺られ、今度は愛媛を目指した。松山市についたのは昼頃で、そこから路面電車で道後へと向かう。日本最古の温泉たる道後温泉へ、一度は行ってみたかったのだ。

     彼女の所に行くのは明日と決めていた。明日が彼女と私の記念日だからだ。プレゼントも勿論買ってきたし、サプライズで喜んで欲しくて、事前の連絡もせずにとうとうここまで来てしまった。
     あつあつのじゃこ天をかじりながら、明日のことを考える。もし喜んでくれなかったら? 数年離れている間に、私が知らないところに引っ越してしまっていたら? そう考えただけで、じゃこ天が喉の入口にひっかかる。慌ててお茶で流し込んで、次の一口は今度はちゃんと咀嚼して飲み込んだ。
     考えるだけ無駄だ、実際に行ってから考えよう。頭をふりかぶってそう考え直した。とにかく今は、目の前の温泉街をとにかく堪能しなければ。

    「東北も温泉が多いよね。愛媛のさ、道後とか、どう?」
    「道後?」
     道後、と言われて、初めは何も思い浮かばなかった。愛媛のと言われて、ははあ愛媛にある温泉街かなにかか、とピンときたが、後日調べてみてその規模の大きさに驚かされた。日本最古の温泉だとか、夏目漱石の「坊ちゃん」の舞台だとか、色々凄いことが書かれているのだ。
    「道後、調べてみたらめちゃくちゃ興味湧いちゃった」
     彼女にそう伝えるとぱあと顔を明るくして、いそいそとパンフレットを持ち出してきた。彼女の温泉好きは彼女が東北に移り住んだ際、私におすすめの温泉を教えるように強請るほどだった。あの時はどこかで貰ってきたのだろうと思っていたが、今考えればあのパンフレットも私に渡すためだけに自分で買ったもののような気がしてきた。
    「じゃあさ、あたしの仕事が一区切りついて愛媛にちょっと帰るってなったら、その時は一緒に道後に行こう!」
    「いいね、じゃあその時は……案内お願いね?」
    「任せて!」
     太陽みたいなまっすぐな笑顔が可愛かったのを覚えている。こんな会話すら随分と昔のことだ。彼女の転勤と私の就職が重なって、結局約束はこれきりになってしまった。メッセージでのやりとりも減ったし、最後に会ったのなんて三年前だ。
     四国は遠い。往復の費用だけで五万六万程度かかるし、その他の移動費やら宿泊費やらも含めたらもっともっとかかる。片道の移動で一日使ってしまうから休みを貰わなければならないし、お金も時間もない私は、こうして父の帰省に着いていくような、そんな形でしか叶えることが出来ない。
     そうしてまで、彼女の元へ行きたくなったのだ。普段は絶対行けないような四国まで、千キロメートルの距離を越えてまで来たいと思ったのだ。

     予約していた旅館は、旅館というよりもホテルのような佇まいの建物だった。比較的安かったが朝食付きでタオルの貸出もあり、一泊ならこの程度で充分だろうという一ヶ月前の目論見は、部屋に着いた頃にはあと一週間くらい滞在したいという欲望に変わっていた。落ち着いた雰囲気のシングルベッドの部屋は、檜の独特な深い香りで満ちていた。

     道後は広かった。温泉はともかくとして、飲食店や商店街を見ているだけで日が暮れて、慌てて道後温泉本館へと足を運んだくらいだ。
     大きな温泉街ということもあり、人が多く賑わっている。そこかしこでカップルや家族連れが写真を撮り、足湯に入り、美味しそうにご飯を頬張っている。ご当地キャラクターのお土産やら今治タオルの専門店やら、何を見ていても飽きが来ず、相変わらずの暑さの中でもふらふらと目的もなく歩くだけで気持ちが良かった。ふわりと鼻腔を擽る石鹸のような香りも心地よい。

     日が暮れた頃、ふらりと立ち寄った居酒屋でみかんサワーを飲んだ。
     愛媛といえばみかんだ。県をあげてのみかん推しが凄まじく、お土産にみかんジュースを調達したくらいにはみかんにすっかり心を奪われていた。みかんの旬では無いにも関わらず、愛媛でデザートやらジュースやらで口にするみかんはどれも甘く美味しかった。
     サワーのさっぱりとしたみかんの甘さと強い炭酸は、温泉上がりで火照った体に堪らなく体に染み渡った。またじゃこ天をひとかじりして、これまた有名だという海鮮を食べた。筋のない綺麗な刺身は評判と違わず、弾力がありつつ口の中でとろけるような食感に箸が進んでいく。
     彼女と暮らしていた時は、あまりお酒を飲まないようにしていた。お酒が大好きなのに仕事が忙しくて飲酒を控えている彼女の前で、私だけがお酒を飲めはしなかった。
    「あたしが飲まないからって、ユウキも飲んじゃダメなんてことはないんだよ?」
    「いやいや、そんなこと出来ないよ。そもそも私お酒あんまり得意じゃないしさ」
    眉を下げて私に謝る彼女に、よく嘘をついていた。あんな下手な嘘、もしかしたら見破られていたのかもしれないし、気付かれていたかもしれない。それでも彼女は何も言わなかったし、彼女が家を出て転勤するまで、私も彼女の前でお酒を飲むことは無かった。

     サワーを一気に飲み干して店を出る。明日はいよいよ彼女に会えるのだ、もう一度温泉に入って……いや、あと二回くらい入って、早めに寝てしまおう。


     旅館の充実した朝食を食べ、朝ももう一度温泉に入り、松山駅からバスに乗った。今回の旅行でバス移動がやけに多いのは、私の財布と相談した結果の表れである。飛行機代を出して貰えたとはいえ、まだまだ贅沢に使える金額というのは多くはない。節約に節約を重ねた結果、バスでがたがた揺られている時間がやけに長い旅行になってしまった。それでも新幹線を使うとなると金額は倍にもなるし、乗り換えの時間なども含めたらそこまで移動時間に差は無いから……と、自分の中でどうにか言い訳をつけることに成功した。
     がたがたと揺られ、街並みを抜けた先一面に海が広がった。この数日で何度も見た、穏やかで静かで白波一つ立たない瀬戸内海だ。どこまでも青くて、空との境界線があやふやになりそうなほどの水平線が、私をじっと見据えている。

     バスから降りると、少しだけ放心した。足先と言っても過言でないほどすぐそこに広がる海に飛び込みたいような気すらした。双海町から見える海も、彼女が好きだと言っていた場所だった。
     そこからはひたすら歩くことにした。タクシーを使うことも考えたけれど、自分の足で辿り着きたい気持ちの方が大きかった。
     砂の散らばるコンクリートの道を海沿いに歩く。隣をバイクがブロロと音を立てて通り過ぎては、後ろから来た自転車が私のことを追い抜いていく。急ぐような気持ちはもうなかった。あとちょっとだと思うと、かえって緊張して歩みが遅くなりそうだった。

     キィ、と音を立てて背の低い門へ身を滑りこませる。悪いことをしている訳では無いのに、なんだか誰かに見つかったら怒られるような気がして、少し足早に中へと入った。鳥が小さく鳴いて、風に揺られる葉がざわざわと音を立てて、潮風のツンとした匂いが鼻を刺す。いいところだと思った。ここに身を置くことに決めた彼女のセンスが羨ましい。単に実家が近いからかもしれないけれど。
     新緑の深い香りと潮の匂いがまぜこぜになって、私の脳を鮮明にさせていく。歩く度に砂利が小さく音を立てる。靴の中に入った砂だか砂利が、少しだけちくちくと痛かった。
     そうして、ちゃんとそこに彼女はいた。
    「あ、あったあった。来たよ、ケイちゃん」
     葉の隙間から光が溢れて、滑らかな表面に影を落としている。周りには誰もいなかった。先程まで聞こえていた音がしんと静まり返ったような気がした。代わりに、どくん、どくんと心臓が早鳴って、そのせいで何も聞こえないのかもしれない。
     誰かが手入れをしているのか、目立った汚れすらない綺麗な墓石は、私が想像していたものよりも随分と小さくて、目線を合わせたくて屈むことにした。歩き疲れた膝からぱきりと音がした。
    「色々調べてみてさ、ここじゃないかなあって思って来たんだ。海が見えるし実家も近いし、ケイちゃんが好きって言ってた双海にあるし。……久しぶり」


     
    「立派なお墓だね、ケイちゃん専用じゃん。ここに作りたいならそうするしかないか、実家のお墓はまた別の所にあるもんね」
     私がそう話しかけても、「矢野 景」と刻まれた石は何も言わなかった。彼女からの返事が欲しいのに、聞こえるのは風の音と遠くの波の音だけだ。
    「……あのさ、三年前? くらいにさ、急に連絡しなくなって……ごめんね。私も忙しかったの。ケイちゃんも忙しいのはわかってたし、それで……」
     言いたいことがぱっと出てこなくて、思わず口篭る。昨日の夜も一昨日もその前も、ずっとずっと考えていた筈だ。それこそ、ケイちゃんの訃報が私の元に届くずっと前から。
    「……ケイちゃん、私のことなんてすっかり忘れてると思ったの。私のことなんて忘れて、こっちで幸せになってるんだろうなって。学生の恋愛みたいにさ、私たちの関係はもう自然消滅したんだろうなって、勝手に」
     ハンドバッグのハンドルをぎゅっと握る。日差しが直接当たっているわけではないのに、汗が額にじわりと浮かぶ。
    「ケイちゃん、私のことずっと待っててくれたのに今更になって、ごめんね」
     ぽろりと、膝が小さく濡れる。次いで、ぽろ、ぽろと、ジーンズに水玉模様が出来ていく。
    「……これ、お土産。ケイちゃん、お酒好きだったでしょ?」
     鞄からワンカップを取り出す。墓参りにはやけに不似合いのそれをかぱりと開けて、少し傾けた。私の地元の、彼女が好きだと言ってくれていた地酒。
    「ケイちゃんが飲まないなら、私が飲んじゃうからね。……いいよね?」
     瓶を唇に当てて、一気に煽る。それでも、半分も飲めなかった。ヤケになって残りを全部喉に流し込んだ。舌と喉が焼けるように熱くなって、熱い固まりが食道を通って胃に落ちていく。
    「ごめんね、私さ、お酒苦手でもなんでもないんだ。……嘘ついてた、ごめん。気付いてたかな、もしかして」
     ぐらりと歪んだ視界を飲み込んで、口元を拭った。空になった瓶の蓋を閉めて、また鞄に仕舞う。
    「結婚のことなんだけどさ、ごめんね、ケイちゃんに知らせる気は無かったんだ。事故みたいなもので……ケイちゃんにも、恋人がいるって、聞いてたし」
     何を言っても言い訳にしかならなくて、怒らせてしまう気がして、でも口は止まらなかった。
    「ほんとに彼のこと好きなのかって聞かれたら、よくわかんない。告白されて付き合って一年でプロポーズされて、結婚したけど。彼のことより、ケイちゃんのこと考えてる時間の方が長い気がするんだ。……ケイちゃんのこと好きなくせに、何やってんだろうね、私」
     よいしょと呟いて立ち上がる。少しだけ立ちくらみがした。暑さのせいと、アルコールが回っているのかもしれない。ふらつきながらもキャリーケースを掴んで、靴の中に入った砂利を取り出して、姿勢を整える。
    「じゃあね、ケイちゃん。また来るね。付き合って七年記念日、おめでとう」
     最後まで何も言わない墓石に手を振って、ついさっき通ってきた砂利道を戻って行く。来た時よりも早歩きで、キャリーケースが小石を踏んで暴れ回るのも気にしなかった。

     不意に、後ろから視線を感じた。ここに来るまで感じてこなかった視線だ。思い切って振り返ると、ケイちゃんの墓のすぐ側に男が一人立っていた。男が口を開く。見覚えのない男だった。手には柄杓と桶を持っている。彼も墓参りだろうか。
    「なあ、お前、ユウキだろ」
    「え、あ、はい、そうですが」
     唐突に話しかけられて、アルコールが回って正常に処理できない頭が驚いた。随分間抜けな声が出る。
    「今更何しに来たんだ。お前がケイを捨てて楽しくやってたのは、俺もケイも知ってんだぞ」
    「え、あの、なんですか急に」
    「お前のせいでケイが自殺したことを知ってるって言ってんだ」
     途端、さあっと体の中心が冷えていくのがわかった。なのにキャリーケースを握る手のひらには汗がじわりと滲んで、指が小さくかたかたと震えている。言葉を探すより先に、男の言葉が覆い被さってくる。
    「ケイのことほっぽった挙句自分は結婚して、二年経ってようやく来るとか。どの面下げて来やがった」
    「な、なんであなたが私たちのことを知ってるんですか。そもそもケイちゃんだって私のことなんて忘れて……恋人が出来たって、ケイちゃんのお母さんが!」
    「その恋人ってやつが俺だからだよ。同性しか好きになれないケイが親に結婚急かされて、誤魔化すために紹介したのが俺だっただけだ」
    「そん、そんな、だって」
    「ケイはずっと俺に謝ってた。好きになれなくてごめんって、いつかユウキが迎えに来るかもしれないから待ってるんだって。……俺はあいつが幸せになればそれでよかったから、お前が迎えに来るのをずっと二人で待ってた。なのに、お前は来なかった」
    「そん、そんなこ、と言われても」
     口がからからになっていく。事実を突きつけられているだけなのに、爪先が冷たくなっていくのを感じる。思わず声を張り上げた。
    「わか、わかってますよ、ケイちゃんが私のせいで飛び降りしたってことくらい! でも私だってわざわざ知らせる気無かったし、そ、そもそもケイちゃんは私のこと忘れてると思って……!」
    「……そうだな。忘れてたら、どれだけよかったか」
    「……あ、」
     ハッとなって、思わず顔を上げた。水を打ったように冷えた空気の中、男は手馴れた手つきで墓石に柄杓で水を掛けていく。彼がこまめに彼女の墓の手入れをしているのだろうとすぐに合点がいった。
    「……もういい、当たって悪かった。気をつけて帰れよ」
     空になった桶に柄杓が放り入れられ。がこんと音が鳴る。彼は墓に手を合わせて、小さく何かを呟いていた。きっと私への言葉ではなくて、ケイへの言葉なのだろう。私に背を向けるようにして座り込む彼の、もう何も言うことは無いと言わんばかりの背中が痛々しく思えた。
     
     門から出れば、来た時と何一つ変わらない海が広がっている。潮風を浴びた肌は少しべたべたして、それでいて砂でざらついていた。バス停までは遠い。遠いのに、来た時はあんなに長く感じた道は、あっという間だった。
     静かなバスにがたがたと揺られる。車窓から広がる海は、どこまでも静かで何も言わなかった。
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