飴色には未だ早い「ここにいたんだな、ミシェル」
背後から声が掛かり、キッチンに立つミシェルはドアの方を振り返る。声の主は抱えた荷物を下ろして肩を回しながらすぐ傍まで歩み寄って来た。
「お疲れ様、レオくん。荷物運んでくれてありがとう」
「気にすんなって。これでまた俺の気高さ値がアップしたからな」
思っていた通りの返答にミシェルが思わずくすりと笑みを零すと、レオは少し照れくさそうに頬を掻く。
「子ども達は昼寝してんだっけ?」
「うん。小さい子達は夜の天体観測まで起きてられるようお昼寝で、大きい子達はまだ川で遊びたいって。今は養護院の先生達が見てくれてるよ」
レオとミシェルの二人はシルヴェーアにある養護院で子ども達の夏のキャンプを護衛する任務に就いていた。朝から森を散策して、昼は川で遊んで、夜は天体観測。それから庭にテントを張ってみんなで眠る。それだけのささやかな催しだが、夏の恒例行事として子ども達は毎年とても楽しみにしているらしい。
「こういうの、騎士の任務とはちょっと違うんだろうけどさ。楽しそうなあいつら見てると、引き受けて良かったなって思うよ」
レオがそう言って優しく笑う。その表情は「気高い」を連呼して子どもみたいに飛び出していく普段の彼とは違い、少し大人びて見えた。
「うん、本当に。マルクくんが私達のことを思い出してくれて良かったね」
養護院はコルテン村の近くにあり、近隣に住む子ども達もキャンプに参加できることになっていた。マルクも参加を楽しみにしていたが、今年は獣の被害が増えていることを鑑み中止が検討されていたらしい。
「薬屋のばあさんと養護院の院長さんが騎士学校にダメ元で相談したら、社会貢献の一環だって報酬無しであっさりオッケーとはなあ。教官もああ見えてなんだかんだ優しいよな」
「怒られてばかりのレオくんからしたら厳しく見えるかもしれないけど、リゼット教官は優しい人だと思うよ」
「うっ、それは……すみません……」
怒られた訳ではないのに何故かしゅんとなるレオがおかしくて、ミシェルは冷ややかだった視線に少しぬくもりを戻した。先ほどの発言は軽率だったが、今日のレオは護衛としての任を果たしつつ全力で子ども達と遊んであげていた。幼馴染のセリアやユーゴと一緒の時はどうにも末っ子感が強いが、マルクや他の子ども達を相手にしている時は普段よりずっと大人びて見えるから不思議だ。
「レオくんは、キャンプしたことある?」
ミシェルが尋ねると、レオはしばし考えてから口を開く。
「騎士学校での野営訓練以外だと、ユーゴとセリアと夜中に家を抜け出してそれっぽいことならやったことはあるな。村の広場に木材とかボロ布とか持ち寄ってテントにしてさ。寝てるはずの俺達が部屋にいないって家族が気付いてちょっとした騒ぎになったんだよな」
その様子がありありと目に浮かんで、ミシェルは笑みを零す。
「ふふ……三人はとても仲良しだね。私は村に同世代の友達っていなかったから、ちょっと羨ましいな」
それを聞いたレオがはにかむ。
「仲良し……って言うのかな? なんか一緒にいると知能指数下がるっていうか……つるんでバカやって怒られた記憶ならめちゃくちゃあるぜ」
照れくさそうに語るレオを、ミシェルは微笑ましい気持ちで眺めた。その視線が落ち着かないのか、レオは逃げるように話題を変える。
「そうだ、次は何したら良いかな?」
「今は特にないかな。私はしばらく手が離せないから、レオくん念のため川の方に行ってもらえる?」
前日のうちに付近の森や川を見回って獣は討伐しているが用心するに越したことはないし、きっと子ども達もレオが行けば喜ぶだろう。
「ああ、任せてくれ。……ちなみに、ミシェルはそれ、今日の夕飯作ってくれてんのか?」
レオはそう言ってミシェルの手もとでぐつぐつ煮込まれている大きな鍋を覗き込む。彼女がお玉でかき混ぜているのは子ども達にリクエストされて作った今日の夕食だ。キャンプと言えば飯盒炊爨が定番だが、院の子ども達は普段から自分達で食事の準備をしたり小さな子はその手伝いをしている。今日くらいは思いっきり遊んでもらおうと夕食の準備はミシェルが引き受けた。
「うん。みんな満場一致でこれが良いって。レオくんも好きだよね、マーボーカレー」
それを聞いたレオが鍋からミシェルへと視線を移す。
「……そういや、ミシェルもマーボーカレー好きだって言ってなかったか……?」
何故か恐る恐る尋ねるレオに、ミシェルが小首を傾げる。
「うん。それがどうかしたの?」
「い、いや……その……これってちなみに、マーボーカレー飯店の辛さで言うと何辛くらいなのかなー……って」
ようやくレオの言わんとすることを察したミシェルは呆れた声を出す。
「……あのねえ、レオくん。子ども達のために作ってるんだから、十辛にしてる訳ないでしょ」
「で、ですよね……!」
ミシェルがじとーっとした視線を寄越すとレオが気まずそうに視線を逸らした。
「私の味の好みはあるけど、誰かと一緒に食べるなら調整します。当たり前じゃない」
それを聞くと、レオが何かに思い当たった様子で「ああ」と呟く。
「そっか、ミシェルもじいさんと暮らしてたって言ってたもんな」
まるでミシェルがひとり暮らしなら毎日激辛料理を食べているに違いないと決め付けたかのような言い方だが、いちいち目くじらを立てても仕方がないのでぐっと堪えた。レオはそんな彼女の努力には気付かないまま、開けっ放しのドアから養護院の前庭を眺める。
「――ここさ、俺とユーゴが暮らすことになってたかもしれない場所なんだ」
「え?」
レオはぐるりと食堂を見回してからミシェルに向き直る。
「俺もユーゴも身寄りがなくなって、ここが新しい家になるかもしれないって見学に来たことがあるんだよ」
三人の事情はセリアから大まかに聞いていた。レオとユーゴにも確認して話せる範囲で、と前置きしてから話してくれたのだ。
「故郷の村よりも沢山の子ども達がいて雰囲気も悪くなかったけど、俺達がここに入ったらセリアとは離れ離れになるし、里親が決まった子は出て行くからさ。ユーゴはしっかりしてるし賢いしすぐに里親が決まりそうだって言われて、三人バラバラになると思ったら悲しくてさ」
その時のことを思い出しているのか、レオが少し寂しそうに笑う。その顔は騎士学校のブレイズ1年生ではなく、まだ小さな子どものように見えた。
「その日の夜、泣きながらセリアの叔父さん達のところに行って、せめてユーゴだけでも面倒見てもらえないかって頼みに行ったんだよ」
恥ずかしそうにレオは語る。自分が読書好きだったことすら話すのをためらっていたのに、幼馴染が絡むと途端に饒舌になる。これはセリアもそうだし、ユーゴも二人きりになった時の話題を思い返すとそうだった気がする。
「そしたら同じように泣きながらユーゴが来てさ。同じこと言うんだ。そうこうしてたら今度はセリアが泣きながら起きて来て、二人が養護院に行くくらいなら私が行くって意味わかんねえこと言い出してさ」
レオがおかしそうに笑うと、ミシェルもつられて笑みを浮かべる。
「それは……すごく想像がつくなあ」
小さな三人が瞳に涙をめいいっぱい浮かべて訴える姿が目に浮かぶようだ。
「だろ? 結局、セリアだけじゃなく俺達二人とも叔父さん達に面倒見てもらえることになって、こうして騎士学校にも入れて、良かったなって思うよ」
レオが見つめる先、大きく開いたドアの向こうから風に乗って子ども達の声がかすかに聴こえる。別棟にある大広間で寝ていた子ども達も起きだして川の方へ向かったようだ。ミシェルは鍋をかき混ぜる手を止め、小皿を取ってマーボーカレーを少しだけ入れる。
「ねえ、レオくん。ちょっと味見してみてもらえないかな?」
「いいのか?」
レオが小皿とスプーンを受け取ると、ミシェルは拗ねたように唇を尖らせる。
「うん。疑ってるみたいですしね?」
「い、いや、それは……すみませんいただきます……」
背すじを正し畏まった態度でレオがマーボーカレーを口に運ぶ。ひと口食べて飲み込んで、
「うめえ……!」
きらきらと顔を輝かせた。感嘆のため息とともに零れたその声に、ミシェルもつい頬が緩んでしまう。レオは空になった小皿と大鍋を交互に見て、それから何か言いたそうにしつつも迷いを振り切るように小皿とスプーンをミシェルに返した。
「俺さ、ここに引き取られても不幸じゃなかったとは思うけど、やっぱセリアの叔父さん達の世話になれて良かったよ」
食器を受け取りながら、ミシェルはレオの言葉に耳を傾ける。
「セリアやユーゴとは離れ離れになっても連絡取ったり会ったりしてただろうけど、騎士学校に来てなかったら、こうしてミシェルのマーボーカレーは食えなかっただろうからさ」
予想外の着地点に驚いて、ミシェルはしばし言葉に詰まる。
「そっ……そっか。それは、良かったね……?」
不自然にならないようさり気なく目線を逸らしてから無難な相槌を打った。
「これもポトフの時みたいに、何か隠し味があるのか?」
良い具合に話題が逸れて、ミシェルは内心ほっとしながらマーボーカレーの鍋を見下ろす。
「追加した食材は森で調達した蜂蜜くらいだけど……工夫したことと言えば玉ねぎを二種類の切り方で入れることかな。最初にみじん切りした玉ねぎを炒めてから煮込んで溶かして、くし形に切った玉ねぎは食感が残るよう後から入れるの」
それを聞いたレオは感心した様子で深く頷く。
「へえー、それでこんなにうまくなるんだな。みじん切りの玉ねぎは飴色になるまで炒めるんだっけ」
「え?」
その言葉にミシェルが目を丸くして聞き返すと、レオは照れくさそうに笑う。
「俺のばあちゃんもよくカレー作ってくれてたんだけど、美味しくするコツは玉ねぎを飴色になるまで炒めることだって言ってたからさ」
レオが答えるとミシェルは複雑そうな顔をした。
「うーん……確かにお家やお店で作るならじっくり炒めた方が美味しいんだけど……今日は手早く沢山作る必要があるから時間が足りないし、飴色には出来ないかな……」
「えっ、玉ねぎを飴色にするってそんなに時間掛かるのか?」
それを聞いたレオが驚いて聞き返す。
「うん、かなり。焦がさないようにずっと炒めてなくちゃいけないし」
今日のマーボーカレーはそこまで手間暇を掛けることが出来なかった。ミシェルは少し申し訳ないような気持ちがしたが、これまで家事をこなしてきた経験からして妥当な判断だったと思う。
「そっか、知らなかった……そんなに手間が掛かってたんだな……」
レオはぽつりと呟くようにそう言った。
「おばあさん、レオくんのために美味しくなるよう愛情込めて作ってくれてたんだね」
「ああ……」
顔も知らないその人が、玉ねぎを炒めながら孫の帰りを待つ背中を思い浮かべる。厳しい人でもあったと彼が語るその人の背中はしゃんと真っ直ぐで、きっと優しい顔でカレーを作っていたに違いない。
「今度ばあちゃんのレシピでカレー作ってみようかな」
レオがそんなことを言うので、ミシェルは料理の先輩としてぴしゃりと苦言を呈する。
「レオくんの場合、まずはちゃんとみじん切りを覚えるところからだよ」
「うっ……精進します……」
「ふふ……私で良かったら教えてあげるよ。ただし厳しくいくからね」
調理実習での姿を思えば道は険しそうだが、努力家であることはもう知っているので、すぐに上達するだろう。それを聞いたレオは懲りもせずに小さく呟いた。
「……やっぱ似てるよ」
「マーボーカレー、レオくんのだけ十辛にしようか」
「ごめんなさい撤回します」
即座に謝罪できるようになったあたり、少しは乙女心を理解し始めたのかもしれないが、いかんせん軽率なのがいけない。
「じゃあ俺はそろそろ子ども達のところへ行くかな」
そう言ってレオはドアの方へ歩き出す。しかしその途中で立ち止まり振り返った。
「そうだ、ミシェル。今度セリアとユーゴと四人でキャンプしないか?」
「え?」
「したことないって言ってたろ。野営の訓練ってことにして道具とか借りてさ。いや実際訓練にはなるし!……ダメ、かな……?」
叱られた直後の仔犬のような目でレオが尋ねるのであまり無碍にもできないし、何より無自覚な優しさがずるい。ミシェルは仕方なく先ほどの失言を水に流して小さく微笑んだ。
「……ううん、良いと思う。……ありがとう」
「ん? 何が『ありがとう』なんだ?」
「レオおにいちゃーん、こっち来てー!」
その時、食堂の入口からマルクの声がした。声の調子からして緊急事態ではなさそうだが、レオは素早く振り返る。
「わかった、すぐ行くー! じゃあ俺マルクのとこ行ってくるわ!」
言い終わらない内にもう外へと駆けて行った赤いポニーテールを見送って、ミシェルは再び鍋に目を落とした。
気持ちが通じたと思ったらまた噛み合わなかったり、かと思えば急に近くに感じたり。騎士学校で過ごす四年間ずっとこの調子なのかもしれないけど、それはそれで悪くない気がする。理解の縁から一歩ずつ、進んだり戻ったりしながらじっくりと、歩み寄っていけるはずだから。