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    seki_shinya2ji

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    seki_shinya2ji

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    8/20インテで販売する新刊「日常、大罪にて」の前日譚的なものです。これ自体はもうちょい続きます。続きが出来次第上げます。
    当日はよろしくお願いいたします!

    1「セーンセ」
    「はい」
    「センセー?」
    「はい」
    「もうセンセー?」
    「はい」
    男は女の声がしている気がしているから返事をしているだけ。それくらいフロアに音楽と人の話し声が響き渡っているからだ。
    接待しろと言われてしまえば、男相手ならキャバクラで女相手ならホスト、と、男の中では決まっている。例外はあるが対処が難しい問題ではない。バーと言われたら候補が4つ常にあり、レストランと言えば電話ひとつで二つ星レストランの1番良い席を確保する事ができる。
    男はこういうことも仕事としている。
    しかし自らが接待されるとなると、とことん無関心になる。好きの反対は無関心である、を絵に描いたような対応しかできない。
    「北先生、こういう所は苦手ですか?」
    チミチミと断続的に果物を食べている細目の男は中国人ではなく純日本人で、男と同じ数の女を侍らせている。この地域では珍しい標準語を話すことに加えて整っている端正な顔たちに女は目の色が違う。その後ろには少し背の低いトサカ頭の男が立っているが、目線は全く違うところを向いている。
    「苦手いうか、ガヤガヤしとってなんや落ち着かん」
    「それもそうかもですね」
    苦笑した男はブドウを摘んでいる。
    「信介」
    不意に肩に息がかかって驚いた。男は肩をヒクつかせたが目線は手元のグラスのままため息をついた。
    「それやめろ」
    それ、とは「信介」と男のことを呼ぶことだ。今は男は接待をされながら仕事をしている。
    「アレ」
    アレと言われて初めてフロア中心を見た。そこには男がいた。


    ==============================


    遡ること数時間前のこと。トサカ頭と細目の男は市内の繁華街にいた。夜も8時過ぎで、もう既に定時上がりの人間がほろ酔いで街に繰り出し始めている。泥酔している人間は見受けられない。
    男たちはいわゆるヤクザだ。一般人とは一線を画している人間、つまり狂人である。この街には2人以外にもヤクザは何人もいる。パーセントにしたら1パーセントも居ないが存在するのは間違いない。人を殺して騙して金を巻き上げることが仕事と胸を張っているようなロクデナシ。本来なら塀の向こう側にいるべき人間だ。
    今細目とトサカ頭の2人は街の中でも夜に賑わいを見せる繁華街のメインストリートにいる。ざっと目を通して100人ほどの人間が闊歩しているだろうか。その100人いるであろう人間のうち、この2人だけは「人間」ではないドの付く畜生である。そんな2人は今、意外と人間が歩く道を堂々と歩いている。存在を知られなければ塀の向こうに行くことはない、ということだ。悪事が明るみに出なければ、人間と同じ道を堂々と歩くことができる。全て上手く立ち回っているから。立ち回りという完全に自己責任の行動の結果だ。ヤクザという仮想の妄言家族ごっこの生活の中で誰も信用することなく、人を使う事に精神を痛めることなく平気でやってのけられる奇人が、彼らだ。
    そんな雑踏で、「え」と声を上げたのは細目の方だった。細い目が見開かれている。その目線に釣られるように、トサカ頭も目を向けた。
    そこにいたのはランドセルを背負った小さな子供だった。男の子なのか女の子なのかも分からないくらい前髪が重たく伸びているため表情を伺えない。背負っているランドセルの色はキャラメルのような茶色。ここの地域には生徒全員が指定の茶色のランドセルを背負わせる私立の小学校があったはず。きっとそこの生徒なのだろうが、若い女の子に囲まれている状態で膝を抱えているものだから、驚いて声が出るのも無理はない。
    「サクラコちゃん」
    「アレ!スナくんやん!ちょーど良かった!助けてや!」
    スナくん、それが細目の名前。外気温が暑くて第一ボタンが開いたシャツと腕捲りしたため晒された腕から大柄な牡丹の刺青に臆することなくサクラコと呼ばれた女は細目に助けを乞うた。
    「隠し子?」
    「フキンシンやで!この子、ウチのショップカード握り締めてそこに座り込んでてん」
    そこ、と長く尖った爪が指差したのはビルとビルの隙間の暗がり。初めはクッションの塊が捨てられているのかと思い近づいたら子供だったらしい。驚いて明るいところに誘導して怪我がないか、警察に引き渡そうとしたら「警察は嫌だ」と言って蹲ってしまったらしい。
    「迷子?」
    「迷子やなくて、パパを待ちよる言うてたで」
    「パパ?」
    「……ボウズ、名前はなんや?」
    キャスト側であるサクラコを始めとした他に面倒を見ていた女の子に面倒ごとを見てもらうわけにはいかない。こういうのはトラブルの元であるためだ。子供がいたのか、とか、俺の金は子供に使ってたのか、とか、精神的苦痛によるイシャリョーやソンガイバイショーとか。ゲスト側には面倒だし、店側にも迷惑が降りかかる。こんな面倒、引き受けたく無いが、引き受けないと後々怒られてイライラするのは目に見えている。そんな腹立たしいことまで分かってしまっているトサカ頭はなるべく怒りを抑えてランドセルの男の子に話かけた。しかし滲まないように努力したところで、生まれつき刻まれた眉間の皺は嘘が付けないらしく、その顔を見た小学生は固まったまま微動だにしなくなってしまった。
    「いけませんよ赤木さん、子供がビビっちゃってるじゃないですか」
    「うっさい」
    「君、名前は?」
    すかさずフォローを入れたつもりだったが、子供にビビられているのは細目も同じだったらしい。本心、細目は子供が苦手だ。子供の「泣いて強請れば何でも手に入る」と思っていそうな未熟さが嫌いだ。子供だから仕方ない、と言わしめるその免罪符も嫌いだ。泣いて喚いて、という事が許されない幼少期を過ごしたせいなのかも知れないが、そういう子供が羨ましいと感じて嫌悪を示しているということを、薄々感じて嫌気が差しているということもある。しかし細目は子供とは違って大人である。我慢することや笑顔を無理に貼り付けることなんて当然だ。上手くできている自信は滲み出てしまい結果論では失敗したが、隣にいる先輩より大人な対応が出来た自分が誇らしく思えてきた。
    そんな情けない男の大人2人に見切りを付けたのがキャストの女性陣だった。
    「大丈夫やで、このお兄さんは君のこと助けたくて聞いてんねんで」
    そう女性の声で言ったにも関わらず、ランドセルの少年は黙りこくったままだ。頑ななその姿はまるでどこかの誰かの様だが、最近の子とは言わず人間不信であればこのような態度になってしまうものだ。
    「知らん人には名前言うたらアカンもんな。偉いな。でもせやったら私ら、君のことをちゃんと守ってくれる警察さん呼ばなアカンねん」
    やはり「警察」という言葉を聞いた途端、少年の雰囲気が変化する。顔に文字が浮かぶ訳がないのは百も承知だが、それでも「ヤダ」と書かれているように見受けられた。その姿に嫌悪を募らせたのが、トサカ頭だ。法律が許すなら、今すぐ頭を引っぱたいて胸倉を掴んで怒鳴り散らしたい。ヤクザが法律を気にするなんて馬鹿馬鹿しいが、ヤクザが生きていくには法律、というか最低限の倫理観が無いとやっていけない。人を殺してはいけない、喧嘩をしてはいけない、自分より弱い者を虐げてはいけない。つまり普通に生きているだけの人間には優劣や上下を設けることなく対等に接する。誰彼構うことなく暴れ散らすような人間は非合理的で非効率的な人間で、この世界には向いていない。
    だからトサカ頭は少年のどっちつかずな態度に腹を立てている。この男は特別癇癪持ちだ。自覚があるだけマシな方で、コントロールができるから、ならず者になっている。
    「ケーサツは」
    初めて少年が言葉を発した。嬢の1人が少年の隣に座り込んだ。素材の良さそうな丈の短いスカートを履いている。嬢は、見知らぬ誰かが痰を吐き捨てたか酒酔いの吐瀉物を撒き散らしたかもしれないコンクリートの上に、そのスカートを直接地面に着けて同じ目線で座り込んだ。栗色の髪は誰かのために艶やかに整っているが、少なくともその少年のために綺麗にしたわけではないだろう。嬢は少年のことを面倒がることなく、拙い言葉を待っていた。
    「ごはん、くれへんから、いや」
    「ご飯くれんの?お腹空いたん?」
    そういうと少年はコクリと頷いてまた膝に顔を埋めた。トサカ頭も細目も、青年の体を見ても何も思わなかった。痩せているような、でも自分たちもこれくらいだったような気がするし。だから何もピンと直感が閃くことはなかった。しかしその少年の言葉を聞いて、別の嬢が無言で近くのコンビニにかけて行った。
    女性とは本能的に子供を守る気質が備わっているのだな、と細目は感心した。自らの血すら繋がっていないような子供に情が湧かないのも本能だと予測する。この性格があるからこの世界でなんとかなっている。ゴミ屋敷のような部屋から風呂にも入っていないような子供を見つけたことだってあった。雨が降る公園で髪を掻き毟って、まるで洗髪しているような女子も見たことがある。しかしそれら全てに情をかける程に余裕もない。自らが通った過去も同じことをしていたのも相まって可哀想とも思えなかった。所詮、親が親なら子供も子、遺伝を淘汰することなんてできやしない。ただ「ああ、お前もか」と思うだけ。ただ何となく事情が見え始めている2人は、ここにくる行動力があるだけ度胸のある子供だ、と小さく評価していた。
    しかしどうやらここにいる女性は違うらしい。誰かが腹を痛めて目の前の小さな生き物を産んだことの痛覚神経を共有できる、もしくは理解ができるのだろう。男は生まれ変わらないと分からないソレは下手したら死んでしまうほどの大掛かりなものと聞く。分かるはずもないし、トサカ頭と細目は理解しようとも思っていない。
    「サクラコさ~ん」
    特徴的な高い声で、先程コンビニに駆けて行った嬢が戻ってきた。手には小さなペットボトルと複数のお菓子が入っている様子だ。慌てて行ってしまったせいか、「コンビニの袋って有料やのにいっぱい買ってまいました~」と呑気に言っている。
    「ほな、お姉さんがお菓子あげる」
    「しらんひと、からは……」
    「ほな、ウチはサクラコ。君が持っとる紙のお店で働いとるで」
    「私はミナやで~」
    「ここにある飴ちゃんもチョコもお菓子もあげる。せやから、君のお名前だけでも教えてや。それかあだ名でもええで」
    「……クサキン」
    「ん?クサキン?」
    「ヒカキン的な?」
    「ちゃう……」
    「……ほな!君の名前はニャオハな?」
    「え?」
    「ニャオハ。草っぽいやろ?可愛いし、ちっこくてええ子になって欲しいし」
    「ニャオハって何なんですか?」
    「ポケモンやな。弟が言うてた。立つんやて」
    「クララの友達ですか?」
    「多分そうやな」
    淡々と話を勝手に進める嬢2人と、目をまん丸にした少年とよく分からない話をされて終始置いてきぼりな男2人。周囲の空気に酒気を帯び始めた夜の九時前。とっくに遅刻している嬢2人だが時間を気にする様子はない。少年はコンビニの袋を見ていたが、喉から唾を飲み込む様子が分かってしまった。嬢2人は「はよ食えはよ食え」と目線で急かしているが、気が付いていないらしい。トサカ頭が分かったのは、その職業柄分かってしまった、としか言えない。目の奥の瞳孔が大きくなって目の焦点が合わなくなるような雰囲気。その後は大抵口腔が乾いて唾を飲み込んでしまうものなのだ。子供である分、表情に出やすく、手に取るようにその雰囲気が分かった。
    「俺、先生呼びます」
    「……信介か」
    「ハイ。こっからは本格的に警察も動くでしょうし」
    「まあニャオハのオヤジはウチに出入りしてんねやろから、警察絡まれたら面倒やな」
    「今日その父親が来るかは分かんないですけど、来たら勝ちで来なかったらデュースってことで。それ以上に警察にこれ以上介入されないように」
    「相談も兼ねて呼んどくか」
    視界の端では少年が溶けないチョコレートを摘まんでポロポロと泣いているようだった。サクラコはそんな少年を抱えて自らの店に入っていった。降ろしていたランドセルはミナが拾って同じく店に消えて行った。店の外では電話をかけて話し込んでいるトサカ頭を放っておいて、細目は店内に消えて行った。
    先生、と呼ばれた男はそれから30分後に店に入ってきた。


    ==============================


    ということで、今日は張り込み兼牽制と言った所である。果物を摘まみたいと言って同卓したのは細目。トサカ頭は「一応若様にご説明を」という指示が顧問弁護士からあり、一旦店外に出て行った今頃あの大きな日本屋敷に移動して帰ってきた。
    顧問弁護士が店に来たのは連絡してから30分後。そろそろ初動の機動隊から、保護を専門にしている女性警官やらが到着するだろう、と睨んでいる。
    件の少年は今はバックヤードで児童相談所と警察を待っている。結局のところ、保護となると児相か警察の仕事になる。弁護士は子供を法律で守ることはできても、物理的な安全を保障することはできない。
    少年は、ミナが買ってきたおにぎりを頬張って宿題をしていたらしいが、今は船を漕いでいる、と言っている。明日はきっと学校は休みだろう。
    「アレ」
    そう言われて指を差された呼ばれた男は、スーツを着た男。それは店の店員だ。その姿を見たトサカ頭がバッグヤードの方向に移動していった。きっと警察の到着を連絡しに行ったのだろう。そんな店の黒服のその後ろ。男が数名、女性が一人居た。顧問弁護士と目が合った先頭の男性がツカツカと音のしそうな速度で顧問弁護士に近づいた。
    「随分暇そやなぁ」
    「時間があったんで」
    「子供は」
    「バッグヤードです」
    顧問弁護士は立ち上がりながら返答したが、立ち上がって先導する前に女性と男性数名が顧問弁護士を無視して足を進めていた。
    「嫌われとるんでしょうか」
    「当たり前や」
    ハアと明らかなため息。この男は当然だが店からの通報で今しがた到着した警察官。ボサリとした髪の毛の男の階級は刑事。立派な夜勤中の刑事さんだ。当然のように顧問弁護士とは知り合いだ。もっと言うなら、顧問弁護士の父親の知り合いだ。顧問弁護士にとって父親は組織の若である黒縁メガネだが、この警察官は父親の友達として知り合い程度の関係値だ。その刑事は乱れた髪を掻きむしっている。困っているようだ。後ろにいてキョロキョロと集中力の足りない男も警察官だが、顧問弁護士は目の前にいる男の存在以外知らない。時折事例によって会うこともあるが、こういう場で会うのは、この男しか知らない。
    「子供はなんて」
    「自分の名前を言いたくない、でもここに居る父に会いたい、の2点張りだったので、バッグヤードで店長が保護してます。名前はニャオハで決まりました」
    「は?しばきまわずぞ」
    一気に刑事の顔が怪訝なものになった。対照的に顧問弁護士はニコニコと愛想の良い顔で会話を続けている。
    「ニャオハ知っとるんですね。私知りませんでした」
    「ホンマにお前しばく」
    「因みには名札下げてたんで。『ほんだ あい』と書いてありました」
    「男の子ちゃうんか」
    「男の子でした」
    「ほな父親の身元は?因みに今のところ子供の捜索願は出てないな」
    「名簿は確認しとりまして『本田』という会員は7名ほど」
    「めぼしい人間は?」
    「1人。西の羽鳥組の人間らしき人間で」
    「よし、引け」
    「……」
    潔い警察官の決定に、顧問弁護士は無言の抵抗を選択した。足まで止まった。さながら、小学生の駄々こねのようだ。でも笑っていた。
    「引け」
    「……」
    無言の抵抗ほど怖いものはない。なぜならこの顧問弁護士の瞳があまりにも大きいからだ。下手をしたら吸い込まれそうになる。見た目も整っており普通にしているだけでぐらりと心が動いてしまいそうになるのに。しかし刑事にはこの男の魂胆も組織の方針も知っているので、断固として拒否の理由を述べた。
    「勝手やけど、これ以上騒ぎデカくするなら手前のとこの人間ワッパ掛けてええんやぞ」
    「不当逮捕ということですか?」
    「ホザケ」
    「センセ」
    刑事はその声に背筋が伸びた。ああこれ、爆竹の。
    「ア?鴨田のボケかエ。ガキは渡した。早よ往ねや」
    「ああ、ドウモ。児童保護ご苦労さんな子って。ほなお前を公妨でとっ捕まえて帰ろか」
    これが2人の挨拶のようなもの。この馴れ馴れしさもそのはず。トサカ頭を1番とっ捕まえて喧嘩しているのが、この鴨田と言われた刑事なのだ。父と子のような年齢差だが、奥歯を噛み締めて吐き捨てられた言葉に親愛はない。
    「ええか。これ以上突っ込むなや。こっから先は俺らの領分や」
    「とはいうても、こちらの問題にお手間を取らせる訳には」
    「突っ込むから手間かかんねん」
    「せやから、こちらで勝手に処理しておきますんで。手間はかけさせません」
    「……」
    今度は刑事が黙り込む番だ。顧問弁護士の言葉は、つまりそういう事である。顧問弁護士は果実を摘むことなく考えていたことだ。子供は無事生活課の人間が保護をした。父親に親権がある、ということは母親に著しい問題があるため例外的に父親に親権が移る。他に母親が死亡している場合がある。それくらい、通常であれば親権というものは母親側にあるように法律で定められている。
    ここはキャバクラ。つまり男性が来る場所だ。そんな場所の名刺を持っているということは、あのニャオハは父親を探しに来た確率が高い。ネグレクトは確定だろう。どうしてここに来たのかはまだ分からないが、どちらにせよあのニャオハは父親の元にも母親の元にも戻ることは難しいだろう。
    そうなれば、ここは金の湧き所、と顧問弁護士は思っている。親権争いのために依頼が来る、という話ではない。ここを突けば争いが起きて金を取れる、という話だ。
    刑事は当然だが所属課は組織犯罪対策室だ。だから抗争関係は全て把握している。顧問弁護士の魂胆は大方理解していた。アヤかけなんて簡単だ。小石を蹴飛ばして当たったから、で、アヤはかけたことになる。だから今回は「これは完全に営業妨害です。そして子供の処理までしましたよ。親権の確認や施設の手配もしましたよ。ということで手間賃ください」だろうか。
    殺しは憂さ晴らしであってはならないが、こういう世界には時折そういうことがある。「どう落とし前つけるんですか?」と言えば割とまかり通ってしまう。短気な人間の集まりでもある。同時に頭が足りない人間も一定数いる。そんな集まりに「どないしてくれるねん」というと我を見失って逆上してくることが大半だ。そうして争いは生まれる。首を取るまで抗争は終わらない。そして最後に残るのは強い者と敗者の残骸と金だ。
    刑事は一般人だ。堅気ではない人間と話すのが仕事なただの一般人だ。組織犯罪対策室の人間は毎月必ず所持している口座の通帳を上長に提出しなければならない。また新規に口座を開設することにかなり厳しい制限が設けられている。それくらいそちらの世界との公私混同を厳しく制限されているくらい一般人であれと制限されている。
    当然だが、どれだけ不憫な子供でもヤクザと関わりを持たせるようなことを助長させるなんて、あってはならない。だから止めてたというのに、この発言である。
    この発言は抗争が起こる、と汲み取られても良い発言をしている。そんな発言を顧問弁護士がしてしまうのだ。確かに営業妨害であるが、そこまでか?ということである。つまりこの組織は初めから敵対組織を潰す機会を狙っていたということだ。この顧問弁護士は社会的にも潰してしまうので、こちらに首を突っ込むな、目を瞑れ、といっているのだと、刑事は理解した。
    「……アカン。動くな。動いたら即お前んとこの人間はワッパやぞ」
    「そうですか。そんなら私が動いて和解させておきます」
    やっぱり顧問弁護士はニコニコと笑っていた。そして刑事は後悔した。そうだった、そうだった、と2回心で呟いてしまうほど後悔した。
    そういうことだ。弁護士が動いてしまうと何があっても和解になってしまう。顧問弁護士が動くということはそういうことだ。合法的に抹殺してしまう。罪を背負ってしまうことだけでも日本ではかなり肩身の狭いことだ。警察という組織は、犯罪を発見した際に迅速に現場に到着して鎮静化と問題の究明に携わる。それ以外にも、存在しているだけで犯罪の抑止力になるものだ。例えるなら、何も悪いことをしていないのに、対向車線にいるパトカーに動悸がする、みたいなことだろう。
    しかし弁護士は違う。弱者に寄り添い狂者を叩けるだけ叩いて狂者を弱者にするのだ。それを悪いこととは言わない。弱者は狂者に虐げられた結果生まれてしまった被害者だ。被害者の救済を聞き届けて法の元に救済するのが弁護士だ。しかし狂者が弱者に堕ちた途端、犯罪が発生する可能性が跳ね上がる。つまり、無駄に叩いてしまうと狂者が弱者になるだけでなく、犯罪者になってしまうのだ。
    しかし何があっても合法的に和解になってしまうことは、それ以上の恐怖である。犯罪者にならないように手配したというのに、勝手に犯罪者になった結果獄中から出られないことだってある。かと思えば屠畜場にいたり、船の上にいたり。最終的には勝手に車で事故を起こしてしまうし、急に行方知らずになってしまうのだ。これらが全て「こちらは知りません。その件は和解しました。その後はこちらは保証しておりません」となるのだ。人が死ぬことすらも合法にしているのが、この弁護士だ。
    野放しにしてはいけないと分かっていても、どうにも証拠がない。全てが事後処理で事は済んでしまっている。報告があっても証拠なんてどこに埋められてしまったのか海に放り出されたのか、分からないのだ。
    「……」
    「決まりですね。私が動いておきます。これ以上はそちらもこちらに近づかんで下さい」
    「……」
    「ほな赤木さんも角名さんも、帰りましょう。これから忙しなりますよ」
    「はーい」
    「早よくたばれやクソジジイ」
    気怠げなのに足取りは軽い男と大きなクソガキを連れた弁護士は新しい金の湧き所を見つけたようだ。各々に金の気配を感じて目が見開かれている気がする。そんな雰囲気は目だけでは収まることなく、振り返りもしない背中からも滲み出ている。刑事はため息をついた。酒も飲めず、女も選べず、子供を回収したのに変な弁護士に絡まれてしまった。こういう夜勤の日に限って起こるのが鉄則だ。警察官は夜勤時にカップラーメンを食べてはいけない、というアレに似ているのだろう。警察官になってもう十数年、それ以来抱えている頭痛の気配にまたため息が出てきた。背後から後輩刑事に話しかけられた。彼は今年の春から配属になった人間だ。
    「先輩」
    「ん?」
    「あれ誰すか」
    「知らんか。弁護士や」
    「いや嘘吐かんといてください」
    「ホンマや。ちゃんと司法試験受かって弁護士資格持っとるバッジ持ちや」
    「……エェ?」
    後輩警官は本気で困惑した顔をしている。困惑するのも無理はない。法律の人間が法律を味方にして法に背いているのだから。
    「昔はアレでも『野菜作る人になりたい』とか言うてた少年なんやけどな」
    「え?知り合いなんですか」
    「アレのオトンが俺の同級生や。数年前に抗争で死んでしもたけどな」
    とりあえず引き上げて報告書を制作しなければならない。そもそも先発の機動捜査隊とは別に人が欲しい、と言われた身分だったため、用事が終わってしまえば署に戻らなければならない。煙草のケースを取り出そうとした先輩の様子を見た後輩はソソクサと帰り支度を始めた。
    「大学に行ったんか行ってないんか、知らんけど、覗いた葬式ン時にはスーツ来てバッジ付けて、オトンソックリやったわ」
    感傷的になるつもりは無いが、どうも勝手に出てくる言葉がそうさせているようだ。店外出てしまえば夜も更けてしまい、辺りの様子は可笑しくなっていた。
    「マァしゃーないんやろ。ヨォ言うやん。自営の親からは自営する子供が生まれる、ってやつ。アレの一種やろ」
    念願叶って火をつけた煙草を咥えたまま社用車、つまり覆面パトカーに乗り込む。本来なら喫煙した状態で乗り込むことは、一般人からの警察官の心象が悪くなる、という理由で制限されている。しかしこのエリアに正気の人間など、片手では余ってしまう程度だ。先輩は気にすることなく話を始めた。
    「勉強教えたんも、『野菜作りたい』って言うて褒めたんも、全部ヤクザとヤクザと関わる父親や。ホンマ、心底惚れた女に引っ叩かれて泣かれてしまうまで気付かれへんやろ、この異常事態に」
    「……てか、捕まえたらええやないですか」
    「阿保か。法律味方にした人間を簡単に捕まえられる訳ないやろ」
    「でも、この世に完全犯罪は無いですよ」
    「それと同じように、俺ら警察も完全な存在ではないってことや。お互いに完全やないんや。法治国家のこの国で主軸にされとる『法律』とお友達のガリ勉に、俺らみたいな脳筋がぶつかっても、理詰めされてしもたら筋肉も意味ないやろ」
    投げられた先輩刑事の言葉にやるせなさと思い当たる節に、後輩は言葉を切らせた。夜の都会の一般道はタクシーとトラックが多い。その間を縫うように覆面パトカーが一般車両に紛れて走行している。車内は沈黙だ。
    「アイツは、現状最強や」
    呟いたが、それ以降特に言葉が出ることは無かった。先輩刑事は同級生の葬式の時に見たあの顧問弁護士の顔を思い出していた。
    真っすぐ前を見て、涙を1つとして見せることはない。背筋をシャンと伸ばして胸には金色の向日葵バッジを誇らしげに輝かせていた。バッジと同じ金色の瞳は父親の位牌を持ってヤクザに怖じ気づくことなく、支えられて霊柩車に乗り込んだ。そして彼らに、父親とは似つかない柔らかい笑みを浮かべていた。
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