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    Chome

    @Chome_va

    絵は全て「らくがき」カテゴリにいれてます。
    小説は「供養」です。モブシンは「自主練」。

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💜 💙 🌃 🎹
    POIPOI 25

    Chome

    ☆quiet follow

    シン見てすぐに書き出して、いやこれは14歳のままで28歳ではないな……、となって没にした話です。
    ハマって1番最初に書いたので、この頃数年ぶりに小説書いたのもあって今と文章の感じが違うかも。
    時間軸はNG後。

    292853 いつもの朝。いつもの時間。いつもの駅。
     反対のホームにいる彼を見つけては、目で追いかけてしまう。
     でも、絶対に話しかけはしない。
     彼だけの幸せを見つけるのに、僕は邪魔だから。
     
     
     ーーーーー
     
     
     
     ポロン、と音を鳴らす。
     そのまま指を横に滑らせ、ポロン、ポロン、と思うままに高音を響かせてゆく。
     あの頃は人差し指で鍵盤を弾くのが精一杯だった。
     5本の指を使っても1オクターブ先の音を出すのに一苦労した。
     でも今は前よりも少しは弾けるようになった。
     何かを始める事は苦手でも、続ける事は得意だから、君が言っていたようにずっと反復練習してきたんだ。
     今の僕なら、昔の僕よりもずっと気持ちよく君と連弾できると胸を張って言えるよ。
     
     「カヲルくん……」
     
     1曲を弾き終わり、目を閉じ彼の名前を呟く。
     碇シンジ。2001年6月6日生まれ。今年で29歳。男。A型。特技は料理とチェロと、最近ピアノが増えた。
     エヴァの無い世界に書き換えた僕は、気づけば第3新東京の駅のホームに居た。
     妙な話、エヴァに乗っていた僕の記憶とは別に、エヴァの無いこの世界で生きていたもう1人の僕の記憶がある。
     まだ慣れない別の僕の記憶に頭を痛ませながら、鍵盤を撫でてゆく。
     どうやらこのエヴァの無い世界の僕は、どこにでもいるような平凡で普通の生活を送り、夢も無い、流されるままにサラリーマンとなっていた。
     そしてその記憶が自分に定着するにつれ、この世界にとってイレギュラーな方の記憶が少しずつ消えつつある。
     きっといつかは、エヴァもNERVも、皆の事も忘れてしまうのだろうと薄々気づいている。
     
     「でも、それで良いんだよね」
     
     エヴァの無いこの世界で、自分の幸せを見つけて歩んでゆく皆を祈りながら、シンジはピアノの鍵盤を弾く。
     きっと今でも僕がピアノを弾くのは、あの世界に未練があるからだ。
     自分で手放した世界のはずなのに、記憶が無くなっていく事がとても寂しかった。
     ピアノをしていれば皆のことを忘れても、あの世界との繋がりを僕の中に遺せるんじゃないかと思った。
     でも鍵盤を弾く度に彼の事を思い出してしまい、その度に胸がきゅ、と絞まる。
     叶うなら、カヲルくんに会って一言謝りたい。そして僕の幸せを願ってくれてありがとうと感謝の言葉を伝えたい。
     でも前の世界の記憶が無い今の彼にそんなこと言っても、困惑させるだけだろう。
     そんな自己満足の為に、彼には会えない。
     
     「あ、」
     
     ひとつ隣の鍵盤を弾いてしまい、手が止まる。
     綺麗な和音になるはずの音色が、ひとつ隣の鍵盤と間違えるだけで雑音になり、ピアノの難しさを実感する。
     
     「皆、今頃どうしてるのかなあ……」
     
     鍵盤に葡萄酒色のカバーをかけ、今日のピアノの時間に別れを告げた。
     
     
     ―――――
     
     
     「ワンコくんのピアノ、なんか寂しそうだよね」
     
     マリさんが僕のつくった晩御飯をつまみながら言う。
     この世界でのマリさんは僕の母親代わりの人だった。
     仕事で家を空けることが多く、僕の事を心配した両親が預けた先がマリさんの家で、2人の代わりに沢山の事を彼女から教えてもらっていた。
     
     「マリさんには関係ないでしょ」
     「おやおや〜?私が手取り足取り女の扱いを教えてやったというのに、そんな辛辣な態度取っていいのかにゃ〜?このっ!」
     「わっ、あっ、僕の唐揚げ!」
     「にしし、いっただっき〜!」
     
     マリさんは大きく口を開け遠慮なく僕の唐揚げを頬張る。
     好きな物は後に取っとくタイプである事が仇となった。
     楽しみにとっといた唐揚げを食べられてしまったが、ん〜と唸って美味しそうな姿を見ると、作った側からすると嬉しくもあるのが複雑だ。
     
     「ね、悩みがあるなら話してくれないと嫌だよ〜?まあ何となく向こうの世界の事だろうと察してるけどさ」
     「う、」
     
     図星を付かれ、ギクリと体を強ばらせる。
     僕のその反応を見てマリさんは「やっぱりね」と言いたそうな目線をこちらに向ける。
     マリさんは僕の他で唯一、エヴァのあった世界のことを覚えている人だ。
     僕1人では背負いきれなかったであろうあの世界の記憶をこうやって話せるのはとても気が楽だった。
     何よりも、あの世界の出来事は僕の夢の話では無い事実に安心した。
     
     「記憶によるとチェロはユイさんから勧められて小さい頃からやってたっぽいけど、ピアノはあの世界から来た直後から始めたもんね。ゲンドウくんもピアノやってたけど、あの人は人間的ぶきっちょだから君に教えるなんてしなかったし」
     「うん。だからこの歳でピアノ買おうかなと言った時2人とも凄く驚いてたよ」
     「それでグランドピアノをぽーんと買っちゃうんだから、親バカというか、なんというか、ね」
     「うん……」
     
     向こうの世界では絶対に考えられなかった事だよなあとしみじみと思う。
     エヴァの実験が無いから母さんは死なない。
     母さんが生きてるから父さんもNERVなんて組織を作らない。
     僕はこの世界で、幸せだ。
     
     「んで、話は戻るけど、そのピアノを弾くワンコくん、ちょい寂しそうなのが気になるんだよね〜」
     「話さなきゃ、ダメ?」
     
     大した理由じゃないけど、改めて言うのは何だか気恥しい。
     
     「うん。ワンコくんももう子供じゃないし、悩みの一つや二つ、1人で解決できるだろうから話したくないなら無理には聞き出そうとはしないつもりだったんだけどさ。でも、ピアノを弾いてる時のワンコくん、無理してるって感じがして、聞いてらんないよ」
     「……ごめんなさい」
     「謝らないでよう。なんならこのマリさんのデカい胸に飛び込んで泣きついてきてもいいのよ〜?」
     「はは、それはやめとく」
     「うぬ、こういう事言えば少し前まで顔を赤くして戸惑ってたくせに、もうアラフォーの女には魅力を感じないって事か」
     「ちょっと!変な事言わないでよ」
     
     もう、と口を尖らせて怒るが、すぐにクスリと笑い声が出る。
     このマリさんの明るくて、でも僕のことをちゃんと考えてくれるこの性格に何度助けられたことだろう。
     
     「実はあのピアノはさ、カヲルくんから教わって始めた事なんだ」
     「カヲルって、第一使徒の?」
     「うん」
     「はーん、なるほど。ワンコくんはそのイケメンくんの事が忘れられなくて、この世界でも始めたってわけね?」
     「まあ、そんなとこ」
     「へ〜」
     
     マリさんはそんなことかと言わんばかりに興味の無さそうな返事をする。
     聞かれたから答えたのに……。
     
     「もしかしてワンコくんさ、あの世界の記憶が無くなってくの怖い?」
     「え?」
     
     突然の話の切り出しに少し戸惑う。
     怖い、かと聞かれれば勿論怖かった。
     エヴァのある世界を否定したのは確かに僕だったけど、あの世界で皆精一杯戦って、精一杯生きた。
     それを忘れるというのは、なんだか皆の生きる努力まで否定したような感じがして、嫌な気分になる。
     
     「私はさ、怖いよ。皆のこと、特に姫の事忘れちゃうのがさ」
     
     姫、とは確かアスカの事だ。
     
     「あの子寂しがり屋なのに強がって、1人で生きていけますって態度取るんだ。1人で生きなきゃいけなかった、が正解かもだけど。でも誰かと一緒に居ないと孤独に押し潰されちゃう。そんな繊細な子、あたしだけでも覚えといてあげたいのに、こうしてる間にもあの世界の記憶は忘れてっちゃう。怖いよ」
     「マリさん……」
     
     僕が何も言えずにいると、マリさんは眼鏡をクイと上げて、
     
     「あ、でもね、だからってあの世界に戻りたいとは思わないよ。エヴァに乗った時の刺激は最高だったけど、この世界ではユイさんが生きてるんだもん。ワンコくんには感謝してるんだよん。」
     
     と、微笑んでくれる。
     
     「……ありがとう」
     
     僕を気遣ってそう言ってくれるマリさんの優しさに、なんだか申し訳なくなる。
     でも、マリさんがそこまでアスカを気にかけてるとは知らなかった。
     よく考えれば僕の知らない14年の絆が2人にはあるのだから、心配になるのは当たり前の事なのに。
     
     「ん〜、ヨシ!決めた!」
     
     突然マリさんが手をポンと叩く。
     
     「何を?」
     「今度、姫見つけたら声かける!」
     「ええ!?」
     「ワンコくんも、今度そのイケメンくんを見かけたら声をかけること!」
     「ええええ!?」
     
     突然の提案に目がチカチカする。
     僕が?この世界で?カヲルくんに?
     無理だ。彼には僕のいない世界で幸せになって欲しい。この世界でも彼の事を縛りたくない。
     
     「僕はいいよ!マリさんはアスカに会ってあげて」
     「だ〜め!きっとこのままじゃずっと後悔だけが残るよ!」
     「そんな、いずれ消えてくよ」
     「本当にそうかな?」
     
     マリさんは箸を置いて、僕を見つめる。
     
     「ワンコくんさ、人間がまず忘れるのが声なんだって知ってる?」
     「声?」
     「そ。あたしさ、ユイさんのこと絶対に忘れないと思ってた。体温も、言葉も、声も。何十年会えなくても、愛しい人の事だから覚えてる自信があったの。でも、この世界で久しぶりに会った時『ユイさんの声ってこんなに低かったっけ』って驚いちゃった。……あんなに忘れないと思ってたのに。」
      
     マリさんは眼鏡のツルを上げて、続ける。
     
     「でもそれって逆に考えれば、声とか他の事を忘れても、気持ちだけはずっと覚えてるって事だと思うんだよね。ワンコくんが前の世界の事忘れても、後悔だけは残ると思う。だからそうなる前に、さ」
     「……、」
     
     僕が何も言えず、思わず目を逸らしてしまうと、マリさんは食べ終えた食器を片付けて席を立つ。
     
     「ま、直ぐにとは言わないよん。記憶だってすぐに無くなるわけじゃないしさ。でも、君が幸せになるための我儘なら、きっと誰も咎めないと思うよ。君が思ってるよりも皆、ずっと君のことが大好きってこと、知って欲しいな」
     
     そう言ってマリさんはリビングから出ていく。
     いつもなら食後しばらくテレビを見てボーッとしてるはずなのに。
     きっと1人で考える時間を僕にくれたのだろう。
     マリさんの優しさに、今日幾度か分からない感謝をする。
     次会ったらカヲルくんに声をかける。
     想像しただけで背筋に冷や汗が垂れる。
     会うなんて、絶対に無理だ。
     だって今の彼の幸せを壊したくない。
     僕と関わる事で何度も不幸なめにあってしまった彼に合わせる顔が無い。
     あの世界での後悔、喪失感は、一生僕の業となって縛り付いきて、記憶が消えても無くならないだろう。
     でもそれでいい。
     ガキで周りの優しさに気づかず、沢山の人を不幸にした僕の禊だから。
     自分勝手に謝って、心を軽くして、その罪から目をそらそうだなんて、烏滸がましいにも程がある。
     
     「……やっぱり、ダメだよ。また皆を不幸にするかもしれない」
     
     そう呟いて、僕は食べていた物にラップをかけた。
     
     
     
     ―――――
     
     
     
     次の日。
     いつもの朝。いつもの駅。
     そこにアスカはいた。
     自分が住んでるこの街は、人口は少ないが、チルドレンだけでなく、多分NERVや第3新東京村の皆が住んでいる。
     まだミサトさんやリツコさんは見た事ないけど、この前トウジと委員長が一緒に歩いているのを見かけた。
     通っていた中学も同じだったはずだけど、エヴァに乗ってない僕はトウジの妹を怪我させる事も無かったので、殴られる事も関わることもなかった。
     少し寂しくはあるけど、ちゃんと生きてる事が確認できたのは嬉しかった。
     多分この世界を書き換える時、少しだけ僕の願望が混ざってしまったのかもしれない。
     皆とまた一緒に、なんて願いが。
     でも僕らに縁があるなんて知っているのは僕とマリさんだけで、アスカに至ってはひとりとして関わりを持っていないだろう。
     
     「じゃ、行ってくるねん」
     「うん、お気をつけて……」
     
     いつもと反対のホームに来たマリさんは、アスカに向かって飛び出して行った。
     僕は付き添いでこちら側へ来ただけだが、いつもと近い距離で見るアスカにドキリとした。
     アスカにも伝えたいことがある。
     それに今は幸せなのかとか、聞きたいことも沢山ある。
     でも、それも僕の自己満足で、我儘なんだ。
     もう僕は自分のした誤ちを、他の人に押し付けず自分で責任をもつと決めたのだ。
     だから、会えない。
     
     「きゃ、」
     「わ!」
     
     向こう側のホームへ戻ろうとして振り向いた時、誰かにぶつかり、そのまま押し倒してしまった。
     一瞬何が起こったのか分からなかった。
     が、左手が何か柔らかい物を触っていることに気づき、あまりのことに慌てて上半身をあげる
     
     「わ、あ、うわ!!ごめんなさい!ごめんなさい!わざとじゃないんです!」
     「いい。ぶつかったのは私からだから。貴方は悪くない」
     「いいって、え?」
     
     聞き慣れた声がする。
     視線を少し上にあげれば、透明の髪に苺のような大きな瞳が揺れる。
     綾波だ。
     もう絶対関わらないと決めたはずなのに、こんな形で綾波と出会ってしまった。
     血の気が引く。
     いや、大丈夫だ、まだ間に合う。
     今からでも他人のフリしてここから離れればいいんだ。
     そう決心して後ろに1歩下がった時、
     
     「っ、」
     立ち上がった綾波が腕を抑えて顔を顰める。
     もしかして、とよく見れば肘に擦り傷ができていた。
     「怪我……!ごめん!」
     「大丈夫」
     「いや、血が出てるよ!それに倒れたから服だって汚れちゃってる。僕絆創膏持ってるから、こっち座って。あとこのハンカチで服の汚れ落としていいよ。」
     「別に大丈……、」
     「ダメ!男の傷は勲章だけど、女の子の体に傷が残ったり悪化して化膿してしまったら僕は君に立つ瀬がないよ。それに女の子に傷を付けるなと言われて育ってるから、これがバレたらその人に怒られちゃう。僕の為にも肘の手当をさせてくれないかい」
     「……うん」
     「ありがとう」
     
     僕は鞄から消毒液とガーゼを取り出して、丁寧に拭いていく。
     本当は水があったら良かったけど、このホームにそんなものは無い。
     綾波と関わらないと決めたけど、怪我をさせてしまったなら話は別だ。
     僕はできる限りの償いを綾波に施す。
     女の子に傷は付けてはいけない。
     それはこの世界のマリさんから、小さい頃から散々言われたことだった。
     
     「はい、これでひとまず大丈夫かな」
     「ありがとう」
     
     あ、笑った。
     あの綾波が、笑ってる。
     あの世界では無機質だった彼女でも、この世界ではこうやって笑って過ごせているんだ。
     嬉しくてなって、思わず目尻が熱くなる。
     
     「いや、本当にごめんね。治療するにしてもベタベタと体に触っちゃって。知らない男からこんなことされても気持ち悪いだけだよね」
     「問題ない。貴方はどこか兄に似てるから、安心する」
     「兄?」
     
     そうか、この世界の綾波には兄がいるのか。
     こうして話してなければ知らなかった綾波の事に、胸を弾ませる。
     もっと知りたい。もっと話したい。もっと聞かせて欲しい。
     この世界で君はちゃんと幸せなのか、もっと、僕に教えて欲しい。
     
     「っと、ダメだ。僕もう戻らなきゃ」
     
     意識をしっかりとさせ、自分の体にムチを打つ。
     綾波とはこれ以上関わらない。
     そう決めたはずなのに、心が話したいと叫んでいる。
     
     「貴方、いつも反対のホームに立ってる」
     「え、あ、そうだけど、覚えててくれたんだ」
     
     嬉しいけど、見られてたと思うと少し恥ずかしい。
     
     「お礼がしたいから、次は私から会いに行く」
     「え!いや、いいよそんなの!」
     「でも、私がぶつかったから」
     「だ、大丈夫だよ!僕の不注意のせいでもあったんだ。これぐらい当然だよ」
     「ハンカチも洗って返したい」
     「そんなのあげるのに……」
     
     綾波ってこんなに押しが強い子だったっけ?
     しばらくの押し問答が続くが、一向に下がらない様子に慌てる。
     ああもう、本当にこれ以上関わってはいけないのに。
     どうしたら引き下がってくれるのかと脳みそを必死に動かしていた時だった。
     
     「おや、レイ。どうしたんだい」
     
     後ろから聞き覚えのある声がする。
     あ、マズイ、この声は。
     
     「兄さん」
     
     綾波が表情を変えずに、僕の向こう側の彼をそう呼んだ。
     かくゆう僕は、後ろを振り向く勇気がでず、体を固まらせたまま何も出来なかった。
     
     「おや、彼は?」
     「怪我したとこ、手当してくれた」
     「そっか。妹が迷惑かけたね。ありがとう」
     「……どうしたの?」
     「あっ、いや、」
     
     固まったままだった僕を、不思議そうに赤い瞳が見つめてくる。
     僕は慌ててその場から2歩横に動き、綾波の兄を確認する。
     やっぱりそうだ。
     銀の髪にベリーの瞳、前の世界より身長は高くなっているけど、目の前の彼は紛れもなく渚カヲル本人だ。
     心臓がザワりと動く。
     1番会ってはいけなかったのに、僕はこの世界でも彼と出会ってしまった。
     僕のこの手で、何度も殺した彼。
     僕の幸せを祈って、何度も不幸になった、彼。
     何度も世界を繰り返して、何度も僕に殺されても、ただ僕の幸せを祈ってくれた。
     押しつぶされそうな心臓を抑え、ぎゅ、と目を瞑る。
     
     「ぼ、僕は当然の事をしたまでで、えと、もう電車来ちゃいますし、あの、これで失礼します!」
     「え、ちょっと」
     
     カヲルくんと目を合わさないようにして走って逃げた。
     後ろから声して、耳を塞ぐ。
     話しかけるつもりなんて無かった。
     なのに出会ってしまった。
     話してしまった。
     触れてしまった。
     知られて、しまった。
     もしかして僕が向こうのホームに、皆のいるところへ行こうとしたから運命が変わったのだろうか。
     いや、この世界には生命の書だってなければ預言書だってないんだ。
     きっと明日にはいつも通り、他人になる。
     そう自分に言い聞かせて、いつもの電車に乗った。
     反対のホームの2人に見つからないように。
     
     
     
     ーーーーー
     
     
     
     「でさ〜!姫、話しかけた時なんて返してきたと思う?」
     
     夕飯の煮物を頬張りながらマリさんは言う。
     僕が先に帰ってきて夕飯を作り、マリさんが残業やらなんやらで遅く帰宅し、それが僕らの日課となっていた。
     
     「さあ……」
     「『なにすんのよレズ眼鏡!』よ?久しぶりの辛口渾名、懐かしくなっちゃって感極まって泣きそうになっちったよん」
     「いや、初対面で何したらそんな事言われるんだよ」
     「んや〜、姫の匂い久しぶりでさ〜、ちっと、ね」
     
     これはだいぶ激しいスキンシップしてきたのだろうな。
     アスカの気持ちを察して、お疲れ様と心の中で労う。
     自分もたまに首筋の匂いを嗅がれるが、こそばゆいし恥ずかしいからやめて欲しい癖だ。
     
     「ね、姫、結構元気そうだったよ。いや、元気に見せてるだけかもしれないけどさ。この世界の化学は倫理と世間の目を気にしてだいぶ遅れてるからね。少なくともクローンの体じゃない。エヴァに乗ってないから三大欲求もきちんとある。これからこの世界の姫の事ちゃんと知って、姫の幸せを見届けようと思う。もう来んなレズ眼鏡!って言われちゃってるけどね、にゃはは」
     「そう、元気なら良かった」
     
     アスカが元気と聞いて安心した。
     マリさんの観察眼は一緒に住んでて分かっている。
     本当に元気なフリであるなら、彼女なら多分それに気づくだろう。
     良かった、本当に。
     
     「そ、れ、よ、り〜!」
     「わっ!」
     「見ちゃったよん。朝、イケメンくんとクールちゃんと居たでしょ。そっちこそどうだったのよ〜?」
     「み、見てたの?」
     「そりゃあの駅狭いもん。嫌でも目に入ってくるよ」
     
     確かに。
     むしろ見えない方が難しいだろうと、駅の大きさを思い出す。
     
     「でもあれは事故みたいなもんで、もう2人には関わらないよ」
     「なんで?今日話せて嬉しくなかった?」
     「それは……、嬉しくなかったと言えば、嘘になるけどさ……」
     「じゃあいいじゃん。後悔してからじゃ遅いよ?」
     「……なら、僕は後悔したままの方が良いんだよ」
     
     あの世界で責任を持つことの大切さを知ったから。
     周りに迷惑をかけず、自立した人間になる事。
     いつまでもガキでいたらあの世界で送り出してくれた皆に合わす顔が無い。
     
     「突然ですが、問題です」
     「え?」
     「責任から逃げない事の大切さを理解した子が、次に知るべきことはなんでしょ〜か!」
     「え、え?」
     
     本当に突然すぎる。
     責任の次?気遣いとか、思いやりとか、優しさ?
     どう答えるのが正解か分からず、頭の中をぐるぐるとさせるが、しっくりくる答えが見つからない。
     
     「ぶぶー!残念、時間切れです」
     「わ、分かんないよ!」
     「ふふん、ワンコくんはまだまだお子ちゃまね〜」
     
     マリさんはそう笑って、人差し指を立てる。
     
     「正解はね、息抜きよん!」
     
     
     
     ーーーーー
     
     
     翌朝。
     足取りが重くいつもより遅く駅へ向かう。
     逆にマリさんは朝早くから家を出て行った。
     どうやら今日からアスカを待ち伏せするらしい。
     やり過ぎな気もするが、あの気難しいアスカと14年居て信頼もされていたマリさんだ。
     きっと距離感は間違えないだろう。
     
     「おはよう」
     「ああ、おはよう。……って、え!?」
     
     いつもの階段を下りようとした時だった。
     あまりに自然に声をかけられたからスルーするところだった。
     透明の髪に苺の瞳、目の前にいるのは間違いなく綾波本人だ。
     
     「ハンカチ、返しに来たの」
     「あ、ハンカチ。わざわざありがとう」
     「ん」
     
     綾波が微笑む。
     あの頃は背丈も同じぐらいだったが、今では頭1つ分僕の方が高い。
     そのせいだろうか。
     前の世界では大人びた印象を受けたが、笑った顔がとても愛らしく、幼く感じた。
     ハンカチを鞄に入れる。
     するとその動作を綾波はずっと見てきて、用も済んだはずなのにその場から動こうとしない。
     
     「あの、なんか用かな?もしかして昨日の傷が痛むとか?」
     「いいえ」
     
     綾波は首を振る。
     
     「ごめんなさい」
     「な、なんで謝るの?」
     「最近ドイツから来て、日本語がまだうまくできなくて、こういう時どう言えばいいか分からないの」
     「ドイツから?そうだったんだ」
     
     前の世界でも無口だったからあまり違和感が無かったけど、もしかして母国語なら沢山喋るのかな。
     多弁な綾波を想像してなんだかおかしくて、クスリと笑う。
     
     「……兄」
     「兄……?」
     
     綾波の放った兄という単語にビクリと反応してしまった。
     その反応は明らかにおかしかったようで、綾波にジと見つめられてしまう。
     
     「昨日、兄が気にしてた。貴方逃げたから。何かしたのかなって」
     「な、何もしてないよ!」
     「昔どこかで会ったことある?」
     「な、ないよ!全然ない!昨日が初めてだよ!」
     
     ああ、僕って嘘つくの下手だな。
     多分綾波にはバレバレだと思う。
     でも世界を作り直す前に会ってました〜なんて言っても、頭がおかしい奴にしかならないだろう。
     
     「レイ!やっぱりここにいた」
     「兄さん」
     
     カヲルくんだ。
     僕は咄嗟に鞄を抱きしめ、顔を隠す素振りをしてしまう。
     怪しい行動だと分かっていても、どうしてもカヲルくんを直視できない。
     
     「何故、ここが分かったの?」
     「そろそろ電車くるのにいないから、彼にハンカチ返しに行ったのかなと思ったんだ。あ、昨日から妹がお世話になってます」
     「え、ああ、どうも……」
     
     カヲルくんはペコりとお辞儀をする。
     綾波がドイツから来てるなら、彼もまたドイツから来てると思うが、流暢な日本語にそんな要素は感じられなかった。
     
     「はは、じゃあ僕はこれで……」
     「待って」
     「ダメです!もう電車の時間なので!」
     「でも、待って、んと、……兄さん、ちょっと」
     「ん?」
     
     綾波がカヲルくんへ外国語で何か話す。
     おそらくドイツ語で、翻訳を頼んでいるのだろう。
     話す美男美女の2人は1つの芸術となっていて、自分がこの2人と並んでいる事にとても違和感を覚える。
     
     「ね、君」
     「は、はい!?」
     「もしよければ連絡先、教えてくれないかい?」
     「え、ええ!?」
     
     どうしてそうなった!?
     連絡先交換なんてなったら、会う会わないの問題では無い。
     昨日今日で散々関わってしまったんだ。
     もうこれ以上は、絶対にダメだ。
     
     「む、む、無理です!」
     「……どうして、君はそんなに僕から逃げるのかな」
     「え?」
     
     カヲルくんがこちらへ1歩近づく。
     驚いて1歩後ろへ下がるも、カヲルが更に距離を詰めてくるせいで、距離は縮まるばかりだった。
     
     「わ、わ、ちょ、」
     
     壁にぶつかる。
     それはこれ以上逃げられない事を意味していた。
     それでもお構い無しに距離を詰められ、気づけば綺麗な顔が視線いっぱいに入り込んでいた。
     久しぶりにハッキリと見たカヲルくんに、目の前がチカチカする。
     胸が苦しい。
     息の仕方を、忘れた。
     
     「昨日僕が来たら君、走っていってしまっただろう。僕が驚かせてしまったからだと思って一言謝りたかったんだ。ごめんね」
     「は、はい……」
     
     耳元で話され、背筋がくすぐったい。
     
     「そして僕のその様子を見た妹が、僕と君を仲良くさせようとしたかったらしい」
     
     彼の匂いが頭の中を麻痺させる。
     
     「妹の行動にはいつも驚かせられるよ。君に悪いから連絡先を聞くのはどうかと思ったんだけどね。でも、君の様子を見て気が変わった」
     
     手をそっと添えられる。
     触られたところが熱を帯び、自分の物じゃ無くなったみたいになる。
     
     「君は、どうして僕から逃げるんだい」
     
     潤んだ赤の瞳がこちらを見る。
     あ、まずい。
     絶対今顔が赤い。
     顔が見えないように鞄で隠す。
     ドキドキして、熱くて、痛くて、辛い。
     
     「……逃げて、ないです」
     「でも、そうやって目も合わせてくれない」
     「苦手なんです。人と話すことが」
     「でもレイとは、」
     「あれは僕が怪我させてしまったので」
     
     いつまで続くんだろうか。
     早くこの状況から抜け出したい。
     
     「せめて、顔を見せてくれないかい」
     「やめっ、」
     
     唯一の防御壁である鞄をグイと押され、顔が出そうになる。
     こんな顔絶対見せられない……!
     
     「やめてよカヲルくん!」
     
     ふと、彼の手に力が無くなる。
     やっと諦めてくれたのかな。
     安堵の息を吐く。
     
     「どうして、僕の名前知ってるんだい?」
     「あ、」
     
     しまった、と思った時にはもう遅い。
     そうだ、混乱してたからそこまで頭が回らなかった。
     僕、今とんでもないことを口走った。
     
     「困ったね。君に興味が出てきて、離したくないな」
     「……っ」
     
     カヲルくんの息が聞こえる。
     見えないけど、体温で、匂いで、更に近づいてるのが分かる。
     熱くて、このまま溶けてしまいそうだ。
     
     「君の乗る電車、あと3分で来るだろう。連絡先を教えてくれなきゃこのまま乗り過ごしちゃうかもね」
     「そんなの、君だって電車に……」
     「ああ、職業柄、何時に行っても大丈夫だし、君の連絡先聞いたらゆっくり行くよ」
     「ぐ、」
     「あと2分」
     「うう〜っ、分かった!分かったよ!」
     
     僕は急いで鞄からメモ帳を取り出して、自分の携帯番号を書く。
     この1本を乗り過ごしたら、あと1時間は電車が来ない。遅刻は確定だ。
     初めて田舎暮らしである事に後悔した。
     
     「これ!携帯番号!離して!」
     「ありがとう」
     
     僕からメモを受け取るとカヲルくんは笑って離れた。
     心臓がいまだにドクドクと波打っている。
     まだ彼の体温が、体から離れない。
     
     「じゃあ僕、行くから!」
     「ねえ」
     「わ、ま、まだなんか……」
     
     綾波に腕をひかれ、走り出そうとしたままのポーズで立ち止まる。
     
     「…………」
     「え?」
     「さようなら」
     
     綾波は微笑んでこちらへ手を振る。
     電車があと1分できてしまう。
     僕は軽く手を振り返し、急いで電車へ向かう。
     綾波が最後に言った言葉を頭の中で何度も繰り返しながら。
     
     
     『兄を、助けて』
     
     
     一体、どういうことなんだろう。
     
     
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