とある深夜の下らない話「最近扇雀さん来ないね」
深夜。律がタロットカードを弄りながら、ふとそう呟く。
「……せんじゃく?」
「うん。私はもう2ヶ月くらい顔見てないと思う。忙しいのかな?お仕事」
「あ〜……なに?せんじゃくって」
「は?」
手を止め、律が顔を上げてこちらを見た。まるで意味がわからないという表情でポカンとしている。いや、そうしたいのは寧ろこっちだ。
「え、なに?兄さん」
「なにが?」
「何言ってんの?」
「……なにが?」
律の顔がだんだんと険しくなる。……ああ、これは、あまり刺激しない方が良いやつだ。そう咄嗟に理解した。とはいえ、突然に訳のわからない事を言われても困るしかない。せんじゃく、せんじゃく、せんじゃく、と頭の中で繰り返し唱えるも、何も思い当たらないのだ。
「あ〜、いや、ごめん、ごめんって」
「……もう。また扇雀さんとケンカしたんでしょ」
「ああ、そう!そうなんだよ、ははは……」
「ほどほどにしときなよね。兄さん友達いないんだから」
「……ああ、うん」
そうして彼女はまたカードに向き直る。
ひとまずの危機は去った。救われた。主に自分の晩飯が。律は一度機嫌を損ねるとなかなか元に戻らない。本当に、自分の周りは頑固な女ばかりで……。
「……?」
誰だ?今、自分は誰をカウントしようとしていた?律と……誰だろう。悲しきかな、女性と仲良くなる機会も少なく友人と呼べる人は余りいない。交流は広くてもあまり深く関わることはないのだ。何かが頭の中からゴッソリと抜け落ちているような気がする。なんだろう。その事について考えようとすると、こめかみの辺りがキンと痛む。……いや、やめよう。思い出せないと言うことは、それ程大事なことでは無いのだ。きっと中学時代のクラスメイトとか、そんなような事だろう。
「ああもう、また容量足りねえや」
「兄さんのスマホって変なゲームばっかり入ってるよね。それ全部やってないでしょ」
「うーん」
「断捨離しなよ、断捨離」
ふう、と息を吐いて煙草に火をつける。携帯のホーム画面を開くと、遥か
昔にインストールしたゲームが並んでいる。ちょっとしたパズルゲームだの、クイズアプリだの、中には既にサービスが終了したソーシャルゲームすらそのまま放置してあった。一つ一つタップしてデータを削除していく。
『アプリを削除すると全てのデータが消えてしまいます。削除しますか?』
そんな注意書きを一瞥して削除ボタンを押す。今までにかけた時間も、かけた金も、クリアの記録もタップ一つで無かった事になる。感慨も何も無い。またやりたくなったらインストールすれば良いだけだ。今必要なのは新しいゲームをプレイするためのデータ容量。過去のことなんてどうでも良いのだ。
1GB。2GB。少しずつ空きが増えていく。新しくプレイしたいものは相当重たいもののようでなかなか足りない。いっそ新しいスマートフォンでも買うべきか。今度はうんと容量のデカいやつ。
要らないゲームを全て消しても、あともう少し足りない。保存してある動画でも消そうか?何かしら無駄なものがあるだろう。そう思って飛龍は写真アプリを開いた。
大欠伸をしながらパラパラと画像や動画を漁る。ゲームのスクリーンショット、新しいタバコの写真、何かちょっと面白かった気がする日常の風景、嫌そうな顔の律。必要のないものを厳選して削除ボタンを押していく。ふと、飛龍の手が止まった。
「誰これ」
銀色の髪をした、いかにもガラの悪そうな女。よく見るとアルバムの中にはちらほらとその顔が散見された。どこかのサイトで保存でもしたのか。そう思ったが、律と並んで笑みを浮かべる写真をみて、紛れもなくそれが自分の撮ったものらしい事が分かった。
どことなく気味の悪さを感じて眉を顰める。明らかに知らない人物が自分の中にいる。奇怪な出来事に巻き込まれる事は多いが、こんな事は初めてだ。こういう写真って消していいんだっけ?
「……なあ、律」
「なに」
「見てこれ」
律と女が並んでいる写真を突きつける。彼女の反応を窺ってみようかと思ったのだ。
「……ああ、これ。雨が酷かった時にピザパーティーした時のだよね。扇雀さんと3人で」
「え?ああ……ああ、うん」
せんじゃく。またせんじゃくだ。いよいよ訳が分からない。律の反応を見る限り、悪ふざけで適当な事を言っている様には思えなかった。なにか。何かを自分は忘れている?……いや、そんなはずはない。
写真を古いものから新しいものまで見ると、その女が最後に登場しているのは先月の半ばあたり。自分と、その女と、これまた怪しげな男が3人で写っている。おさまったはずの頭痛がまた酷くなり、視界から離すように削除する。面倒は嫌だ。全部消して無かった事にしよう。そう思ってその知らない男女が写る写真を一つ一つ消していく。少しずつ、頭痛が軽くなるような気がした。
遡って分かった事だが、その女が写る写真は意外にも多いようだ。見れば見るほど不思議でたまらない。どうしてこんなに…。半ば自棄になって何十枚もの写真を一気に消す。気が滅入りそうな作業だった。
「……」
最後の一枚。律と女が写る写真。ゴミ箱のマークを押しかけた指がふと止まる。消すのか。本当に?頭の中で誰かが問うたような気がした。行き場を失った親指が宙を彷徨い、結局そのまま携帯をスリープモードにして放り出す。
フィルターを燃やしかけた煙草を灰皿に押し付けて、飛龍は腰掛けていたソファから立ち上がった。
「……俺、寝るわ」
「うん。おやすみ」
寝室に向かう足が重い。女の写真が脳裏にこびりついて離れない。……きっと疲れているに違いない。あの写真もなにか、そういう、仕掛けか何かがあるんだ。携帯を放置していた時に悪戯されたとか。何気なく入れたアプリにウイルスが入っていたとか。そんな感じだ。
電気も付けずにジャンパーを脱ぎ捨て、もつれ込むようにしてベッドにダイブする。深呼吸を繰り返せばゆっくりと眠気が襲ってくる。寝て、起きて、何ともないように生活していればその内忘れるだろう。自負することではないが頭の悪さには自信がある。
その晩、弓矢で射殺される雀の夢を見た。そんな気がした。