Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    igomori_DGS

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 8

    igomori_DGS

    ☆quiet follow

    あまりにも時間がかかり表に出すのは憚られたのでワンライ供養です

    13回目『暁』「ジーナちゃん、来れたら良かったのにね」
    「仕方がない。彼女も警察だ」
     待ち遠しさを隠さないアイリスは踵を地面から離し、戻したかと思うとまたすぐに踵を上げて身体を揺らす。爪先のみで立つたびにひょこりと近づく背はバロックよりも低いが、初めて出会った頃よりは遥かに差が縮まった。義姉に似た容姿は年月を重ねる毎にますます面影を色濃くし、まだ東の水平線が白み始めたばかりの薄暗闇の中で白磁の輪郭を浮かび上がらせていた。
     夜明け前の静かな寒さから身を守るように組んだ腕の下で懐にしまった手紙の角を撫でる。数週間前に届いたそれには今日この日に船が到着すること、時間は早朝になる予定だから迎えはいらないと極めて事務的な内容が記されていた。従う道理もないだろうと昨夜の内に深夜列車に乗り、暗闇に包まれた船着場に降りるとそこにはホームズとアイリスが既におりバロックを見つけると手招きをしてこっちへ来いと誘う。手紙の事は話していないのに何故、などと問うのはこの親子には今更だった。
     しじまを破らぬよう静かに笑う二人の隣に並び、空との境が分かたれつつある東の空を眺めてぽつり、ぽつりと言葉を交わしながら数年来の友を待つ。
    「アソーギくん、また来てくれるんだね」
     喜色を滲ませたアイリスの声に振り向くと声色に違わぬ笑みが浮かんでいた。亜双義がこの国を発つ時は酷く寂しがった彼女だから、今日の知らせはなによりも嬉しいのだろう。昔よりも日本との距離は縮まったが、立場と肩書きは時に拘束具として我らを縛る。
    「帰国の際にまた来るとは言っていたが、まさか本気だったとはな」
    「キミとしては」
     当時は半ば冗談だと思っていた亜双義の発言を懐かしむバロックの心を乱しかねない男の声がアイリスとの間に割り入る。今日は静かにしていると安心していたが、その分目を向くようなことを言うのではないかと訝しむバロックの視線など気にも止めず、ホームズは帽子の鍔を指先で弾く。
    「これこそが“帰国”なんじゃないかい?」
    「馬鹿を言え。ここは彼の祖国ではない」
     水面が震えるほどに声を張り上げてしまったが、ホームズどころかアイリスすらも驚きもせずバロックを見上げて微笑む。数年間秘めていた想いが肯定に等しい態度を取らせた。
     彼の帰国が決まってから言うか言うまいか悩んでいた想いはとうとう欠片も伝えることなく船を見送り、そこですべてが終わるはずだった。弟子から送られてくる手紙には師として返せば何も問題なく、このやりとりを生涯続けていくのだと。それでも、亜双義一真の生涯の師として終えられるのはバロックにとって安寧とも言えた。彼の唯一の存在でいられるのならばそれ以上望むものはない。ないはずだ。しかしホームズに突かれた心の隅から瞬く間に溢れ出す奔流は治る気配がない。
    「案外、彼も帰国のつもりかもしれないよ?」
     ホームズの言葉は憶測でしかなく、根拠がないと跳ね除けられるはずなのに。
     送られた手紙にはいつまで英国にいるとは書いていなかった。目処が立っていないだけだと思い込もうとしたが、書かれなかった期限に胸を撫で下ろしたのも事実だった。
    「バンジークスくん、嬉しい?」
     下から覗き込むアイリスの問いに柔くふやけた心が頷こうとする。濁流に飲み込まれそうになりながらもあまりにも素直すぎる心を抑えつけはしたが、二人の前では隠せていないのも同然だった。
     到着を知らせる船笛が夜闇を晴らす。細波とともに寄る船が白む東の空に照らされ、陰の中から乗客たちがぽつりぽつりと降り始める。たったそれだけの光景で、彼自身は姿が見えてすらいないのに心臓の脈動は力強く高鳴る。
    「なんにせよ。また長い付き合いになるだろうしね」
     行くといい。ホームズの指先が船に向くと同時に、ひとりの東洋人が旅行鞄とともに乗降口から現れる。東の朝日を浴びる黒髪に。この国にいた頃より幾分か焼けた象牙色の肌に。なによりバロックの姿を見つけた瞬間見開かれた黒鋼の瞳に、バロックは太陽を求めるように駆け寄った。
    「バンジークス卿?」
     見上げるかんばせは記憶より眩い。度々送られてきた日本で生活している時の写真では感じ取れなかった溢れんばかりの生気に目が眩みそうだった。
    「迎えはいらないと言ったのに」
    「従うと返していない」
     肩を竦めた亜双義が帽子を脱ぎ一礼するとはらりと落ちる一筋の黒髪が陽に透けた。伏せられた睫毛の先に夜明けの光が当たり、小さな星のように瞬く。
    「お変わりありませんね」
    「キミこそ」
     呼吸一つ分の間が空き、どちらともなく忍ぶように笑みを漏らす。こうやって声を聞くのも彼と笑い合うのも、一度は諦めたものだった。自ら目を背けていたと言うのに、再度迎え入れてしまえばこんなにも心地よいものもない。
     バロックと亜双義を待つ二人のもとへ戻ろうと海面に背を向けると後ろから当たり前のようについてくる足音が、背を向けても伝わる馴染み深い存在が、バロックの脳裏に懐かしさを呼び起こした。倫敦を巡り調査に赴いた日々、緩やかな歩調を合わせて交わした他愛もない会話。思い起こされる日々にバロックの口元が穏やかな弧を描く。
     亜双義の小気味良い足音が夜明けの港に小さな彩りを響かせる。夜明けとともに静寂を晴らしていくように聞こえた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    😭😭🙏💖💖🙏🙏🙏😭😭😭💜❤💜❤💜❤😭😭🙏🙏💞💞🌅🌅💖💖
    Let's send reactions!
    Replies from the creator