雨の夜、初めてのキス
IDOLiSH7の写真集が出る。スケジュールの都合上、MEZZO"以外の五人と紡がひと足先に、その翌々日にMEZZO"と万理がロケ地へ向かうことになった。
「まぁ、天気ばかりは仕方ないよね」
社用車のハンドルを握る万理が、環と壮五を慰めようと、わざと明るい声を出す。今年は梅雨入りが随分と早まったらしく、明日は全国的に悪天候で、飛行機の欠航も早々に決まった。先に沖縄へ向かった五人は、昨日のうちに、撮れるところはすべて撮り終えている。予定では、明日、MEZZO"が沖縄に着いたらすぐに七人でのシーンを撮影し、夕方の飛行機でナギと大和が東京へ帰るはずだった。彼らには、明後日の午後、都内のスタジオでレコーディングの予定が入っているからだ。
「レコーディングのほうは二人と相談して、必要なら調整するよ」
当然のことのように言う万理。彼らはそれが仕事なのだから、そりゃあ、当然のことのように言ってもなんらおかしくないが、きっと、すごく大変なはずだ。
「ナギっちもヤマさんも、最近あんまり休みないっぽいし、ちょっとでもゆっくりできるんなら、そのほうがいいかも」
七人で一緒にレコーディングできていた頃が懐かしい。今は、個人のスケジュールの合間を縫って別録りするのが当たり前になってしまった。
一瞬だけ会話が途絶え、ワイパーが雨粒を懸命に追い払う音が車内に響く。
「こっちもすごい雨だし、二人とも気を付けてね」
「ん。明日はずっと引きこもってると思う」
「僕も……食材はじゅうぶんありましたし、寮でおとなしくしてます」
それなら安心だ。でも、なにかあったらすぐ連絡してね。――ルームミラー越しに二人を見て、万理が優しく笑う。
「あ、ラビチャ。あー、うまそうなもん食ってんのいいなー」
沖縄にいる五人が思い思いに現地での様子を報告してきた。あちらも大雨で、食事もホテル併設のレストランで済ませたと書かれてある。
「本当だ。僕たちも向こうに行ったら、一食くらいはご当地メニューを食べたいね」
「なー」
仕事でいろいろなところに行くとはいえ、日本全国どこでも食べられるようなものばかり食べている。ご当地メニューにありつけるのは、スケジュールにかなりの余裕がある時か、撮影内容に食事シーンが含まれている時くらいだ。
車がゆっくりと寮の前に停まる。
「着いたよ。お疲れさま」
「お疲れさまです」
「ありがと、バンちゃん」
ドアを開けると、雨の音が一斉に両耳を攻撃してきた。前方に見える水たまりにも、雨粒が落ちては跳ね、雨粒が落ちては跳ねを繰り返している。先に降りる壮五は一度だけ大きな息を吐き、勢いよく傘を差して走り出した。ほんの少しの距離とはいえ、もたもたしていると傘を差していても全身がずぶ濡れになりそうな雨量だ。
「環くん、降りる時、気を付けてね」
「おー、……って、うわ、雨つよ。バンちゃんお疲れ!」
壮五に続き、環も玄関までのわずかな距離を走った。玄関のドアを開け、万理のほうを振り返ると、窓越しに手を振ってくれているのが見える。こちらも、万理に向かって手を振り、問題なく送ってくれたことへの礼を伝えた。
「うわー……あのちょっとの間で靴ん中びちょびちょ」
「待って、環くん。タオルを持ってくるから」
持ち歩いているタオルで自身の足許を軽く拭いたあと、環を土間に留めさせ、小走りで洗面所へ向かう。短い距離でも傘を差した壮五と違って、そのままの状態で走った環は頭からずぶ濡れだ。
玄関に戻るついでにリビングに立ち寄り、数日前の新聞を引っ掴む。今日、環が履いていた靴なら、中に新聞紙を詰めておけば明日の夜には乾くだろう。
「まったく、どうして傘を差さなかったんだ」
「だって、すぐそこじゃん」
壮五から受け取ったバスタオルで頭を拭く環。その間に壮五は環のバッグの中身が濡れていないかをすばやく確認し、彼が脱いだ靴の中に丸めた新聞紙を詰め込んだ。自分の靴の中も少し濡れてしまっていたから、自分のものにも詰めておく。
「すぐそこでも、風邪を引いたら元も子もないだろう。お風呂……は、沸かすまで待ってたら体が冷えるから、今夜はシャワーで済ませようか」
ほんの十数秒でここまでずぶ濡れになるなんて。湯に浸かれなくても、あたたかいシャワーをじゅうぶんに浴び、しっかりと髪を乾かして、湯冷めしないうちにベッドに入れば大丈夫だろう。
各々の自室に向かい、環に、先にシャワーを浴びるよう促す。
「そーちゃんは?」
「環くんが上がってきてからでいいよ」
「ちょっとの間だって、そんな格好のままいたら、あんたが風邪引くだろ。そーちゃんも入ろうぜ。ほら、着替え用意して」
「え……まぁ、環くんがそう言うなら、そうしようかな」
昔の壮五であれば、適当な理由をつけて一緒に入るのを避けていたところだが、四六時中といっていいほど一緒にいる相手だし、仕事でホテルに泊まった時や楽屋での着替えなんかで環の体は数え切れないほど見ているからか、今更、恥ずかしがることもないし、別にいいかと思えるようになった。たぶん、これが親友というものなのだろう。ビジネスパートナーの色が強い〝相方〟の枠に収まらない〝親友〟という存在。――家に決められたレールの上を歩くだけだった頃は、そういう相手がいなかったから、なんだか、くすぐったい。
湯を沸かしていれば、湯に浸かっておしゃべりを楽しんだのだろうが、シャワーで済ませるだけとなると、そうもいかない。外の雨ほどではないがこちらもざあざあと降り注ぐ湯に声を掻き消されそうになりながら、ひとこと、ふたこと、――雨はいつまで続くんだろうとか、沖縄の皆は今頃どうしているのかとか、そういうことを――ぽつりぽつりと話す程度だった。もし、機会があれば湯に浸かりながらのんびり話してみたいなと思いながら、体を包む泡をシャワーの湯で流す。
「シャワー浴びたら一気に眠くなってきた」
「でも、髪は乾かしてね」
「はいはい」
寝間着に袖を通しながら、やはり、湯に浸かったほうがよかったなと思った。湿気からくる不快感は洗い流せたものの、体があたたまった気がしない。明後日までオフになったわけだし、明日は外に出ようと思えない天気らしいから、明日こそは湯に浸かろうと秘かに決心する。
「なー、髪乾かして」
僕だって自分の髪があるのにと眉をひそめると、じゃあ、俺がそーちゃんの髪乾かしてやんよと言われた。
「それなら自分でやったほうが効率よくないか?」
「そうだけど。なんかそういう気分ってあんじゃん。自分のは面倒だけど、人のはやってあげたいなーって」
環の言うことは、正直、よくわからなかった。ただ、これ以上ぐだぐだと会話を続けるより、彼の望みどおりに髪を乾かし合ったほうがいいと判断し、曖昧に頷く。
「あ、今の、適当に頷いただろ。情緒ねえの」
「うるさいよ。ほら、先に乾かしてあげるから。リビングでいい?」
果たして、情緒とか、そういう問題なのだろうか。たぶん、環だって適当に言ったのだろうから、あまり深く考えないことにする。ドライヤーを持って急かす環を見て、一気に眠くなってきたんじゃなかったのかと言いたくなったが、やめておいた。
しんと静まり返ったリビングに、環が小さく息を吐き出す。
「みんな、もう寝たかな」
風呂場でもした話題だ。
「どうかな。グルチャも静かになったし、疲れて寝てるのかもね」
ドライヤーのスイッチをオンにするのに、わざと、スイッチを押し上げる指に力を入れた。いつもより少しだけ大きなスイッチ音に、環が押し黙る。壮五が狙ったとおりに黙ったのが申し訳なくて、髪を梳く指はできるだけ優しくしてやろうと決めた。
自分でも、どうして、八つ当たりするみたいなスイッチの入れ方をしたのかはわからない。ただ、なんとなく、環がこれ以上〝みんな〟の話をするのが、いやだった。
(なんの話なら、僕はいらいらしないんだろう)
壮五だって、メンバーのことは大好きだ。環と二人きりになることは多いから、自分たち以外のメンバーの話は、普段からわりとよくしているほうだと思う。りっくんにガシャ引いてもらったら神引きだっただの、ナギくんに教えてもらった紅茶ブランドの新作がおいしかっただのと、メンバーの好きなところを、同じく好きなメンバーの一人である相方と共有する時間。お互いの宝物を見せ合うみたいで、楽しくて、環とそういう話をするのは、壮五にとって癒しのひとつだ。ひとつだった、はず。
「……そーちゃん、こそばゆい」
「あ、ごめんね」
考えごとに夢中で、環の髪を梳く指の動きが疎かになっていた。髪を傷めないよう、丁寧に扱わなければ。――正体のわからないもやもやを追い払うように小さくかぶりを振って、環の髪に指を滑らせる。
「この前、トリートメントしてもらったんだっけ。まださらさらだ」
「だろ? 俺も、今、自分の髪触んの好きな期間。触り心地よくてテンション上がる」
美容院なんて髪が切れりゃあいいと言っていたのは昔の話で、今の環にはお気に入りのヘアサロンがある。壮五も通っている店で、それを知った大和は「MEZZO"は美容院もお揃いって、どんだけ仲良しなんだよ」と笑っていた。
「自分の髪を触るのは好きなのに、ドライヤーは面倒なんだ?」
「そういう気分の日もあんだよ。あ、さっきの、やっぱ適当に頷いてたんじゃん」
「ふふ、ごめん」
自分たちのお気に入りの店。さきほどまでの〝みんな〟の話から〝自分たち二人の共通点〟に話題が変わって、少し、浮ついたような気持ちになる。こういう話を、もっと、したい。もちろん、音楽の話や、二人でやっているラジオの話も。
「さ、もう乾いたよ」
「じゃあ、次、そーちゃんの番な」
自分がやってもらいたいたくて言っているだけで、まさか本当に乾かしてくれるなんて思っていなかったから、自分でも驚くくらい「えっ」と大きな声が出た。
「なに、なんかだめだった?」
「だめじゃないよ! ……その、よろしくお願いします」
「はは、敬語ウケる。りょーかい、早く座って」
そういえば、素面の状態で髪を乾かしてもらうのはこれが初めてだと気付いた。これまでに何度か、酔った壮五にシャワーを浴びせ、寝間着を着せて髪を乾かしてくれたことがあるらしいが、壮五本人はまったく覚えていない。そんなことを考えていたら、背後の環からも、そういえばちゃんとしたそーちゃんの髪乾かすの初めてだなという言葉が降ってきた。同じタイミングで同じことを考えているのがおもしろくて、なんだか、むずむずする。
「じゃあ、今日はそーちゃんに俺の華麗なドライヤー捌きを、……っ、びびった……」
外で雷の音がした。結構、近いかもしれない。雨音も、帰ってきた時より激しくなっている気がする。
「別に、なんも怖くねえし。ほんのちょっとびびっただけ」
「僕はなにも言ってないよ」
うるさいという言葉の代わりに、ドライヤーの熱風がつむじに直撃した。
自分で〝華麗なドライヤー捌き〟と言うからどれほどのものかと思っていたが、なるほど、これは確かに華麗と言っていいかもしれない。雷の音、雨の音……それらが気になって眠気もどこかへいったと思っていたが、環の指が髪を撫でてくれるのが心地よくて、目を閉じたら三秒で眠れるのではという気すらしてきた。
「そーちゃん気持ちよさそう。いっぱい撫でられておとなしくなったにゃあこみてえ」
「人間だよ……」
自分の声がふわふわしているのがわかって、気恥ずかしい。こんな腑抜けた声は、誰にも、聞かれたくなかった。
(まぁ、環くんだし、いいか……)
酔った姿を何回、いや、何十回も見られているし、そのたびに世話をしてもらっているらしいし、今更だ。彼の前では、どんな格好悪い姿も見せてきた。まさか、ここまで心を許せる相手ができるなんてと、髪を乾かしてくれている環の指先に意識を集中させる。
しかし、心地いい時間ほどあっという間に終わるもので、もう少し、もう少し……と思い始めたところでドライヤーの風が止まってしまった。
「ほい、しゅーりょー。そーちゃんの双葉、いつもより、つやっつやでかわいくぴょこんってなってんよ」
鏡見にいく? と顔を覗き込まれた瞬間、頭の中が、真っ白になった。
次に壮五が認識したのは、環がなにかに驚いている顔、それから――
「……なんで」
――少ししっとりした唇の感触。あぁ、キスをしたんだ。これが、キス。
「なんでって……どうしてだろう」
自分でもよくわからない。目の前に環の顔があったから、いや、このくらいの距離まで顔を近付けるなんて、MEZZO"の仕事ではよくあることだ。そのたびにキスをしようという気になったかと問われたら、NOと断言できる。
では、どうして。
「そーちゃん、俺のこと、そういう意味で好きなん?」
「そういう意味って」
「だから、恋愛、的な」
環の頬がじわじわと赤く染まる。キスで頬を染めるならまだしも、恋愛の話を持ち出すことに照れるなんて、彼こそ、今のキスをどう受け取ったのだろうか。
「キス、いやだった?」
「キ……、スとか言うなし。いやじゃなかった、けど、なんでって気持ち」
このままではまたキスができてしまいそうな距離のまま、誰もいない寮のリビングでひそひそ話を続ける。誰かに聞かれる心配なんて、ないのに。
「れんあい……」
口の中で恋愛という単語を転がしてみても、やっぱり、よくわからない。自然と、環との距離が離れた。離れる瞬間、なぜか縋りそうになって、また、自分の感情に困惑してしまう。
「環くんは、どう思った? いやじゃなかったとか、どうしてという疑問以外に」
「チューの感想ってこと?」
「感想でもなくて、……そうだな、たとえば、今のキスが、恋愛感情が表面化したことによる行為だったと仮定する。実際にはそういう感情があるのかと言われると、僕自身もわからないんだけど、とりあえず、そういう仮定の下で考えて。僕が環くんに恋をしていたとしたら、環くんは、どう思う?」
こういう質問の仕方は、果たして、正しかったのだろうか。シャワーを浴びてさっぱりしたばかりなのに、いやな汗が背を伝う。
「どうって……どう、えー……まぁ、悪くねえな、みたいな?」
「随分と得意げな反応だ」
「えっ! 別にそういうわけじゃ、や、そうなんのかな? 好きって言われてまぁ悪くねえなーって? うわ、今のなし! すっげえ、やなやつじゃん!」
環の反応からキスをした理由を突き止められるかと思ったが、無理そうだ。
「いや、いいよ。環くんのことをいやな子だなんて思わないから。でも、そうか……悪くない、ということは、環くんにとってさっきのキスは好感を抱いたってことだよね」
「解説されると恥ずかしいんだけど」
環がなにか言っているが、疑問点を解決させるのが最優先だ。湯冷めしないうちにベッドに入って早く眠るはずが、外から聞こえる雷雨をBGMに、今もリビングに留まっている。
「……環くんは、恋って、どういうものだと思う?」
「はっ? まだ恥ずかしい話すんのかよ」
それでも壮五の思考に付き合ってくれるらしく、隣に座ってくれた。
「環くんはモテるだろう? だから、他人の恋愛感情をよく知ってるはずだ」
「っつってもなー……そりゃあ、好きとか言ってくる女は学校にもいたけど、ああいうのって、写真一緒に撮りたいとか、一緒に飯食いたいとか、自分の好みに合う顔の男連れて歩きたいって感じのばっかりだった。俺じゃなくてもいいやつ。それが恋かって言われると、なんか、それは違う気がする」
確かに、それは恋愛感情というより、高級ブランドのアクセサリーを身に着けて、周囲の人間から羨望の眼差しを向けられたい感情に似ている気がする。
「ひどい女性たちだな。環くんはこんなにいい子なのに……」
〝こんなにいい子なのに〟という言葉に、環が視線を彷徨わせる。なにかおかしなことを言ったかと首を傾げると「褒めてもなんも出ねえぞ」と返ってきた。別に、褒めたつもりはなかったのだが。
「そーちゃんは? ラブイズクレイジー以外で」
「そうだな……やっぱり、心身ともに相手を強く求める感情がそれだと思うんだけど、環くんを心身ともに強く求めてるかと言われると……」
改めて、環の姿を頭のてっぺんから眺めた。
顔、申し分ないくらいに整っている。つり上がった眉と垂れた瞳のバランスがよく、顔のパーツに黄金比という言葉を用いていいなら、四葉環の顔は黄金比だといっていい。高校を卒業して、抱かれたい男ランキングも二位になった。次回は一位になると思う。
喉仏のラインは壮五が羨むくらいだ。この喉が、あの歌声を。――自分がつくった曲を彼が歌ってくれることほど、幸せなことはないのでは。
筋トレのメニューを見直したらしく、高校生の頃は未成熟なところもあった方から腕にかけてが、ぐっとセクシーになった。寝間着代わりのTシャツで見えないけれど、さっき見た胸筋や腹筋も、すごく格好よかった。
「……観察終わった?」
「あっ、……終わりました」
「で? 心身ともに強く求めたい~みたいな気持ち?」
なんのサービスなのか、Tシャツの裾をぺらっとめくって、きれいに割れた腹筋を見せてくれた。
「格好いいなとは思うけど、求めたいというより、羨ましいかな。環くんは?」
「んー……そーちゃんは、女にモテそうってくらいきれいな顔だなって。あと、さっきも思ったけど体がうっすい。心配になる」
心身ともに相手を欲するかという議題だったはずが、互いの外見に対する感想だけになってしまった。この視点から答えを求めるのも、違ったらしい。
「薄いって……まぁ、自覚はあるからこれ以上言わないけど。あとは、……映画やドラマなんかでは、嫉妬とか、独占欲、とか? どきどきするっていうのもよく聞くよね」
「嫉妬とか独占欲、……は、昔、ちょっとだけあった」
環の口から飛び出した発言に、驚きを隠せない。
「えっと、それは僕に対して?」
「昔な。でも、そーちゃんが、俺のこと見てるって言ってくれてからは、そういうのもなくなった。でも、あれが恋だったかって言われたら、それは違うってわかる。どきどきはなかったし。たぶん、俺がそーちゃんの周りの人たちに嫉妬したり、そーちゃんは俺の相方なんだけどって独占欲みたいなの感じたりってのは、さみしかったから」
デビューしてすぐの頃、壮五が目上の人間や憧れの先輩たちと話している間、環がつまらなさそうにしていたのは知っていた。大勢の中の一人ではなく環本人に向き合ってくれる人を求めているのだと気付き、相方としての関係が深まっていくにつれ、そういう表情を見せることは減っていった。
「そういえば、僕も、環くんの相方は僕だけなんだからっていう……なんて説明したらいいのかわからないけど、たぶん、独占欲、に近い感情はあったかな」
しかし、今の自分たちの関係は驚くほど良好で、一緒にいるのも当たり前だから、そんな感情を抱いたことがあった事実すら、忘却の彼方に消え去っていた。
「……なんか、さ、これ言っていいかわかんねえけど」
「いいよ、言って。というか、言ってくれないと気になる」
「これって、今、どうしても答え見つけないとだめ?」
確かに、環の言うとおりだ。わからないからといって世間一般でいう〝恋愛〟というテンプレートたちに自分たちの感情を当てはめようとしたところで、正解が見つかるとは限らない。事実、ここまでの会話でピンとくるものがなかった。
「でも、どうしてキスしたのかって訊いてきたのはきみだろ」
「だって、それは気になるし。でも、今すぐ答えろとは言ってねえじゃん」
でも、だって、でも。この繰り返しでは、見つかる答えも見つからない。
「いや、……よそう。迅速に答えを導き出さないと環くんは焦れてしまうだろと思ったけど、それを言ってたら話がどんどん脱線する」
「声、出てんよ。あのさ、そりゃあ、すぐ教えてって気持ちもちょっとはあるけど、俺もそーちゃんもわかんねえのに焦ったって、なんもいいことないよ」
環に指を絡めとられ、視線を上げた。
「でも、これだけは、今、教えて。俺以外が相手でも、してた?」
「それはないよ! 環くんの顔が近くにあるって思ったら……仕事で何回もこういう距離になってるのに、なぜか頭の中が真っ白になって、吸い寄せられたみたいな、そんな、感じだった。他の人なら、顔が近付いた時点で避けてる」
四六時中一緒にいるといっても過言ではないから、日々感じている親愛の情が、恋に近いのだと勘違いして、距離感を狂わせてしまったのかも。
「俺も、そーちゃん以外だったら、なんでこんなことすんのって怒ってた。そーちゃんだから、いいなって思った。俺がなんでって訊いたから、一生懸命考えてくれてるの、すげえ嬉しいけど、いっぱい考えてぐるぐるすんの、俺のことではしないで。考え過ぎで、ここ、ぎゅーってなってんよ」
指先で眉間を優しく擦られて、自分はそんなにひどい顔をしていたのかと気付いた。
「でも……いきなりキスをしたのは事実だし……それは、ごめんね」
「別に怒ってねえって。……あ、そうだ」
なにかに閃いたみたいな明るい表情に、いったいなにごとかと小首を傾げたら――
「……これで、おあいこな」
――ちょうどいい角度だといわんばかりに、素早くキスをされてしまった。ぱちぱちと瞬きを繰り返す壮五を見て、環がぷっと噴き出す。
「……えっ? 今、どうして」
「眉間のとこぎゅーってしてるそーちゃん見てたら、間抜けな顔、見たくなった」
それって、考え込んでいる顔よりましなんだろうか? どちらも同じくらいひどい顔としか思えないのだが。
「寮出ても俺らは一緒なんだしさ、ゆっくり考えようぜ。誰にでもチューするんなら問題だけど、俺もそーちゃんも他のやつとはしないってなら、それでいいと思う」