家に着いたのは、23時まで後10分のところだった。手洗いうがいと部屋着に着替えるだけして、一人掛けのソファに腰掛けてテレビを着ける。番組の予告があってからというもの、今夜をご褒美に馬車馬のように働いてきたのだ。
予定時刻となり、バラエティ番組が始まった。タイトルコールやスタジオゲストの紹介が終わり、1つ目のVTRが流れ出す。画面に映し出されたのは、私の推しユニット、『UNDEAD』のメンバーである羽風薫くんだ。
あぁ、尊い。可愛い。この笑顔が後30分間無料で観られるとはどういうことか。拝観料を支払わせてほしい、切実に。
あまりの感動で叫びそうになった口を押さえつつ、スマホでSNSをスクロールする。案の定TLはオタクの阿鼻叫喚で埋め尽くされていた。
「どうも〜、茂部と〜?」
「羽風薫で〜す」
あぁ、今日もなんて甘やかで優しい声なのだろう。メロつかない人類はいるのだろうか、いやいない。
この企画は、今をときめく超多忙な芸能人が、激務の疲れを癒すためのスポットを訪れる、というものだった。今回は、来週から放映されるスパイものの深夜ドラマのダブル主演を務める薫くんと、事務所の先輩アイドルである茂部さんが猫カフェに行くようだ。
「なんか芸人みたいな挨拶になっちゃった。薫のせいだな」
「え〜俺ですか? 茂部さんに合わせたのに」
薫くん×猫、可愛い×可愛い。完全に眼福でしかない画面に一つだけ不安要素、それは茂部さんの存在だ。今だって薫くんの名前を呼び捨てにした。
最近の茂部さんはSNSで、やれ薫とどこどこに行っただの、やれ今日は薫とシミラールックだだの、俺たち仲良しですアピールをしている。ドラマがバディものなので話題作りや宣伝も兼ねているのだろう。VTRでは、茂部さんの投稿から引用された写真を映して、『プライベートでご飯に行くほど仲良し』と紹介されていた。そりゃ、よほど不仲でなければ、撮影の後に流れで行くことはあるだろう。
SNSでは『2人仲良すぎない?』とか『2人並ぶと絵力つよ』とか呟かれているのをよく見かけるようになった。その度に私は複雑な思いを抱く。確かに、既に人気のアイドルと新進気鋭のアイドルが並んでいる光景が見目麗しいのは分かる。そして、茂部さんのおかげで薫くんの注目度も上がっていることには感謝している。
しかし、薫くんには朔間零くんという正真正銘、唯一無二の相棒がいるのだ。過激で背徳的、夜闇の魔物を冠するユニットでありながら、暖かな陽射しのようにキラキラ光る薫くんと、漆黒を纏った妖艶さで月のように輝く零くん、性質の異なる2人が二枚看板としてステージの上に並び立った時の眩さと言ったら。今回のドラマで薫くんを知った人には、是非とも『UNDEAD』のライブを観てほしいものである。
個人的なモヤモヤは多少あるものの、今は全力で猫と戯れる薫くんを網膜に焼き付けるべし。スマホから目を離して、テレビの画面に集中した。
今回訪れる猫カフェの紹介と、店員さんからの注意点の説明が終わると、早速茂部さんが猫がいる部屋のドアを開けた。
「うわ~、いっぱいいる!」
「かわい〜!」
いや猫たちを見て目を輝かせる薫くんが一番可愛い。私は天を仰ぎ感涙した。
木と暖色系の家具を基調とした店内には、ソファやキャットタワー等、至るところにたくさんの猫がのびのびと過ごしている。好奇心旺盛なのだろう、何匹かはドアが開く音と人の気配に反応して、薫くんたちの方へと寄っていった。
「お、お、こっち来た!」
今、薫くんが先に先輩の見せ場を作れるように、さり気なく猫の近くの場所を譲った。周りのことをよく見ていて気遣いができてつまり私の推し最高。
その後も茂部さんが猫に触るカットが流れたがそれは割愛。次のカットは、ソファに寝転ぶ毛の長い白猫に、カーペットに座り込んだ薫くんが目線を合わせて話しかけているところだった。
「お名前はなんて言うのかなぁ?」
もちろん猫に聞いても返ってこないので、代わりに店員さんが答える。
「しらたまくんです」
「可愛い名前ですね! しらたまちゃん、撫でてもいいかな?」
許可を取ってくるのが本当に可愛い。『UNDEAD』の薫くんは色気担当のお兄さんだから、ちょっと強引にリードしてくれそうだけど、普段の薫くんは優しさで満ち溢れていて、常に女の子に気を配ってくれそう。このギャップで何度風邪をひいたことか。
あと、店員さんがしらたまくん呼びだったから男の子なのに、ちゃん付けする薫くん可愛い。要するに薫くんは何でも可愛い。
「ふわっふわ……!」
しらたまくんの背中を優しくゆっくり撫でる薫くん。すると、それが心地良かったのか、しらたまくんは薫くんの腕にコツンと頭をぶつけた。確か猫の頭突きは、愛情表現や挨拶の意味だったか。
「ふふ。気持ち良い? しらたまちゃん」
あぁ、こんな甘々な薫くんに頭をなでなでされたい。この時ほど猫になりたいと思ったことはないだろう。死ぬ前の光景は絶対にこれがいい。
すると、画角の外から茂部さんの声が聞こえた。
「薫〜!」
その声に驚いたらしい、しらたまくんは逃げてしまった。薫くんは一瞬あ、という表情をしていたが、すぐに切り替えて少し離れた場所にいる茂部さんの方を見る。
茂部さんは両手に棒付きキャンディのようなものを持っていた。右手の方は、金色っぽく見える毛並みの綺麗な猫がペロペロと舐めていて、左手の方は、薫くんに向けて振っている。テロップで、猫用のおやつを固めたアイスキャンディだと補足が入った。どうやら、薫くんを猫に見立ててアイスキャンディで釣っているつもりならしい。
「ほ〜ら薫〜、こっちおいで〜」
「俺は猫じゃないです〜」
薫くんは素直に茂部さんの方へ向かう。しかも、アイスキャンディに夢中な猫の死角からいきなり姿を現してびっくりさせないよう、大回りして猫の視界に入った状態で屈みながら、だ。気遣いの鬼か。
「ほらこの子、薫そっくりじゃん? 毛の色とか、人懐っこいとことか、俺に甘えてくるとことかさぁ」
「ちょっとぉ、俺、セクシーなお兄さん枠で売ってるんですよ? 営業妨害〜」
「え、皆さん羽風薫の可愛いところをご存知ない? 俺はね、いっぱい知ってるんですよ」
いやもちろん存じております、元気いっぱいな晃牙くんやアドニスくんを見てデレデレしているのも、大好きなパンケーキを食べて破顔しているのも、ついさっき猫にメロメロになって微笑んでいたのも、全部可愛い。セクシーなお兄さんなのは間違いないけれど、薫くんには他にも魅力的な面がありすぎるのだ。
しかし、また茂部さんの仲良しアピールだ。その上、深夜帯の番組だからか『何やら意味深』とテロップが出て、VTRを見ていたスタジオも沸いている。SNSを確認すると、やはりすぐさま反応があった。『甘える……???』とか『え、どういう関係?』とか。落ち着け私、これはビジネスだ絶対そうだ。
その後もVTRは進んでいく。二枚看板推しとしては手放しで喜べない自分がいるのは確かだが、茂部さんが薫くんを適度にイジってくれるのは正直ありがたかった。昔ヒットした歌を歌い続けているような名ばかりの大御所とは違って、愛のあるイジりは薫くんの魅力を深掘りしてくれている。総合的に見たら、このVTRは大変満足する内容だったように私は思う。
時間的に考えて、次が最後のカットだろう。薫くんが何かを発見したようだ。
「あれ、あの子は……?」
薫くんの視線の先にいたのは、キャットタワーの高いところに座ってあくびをしている黒い猫だった。
「美猫さんですよね〜。レイくんっていうんです」
「へぇ~、レイ……零くん?!」
終始大きな声を出さないようにしていた薫くんが、ついリアクションをした。すぐに気が付いて茂部さんと顔を見合わせて2人で人差し指を唇に当てる。
画面の右端には補足で零くんの顔写真が出てきた。急な朔間零、顔が良すぎて心臓に悪い。
しかし、美人な黒猫にレイと名付けるとは。さてはお店に同志がいるな。
2人でキャットタワーに近寄って、レイくんのご機嫌を伺う。まずは茂部さんからいくようだ。そろりと背中に伸ばした右手は、ものの見事な猫パンチで阻まれた。
「いたっ……くはない」
「レイくんは気まぐれで、あんまり撫でさせてくれないんですよ〜」
店員さんが苦笑いしながらレイくんを撫でようとすると、猫パンチこそしなかったが顔を背けて明らかに拒否の体勢となった。
「本当に朔間くんみたいだな〜」
次は薫くんが撫でさせてもらえるか試す番になり、腕を伸ばしたところで茂部さんが言う。
「なんか美形すぎて近寄り難いオーラ出てるっていうかさぁ」
おっと、ここへ来てネガキャンだろうか。今の文脈で知らない人が零くんに良いイメージを持つかと言えば、答えは否だ。しかも、ある程度の影響力がある人気アイドルの発言だ。
最近二枚看板はバラエティ番組にも積極的に出演している。否定的な意見があるのは知っているが、きっと『UNDEAD』のメンバーの総意なのだろう、一ファンとしては信じて待つしかない。
それを打ち消すような発言をして、どういうことなのか。いや、私が過敏に反応しているだけなのか。
「そうですか? うちの朔間はあれでいて……」
しかし、全く動じない薫くんは、レイくんの方に顔を向けたまま言葉を続ける。
「人間臭くて、面倒で、甘え下手で……可愛いところがあるんですよ」
私の幻覚か幻聴か。レイくんを通して零くんに向けられた優しい眼差しと、愛に満ち溢れた言葉。普通なら欠点と思われる部分を可愛いく感じるなんて、それはもう愛ではないか。そして、撫でられ嫌いなはずのレイくんは、気持ち良さそうに目を細めながら、薫くんの手を受け入れていた。
「いや惚気?」
「え? あ、いや、そんなつもりじゃ……!」
茂部さんのツッコミにハッとした薫くんは、レイくんを撫でるのを止めて、焦りながら顔の前で手を振る。
「そうだそうだ、『UNDEAD』の2人ね、お互いのこと『うちの』ってよく言うよね〜」
「えぇっ!?」
「この前朔間くんがドラマの現場に差し入れ持って来たことあったじゃん? 薫がスタッフさんに呼ばれたタイミングで、朔間くんが『うちの羽風がお世話になっております』って挨拶してくれたよ。あれはね〜、すごい圧だった」
「そ、れは……うちの朔間が失礼しました……」
ケラケラ笑う茂部さんと、耳まで真っ赤になって恥ずかしそうにする薫くん。
つまり、零くんは自分の人間臭くて面倒で甘え下手なところを薫くんには見せていて、薫くんは零くんのそんなところも可愛いと思っていて、お互いを『うちの』と言い合って、零くんは薫くんの共演者に牽制していて……? もう情報量が多すぎて頭の中で処理しきれない。
「そんな朔間くんも大注目! 俺たちがダブル主演のドラマが、来週火曜日24時からスタートです!」
「し、新人スパイの2人が繰り広げる、笑いあり涙ありアクションありラブロマンスありのドタバタコメディです!」
「「是非、ご覧くださ〜い!」」
「……いきなり番宣に入らないでくださいよ〜!」
「ごめんごめん、あたふたしてる薫が面白くてつい」
番宣をしたところで、レイくんがにゃあと鳴いた。どうやらなでなでを催促しているらしい。まだ真っ赤なままの薫くんが、再びレイくんを優しく撫で始めたところで、VTRは終わった。
いやもうなんてものを見せつけられたのだろう。しばらくの間、次のコーナーに移ったテレビの音も映像も頭に入ってこなくて、もはや放心状態だった。幸福の余韻がすごい。
その後、やっとこさ現実味を帯びてきて、この感動を共有するためにSNSを開くと、やはりTLはお祭り状態だった。二枚看板推しで本当に良かった、ありがとう。私はこの世の全てに感謝しながら、お風呂の準備をし始めた。
薫くんの今回の番組出演のお知らせポストに、普段滅多にSNSを更新しない零くんが、「にゃあ」とリプライを送ったことで、界隈はより深い混沌に陥ることになるわけだが──入浴中の私はまだ何も知らない。