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    bumilesson

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    bumilesson

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    2/2  エレパラ作業進捗です。
    『悪霊と詐欺師がM1優勝を目指す話』
    冒頭エクとの出会いまで。もう少し短くした方がいいかな…

    『悪霊と詐欺師がM1優勝を目指す話』ビコーズウィーキャン,キャン,キャン,キャン,
    イエス ウィーキャン, キャン,キャン,キャン,
    キャン,キャン,キャン,キャン
     
    (俺たちは出来る、そうだ、俺たちは出来る。この会場にここまで来た。俺たちは出来る)

     手から汗が止まらず、情けない程心臓が跳ねる。もうすぐ出番だというのに未だに落ち着く事のない心臓を抱えて胸が苦しくなる。盛大なファンファーレと共におなじみの出囃子が革靴を震わせる程の音量で響いてきた。プレッシャーで潰されてしまいそうだ。エントリーナンバーが刻まれた胸のバッヂを握る。

    「俺様とお前さんならいける。問題ない」

     霊幻の頭の上から無駄な美声が降り注ぐ。声の主は金髪の上に手を置き、ポン、と一つ叩いた。目つきの悪い男は緊張感の漂う横顔を見せ、薄い唇を引き結んでいる。恐れを知らないように見える相方のこんな顔を初めて知った。
    「ここまで俺たちは来た。俺様が詐欺師のお前さんをここまで連れてきてやった」
    「クソ悪霊、俺がお前を連れてきたんだって!」
     ライブの前に必ず交わすこのたわいもない軽口が、霊幻の呼吸を整えさせる。たったそれだけの事で手足の震えが止まった。

     イエスウィーキャン。騒々しく嫌でもテンションの上がる曲に促され、霊幻とエクボの足が舞台中央へ向かった。MCの声が響く。舞台の上に降り注ぐ光が見えた。あの光をこれから一斉に受ける。

    (俺たちは出来る)
    (出来る)

     コンビを組んで一年。たった一年で五百年の月日を過ごしたような気さえする。エクボと出会わなければこの番組を霊幻は実家かワンルームの冷たい部屋で見ていただろう。

    「エントリーナンバー9999番、ラストエントリーナンバーで掴んだ初出場、コンビ結成一年!奇跡の連発、止まらぬ快進撃は今日も健在か!今大会の台風の目、大番狂わせも夢じゃない、何もかもがイレギュラー!その名は『悪霊と詐欺師』!」


    「霊幻~!飲んでるかあああ!」
    「はい、飲んでます。飲んでます」
    ほとんど水のレモンサワーだが、飲んではいる。霊幻新隆はテンションの高い面子の中で一人白い顔を崩さずジョッキを傾け冷静さを保とうと努めていた。
    「何だよ、お前死んだ魚の目してるぞ。飲め、とりあえず飲め」
    「えーそんな事ないですよ、ま、先輩どうぞ」
    ほぼ中身は水のジョッキに違う酒を注がれないようにジョッキを煽ると先輩の猪口に日本酒を注ぐ。この手の酔っ払いはとりあえず飲ませておくに限る。
    土日祝、快速電車が止まらないこの街の居酒屋にはいつも同じような集団がいる。座敷席の一番奥を占めるのは、大体が芸人、バンドマン、ミュージシャン、舞台俳優のグループ。そしてもれなく頭に売れない、がつく。
    霊幻はサラリーマンを辞め、バイトと掛け持ちをする芸人一本では食えない若手芸人だった。どこにでもいる若手と違うのは、本名とは思えぬ大仰さのある名前に無駄に整った顔と平均を遥かに上回った身長を持つ事。
    「今日もサブカルと芸人の街じゃ芸人が大騒ぎってな、ま今日は貸し切りだから皆楽しめよー。あ、会費は払ってくれよ」
    「奢りじゃないんですかww」
    「そこは兄さんの奢りでしょ!」
    貧乏な若手からもれなく会費を徴収する事が分かり、芸人集団がどっと沸く。少しは先輩芸人が奢るかと思ったがそういう意味でも今日はアテが外れた。少しくらいは元を取るか、と霊幻はつまみのピーナッツを齧る。日本一のサブカルの街の居酒屋では今日も芸人集団が盛り上がっていた。

    「いや年末のM1すごかったよな」
    「マジで毎年レベル高くなりますよね。トップバッターからの優勝ってのも痺れる展開だったし、あれは俺たち芸人の夢だよ」
    芸人たちは年末の漫才特番の話で盛り上がる。コンビで漫才日本一の座を決める今や年末の大型特番として定着したそれは一晩で人生が変わるものとして芸人の憧れにもなってした。ピン芸人の霊幻には全く無縁のもので、毎年自宅の狭いワンルームで流し見をしている。こうして最初は芸人らしくネタの話から始まるが。
    「でよ、これこれ!俺先輩に勧められて始めてみたんだけど、マジ儲かんだってば!下手な競馬より上手く行く感じで完全合法!な、霊幻もやってみね?これ仲間集めるとさらにジャンプアップすんだってよ!」
    先輩芸人が怪しげな事この上ない儲け話でこれだけ入ってきたとスマホの画面を見せてくる。酒が進めば仕事の話よりこうした海千山千の話になるのもまたこの街の日常だ。
    「先輩、危ないものに手出さない方がいいですって。あ、すみません、キムチチャーハンとちょい焼き明太一つ」
    どこからどう見ても立派なネズミ講に引っかかっているが、いい大人なのだから自分で責任を取ればいい。とりあえず忠告はしたぞ、と思いながら飲み会の元を取る為にひたすら食い気に霊幻は走る。
    (ああ、くだらない。)
    同じ事務所の若手のお笑い芸人たちが集まるライブ。月に一度のそれに霊幻が若手芸人として参加するようになって三年が経った。霊幻が所属している事務所は某仲良し元芸能や松竹梅事務所などの知名度はないが、中堅クラスの芸人が集まる。事務所が所属の芸人を集めたライブを定期的に行っていた。
    (俺も早く先輩にぶら下がるんじゃなくてネタ見てもらって評価されたいんだけど)
    ピン芸人である霊幻の持ち時間は3分もなく、見せ場は少ない。誰かとコンビを組んだ漫才やコントがしたくないかと言えば嘘になるが、適当な相手が見つからず三年経った今も一人だ。今日一、舞台で喝采を浴びた先輩の自慢話を聞く度に胃が痛む気がする。
    「何だよ今日もスカして飲んでんなあ」
    「そんな事ないですよ。そういえば先輩の狙ってた女の子、その後どうなりました?」
    吐き気がする程くだらない。芸人の全てがこうではないと信じたいが、一歩舞台を降りれば金、酒、女の世界が回っている。
    「いやー、あの子さあ実は何か医者と付き合ってんだってww売れない芸人は相手にされないってな」
    「そうでしたか。惜しかったですよねー。先輩イイ男なのに」
    「だろー!ま、俺が霊幻なみに顔が良けりゃ話も違うんだろうけど。お前さ、マジでモテんだろ?詐欺師のくせに!」
    「モテる奴がここで飲んでると思いますかあ?あ、烏龍茶一つ」
    黙っていれば胡散臭さは抜けないが、芸人以外の顔を生かした商売くらいは出来そうな表向き、しかし中身は口だけが良く回る霊幻に付けられた仇名は金髪の詐欺師。今や本名と同じくらい有名になった仇名と共に霊幻は生きている。
    「先輩そういえば見ました!食リポ面白かったです!」
    話題を変えよう。売れない芸人がネタ見せ以外で地上波に出る機会はほぼ食レポか地方ロケ。最近は予算が減って地方ロケも減ってきている中で、グルメリポートは芸人を生かす道の一つ。
    「あ、見てたんだ。あれ実はめちゃくちゃ不味かったんだよな。何かよく分かんない地元の食材使って町おこしとか言ってるけど俺が客なら二度はねーなって言う」
    「そうなんですか?全然そんな風に見えなかったです!」
    とりあえず持ち上げてみる。実はあまりしっかり内容は見てない。自宅のテレビを付けた時に一瞬目に入っただけだが、こうして適度に持ち上げておけば機嫌も良くなるのは分かっていた。社交辞令が上手くなりすぎた気がする。
    「俺もお前くらい口が回れば食リポの仕事もっと増えんのになあww」
    「いや俺実は苦手なんですよ、食レポ」
    「そうかあ?絶対上手いと思うけどな。口の巧さがあっての霊幻だろ。そうだ、お前顔キツネに似てるからキツネうどん食う食リポやってみろよ」
    出た、突然の無茶ブリ。酒の席ではこうした後輩弄りが宴会を沸かせる。内心やってらんねえ、とは思うが笑顔を崩さず霊幻は丼を持ち上げるエア食リポを始めた。
    「本当俺上手くないんですけど。……えー、キツネうどん。出汁の色が金色でお揚げの色も金色で食べる前からキツネ感ありますね。さて、お味は。うん!これは!馥郁たるカツオ出汁の味と香りが鼻腔を駆け抜けます!これは美味しいですよ。こう、まろやかなしょうゆの味がシンプルにお揚げに絡んで、麺もモチモチで太麺が汁によく絡みます」
    「そこはお前、キツネ顔の詐欺師がキツネうどん食ってたら共食いですね、になっちゃいますwwだろ」
    霊幻への突っ込みに、座敷が笑いで満たされる。適当な食レポでとりあえず場をしのぐ事が出来た。狐系の顔立ちに加えて人を騙していそうだというのが詐欺師と呼ばれる理由。眠そうに見えるくっきりとした二重瞼に、男が持つには無駄に長いまつげ。ビジュアル系芸人などという本人から見れば迷惑この上ない分類をされている。顔とスタイルで売れるのではなく、話術で売れたいのが本音なのに、全く分かってもらえていない。
    一難去ってまた一難。今度は別の先輩に肩を組まれ、絡まれる。
    「なあ、詐欺師さ、あれやって、呪術クラッシュ!マジあれ効くんだよな~詐欺のくせに」
    「呪術クラッシュは体内に滞っている悪霊を私の手技によって追い出すものでありまして詐欺などではございません、先輩」
     霊幻の持ちネタを使って先輩が弄り始めてきた。このネタはライブでは霊幻の鉄板のネタで、マッサー……ではなく身体に潜んだ毒素という名の悪霊をゴッドハンドによって追い出すというものだった。あくまで健康を促進するためのもので決して医療行為ではない。故にこれはマッサー……ではない。他にアロマ暴走特急、盛り塩パンチなどの派生技もある。
    「何だよ詐欺師のくせに!」
    「見たところ先輩には女難の霊が憑りついているようですね!」
    「げ、何だよ女難って!」
    「先輩、最近そういえば某タレントさんと何やらどうかおありだとか?」
     この話題は飲む度に持ち出してくるのでもう聞き飽きている話だが、傷心をくすぐるのには十分だったようだ。
    「そうなんだよ!聞けよ!あいつ他に男いやがった!」
    「えーそうでしたか、先輩、ズバリこれは霊の仕業ですね。全ては霊の仕業です!それとこちら有料となっておりまして」
    「金取んのかよ!」
     場が一気に盛り上がった。ここからしばらく霊幻がやり玉に挙げられる事はない。安心して水割りレモンサワーに口を付けた。
    (本当はネタの話とか聞きたいんだけどな)
    ビジュアルの良さもあって男女問わず固定ファンはいるが、決して霊幻の芸を気に入って、というのものではない事は自覚している。度を超したファンが家の近くにまで現れた時は後輩に頼んで一日泊めてもらった事もある程で、決して売れているわけでもないが一般人とも違う微妙な立ち位置に霊幻は居る。
    (ああ、本当今日も同じ話題しか聞いてない)
    打ち上げに付き合わされ飲みたくもない酒を飲み、いつも似たような話題で盛り上がってゆく先輩や同期たちに安い笑顔を向ける。社交辞令はサラリーマン時代に身につけて今や鉄壁のものになった。詐欺師の笑みは今日も健在。バンザイ今日も酒は不味い。

    (ああ、もうこれだから芸人は)
    盛り上がる仕事の愚痴、女と酒と博打の話、下ネタと安酒の匂いと妙な熱気に押される。ここであからさまに冷めた態度を取ると今度は嫌味と下ネタの舌鋒が鋭く自分に向かうのは目に見えているので、霊幻は口端を引きつらせてでも相槌と笑顔は絶やさない。
     何度も現実を突きつけられ、その度に事務所を辞めて一般人に戻ろうと思っても辞めるタイミングでレギュラーの仕事が入ったり、熱心なファンレターが来るとその機会を失う。一握りではあるが、ファンが全くいないわけでもない。

    (そもそもなんで俺芸人なろうと思ったんだっけ)
    サラリーマンであった霊幻が芸人の道を目指したのは、幼い頃から生まれつきのミルクティー色の髪と瞳で弄られる機会が多かった事。それを持ち前の口の巧さと要領の良さで捌き続けてきた。弄るという行為は相手にその気がなくても受けた側に傷を残す事が多い。それに屈する事なく持ち前の口の巧みさと大人でさえ絶句する程の頭の回転の速さで切り抜けてきた。
    (俺、口だけは上手いからな。人の気持ちとか何考えてるか分かるし)
     霊幻は人の心の機微にも強く、相手が何を欲しているかが分かる。嘘くさい、胡散臭いという一定の評価はあったものの口の巧さは大人になってからも霊幻を支えた。そのまま営業職としてサラリーマンを続けていれば無難な人生を送れただろう。

    自ら退路を断つように芸人の道に飛び込んだはいいが、知れば知る程闇が深い。正直サラリーマンの方が温く感じられる程、人間関係が厳しい。先輩後輩による絶対的な縦社会は、先輩芸人に言わせると今は随分マシらしいが軍隊式のそれだ。先輩のいう事絶対。ダメ絶対逆らえない。
    (幸い脱げとかまだ言われた事ないけど昔はあったみたいだしな)
    20年くらい前なら本当にあった話だ。恐ろしい。話題はいつも愚痴と女と博打と酒。これは20年前から変わらないらしいが最近は財テクと健康、地方ネタが入ってきた。つまり芸人たちは飽きもせず鉄板となった同じ持ちネタで食い続けていくように同じネタでしか卓を回さない。

    「それでさあ、モデルの子が来てアタリだと思ったらその子もう兄さんのお手付きで、お下がりやるわwwだって、払い下げかよ!」
    「俺払い下げでもモデルとヤれるんだったら全然オッケーですわww」
    古い表現だが語尾に草でも生えてきそうな下品さと下ネタのオンパレードだ。これでまだコンプライアンス、と訴えているのだからこの世界は闇が底なし沼のように続いている。もう舐めるレモンサワーの味も分からない。
    (ああ今日も酒が絶不調に不味い)
     芸人には不利になる無駄な容姿のせいで、女の話題で盛り上がった時、霊幻は必ずといっていい程スケープゴートにされた。ファンの女の子のテイクアウトの方法教えてよ霊幻ちゃん、とすり寄られる度に霊幻の精神耐久値が下がってゆく。
     それでも辞めずにいる理由がある。今日もこの飲み会に出ている理由がこれだ。時計を覗き込めば時刻は10時を回っている。

    「兄さん到着しました―――!」

     店の入り口に立つ地味なキャップ姿の男は、後輩のテンションの高い大声を遮るように手を振ると背を丸めて店の奥にある座敷に足を向けた。たったそれだけの所作だがどこか人を引き付ける力を持っている。売れて名のある者には風格という名のオーラがある、とよく言われる事だが霊幻はこの世界に居る事でそれを実感する。
    「お疲れ。みんな飲んでるか?」
     訛りのない標準語で後輩芸人たちを労い、即座に準備されていた上座に通される。普段は足が痛くなる者が多いからと畳の座敷を避けがちな芸人集団だが、この男は座敷が似合う。本来兄さんと先輩芸人を言うのは関西の文化だが、皆を集める求心力の強さもキャラクターに合っている。
    綿の潰れた座布団に足を下ろし、駆け付け一杯のビールを一気に飲み干したところでまた座のテンションが一気に上がった。この先輩芸人は霊幻が目指す芸人スタイルを確立しているピン芸人でネタが特にいい。
    今日は彼が珍しく事務所ライブの打ち上げに合流すると聞き、半分嫌々ではあったものの参加を決めた。事務所入社三年目の霊幻にとってはまさに雲の上の人だ。同じ空間で飲んでいるだけでいい。何ならネタの話なんか少しでもしてくれたらいいな、という淡い期待もあったが30分後、それは見事に裏切られた。

    「霊幻ちゃ―――ん、飲んでる?ん?全然飲んでないじゃん、どうしたの?」
    「あ、俺下戸なんで本当すんません。飲んで先輩の高いアルマーニゲロまみれにしたくないんで」
    「いいねえゲロまみれアルマーニ!ゲロマーニ!俺もやっぱピンでやってるから、霊幻ちゃんに親近感あってさ。ライブで見て時からいいなーって思ってたんだよね」
     肩を抱き込まれ、距離の近いところに酔っ払いの顔がある。呂律も次第に回らなくなってきているこの大物先輩芸人は霊幻をいたく気に入ったらしい。座布団の上で正座に耐える霊幻の膝の上に腿を置かれてホールドされる。足も限界が近いが、完全にこれはロックオンされている状態というもので、ほとんど霊幻は動く事が出来ない。
    「先輩お酒好きなんですね……」
    「酒は飲んでも飲まれるな、だぜ霊幻ちゃん」
     どの口が言う事か。呆れるがここまで酒癖が悪いタイプだったとは知らず霊幻は自分の選択を後悔した。表向きほぼ姿を消したと思われていた、アルハラ・パワハラ・セクハラの三大魔王が芸人社会ではまだ生き残っている。
    「霊幻ちゃんさあ、本当顔きれーだよねえ。何?もーさ、こう何か顔見てっと妖しい感じになるわ」
    「先輩、俺だからいいですけどそれ他の人に言ったらまずい奴ですよ」
     大人しくターゲットが切り替わる事だけを願って、サワー抜きのレモンサワーの水割りを飲むしか出来ない。早く帰りたい。
    「いや、マジさ。俺男全然なんだけどれーげんちゃんなら全然アリ。アリもアリでマジなんだけど。ね、今彼女とかいない感じ?」
     漢字で呼んでいた名前がひらがなに変わった。確実に理性を欠いた血走った眼が霊幻を捉えている。
    「いませんけど先輩、はい水ですよー」
     水を飲ませてもトイレに立ってはまた霊幻の所に戻るを繰り返している。飲んだ水の量と同じだけの酒を煽る男には意味のない行為だった。トイレに立った隙を見て逃げ出そうとするがスケープゴートを見つけた先輩たちが霊幻の肩を掴み、また座敷に戻される。
    「いやー、いないんだったらマジ、俺とかどうよ?」
    「もー先輩綺麗な彼女さんいるじゃないですか、元モデルの」
    「ああん?!あんな金喰い虫の女もうとっくに別れたっつうの!なーにがプラダじゃなくてそこはバーキンでしょ、だ。プラダだかプララだか知らねーよ、っつとに女って面倒くせえ」
    「ぷららはインターネットのプロバイダ―です、先輩」
     霊幻も返しが雑になる。誰も分からず受けない突っ込み返しをする程、霊幻自身ここから一刻でも早く逃げたくてたまらない。
    もう芸人辞めたい、こんな思いをするくらいなら芸人なんかもう辞める―――!と心で叫ぶが誰の助けもない。これがピン芸人の現実だ。
    「いや、ほんとかわいーなー。モデルと付き合ってもロクなことねえからな。金かかるし、なら俺れーげんちゃんに乗り換えるわ」
    「いやいや、ほんとお酒飲みすぎですって」
    「俺に免じてぶれーこー!はい、皆飲め!」
     彼の掛け声につられて周囲の芸人たちがグラスを空ける。霊幻という生贄を捧げられて明らかにラッキーと胸を撫でおろしているのがわかる。霊幻がこうしてセクハラパワハラ三昧に遭い続けている間も、仲間だと思っていた同期や後輩は傍観しているし、先輩に至ってはもっと兄貴に気に入られたくて合いの手を打ってくる。クソ芸人どもめ。
    まさにまな板の上の鯉、というよりも、丸裸にされた因幡の白兎と化して拉致同然に多分黒塗りのベンツかBMWあたりで持ち帰りされる未来が見える。運転手が座敷から離れたところで烏龍茶を飲んでいた。

    (もうだめだ、俺は喰われる。)
    酒臭い息が近づいたところでキスくらいはされると泣きそうになるのを堪えて、腕を突っ張るくらいの抵抗しか出来ない。あとはネタではなく正当防衛パンチを繰り出すより後がない、そう感じた霊幻の視界が黒いもので塗りつぶされた。
    (え、何??)

    「すみません、こいつ今日から俺様の相方なんで。連れて帰ります」
     頭上から無駄にいい声が響いた。アルコールの入った頭では多分まともな判断は出来ていないはずだが、その声は相方、と言ったように霊幻は聞こえた。
    「オラ、帰るぞ。あ、これで会計」
     ヒラヒラと札が二枚空を舞うのが見えた。限界に近かった足を崩され、急に身体が軽くなる。状況が理解できずにいるが霊幻は誰かの腕の中にいて、それはもしかしなくても俗に言うお姫様抱っことかいう横抱きにされている様子だった。身長178センチの男を。
    「え、ええええ、と」
    見上げた顔は人相が悪すぎた。口端から牙のような八重歯が覗いている。
    「うるせえ。行くぞ」
     どう見ても堅気の男ではなかった。黒いスーツに左耳が欠けた大柄な男が霊幻を担ぎ上げている。男は見た目に反して丁寧に頭を下げると大股で居酒屋を後にする。後ろから先輩芸人を始めとした歓声か悲鳴か怒号かどれか全く分からない声が響いていたが、男は霊幻を担ぎ上げたまま夜の闇の中に溶けてゆく。
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