『closet』ドラ公の服
何が一番多いかと聞かれれば、「そりゃあ黒だろうな」とすぐに思う。
どれもこれも真っ黒ばかり。本人の髪も黒くて、そのくせ肌は気味悪いほど青白いから、よっぽど白黒写真の中から飛び出してきたんじゃないかとさえ思う。そもそもアイツは写真に写らないんだけど。
備え付けのクローゼットを開けば、限られたスペースの半分ばかりは黒が占拠している。
こっちの陣営は輝かんばかりの色どりで何とか抵抗しちゃいるが、日々じりじりと陣地を侵食されつつある状況。正直ピンチだ。このままじゃ近い将来ドラ公の服で俺の収納が埋まってしまう。それはアレだ、たぶん良くない、家主的にも。しかし俺もそう非情にはなりきれない。無言の圧をかけてくる黒服など勢い任せにギャッとババッと追いやってしまえば簡単だが、なかなかそうはいかないのだ。だってドラ公の服って全部めちゃくちゃ高そうで良いやつっぽいんだもん。
勢ぞろいした真っ黒たちは、ひとつ残らずしっかり厚みのある木のハンガーにかけられて、ジャケットもズボンも皺ひとつなく伸ばされている。もちろん服同士が擦れ合わないように間隔もきっちり空けられて。
前に「もっと入るじゃん」と隙間を詰めようとした俺を止めた時の、ドラ公のあの残念なものを見るまなざしを思い出す。大仰に首を横に振る仕草。すくめた肩。
「ゴリラにはない文化だろうけれどね、良い服は風通しよく保管する必要があるのだよ」
いや今思い出しても腹立ってきた。後で殺そう。千回殺そう。
要するに服の全部が人ひとり分のスペースをとって並んでいるのだ。黒いフォーマルスーツがズラリと揃っている様子はそれはそれは威圧感をもたらす。ほぼほぼ悪の組織の軍団だ。
こわ。感じ悪っ。
対する俺の勝負服たちはと言うと、こちらはクリーニング屋のお情けでもらえる針金ハンガーに吊るされて、なんとも申し訳なさそうにギュッと圧縮されているではないか。文字通り、肩身が狭そう。かわいそう。
そんな俺のワードローブ(ワードローブってなんかカッコよくね?)は、ドラ公ほど徹底しちゃいないが、実は結構シンプルだ。夏冬の仕事着にジャージ、私服のジーパンとTシャツ。たったこれだけ。服を買う機会が少ないって理由もあるけど、普段はほば毎日仕事着だから増えたってどうせ着られない。
退治服だけはオーダーメイドだし防刃素材だからしっかりしちゃいるが、それ以外はほとんどが着古したやつだ。袖を通すと生地がくったり手に馴染む。洗濯するほど着心地が良くなるみたいなアレだ。よく言うだろ、洗うほど育つってやつ。
どれもこれもお気に入りだからずっと着続けるつもりだけど、襟首や袖口がへにゃへにゃになってるやつ(ほとんどそうだけど)なんかは、見るたび顔をしかめるやつがいるので最近はちょっと出番がない。
あの野郎、俺が「ゆるっと着られていいじゃん」って言ったら信じられない目で見てきたんだよ。めっちゃ気持ちいいのに分かってねえな、坊ちゃんは。いやマジだって。全然負け惜しみとかじゃねえから。
そりゃ俺は糊の効いたシャツだとか、丈感バッチリのズボンとかの良さは知りませんけど。だってだいたい長さとか肩幅が合わねえもん。かといって何回も試着すんのも恥ずかしいし、店員さんに「ファッションショーですか家でやってください」とか言われるかもしんねえじゃん。難しいんだよ結構。だからだいたいMサイズ買ってるんだけど。Mってマンって意味だろ? つまり普通の男性サイズってことだよな? ちょっっっとピタッとはしてるけど、まあ余ってるよりは身体に沿う方がマシだろ。どうせすぐ伸びるんだし。つうか俺の服たちだって、ちゃんと立派なハンガーにかけて換気? とかもっとやればこんなもんじゃねえんだよ。やっぱり全部ドラ公が悪い!
よっしゃ、いっちょギャッてやってやりますか!
なーんて思って振り返ると真っ黒軍団がズラリなので、俺はすごすご引き下がる。本人のことはバカスカ殺しちゃいるが服に罪はないからだ。
ていうか俺は『高級品』とか『稀少価値』とかいう単語を聞くと急に身動きが取れなくなるタイプだ。ぶっちゃけると、いつぞやお邪魔した棺桶の値段を後から聞いてマジでひっくり返った小心者。そうだよな、ベッドって普通に何万もするやつがヌトリでも売ってるし、外国製で職人の手作りでフルオーダーときたら当然めちゃくちゃに高いよな。うん。いや、それでも何千万とかありえないだろ俺んちで一番の高級品じゃん!
……ちょっと待てよ。
今さらだけど、俺しょっちゅう腰かけみたいにちょい座りとかしてたんですけど。夏場にポテチとコーラとかテーブル代わりに置いて、結露で水染みとか作っちゃってたんですけど。
今頃になって弁償とか言わねえよな、ドラ公? な?
まだ眠っている同居人の寝床を振り返る。
その身を覆い隠す棺の化粧蓋。そこにまだ染みが残っているか、それが問題だ。
いや残っていたとして俺にできることなんてないけど。だって、どう考えたって弁償はムリだろ。ローン組める? 二千回払いくらい?
足音を押し殺して床に置かれた真っ黒いブツに近づく。まだ日は高い。たとえ起きていたとしても今は出て来られないだろう。でも念のためカーテンは全開にしとこう。よしんば起き出そうものなら全力で阻止できるように。石橋を慎重すぎるくらい慎重に叩きながらのぞき込んだ棺桶の蓋には、そうと思って見ればわかる、程度に若干の色ムラが残っていた。
「……び、ビミョー?」
たぶん、特に気をつけて見なきゃまあ分からん、くらいのやつだと思う。パッと見た感じ、木目の節かな? とか思う人もいるレベル、かも。
なんかもう結構古いやつなんだって? そうそう、もうすっかり使い込んだからね、ほらここなんて塗装がヨレて元の木の風合いが分かるようになっちゃって。えーでもこれはこれで良くない? エイジング? とかそういう加工があるくらいだし、めっちゃ雰囲気あってこれぞ吸血鬼の棺桶! みたいな感じ超あるよー。本当? そうかなー? いいってマジで。なんていうかー、畏怖って感じー? マ? ちょーアガるー。
こんな感じでどうだろうか。
いや何が?
シュミレーション(ギャルバージョン)は円満解決したが、ギャルはたいてい前向きなので最初からイージーモードだ。ドラ公は端々だけ見れば結構ギャルっぽいけど絶対的にギャルではない。あれはおじさん。勘違いするな俺、もっとドラ公向けシュミレートをするんだ。
俺は口を開けたままアレコレと思考を巡らせてみる。
あらためて見ると重厚な蓋だ。菱形の飾りがアメジスト色をしている以外は表も裏もまっくろけ。正真正銘ザ・夜の色。思えば一族全員黒マントだし、イメージ的にもつい黒ばっかり揃えちゃうみたいな吸血鬼あるあるとかあったりするんだろうか。
実はショッキングピンク大好きだけどそういうの身に着けたら周囲の目が気になるし畏怖くないからなー、みたいな。
でもある意味めっちゃ浮くし畏怖じゃね? 夜中にショッキングピンクって、なんかその手のお店のネオンみたいでアレだけど。
「……ここにシミあるの気づいてる? 黙ってたらセーフなやつ?」
返事はない。無音だ。「入ってますかー?」とかやりたいくらいの静寂。舌先から生まれたと言っても過言ではない全方位やかまし砂おじさんも、寝る時ばかりはさすがに口を閉じるのだ。
ドラ公は、起床時と比べるといっそ本当に死んだように静かに眠る。暗い中で見かけると思わずギョッとするほどだ。ソファに転がっていてもコタツに突っ伏していても物音ひとつ立てない寝姿。これも吸血鬼あるあるなのかな。吸血鬼って、いびきをかいたり寝言を言ったりしないんだろうか。たった一人しか同居経験がないので、そこは俺には判断できない。
つーか、ジッと見てたらめちゃくちゃ目立つような気がしてきた。
真っ黒の中に薄ぼんやりと「白っぽいなんかがあるんかな光の加減かな」程度だったやつが、今はもうくっきりハッキリそういう模様かよってくらいに浮かんで見える。なんならそれが一つじゃないってことにまで気がついた。そうじゃん、俺何回かコップ置いたもん。
俺は今、猛烈に過去の自分を殴りたい。しかしもう手遅れだ。見れば見るほどシミが目立つ。もっと言うと同じところに三つくらい輪っかができている。これなんかちょっとアレっぽい、乱視の人の視界みたいなやつ。物がダブって見えるみたいなやつ。いや俺視力二百万あるし絶対これ乱視じゃねえけど。まじで本当に何個もシミあるんだけど……。
えっ、やばいかな、どうしよう。
俺の脳裏で『君の運命の鍵を握るドラバレチャレンジ!~家主の権威失墜とゴシップ掲載、借金地獄に自己破産そして楽しいホームレス生活~』みたいな妄想がパラパラ漫画みたいな勢いで再生されていく。
「あら、ロナル子さんたら人様の棺桶を勝手に汚しておいて弁償はできないなんておっしゃるのかしら~~? 頭にクソデカセロリでも湧いてらっしゃる? 印を結んで社会的モラル力も回復した方がよろしいのではなくて~~?」とかなんとか煽りやがるクソ砂を食い殺しつつも、然るべき手順で破産手続きを取る俺の姿がありありと見える。
助けてジョン! 俺は悪くないんだ、こんなところに棺桶置いてる方が悪いんだよ!
時刻はまもなく十六時を迎える。
こうなった以上ドラ公が起き出す前に始末をつける必要がある。焦る俺。刻む秒針。沈黙を貫く吸血鬼。考えろ、考えるんだ──!
その時、何者かの気配を感じて振り返った俺は、視界に入った光景に天啓を得た。
開けっ放しのクローゼット。
そこに並んでいるのは件の吸血鬼の分身と言える衣装たち。その一点の妥協も許さぬ漆黒色が俺に語りかけた。俺とクローゼットとの間に一陣の風が吹く。
なるほどな、そうか、分かったぜ。
親指を天高く掲げた俺に、ドラ公の服たちがより一層黒々と光って見せた。
「君さ、いくら何でもこれは無くない?」
バレた。
あの瞬間、黒い服たちが囁いた「塗りつぶしてしまえ」の声に従った俺は、引き出しから取り出したマジックで極太の丸を描いた。そう、白っぽい輪っかの上をなぞったのだ。
木を隠すなら森の中。灯台下暗し。蛙の子は蛙。は、ちょっと違うか。でもそういうアレで勝負に出た。黒に黒なら見分けもつくまい。完璧な隠ぺい工作。天才トリック。俺のやったことは全部まるっと闇の中だ!(黒だけに)(うまいこと言った!)
そしてバレた。その日のうちに。
「ごめんなさいマジですいません反省してます自己破産だけは許してくださいまだ未来に夢を見たいんです」
「めり込み土下座ウケる」
そりゃバレるって、めっちゃ悪目立ちしてたもん。色の濃さとか光沢具合とか、もう何もかもが違ってたもん。バカ。俺のバカ。ドラ公の服の言うことなんかに唆されちまいやがって。バカ、アホ、クソ吸血鬼、アッ違うんですごめんなさい。
俺の渾身の謝罪を録画するドラルクをかみ殺してやりたい衝動を抑えながら横を見ると、開いたままのクローゼットから例の服たちが俺に「ごっめーん☆」と舌を出している幻影が見えた。ていうかマジで言ってる気がする。カクカクした吹き出しが出てる。俺には見える。
「あー、おもしろ。一応言っとくけど、その棺桶、極厚ベニヤの合板だから」
「っ、ハア!?」
「暴力ゴリラと住むんだ、当然だろう。耐久性マックスで発注したらそうなった」
だから、汚れたらちょっとカンナで削ってまたペンキで塗ってるよ。
これぞ驚き桃の木ゴリラの木。衝撃の事実だ。ドラ公はさらに続けた。
「落書きしまくってから削る会ってのもあって、ジョンと私で月イチ開催してる。そうそう、君がつけたシミに芸術点を見出したジョンさんによって『最高の輪ジミをつくろう大会』もやったよ。これはその時のやつ。えっ、君のシミ? ナイナイ、とっくに削ってるよ」
その瞬間の俺の心を表せる言葉は見つからなかった。
悲しみの人間ハリケーンと化して室内を何百周も蹂躙した俺は、舞い散る砂嵐の中、勢い任せにクローゼットの服たちをギャッと押し固めた。砂が目に入って痛かった。本体から離脱したジャケットやズボンが俺の手足に鯉登りよろしく引っかかっていた。ていうかそんな楽しそうな遊びしてたんなら俺も混ぜてほしかった。悲しみは怒りに代わり、俺の暴走を加速させた。
暴れまわりながら、皺くちゃのズタボロになっていくドラ公の服たちを視界に確認した。
もう言い逃れはできまい。俺はいよいよ破産待ったナシの未来を憂い、荒ぶる気流にまた一つ涙をこぼして旋回したのだった。
ロナルドくんの服
服がない。何もかもを持ち得る私にとって、それは屈辱的な気づきだった。
もちろんいつも通りのフルオーダーの三つ揃えは洗い替えも予備もスペアも衣替え用もザッと十着以上の用意はある。では、何がないか。そう、私はそれ以外の服を持っていないことに気がついたのである。
問題発覚の三日ほど前、私は第二回クソザコラップ大会にノミネートされたのである。
栄えある前回大会優勝者として他を圧倒するラップを披露しなくては。私がそう考えたのも当然の流れだろう。かくして私はさらなる研鑽を積むべく、発声練習としてジョンと互いの好きなところを叫ぶトレーニングをしたり、B&Bのリズムに乗せて日がな一日瞑想してB&Bの境地に至ったり(B&Bって結局何? バターアンドブレッド?)、かっこ畏怖い決めポーズをジョンさん監修のもと三百通りくらい考えたりした。努力嫌いな私がここまでやっているんだ、これはもう優勝以外ありえない。前人未到の二大会連続優勝。王者の貫禄。クソザコラップの神に愛された男。
と、ここで大変な事実に気がついた。着ていく服がないのである。
実は前回大会の出場時は特別出演として依頼されたこともあり、衣装は大会側が用意してくれた。ユニフォームみたいなものかとありがたく着用して臨んだ私を待っていたのはあまりにも多種多様なラッパーフォーマル。会場内に轟く重めのビートに乗っかりながら、私はいつ「あいつ初期装備のままだぞ!」と糾弾されやしないかと冷や汗をかいていた。私はハチャメチャにゲーム脳だし重課金勢なので初期装備は一秒でも早く着替えたいのだ。
そして今回。大会を明日に控えた私にはもう時間は残されていない。
普段買わない系統の服屋に行くのは勇気がいる。「えっ、イメチェン?」なんて思われたら竜の一族の嫡子としての名折れだ。そんな恥をさらすことは絶対に避けたい。
さらに言えば、ラッパー服を買いに行くためのラッパー服を買いに行くためのラッパー服を買いに行くためのラッパー服がない。あるかそんなもん。かといって今からアマヌンは不安が残り過ぎる。最近多い勝手に注文キャンセルの可能性も大いにあるし、もしも流行りの無梱包置き配なんてされたらステージ衣装丸見え状態でダサすぎる。前回優勝者の名に一生消えない傷がつく。
こうなるともう選択肢はほとんどない。
私の眼前にはクローゼット。中にはここの住人二人と一玉分の衣類が詰まっている。さて私はこれからどうするべきか。答えは簡単である。
そう、若造の服を漁る……!!
「うっわ信じられん、全部どっかにスパンコールついてないか?」
開口一番ディスノルマをこなしつつ、私は同居家族の人間の方の衣類を物色し始めた。
ロナルドくんの衣装を借りるメリットはいくつかある。まず、無料。私は決してケチでも貧乏でもないが、まったく趣味じゃない服にわざわざお金を出す必要はないと思うタイプだ。そりゃそうだろう、明日を最後に今後5万年着る機会はない。無駄でしかない。
次に、サイズだ。ラッパーフォーマルはあっちこっち丈の余ったぶかぶか衣装が基本とされる。私のように血統正しいおノーブルな吸血鬼にはまったく理解しがたい。が、同時に私は形から入るタイプでもある。ゆるゆるが良いとされるならゆるゆるを着てやろう。右手をご覧ください何と偶然にもLサイズオーバーのTシャツがこーんなに。
そして、これが一番のメリットだが、ロナルドくんの服はセンスがまったく私っぽくない。
たとえばこちら、手前からホットドッグ、ミラノサンド、パニーニ、トルティーヤとワンハンドランチシリーズがよりどりみどり。いったいどこで買って来るんだこんなに。
ラップなんて日頃の上品おハイソな私のイメージとはいっさい重ならないジャンルである。であれば、ステージに上がる衣装も同様、私のイメージからは遠くかけ離れた『いかにも』な感じのセンスのものがふさわしい。
ロナルドくんの私服だが、これらを歯に衣着せずに形容するなら、まさにクソダサ。他の追随を許さぬファッションセンス。類を見ないほどクレイジー。ここまでクソを極めているなら大会主旨にも通じるものがあるし、登場した瞬間に優勝するまであるかもしれん。
ていうかぶっちゃけ、彼のセンスで笑われたところで私はどこも痛くないし。
「ロナ造くんが激励にってTシャツ貸してくれました~えへへ~!」なんて言っときゃ会場中の注目は彼に向く。なんならそのまま『CHU♡ダサくてごめん~ロナルドラップバージョン~』でも披露させときゃ良い余興にもなって、同じ事務所メンバーとして私の評価をさらに上げるのに一役買うだろう。こりゃ私が優勝金でロナルド吸血鬼退治事務所を買い取ってドラルクキャッスルマークⅡスペシャルエディション所長として彼を備品登録する日も近いな。
「しかしどれにしたものか……。ダサいが過ぎて目が滑るなんて経験、初めてすぎてドラドラちゃん困っちゃう」
私の目から見れば、どれもこれもダサすぎ優勝おめでとう! って感じだが、いかんせんこの中から私自身が着こなす一着を選ばなければならないのだ。これかな? と手に取ったもののダサ後光に目がやられ、もう少しマシなダサTはないのかと逆に探し出している始末。
ダサくていい、ダサいやつがいいんだ、と頭では理解しているものの、いざ目の前に掲げてみると目が勝手に逸れてしまうし、手が勝手にそれを仕舞っている。拒否反応が強すぎる。
ワンハンドランチシリーズの隣には、0から9までの数字が散らされた柄Tが並んでいた。パステル寄りの水色がかわいい。おっ、これはもしやオシャレ意識で買ったのかなカナ?
しかし絵柄の下に刺繍された英字を読んで私は絶句する。H、I、D、E、O……。
オウマイゴッネス。そうか……刻んじゃったか……。
優しさから見なかったことにしてやろうと隣の一着を取り出すと、今度は何か長い棒の絵の登場である。何だこれ、麻雀の点棒? いやちょっと待てよ、マジかこれにも刻んでるぞHIDEO。止めとけよバカ。受注する方も止めろアホ。次。なにこれ、ブロック? そんでこれもやっぱりHIDEO? 次は時計か? また出たぞHIDEO、なんなんだ。おや、今度のやつは花柄か? だからどうして小花の一つ一つに刻むんだよHIDEO。
「ハッ……算数セットかコレ!」
計十着近いTシャツをいっぺんに取り出して並べてみると、これはもう間違いなく小学生用の算数セットシリーズだ。てことは点棒じゃなくて数え棒かこれは。そっちは算数ブロックだし、こっちの花柄っぽいのはおはじき……、つまり最初のやつは数字カードか。ああ、そうか、だから刻んでたんだHIDEO。持ち物には記名しないといけないもんね。
いや買うな作るなこんなもん。百歩譲って揃えんな。野球チーム並の人数で一緒に着ないと百パー理解されないただのお名前Tシャツだぞ。ダサい通り越してなんかもう怖いわ。
こんなバカによるバカのための算数セットシリーズなんか着てステージ上がったら私もHIDEO`S算数セットの仲間入りだわ。「点棒より細いドラドラちゃんがラップで数字を数えちゃうぞ♡」とかダダ滑りもいいとこだわ。ちょっと誇らしげにお揃いの算数セットTシャツ着て腕組みとかしてそうなロナ造が容易に想像つくわ最悪だよもう。帰れ帰れ、このクソダサ王が。帰ってクローゼットに放てよ、火を。
「なんかもう……。うん、もういいや、前回のやつ着よ……」
一気に無気力になった私はそっとクローゼットのドアを閉めた。
そこに待ち構えていたゴリラの存在にも気づかずに。
第二回大会のステージ衣装として秘蔵のだんご3兄弟Tシャツをにっぴきお揃いで着用することを余儀なくされた私は、当然ステージ上でダダ滑りしたし、ロナルドくんはご満悦と言った顔で頷いていたし、爆死した私を見てジョンは団子のように丸まって泣いた。
ジョンの服
「来いよクソ砂、今日という今日は許さねえ……てめえに礼儀って言葉を教えてやる……!」
「礼儀~~~? そりゃいったいどこの世界のゴリラが覚えた猿真似だ? 高等吸血鬼様の比類なき高尚お作法を習いたくなったのかな類人猿ルドくん? 非情に良い心がけだがお願いの仕方がなっていないぞ。「靴を舐めさせてください」だ、ホラ言えるかな5ちゃいのチンパンくん、あいうえおは発声できる?」
「ブッ殺」
「ブエーーーーー」
開戦のゴングが鳴りひびき、本日百回目のロナルドくんパンチが炸裂。目にも止まらぬ、あっという間の決着。だけどドラルクさまの方が五倍くらい舌が回っていたし、ほんのちょっとも暴力を振るわない圧倒的紳士だったのでまごうことなき大勝利! ドラルクさまの勝ちヌ!
ちなみにゴング係はヌンが担当したヌ。公正公平にジャッジのできるマジロとして、今後も始めと終わりの鐘はヌンが鳴らしていきたいヌ。でもなるべくドラルクさまを殺さないでほしいヌ。ニュン。
きっかけなんて、どこにでもあって、結局どこにもない。
毎日そういう夜ばっかりで、ドラルクさまとロナルドくんは寄ると触るとケンカしている。
こんなに騒いでばかりいるのにクレームが入らないのはさすがシンヨコ。それかこのビルの不思議パワーのせいもありそう。これまでいたどことも違うヌ。
「ジョンおいで、買い物に行くよ」
「試食もらいに行こうぜ、ジョン」
ついさっきまであれだけワアワア言い合ってたのに、なんて考えるだけムダ。たぶん会話やコミュニケーションの一種なのかもヌ、ドラルクさまとロナルドくんの場合は。
でも言ったらまた大騒ぎになるだろうから、賢いマジロはお口チャック。ヌシシ。
「あたたかくしておいで」
マフラーは今年も新調された。あったかくてフワフワの紫色。端っこに赤のラインを入れて遊び心も。もちろん世界で一番ヌンに似合う。
ヌンの服はほとんどがドラルクさまのお手製で、もちろんこのマフラーも、秋ごろ編み針を取り出したドラルクさまにおねだりした。大好きなドラルクさまの色。それにちょっぴりロナルドくんの色。ロナルドくんはまだ小さな子供だから、こうしないと忘れられたようでさみしくて泣きそうな顔になっちゃう。ヌンは気遣いのできるマジロだから、大好きなロナルドくんのことも仲間はずれにはしないヌ。
「ヴァーーッ、寒い!! やっぱり、今日は家にあるもので……」
「鍋パするって言ったろ、行くぞ」
「ウエーーン、ゴリラに市中引き回しにされるーー」
おろしたてのマフラーと手袋。これ以外に、本当に寒い日用のニットと帽子も持っている。
真冬のマジロは厚着が鉄則。ヌンは南米から来ているから、何十年日本に住んでいてもやっぱり寒いのには弱い。丸まって転がれば少しは違うけど、ドラルクさまと一緒に歩きたいから、やっぱりあったかくするのが一番。
もちろんドラルクさまはヌンが凍えないように抱いて歩いてくれるから、なおさらヌンはしっかり着込んでふわふわの腹毛に空気をたっぷり含ませておく。ヌンがあったかくしていることでドラルクさまもあたためられる。ヌンもうれしくてドラルクさまも死なないし、シンヨコに吹く風もやさしく、あたたかくなって、さらに世界も平和になる。一石千鳥ヌ。
「元はと言えば君がまともなお使いのひとつもできないからいけないんだ! なんでメモに書かれた通りの物が買えないんだ? 三歳児だって分からないことを店員さんに聞いて買い物できるんだぞ」
「うるっせえな、ンなことしてたら店員さんのお仕事のジャマになるだろうが! だいたいメモがワヤワヤしてんだよ! なんだ、キャベツ(おいしそうなやつ)って! お店の人においしそうなの選んでくださいなんて言えるかよ!」
「それで一番おいしそうなのをと思って、キャベツコーナーはみ出してレタス買って来るくらいなら店員さんに聞いてもらった方が万倍マシだわ! これだから審美眼と知識と教養を持ち合わせないおこちゃまゴリラは……」
あーあ、せっかくヌンがお口をチャックしてもこうなっちゃう。ドラルクさまが誰かをこんなに悪く言うことは本当に少ないから、ロナルドくんは本当に特別なのに。
何かが嫌なとき、ドラルクさまは文句も言わないで「もっと楽しいことをしよう」って行っちゃうばかり。一瞬で興味が消えてしまうのはかなしい。ヌンはずっとずっとドラルクさまと一緒だけど、置いてかれちゃう誰かのことを「さみしいな」って思わないわけじゃない。
そうなっていないのは、こういうケンカも楽しいと思っているから。絶対にそう。
ロナルドくんもロナルドくんで、面と向かって人に怒鳴ったり、暴力を振るったりする子なんかじゃない。まだまだ小さいのに、ヌンとドラルクさまのおうちでいてくれる優しい子。
ヌンは、この二人は本当にそっくりだと思ってるヌ。
「ヌヌヌヌヌン、ヌーヌーヌ! ヌーヌーヌ、ヌヌヌイ!」
「おっ、いいねソーセージ! もらって来ようぜ!」
「一個で我慢するんだぞ。並び直したりしないように」
「しねえわアホ。カートで足轢いて死ね」
ドラルクさま、また余計なこと言ってる。ロナルドくんも一言多い。本当にもう。あっ、ソーセージおいしいヌ。
「もこもこマジロだ」
「ふわふわマジロだ」
「ヌン!」
近所のスーパーだろうと有名マジロは気が抜けない。冬はみんながヌンの上着やマフラーも褒めてくれるから、得意になって見てもらう。このスーパーは今からヌンの独壇場ヌ。みなさんもっと近くに寄って。カートを押す手をほんの少し止めて。良かったらソーセージの試食をもらってきてヌ。かわいいマジロがかわいく食べるニュン。
お菓子コーナーから戻ってくると、ドラルクさまがヌンを抱き上げて「夜食が入らなくなるぞ、この人気者め」と言った。ドラルクさま拗ねてる。食べられるヌ、安心して。
「そういえば、今晩から雪が降るらしいよ。良かったねえジョン」
「つーことはてめえはしばらく引きこもり決定だな」
「ハア~~? ロナル子さんたら何をおっしゃいますの~~? わたくし雪ごときでお外に出られなくなってしまうようなおヤワなおボディはしておりませんことよ~~~?」
「オ~~ッホホホ、おフザケあそばせ! おクソ砂さんたら外に出た途端北風に吹かれて汚い雪の結晶になるのがオチですわ~~! わたくし片腹痛いですわ~~!」
お嬢様ゲームで盛り上がる二人を見上げてヌンはこっそりためいきをつく。
やっぱり楽しいんでしょ、二人とも。楽しくなくちゃしょっちゅうやったりしないでしょ、お嬢様ゲームなんて。本当素直じゃないんだから。
騒いでヒートアップする二人と裏腹に、北風がびゅううと強く吹いた。お嬢様になってぎゃあぎゃあやってなきゃ、ドラルク様なら一発で死んじゃうくらいの。空は灰色の雲が覆っている。降るのかなぁ、雪、本当に。
雪は、実を言うとそんなに見たことがない。
ルーマニアにいた頃はドラルクさまの家族もたくさんいたし、外に出る必要がなかった。埼玉はあんまり雪が降らなかった。ドラルクさまが死んじゃうかもと思ったら、扉はずっと閉めておきたかったし。
「ジョン、私のジョン、君は私が雪なんかに負けないって信じてるよね?」
「ジョーン、コイツにはしっかり現実見せてやることも優しさだぜ?」
小雪がちらついてもおかしくない、なんてお天気の日は、ドラルクさまは絶対に外には出なかった。「アマヌンがあれば私たちの冬ごもりは完璧だね」なんて言っていたのに。
でもこの様子だと出るのかもしれない。外に出て、「雪も悪くないね!」なんて言うのかな。それともやっぱり、寒さに死んじゃって、雪の一部みたいにどこかに飛んでっちゃう?
どっちに転んでも、ヌンはちょっと心配ヌ。もしかしたら、何かあってもロナルドくんがなんとかしてくれるでしょって勝手に思ってるのかもしれないけど。それでも。
「……ヌンヌ、ヌンヌ ヌヌイヌ」
「ほほう。そういえば前回の脱稿ハイでボロボロになったやつを補修していなかったな」
「たしかに俺のダチョウもメンテナンスの頃合いだぜ」
外は危険でいっぱいで、生まれたてのヌンは大変な目にあったけど、そのおかげでドラルクさまに出会えた。ドラルクさまもたぶん同じ。
外に出て、きっと良かった。毎年の手編みマフラーも、セーターも手袋も、ヌンの新しい宝物。
だけどそれとこれとは別で、今日のヌンの希望としてはドラルクさまとコタツでのんびり過ごしたいヌ。あの、みんなバラバラで、ちぐはぐでトンチンカンで、機能性なんて一つもない衣装だって、同じようにドラルクさまの手作りで、大切だもの。
ヌンはドラルクさまの絶対の一番だから、誰よりわがままを聞いてもらう権利がある。
ケンカするほど仲良し、なんて言葉もあるけど、ここは絶対譲れない。
「ジョンがそう言うなら、今夜は衣装チェックをして、もしも雪が降ったら明日はダンスの日にしようか」
「いいぜ!」
「ヌンヌイ!」
ほらヌ。
誰のでもない服
「温泉卓球で私に挑もうなど笑止千万。ルールも分からずかっ飛ばすだけのゴリ造が生意気な。やるぞジョンさん!」
「てめえこそラケットの重みで手ぇプルップルするんじゃねえのか? 軟弱貧弱砂おじいちゃんは部屋戻って永遠に「飯はまだかの」つってボケとけ」
「ヌーヌ、ヌヌヌ!」
魔都新横は他所じゃ比べ物にならないレベルの下等吸血鬼がポンポン出るし、道を歩けば全裸に当たるし、由緒ある高等吸血鬼がその辺で普通に死んでるし、突如温泉が湧いたりもする。
偶然のバッティングを果たした前回だったが、当然予約は別なので互いにプランも部屋も別々での一泊。片やレイトチェックアウトプランを申し込んでいた私とジョンは当然翌夕方まで宿泊していたが、「ヌヌヌヌヌンヌ ヌッショヌ ヌヌッヌヌ……」というマジロの一声にて今回のリベンジ温泉が決行される運びとなった。
前回だって一緒にお風呂に入って写真も撮ったわけだし、ほぼほぼ一緒に宿泊したと言えるのでは? という私の考えはジョンのおねだりの前に霧散した。
ジョンが行きたいなら行こう、なぜならジョンが行きたいから。という宇宙の法則に則って、我々は翌週末には再び彼の地を踏んでいた。
「クッッソ疲れた……!!」
「いや~まさかあそこまで白熱するとは。手に汗握る名勝負だったぞ、ロナ戦には書けそうもないが」
「つーか、なんで温泉来て卓球してたはずが吸血鬼リンボーダンサーの退治する羽目になってんだよ……」
「卓球台も、よもやリンボーダンスのバー代わりに自分の下に男二人が潜り込むことになるとは夢にも思っていなかっただろうな」
ちょっとした地獄絵図だと私は思ったが、温泉に来ていたお客さんには相当ウケたようで、ロナルドくんは退治の感謝とリンボーダンスの熱狂をたたえて無料宿泊券をもらっていた。
「まじでいらねえ汗かいた……。飯の前に風呂だ、風呂」
「おや、それなら部屋から浴衣を取って来ないと」
せっかちゴリラとうきうきマジロの催促でチェックイン即卓球勝負と相成った大はしゃぎ御一行こと我々は、荷物の運び込みを中居さんにお願いして、かれこれ二時間入口付近から移動していない。温泉に来たのに温泉に入らないとはこれいかに。まあ、こういうことがしたくて来たので問題はない。
「ジョン用にマジロサイズも借りようか、お揃いにしよう」
「ヌヌヌイ!」
「あとロナルドくんのパンツをセクシーブーメランパンツに変えてと……」
「聞こえてんぞクソ砂」
「アッ、いやこれは温泉ジョークでッ、あっ、スナァ……」
「ヌーーン!!」
用意された浴衣と下着や洗面具をまとめ、再度部屋を出る。廊下で待っていたロナルドくんに荷物をパスし、ジョンを抱き上げれば準備は万全だ。
「この前は騒がしくて温泉どころじゃなかったもんなー」
「君らが勢ぞろいしてたんだ、どこ行ってもそりゃ騒がしくもなるだろう」
「いやあの時は吸血鬼が出たのが原因じゃん。あと半田と、お、オータムのみなさんと……」
「オイ小声になるんじゃない、呼ぶと出てくる怪異じゃないんだから」
「そういうこと言うなよバカ!」
脱衣カゴを確認すると、どうやらこの時間は誰も入浴していないらしい。
しめた、のんびりくつろげる。
「タオル持ったかい、ジョン」
「ヌン!」
ホカホカと湯気の立ち込めた浴場はあたたかく、温泉に浸かる前でも寒さを感じることもない。ピーク時間の前だからか洗い場も綺麗で言うことなし。これが清掃直前なんかだと、石けんの流し残りにヌルンと滑った私はあっという間に転んで死んでいただろう。
もしかしたら、今夜は一度も死なずに露天風呂までたどり着けるかもしれないぞ。
「おいゴリルドくん泡が飛んでるぞ、公衆の場なんだ、お隣に配慮したまえ」
「隣てめえだろうが避けろや。つーか他も空いてんだから隣来んな」
「ジョンがここがいいって言うんだ仕方ないだろう」
豪快なゴリラの丸洗いから距離を取りながら、愛しのジョンの腹毛や甲羅を流してやる。専用シャンプーと甲羅用ブラシで今日もピカピカだ。さすが私のジョン。
「おい先入ってんぞ。ジョ〜ン、一緒に行こうぜ〜」
「茹で上がるなよ。ジョン、かけ湯を忘れずに」
「ヌ〜イ」
のっしのっしとオノマトペがつきそうな後ろ姿を見送って私も身体を洗う。……あれほどまでとは言わないけど、私にももう少し肉がつかないものか? マッチョって空気感染したりしないの? しない? そうだね。知ってる。
桶を置いた音がカポーンと間延びして響く。
人がちっともいないから、やたらと静かに思える。前回あれだけの人数で芋洗いしていたのだから、なおさらその差が浮き彫りになるのだろう。
「いくぜ! ローリングジョン!」
「ヌヒヒ~!」
桶の中に溜めたお湯に浸かり、ロナルドくんに桶を回してもらってジョンはご満悦といった様子だ。楽しそうで良かったね。だけどロナルドくん、君は回しすぎ。ジョンが目を回したらどうするんだ、回りたいならお前が回れ。
「失礼」
「遅せぇよ」
温度を確かめて、片足ずつ慎重に湯に入る。ここで転んだりしたら事だ。浴場はすっかり白一色。人の出入りがないからあたたかい空気が満ちている。視界が霞むほどの湯気の向こうからジョンの入った桶が流れてきた。ちょっとしたアトラクション気分のジョンを受け取って、小さな頭を撫でる。しっとり濡れた腹毛が私の指を歓迎してまとわりついた。
これを生まれたてみたいにフワフワにしてやるのが私の最大の使命の一つでもある。
湯あたりしないうちに撤退して脱衣所で涼んでいると、乱暴に髪を拭いたロナルドくんがジョンを連れて上がってきた。股ぐらにタオル一枚を乗せただけの私を見て「オッサンかよ」とつぶやく。失敬な、世にもめずらしいドラドラセクシーポーズに向かって。ジョンにタオルを差し出しながら、私はロナルドくんの濡れたフェイスタオルが気になった。
「スパァン! ってやつ、やらないの?」
「なんだスパァン! って。ハリセンか?」
「ほら、股間にタオルをこう、パシィン! みたいにするやつ。人間の男はみんなやるものかと思ってたんだけど」
「オッサンかよ」
残念ながら、どうも最近は流行らないらしい。テレビドラマの中か、作郎の眷属のきらぴしかやっているのを見たことがない。多忙な現代社会の中で廃れゆく文化なんだろう。何のためにやるのか全然分かんないけどアレ。
「……やっぱり見てみたいから、ちょっとやってくんない?」
「は? 意味わかんねえし誰かに見られたら恥ずかしいだろアホ!」
「そこ? でもほら、今なら我々しかいないし。ねっ、ジョン」
「ヌヌヌン!」
「ほら、ジョンもスパァンやってくれたよ。ロナルドくんの番だよ」
「何がどうして俺の番なんだよ……ったく。い、一回だけだからな!」
「ちょっとソワついてるじゃないか。本当はやりたかったんだろ」
「うるせえ! いくぞオラ!」
ガラガラガラ。
スパァン!!
「アッ……」
タオルがロナルドくんの股間を叩いた瞬間、脱衣所の引き戸が開いて中居さんが顔をのぞかせた。なんてタイミングだ、逆にすごい。勢いよく尻を打ったフェイスタオルは、今やプルプル震えるロナルドくんの前を隠すだけの布切れと化している。
「失礼しましたー」
空気の読める(?)中居さんは、時が止まった脱衣所のゴミをチャッチャとまとめて出て行った。その間わずか三十秒。
お客様の奇行も何のその、顔色一つ変えない所作はサービス業の鑑だろう。残されたロナルドくんはまだプルプルしている。スルーが一番キツいよね、分かるよ。
「ロナルドく、えッ、待、なんで、あっ、ブエーーー!」
「元はと言えばてめえのせいなんじゃクソ砂おじさんが!!」
うら若き彼は羞恥に耐え切られず、悲しみの拳で風呂上がりの私を湯の華のごとく脱衣所に散らした。まあそうだよね。でも、近頃の若者は恥ずかしいという感情に弱すぎないか。
ところで、ロナルドくんが生まれるずっと前から日本暮らしをしていた私にとって、和服というものは肌に馴染んだ衣類そのものだった。和服の良さは着る者の体格を選ばないところにある。身長も恰幅も関係なく身に纏える着衣は世界を見てもそう多くない。
一分の隙もなく吸血鬼フォーマルをバシッと着こなすタイトでスリムでスレンダーでコケティッシュな私でも、センスを吸血鬼退治技術と引き換えに失ったマッチョ=ゴリラ=アホ=バカ=HIDEOなロナルドくんでも、同じものが着られる。
私は平素自分と他人の違いこそおもしろいと捉える派だが、最近は真逆のことも考える。
私とジョン、そしてロナルドくん。我々が、たとえば私とロナルドくんが持つ同じ部分と言えば性別と身長くらいなものだが、互いの目線の高さから見えている世界はまるで違う。種族や寿命なんて大きな括りから始まって、生活サイクルも食の傾向も体格も考え方もまるで違う。違う部分を挙げ連ねていけば、数えることが大好きな吸血鬼ですら辟易するだろうほどに枚挙にいとまがない。
それが当然。然るべき姿。誰の目から見てもあきらかな事実。けれど、こうまで違う私たちが同じ場所におさまって暮らしているのって、なんだかとってもおもしろい。
同じものを食べないのに一緒にダイニングテーブルに座って、期待する効能が違うのに並んで温泉に浸かって、何から何まで違うのに、同じ浴衣に身を包む。これって、とびっきりおもしろくないか。
「ねえロナルドくん……、ってなんだどうした追剥にでもあったか」
常々考えていたとっておきの愉快事を共有しようと振り返ると、そこにはまだ衣類の概念を持たない原人ルドくんがアホ面下げて立っていた。
「剥ぐほど着てねえだろうが寝ぼけてんのか」
「寝ぼけてるのは君の方だ、何だその着つけはどうしたらそうなるんだ」
「あー……、」
思い当たる節がありますと言外に告げる反応。いや節どころじゃないぞコレもうコブとかツノとかのレベルだぞ。あまりにもお粗末すぎる。袖を通しただけの布を引っかけて胴の真ん中に紐を通しました、と言わんばかりの着こなし。腹もパンツも見えているし裾はお引きずりだ。正直、これが着てるって判定に入るかはめちゃめちゃあやしい。
「前はショットとサテツに手伝ってもらって……」
「そりゃこんなん外に出したら退治人ギルドにクレーム入るからな」
我慢できずに適当に結ばれた帯を引き抜……、抜け……、抜けるかこんなん。浴衣の帯で固結びするやつがあるかバカ。
「本っ当に、君って、おもしろいなぁ」
見るものを震撼させるゴリラの簀巻きを温泉旅館のパンフレットに載せられる読モ温泉旅編にビフォーアフターさせるため、私はまだ二十年そこらしか生きていないロナルドくんの前に膝をついた。
先んじて完璧な丸の姿を手に入れたジョンはフルーツ牛乳を飲んでいる。
「お前がそういう恰好してんの、前も思ったけど、変な感じ」
「ファーーー! ハンサムとかダンディとか爆イケとか言えんのかよちよち歩きのロナ坊やが」
「うるせえ」
踏んずけられて脱衣所の床で死んだ私は当然憤慨し、「ふざけんなよこのガキ帯百本使って亀甲縛りしてやろうか」とか考えながら頭だけ復活させて頭上を見上げた。
「悪くねえなって思うぜ」
同じ高さにしゃがみ込んだ彼の、バナナ柄のパンツと目が合った。
「……そうか」
煮えたはらわたのせいで復活できない。揃いの滝縞が彼のくるぶしと私の手首を同じもののように包む光景が見慣れなかった。花とも鉄とも言えない匂いが私とジョンとロナルドくんを一緒くたにまとめた。違う生き物と同じになる感覚を、私は生涯忘れないだろう。
帯は登り竜にしてやった。