好きな子が泣いているのを見て嬉しくなる僕は、悪い人間なんだろう。
俯くモモの下睫毛が濡れてへたりと涙袋に貼りついている。堪えるように震えた瞼がぎゅっとつむられ、開いた拍子にはらりと涙がこぼれた。上睫毛の先に乗った小さな雫が、顔を出したばかりの日の光を取りこんできらりと輝く。葉を揺らす朝露みたいで綺麗だ。
「ごめ、なさい」
顔を隠そうとした手を捕まえる。離したら逃げられてしまうだろう。寝起きとはいえ、モモの機動力は侮れない。
対して僕は徹夜明けでよかった。体はギシギシだし、日中だって本気で逃げるモモには敵わないだろうけれど、寝起きの僕よりはマシだ。枯れ気味の声で叫んだおかげで、モモを立ち止まらせたのも運が良かった。
マンションの前の通りにはまだ人影がない。今が何時なのかは見てこなかった。遠くビルの間からわずかに太陽が覗いているけれど、あたりはまだ明るくなっていない。
視界ははっきりしないけれど、今のモモのことは余すところなく見ていたい。だって、きっとこれきりだ。僕が好きだと口を滑らせて、涙を流すモモを見ることなんて。
すん、と鼻を鳴らしたモモは上目がちに僕をちらり見ると、すぐに目を逸らした。下を向いていた瞳がゆらゆらと彷徨う。唇をもぞもぞとさせて、何度か細い息を吐き出すと、おそるおそる口を開いた。
「言うつもりなかったんだよ、本当に……ごめん、ごめんね」
「どうして謝るの」
「だって、迷惑……だろ」
「何が?」
「美人の女の子じゃないし、相方だし、これからも一緒にいるのに、なのに恋愛感情を持ってますなんてそんなの……面倒、でしょ」
何ひとつ心配することじゃないのに、モモは痛みを耐えるようにぎゅっと眉を寄せる。そんなことない、と言ったところで、ぐずぐずに煮詰まったモモの中身を放り出させることはできないだろう。
モモから向けられる感情に嫌なものなんて、……自己犠牲精神以外には、これっぽっちもないのに。ましてや恋愛感情なんて、貰えないものだと思っていた。モモは僕を大好きだと言ってくれるけど、それまでだって。
それに、涙を流すモモは、誰よりも綺麗だ。傷つけられて流す悲しみの涙ではなく、失恋に喘いで追い縋るものでもない。ただ僕を想って、自分を責めて、堪えきれなかった涙をこぼしている。
こぼれた涙が頬を伝って、顎の先からぽとりと落ちた。その軌道に惹かれて指を伸ばして、はたと気付く。涙、拭ってやるべきだった。モモが喜ぶイケメンはそっちだろう。やっぱり僕は悪い人間だ。こんな僕でも、モモは好きだと言ってくれるのか?
言うのだろう。僕の迷惑になるからと泣くモモだ。僕の枯れた声に足を止めて、掴まれた手を振りきれずに留まっていてくれるモモだから。
涙の跡を親指でなぞると、モモの頬は驚くほど熱くなっていた。目尻にそっと指を這わせて雫を拾うと、ぎゅっ、と目を瞑って縮こまった。もっとはっきり触れたら、どうなってくれるんだろう。見たい。
「とりあえず帰るよ、モモ」
軽く腕を引くと、モモはふるふると頭を横に振った。でも、このまま外にいたら早起きの誰かに見つかってしまうかもしれないし、もちろん逃がすわけにもいかない。どうにかなだめて連れ帰らないと。頑なな体から力を抜かせるために、項垂れた丸い頭を繰り返し撫でる。
「僕は徹夜顔だし、モモは寝間着だし」
「あ……外出ていい格好してないね。ごめん……」
「あと、ここじゃキスできない」
「……へ」
ぱ、とモモがようやく顔を上げた。きらきらの瞳がこぼれそうなほど丸く見開かれている。信じられない、って顔だ。自分の恋が報われるなんて露ほども思わなかったんだろう。
僕が好きだって言うなら、もっと期待してくれたっていいのに。こんなにいじらしい子は他にいない。だから、聞かなかったことにはしてやれない。
「言っちゃったんだから、ちゃんと僕の返事聞いて」
「う……」
「逃げないでね。じゃないと今我慢してる意味なくなるから」
「え、え」
「ほら、早く帰るよ」
もう一度手を引くと、つんのめりながらも今度はちゃんと着いてきた。歩いているとモモの顔が見れないのが惜しい。でも、今また見つめてしまったら手を出してしまいそうで。エレベーターに乗っても、僕の少し後ろで俯くモモをそのままにさせて、見ないようにした。
ドアが開ききるのを待ちきれなくて、すき間に脚を伸ばして身を乗り出す。早足になりかけるのを必死で食い止めて、ジェントルの振りをする。でも早く家についてしまいたい。僕のために泣くモモの顔、もっと間近で、独り占めしたいから。