想いに永訣して、不器用に、終わりの約束を結ばせて エースの隣は居心地がいいな、いつからかそう感じるようになっていた。
「さっき学園長に呼ばれてたけど、なんかあったの?」
隣に並ぶ影がふっと止まった。半歩遅れて私も立ち止まる。チェリーレッドの瞳が真っ直ぐに私を捕らえた。
「なんでもないよ。いつもの雑用押し付けられただけ」
「ダウト」
エースの一言がピシャリと時を止めた。
「嘘つくなよ」
言えば引き止めてくれることくらい想像出来る。そしたら別れがたくなることも。だから誤魔化したのに、目の前の彼が別人のように見えて背筋が凍った。ひとつ息を吐いて、私は諦めるように白状した。
「元の世界へ帰れることになったの」
「……は?」
「学園長がね、帰り方を見つけてくれたみたいで。だからこれから寮に戻って荷物まとめたら……」
「待てって!」
角張った大きな手が、私の肩をがしりと抑えた。衝撃で、せっかく抑えてた涙が溢れそうだった。隠すように地面の一点をただ見つめる。
「なに、お前帰るの?」
「……当たり前じゃん」
夕焼けが支配する吹き抜けの廊下に、私とエースだけが閉じ込められている。誰も往来しない寂しい廊下は、余計に私たちの感情を爆発させた。
「なんで?」
「なんでって、だって、あっちが私の世界だし……」
「でも今はこっちに居んじゃん。ここでオレらと過ごしてるじゃん。帰る必要なくね?」
視線が、熱い。夕日が、暑い。
あついのに、体温は下がっていくばかりだ。エースの言葉が、冷たく心にのしかかる。
話を逸らしたくてもここには私たち2人しかいない。風が吹く。どこかの草の匂いがする。そんなもの、話のネタにもならない。
「今まで楽しかったよ。エースと、デュースとグリムと、それから先輩たちにも感謝してる」
魔法とかよく分からない世界だけど、仲良しの友達が出来て、いつもエースが隣に居てくれて、寂しさなんか忘れてしまった。
「私、この世界のこと、結構好きだよ」
「……じゃあなんで」
「それでもやっぱり、帰らなきゃいけないんだ。ここにずっとは住めないもの」
エースと一緒に居たいけど、それは伝えてはいけない願い、叶えてはいけない望みなんだ。突然この世界に前触れもなくやって来てしまった私は、いつ夢物語のように消えるか分からない。12時の鐘で魔法が解けるかもしれない。誰かに呼ばれ現実世界で眠りから覚めるかもしれない。王子様と出逢えれば全てがハッピーエンドになる訳では無い。むしろこの世界で誰かの手を取ってしまえば、もう後戻り出来なくなってしまうような、そんな得体の知れない不安が溢れる。異世界で永遠を望むには未知数なことが多過ぎた。現実的に考えるほど、残された私の理性がそう警告する。
「なんだよそれ。ここにいたい、それじゃダメなの?」
ダメなんだよ。心の中でそう返事をした。
私たちはもう子供じゃないから、その時の感情に流されて大事な決断を見誤ってはいけないんだ。大丈夫、この恋も隠し通せる。あと少し、あと少しで終わらせられるから。
「ごめんね、エース」
気持ちを押し殺して、理性を働かせて、夕焼けに伸びる影に溶けて消えたその言葉に、全ての想いを乗せた。大好きだったよ、エース。
苦虫を噛み潰したように顔をゆがめ、何かを言おうとしてそれを飲み込んで、エースはガシガシと頭をかいた。
夕日が廊下の先に顔を出す。赤い彼の瞳と、赤いハートマークと、赤い赤い夕焼けが私の全身を焦がした。
元の世界でも見慣れていたこの空が、どうしてこんなに眩しく思うのだろう。
「ねえエース」
「なあ監督生」
「あ、ごめん。先いいよ。何?」
「あっそ、じゃあ遠慮なく」
強引に腕を引っぱられる。その強い力に目を丸くした瞬間。
唇に、彼の少し乾燥した唇が重なる。
ぶつけるように一度強くしっかりと繋がったそれは、味わう間もなく離れていった。
「……え?」
いわゆる、キスというもの。
「オレさ、監督生のこと好きだから。だから監督生、俺のためにこの世界に残ってよ」
熱が離れて急激に冷めていく唇が、私がひた隠しにした感情の答えを突きつける。
エースのことがどうしようもなく好き。エースも私のことが好きだった。元の世界になんて、帰りたくない。
浅はかで恐ろしい願い。夕日が私たちを嘲笑う。風が吹く。草木が揺れる。今ならまだ間に合う。
「……ごめんエース、私、エースのことそういう風に見れないから」
ずっとずっと大好きだったよ。いつからなんて分からないくらい、気がついたら君のことばかり考えてた。エースのこと、本当に大好きだった。
だから、ごめんね。ばいばい。
まるでドラマのヒロインのように、私はその場から走って逃げた。