ポッキーの日 某年11月11日22時頃、大門は知り合いとも呼びたくない猿顔の暴力団関係者のシノギのためにクルマを走らせていた。本業が終わり、自宅で寛いでいる大門に配車要請の電話が掛かってきた時はなんで俺がそんなことしなきゃいけないんだ、と噛み付いたが、アホかもし俺が50人くらいにタコ殴りにされたらどうやって逃げるんだよ、死んでも捕まっても困るだろ?そんな屁理屈を一瞬で捏ね回すドブに何を言っても無駄だと悟り、貸しイチ。そう言い捨てて黒いパーカーを頭から被ったのだ。
道中の交差点で男を拾い、事前に言っとけよ風呂入り直しだわ、なんてぐちぐち言いながらも向かう先は繁華街のキャバクラ、用向きはショバ代の徴収だそうだ。黒田組が所有している土地でもなんでもないが、昔から懇意にしている店だという。暴対法が強化されつつあるこのご時世、みかじめ料なんて貰った側と払った側の両方に罰則がつくリスクの高いものをまだやっているのかと呆れたが、なにせ大都会ど真ん中の悪質な反社会勢力が犇めく繁華街、少しでもマトモな組織に取り入っておいた方が安全なのだろう。
雑居ビルの5階に位置する店に足を踏み入れると店長らしき茶髪を盛りに盛った中年の男に恭しく出迎えられた。こんなしょうもない男に好待遇なんてしないほうがいい、あっという間に付け上がるのだこのロクデナシは。脳内に浮かんだ伝わるはずもないアドバイスをかき消して玄関の正面に目を向けると、そこにはポッキーやプリッツ、トッポなど棒状のチョコレート菓子の箱がシャンパンタワーのようにこれでもかと積まれていた。何だ、発注ミスか?そんなコンビニみたいなことする?
「なにこれ。」
「え?知らねえの?おじさんだから?」
「知ってるに決まってんだろ舐めんな。アレだろ、ポッキーの日とか言うやつだろ。」
「その言い方がもうおじさんだわ、馴染めてないよ新しい文化に。」
「おじさんおじさんうるせえよお前俺の3つ上だろうが。」
「俺はバイブスが若いからいいんだよ。」
「馬鹿なこと言ってないでさっさと中入れ。」
少し疑問を口にしただけで信じられないくらい追い詰められたが、もちろん今日がなんの日かくらいは大門だって知っている。1111という直線の数字が並ぶのにこじつけて今日はポッキーを買いましょうという巫山戯たイベント、大門やドブなどのおっさんには縁のない行事だ。いつから虫のように湧いて出てきた概念なのか全くわからないけれど毎年交番の前を通る女子高生が手にそれらしきものを持っている。ポッキーを生産している会社が始めたイベントらしい、しかし今この場所では他会社のトッポやフランなども主役面をして積まれていた。早速歪められてしまっているが、いつかこのイベントがハロウィンのように市民権を得る日は来るのだろうか。
チョコレート菓子の山を抜けてフロアに入ると席についていないキャバ嬢数人が半ば駆け寄るようにして一斉にドブを囲んだ。あまりの勢いに数歩後ろにたじろいでしまった大門である、集団の女は怖い。ドブさんお久しぶりです〜なんて言われていて耳を疑ってしまった。お前偽名とかないのか、いつでもどこでもドブで通しているのか?未だにこんな適当な奴の手首にワッパが掛けられていない意味がわからない、警察とかいう国家機関無能すぎるだろ。
満更でもなさそうな顔をして女と戯れるドブに苛立って、首を傾げて睨みつけながら組んだ腕の右中指で左の肘の辺りをトントン叩く。決して嫉妬などという可愛い感情からではない、こんなところまで引き摺り回しておいて放っておくとはどういう了見だ。手持ち無沙汰が過ぎる、なんの時間なんだこれ。不躾な客からのなんだなんだヤクザが来たぞ、みたいな視線が痛い。おい、なんとか言え、こっちを見ろ。そんな恨めしげな視線を送っても一向に気づかない男に全てを諦めて店内をぐるりと見回すことにした。じろじろこちらを見ていた客と目が合ったと思ったら首がもげる程の勢いで頭ごと視線を逸らされた、別にとって食ったりしないのに。それよりもあんなに積まれていたポッキーは一体何に使われているのだろう。1袋100円のポップコーンと盛り合わせて1皿5000円くらいで売られているのだろうか、それとも箱にトップランカーの嬢がメッセージを書いて万単位の値がつけられているのだろうか。そんなことを考えていたが答えはすぐそこにあった。
壁際のだだっ広いソファに深く腰掛けて落ち着いた色のスーツを纏い、ハイブランドのネクタイを緩めた壮年の男と、栗色の髪を巻いて肩の出るふわふわのドレスに身を包んだ女が両手を絡ませながらポッキーの両端を各々口に含んで牛歩のスピードで食べ進めている。なんだその地獄みたいな絵面は。客観的に自分を見たとき死にたくならないのか?もうすぐにお互いの唇がくっつく、というところでパキリと嬢がポッキーを折り、折れちゃった♡と全く残念そうにない甘えた声を上げた。一部始終を観た大門の感想はうわ、の2文字だ。ただただドン引きしていた。こういうのは学生の甘酸っぱい恋愛の一幕でやるから許されるのだ、金や下心が醜く絡み合った大人の汚い世界に持ってきた瞬間に台無しだろうが。
「うーわ、アレでオプション2万とか取るんだぜ?ボロい商売だよな。」
いつの間にか女性たちとの挨拶を終わらせていたドブが今更声をかけてきた。居心地の悪さに慣れてしまってから話しかけられてももう遅い、今度は男を囲む嬢からの誰だよコイツ、という視線に晒される羽目になった。本当に余計なことしかしない男だ。今日イチで最悪の光景から目を離して同じくらい最悪な男に横目で視線だけを投げ寄越す。
「俺らもやる?」
唐突にかけられたとんでもない問いには応えてやらず、片眉だけを吊り上げて右の人差し指でこめかみの辺りをクルクル。お前頭イカれた?のジェスチャーだ、洋画風。そんな大門の仕草にドブも大仰に肩を竦めて見せる。こちらも洋画風。周りのキャバ嬢たちに向かって悪いな、俺のカノジョつれねえんだ。なんて大変勝手なことをあからさまに傷ついたような顔で嘯いている。
いつ誰がお前の彼女になったって言うんだよ。何月何日何時何分地球が何回回った時だ?言ってみろ大根役者め。大体今だって派手な髪に濃い化粧の女どもにちやほやされて鼻の下伸ばしてるだろうが、お前ただでさえ猿顔なんだからやめておいた方がいいぞ。
散々放っておかれた上に気分の悪い物を見せられ、挙句勝手に彼女に仕立て上げられた大門の中の何かがキレた。ドブまで2.3歩の距離をつかつかと大股で歩み寄り、なんだよ怒った?そうヘラヘラ笑う締りのない頬を両手で引っ掴んで首をへし折る勢いでこちらへと引き寄せる。驚愕の色を浮かべる濁った瞳を睨みつけ、そのまま食らいつくように口付けた。余程驚いているのか、突き飛ばされることもキスに応えられることもないのがとても愉快である。黄色い声をあげているギャラリーに見せつけるように角度を変えながら深く舌を絡ませ、最後に下唇に軽く噛み付いて未だ固まったままの男を解放した。右の袖で口端を拭い、生意気に口角を歪める。
「そんな口実なくたって、キスくらいいつだってしてやるよ。ハニー?」
もう一度上がる甲高い悲鳴。対するハニーはというと、笑いとため息の中間のような息を漏らして、とんだじゃじゃ馬だな、と正面にいる大門にしか聞こえないような声量で呟いた。