朱雀君のアルバイト「紅井、アルバイトをしないか。何、難しい事じゃない。ただその部屋で一晩過ごせばいいだけだ」
爆炎の朱雀ことオレは、めでたくオウケン高校を卒業し、そのままアイドルという社会人になった。
相棒の玄武は、その頭脳を活かすために大学に進学した。もちろんアイドルはやめてねぇ!けど、ガクギョーに専念するためドラマとか舞台とか拘束時間の長い仕事はセーブしている。
そんな神速一魂があらたな体制となった4月、オレはすぐ19歳になり、実家から放り出された。
「は?」
親父曰く『男は高校を卒業したら独り立ちするもんだ』。あまりにも突然の出来事だったから、とりあえずにゃこだけは実家に預け、オレは最低限の荷物を抱えオフだというのに事務所に助けを求めに行った。
「なんだ、随分な荷物だな。家出か?」
「似たようなもんだけど、逆だぜ」
昼間の事務所はプロデューサーはもちろん、殆どの人が出払っていて、事務員の賢さんと空き時間を持て余していた雨彦さんだけしかいなかった。それでも大人がいてくれて少し安心した。
「家から出されたんだ、独り立ちしろって」
ため息と共にパンパンに荷物の詰まったバックパックを降ろし、雨彦さんの向かいのソファにどっかり座り込む。まだ昼間だというのに、なんだか凄く疲れた気がする。
「なるほど……行く当てはあんのかい?いや、愚問だったな。当てがあるならそんな顔をしていない」
オレはどんな顔をしているんだろうか。たぶん、迷子のガキ……子どもみたいな顔をしてるんだろう。
当て、普段なら真っ先に相棒の顔が浮かぶ。そして恐らく、いや絶対にオレを泊めてくれる。なんなら住んでもいいくらい言うかもしれない。しかし玄武はオレと違って大学生としての新しい生活を始めたばかりで、オレの事情で負担なんかかけたくなかった。
「寮が空いてますが、朱雀くん一人きりというのも危ないですね」
「もう19になったし、そのぐらい平気だぜ賢さん!」
そうだ事務所には男子寮があるじゃねぇか!てっきり住んでいる人がいると思っていたが、合宿やイベントに使うのがメインで、普段は誰も住んでいないらしい。もったいねぇな。
「一応プロデューサーと社長に聞いてみますね」
なんとか住むところが見つかりそうでホッとしたオレは、いつの間にか雨彦さんが淹れてくれていた緑茶を飲んで一息ついた。
それにしても親父も急過ぎんだろ。もっとこう、準備期間があっても良かったんじゃねぇか?なんか言ってたなシシがどうのとか……。
「そうか……19になったのか……」
雨彦さんがポツリとこぼす。
「そうだぜ!今月4日が誕生日だったから」
事務所でもお祝いしてもらったし、その時雨彦さんもいたと思ってたけど。ブツブツなにかを呟いてから手帳を捲り、スマホを確認し、顔を上げた雨彦さんはこう切り出した。
「紅井、アルバイトしないか」
事務所の寮は急に入れるもんじゃなかった。最近あまり使っていなかったから、クリーニングを入れないといけないらしい。オレ一人の為にクリーニングを入れてもらうのも気が引けるので、寮の話は一旦保留となった。
そして今夜寝るところも危うくなったオレに、雨彦さんの持ち掛けたアルバイトは渡りに船(っていうんだろ!玄武に教えてもらった)で、詳しい話は雨彦さんの仕事が終わってから聞くことになった。
雨彦さんを待っている間、急いでまとめた荷物をいったん広げ、賢さんにアドバイスをもらって足りないものを買い足したり、事務所に置ける荷物は置かせてもらった。
そこで今まであまり考えていなかったが、金のことについても賢さんと話した。賢さんも今年から事務所の正式な社員になったので、一人暮らしにかかる大まかな金額や、フクリコーセー?とか税金の事まで(あんま分かってねぇんだけど「そこらへんは事務所がやりますから今すぐわからなくても大丈夫ですよ」って言ってもらった)、結構くわしく聞かせてもらった。そこでふと、玄武はずっとそういうのちゃんと考えてたのか、と思って、相棒は大人だな〜という子どもみたいな言葉が出た。
6時を過ぎた頃、オレは仕事を終えた雨彦さんに連れられとある民家にやって来た。住宅街にある、ごく普通の、いわゆる庭付き一戸建てというやつだ。塀や門が無くて広々とした芝生の庭には、ぽつんと何かの木が立っていた。
「この家の和室で一晩過ごして欲しいんだ。飯は今から奢るし、朝一番に迎えに来る。まずは荷物を置いとこう」
雨彦さんはさっさとその民家を勝手知ったる我が家のように(間違っても葛之葉という表札ではなかった)入っていく。
中に入っても、いたって普通の民家だった。新築とは言えないが、古くもない。うちよりちょっと新しそうだ。
一つおかしい点を挙げるとするならば、生活感の溢れる家なのに、人の気配が無い事くらい。
「おじゃましま~す……」
「おう上がってくれ」
いや雨彦さんの家じゃねぇだろ。
雨彦さんのでけぇ靴の隣に自分の靴をきちんと並べると、なんだか見慣れた画に見えて不思議な気持ちになる。
あぁ、相棒と同じくらいなのか。
玄関から続く廊下の突き当りに、襖の部屋があった。
「ここが和室だ。ベッドじゃなくて悪いが、布団はちゃんと干してある」
「え、あぁ大丈夫だぜ!」
入った和室は8畳、仏壇が収まるであろう場所には何も生かっていない花瓶が置いてあるだけで、他には話に出た布団くらいしか置いていない。障子を開けてみたが、後ろの家の壁が見えるだけだった。
完璧なる他人の家に、泊まる。
「いや、待ってくれ雨彦さん」
勢いで来ちまったが、だいぶおかしい。
「ちゃんと説明するさ、飯を食った後でな」
多分もう辞めるという選択肢は無い。
「アヤカシ清掃社は、特殊清掃業者だ」
「とくしゅせいそう?」
和食レストランの個室で(芸能人たるもの個室のある店をいくつか知っているものらしい)食後の緑茶を飲みながら雨彦さんは説明を始める。
「一般的な清掃って言うと窓拭いたり、タイル磨いたりだろ。それこそ寮に入れるクリーニングとか」
「雨彦さんのいう掃除ってああ言うのじゃないのか?」
いつもデッキブラシを持っているし、こまめに事務所の換気をしているから、てっきりそういう物だと。
「あぁ……ハッキリ言うとな、人が死んだ跡の掃除だ」
ヒュッと息を飲んだ後、やけに周りが静かに思えて、他の人に聞こえてやしないか心配で鼓動が早くなる。
「血とかそういうのも勿論あるが、その後に残った穢れを掃除する」
ケガレ。なんか聞いたことがある。近しい人が死んだ時はケガレがあるから神社に行っちゃいけないとか。誰に聞いたんだっけ。多分玄武だな。
「それでもどうしようもない穢れ、というものがある」
「めっちゃくちゃ強いやつとかか?」
「逆だ、弱すぎて知能が無い。話が通じない奴らだ。弱いからよっぽどのことが無い限り放って置くんだが、立地や空気の関係で今後悪影響が出る場合はできるだけ早めに潰しておきたい」
「あの家は」
「前の住民が亡くなって、まぁ事件性は無かったんだが、少し吹き溜まりになっていてな。放って置いても家鳴り程度でどうって事がない奴だったが、住んでいる人全員が恐怖心を持ってしまっている」
人の心は強いが、弱った心は付け込まれる。
なんだが悪人みてぇだな。ケガレってやつは。
「そこで、問答無用で払う力を持っている人間が時々いるんだ」
「……それがオレ?」
「そうだ」
聞くとオレ以外に何人かそういう力を持った人が事務所にはいるそうだ。最たるモノは社長らしい。
その中でなぜオレに声をかけたかというと、要するに、成人だがまだ20歳以下の為深夜の仕事が少なく、でも高校生ではない、というのが雨彦さんにとっては丁度良かったというわけだ。
「俺は家業を楽できる、紅井は寝床があって金も稼げる。悪くない話だろ?」
それはそうだ。そうなんだが何だか少し引っかかる。
「そういえば今まではどうしてたんだ?社長に頼んでた訳じゃねぇんだろ?」
「あー……そうだ、今までは担当の者がいたんだ。ただ、出来なくなってしまってな……」
なんだか雨彦さんの歯切れが悪い。
「まさか死ッ……」
「違う違う!いや俺が悪かったな。変な言い方をした。産休だ。」
「サンキュー」
「霊を払う力がな、今はお腹の中の赤ん坊を守る方に向いていて」
あ、産休。女の人だったんだ。良かった、もし払う力があったとしても、妊婦さんに無理させちゃいけないからな。
「最初からそう言ってくれりゃあ良いのに」
「いや、まぁ、有無を言わさず連れてきておいてなんだが、そんなこと言ったら紅井は絶対引き受けてくれるだろ?」
夜、知らん人の家で一通りの筋トレを終わらせ、暇を持て余している。
何だこの状況。分からなすぎる。
雨彦さんはああ言ったが、とりあえず布団に入ってみても他人の家だから全然くつろげない。
そして静かすぎる。
「そうだにゃこ……」
にゃこがいれば……いや何にも無い空間をじっと見つめられたら怖いな。
相棒もいない。
そういえば玄武とこんなに会わないのは初めてな気がする。出会ってから高校卒業するまでほぼ毎日一緒にいた。
寂しいけど、たぶんいつかは訪れるんだ。別れってやつは。
……いや。やだな。
やだ!玄武とはずっと一緒にいてぇ!とりあえず今はアイドルやってるしよぉ、別れるってことはねぇよな。
アイドルやめたあとか。アイドルっていつまでできんだろ。とりあえず道夫さんはまだアイドルやってるから、あと15年くらいはやれるか。でもそれは道夫さんだからで、玄武は大学でアイドル以外の何かを見つけるかも知れない。
アイドルじゃなくたって玄武と一緒にいられるにはどうしたらいいんだろう。
昨日はぐるぐる玄武とずっと一緒にいるためにはどうしたらいいかを考えていたらいつの間にか寝ていた。
ここがケガレのある他人の家だっていうのをさっぱり忘れて寝ていた。
なんもなかった。
ちょっと襖をカリカリされたり、足を掴まれたり、とかそういうの全然無かった。
マジで普通にぐっすり寝て、朝起きた時にはもう雨彦さんがいた。
「おはよう紅井、よく寝られたか」
「おはよう雨彦さん。めちゃくちゃ安眠だったぜ」
「凄いな……」
「ちゃんとオレ役に立ったのか?実感ねぇんだけど」
「役に立ったどころか!凄いぞ!紅井!」
こんな興奮してる雨彦さん初めて見た。背中をバシバシ叩かれてちょっと咽た。何かをした、という実感は無いが、どうやら雨彦さんのお望みの結果になったようだ。
「そうだ、報酬を渡しておかないとな」
雨彦さんが懐から取り出した封筒には、一晩のバイト代にしては多すぎる札が入っていた。
「多くねぇか!?」
「初仕事だし、様子見もあって安い方だ。むしろ申し訳無いくらいだぜ?」
オレの知らない世界の、オレの知らない相場があるのだろう。これから住む場所を見つけなければならないので、とりあえず有り難く貰うことにした。
「ところで紅井、今日の予定は?」
「え〜っと、午前中はボイトレで、午後はにゃこと一緒に雑誌の取材と写真撮影」
「そうか、じゃあ仕事が終わったら事務所で待っててくれ」
「おぅ!……え?」
「今夜の現場はペット可の物件だ」
どうやらバイトはまだ続くらしい。