甘やかしたい 最近になって、ポメガも悪くないかもしれないと思い始めた。ポメラニアンはかわいいし、毛がふわふわで触ると癒される。疲れているのを隠せないのが嫌だと思っていたけれど、人間誰だってこんな過密スケジュールで働いていたら疲れるのだ。ユキの前で簡単にポメラニアン化してしまうようになってから、オレは疲れているのがバレることをあまり気にしなくなった。何か特別にしんどいことがあってもスケジュールがキツくってで誤魔化せるのだから問題ない。それよりもユキに癒しを提供できる自分の体質を活用しようと思った。ポメラニアンはかわいい。ふわふわで気持ちいい。ユキだってポメ化したオレに癒されるはずだ。
「ユキ、ご飯食べれる? もう一回寝る?」
帰宅したままの状態でソファに倒れ込んでいたユキをお風呂に入れてスキンケアを施し、そのサラサラロングヘアーを乾かしたオレはげっそりと疲れきってなおイケメンなユキの美貌を覗き込んで尋ねた。ユキはもともと決まっていた映画の撮影と連ドラの撮り直しが重なって年末のオレ並みに過密スケジュールとなっていて、部屋の中で野垂れ死んでいないかと心配になったオレは久々にオフが重なったのをこれ幸いと様子を見に来ていた。オフと言ってもユキのオフは半日だけ、昼過ぎにはまたスタジオに戻らなくてはならない。決まった仕事のことなので文句は言えないんだけど、オレはユキをもっとゆっくり休ませてあげられたらなと思っていた。
「んんっ……モモもいるし、何か作るよ……」
「ユキの料理は食べたいけど今日はいいよ。ユキ疲れてるでしょ? それよりオレ、今日はユキのためにお土産持って来たんだ! この間ラビチャした野菜料理の店のテイクアウト。一緒に食べよ!」
「モモは肉が好きでしょ。付き合わなくていいから」
「オレは野菜も好き!」
オレはユキの髪に指を滑らせ名残惜しいその感触をもう一度楽しむと、つむじにキスをしてキッチンへと向かった。ユキのために買ってきた料理を冷蔵庫から取り出すと、お店の人が教えてくれた通りにレンジでチンする。前にどれくらい温めたらいいかわからずにラップも掛けず何分もレンジにかけて料理をチリチリにしたことがあったから、それ以降はレンチン時間には気をつかっている。料理を温めながらオレは一緒に買ってきたパンをトースターにかけ、棚から食器を出してカウンターに並べた。午後から仕事だからワインはダメだなと、オレは冷蔵庫からペリエの瓶を取り出す。炭酸って目が覚める気がする。
電子レンジの電子音を聞いてその扉を開けると、食欲を誘うふんわりと美味しい匂いが辺りに漂った。口の中に涎が溢れる。お肉が好きだけど、野菜だって好きだ。料理を皿に並べている内にトースターのベルがチンッと鳴り、オレはユキがやるのを真似てパンをバスケットへと移して料理の皿と一緒に持ち、ユキの待つリビングへと踊るような足取りで戻った。バイト戦士時代に培った技術のお陰でお皿二枚とバスケット、グラス二脚、ペリエの瓶を持っても余裕だ。リビングに戻るとユキはソファの上で腕を組みながらこくりこくりと船を漕ぎ始めていた。寝息を立てていなかっただけ偉いと言うべきか。オレがローテーブルに料理を並べユキの隣に腰掛けると、その振動に揺り起こされたのかユキの薄い瞼がパチパチと数度瞬きした。
「ユキー、起きてー! ご飯冷めちゃうよー」
疲れているんだし寝かせてあげた方が、と思う気持ちもあるけれど、睡眠と同じくらい食事も大切だ。一緒にご飯を食べて、それからベッドに運んであげよう。そう思ってオレはユキの肩を揺さぶる。ユキは少しの間ぼおっと空中を見つめて、それから辺りを見回してオレに視線を定めた。
「ごめん、モモ。寝てたかも」
「船漕いでたくらいだからギリ寝てなかったよ! 冷める前に食べよ!」
「そうね」
ユキが身を起こしたのを見届けてオレはペリエの栓を開けてグラスへと注ぐ。寝ぼけ眼の状態ですぐ料理をぶち込むより冷たい水で目を覚ましてもらった方が良いだろう。ワイン用の脚の長いグラスは水を入れても様になる。シュワシュワと気泡が弾けるのを見ながらオレはユキへとグラスを差し出した。
「どうぞ。キンキンに冷えてるからびっくりしないでね」
「のませて」
「もう、ユキったら甘えんぼさんなんだから!」
薄く口を開いて顔を突き出すユキにオレは笑いながらグラスを押し付けた。ゆっくりと傾けたつもりだったのだけれど、水が流れ込んですぐにユキがゴホゴホと盛大に咳き込む。
「わっ、ごめんユキ! 大丈夫」
「っ……だ、だいじょうぶ……。いや、そうね……水はもういいや。目も冷めたし」
「そう?」
オレは少し引っ掛かるものを感じながら、まだ赤い顔でこほこほと空咳を繰り返しているユキを横目にグラスを置いて箸を取った。
「はい。ユキ、あーん」
「あーん」
無防備に開けられた口の中に温野菜のサラダを運ぶ。オレの手から素直にご飯を食べるユキを見ていると、滅多に人に懐かない野生動物を手懐けたような気になって少し気分が良い。オレの方がポメガなはずなのにユキをお世話するのは楽しくて好きだった。「モモも」と言ってユキがカリフラワーをひと房つまんで差し出す。カリフラワーもユキの指もどっちも白くて見分けがつかないな、なんて思いながらパクリと嚙みつくと、勢い余って指の方まで咥えてしまっていた。ユキが「僕まで食べるな」と笑う。うん。ユキにご飯をあげるのも好きだけどユキからご飯を貰うのも好きだな。
「美味しいね。ありがとう、元気出てきた」
「オレも久々にユキとご飯食べられて超ハッピーだよ~!」
食べて食べさせて、あっという間に皿の上は空になる。ユキは言葉の通りにだいぶ元気になってきたようで、オレは安心してユキの腰に抱き付き、ころんと寝転がってユキを見上げた。見下ろすユキの眼差しが春の木漏れ日みたいに優しい。でもその目の下にはクマがあって、穏やかな表情だからこそいつもと違う疲弊した様子がよくわかった。
「ユキ、モフモフする?」
「いいよ。そのままでいて。もうちょっとおしゃべりしててよ」
「ちょっとでも寝た方がよくない? オレ湯たんぽになるよ」
「湯たんぽならそのままでもできるだろ。でも、うん……ちょっと寝ようかな」
「時間になったらオレが責任もって起こすから安心して!」
「フフッ、頼りにしてる」
オレが身を起こすと、ユキは気だるげでセクシーな笑いを漏らしながら立ち上がる。ローテーブルに並んだ食器に手を伸ばすのに気付いて、オレはユキの手を掴んだ。
「片付けくらいオレがやっとくから、もう寝ちゃいなよ」
「食洗機に入れるだけじゃない。それよりベッドまでつれていってよ」
「了解! でもお皿もオレが持ってくから。その方が早いし。待ってて」
オレはユキに頷くと、机の上の皿を手早くまとめる。昔からオレは食器洗いは自分の仕事だと思っている。料理を作ってもらってその後片付けもおまかせなんてユキにさせられない。その仕事も高性能な食洗機の導入によって半ば奪われてしまったけれど、ほんのちょっとでもユキの負担を減らせたら嬉しいと思う。導入直後にユキからレクチャーされた通りにザッと汚れを流した食器を食洗機の中に並べ、専用の洗剤をセットしてスイッチを押す。食洗機が元気に動きだしたのを確認してオレはユキの元へと駆け戻った。ユキは瞼を閉じてソファーの背もたれに寄りかかり、天を仰いでいる。
「ユキ、お待たせ。乗って」
ユキの足元に背中を向けて跪く。後ろを振り向くと頑張って起きていてくれたのだろうユキがゆらゆらと揺れながらオレに覆い被さってくるところだった。痩せているとはいえ長時間のライブを歌い踊れるずっしりとした成人男性の体重が背中にかかる。重くはあったけれど、その重みこそがユキの存在を実感させてくれて胸が弾んだ。
「ユキ王子の愛馬モモちゃん号がベッドまでお送りしますぞ~!」
「二本脚の馬は初めて見るな」
「特別製だから!」
「特別製って、誰が作ったんだ」
ぴったりと背中にくっついたユキのお腹が笑うのに合わせてひくひくと動く。そのうえ鼻息に耳を撫でられてとてもくすぐったかった。オレもつられてへへへと笑いながら、ユキを振り落としてしまわないよう気を付けて寝室へと軽やかに駆けた。首に回った腕にキュッと力が入り鼻先が押し付けられる。
「モモの匂いがする」
そりゃあオレに鼻押し付けてたらね。するだろう、オレの匂い。オレの匂いってどんな感じなんだろうか。他の人の匂いはポメガなのもあって結構判別がつく。ユキの匂いを感じると安心したりもした。でも自分自身の匂いは日頃ずっと接しているのもあってよくわからないから、ユキがどんな風に感じているのか気になった。ユキにとってオレの匂いが心地よいものであればいいなと思う。スーハーと深い呼吸音が聞こえて匂いを嗅がれているのがわかると頬が熱くなった。オレも、ポメラニアンの時は特にユキの匂いを嗅いでしまうからお互い様なのだけど、やはり恥ずかしい。
「におう?」
「モモの匂いがする」
答えになってない。そう思ったけれど言うのはやめた。なんとなく、これだけ楽しげに言うのだから不快ではないのだと思った。ポメガのオレがユキの匂いを快く思ってしまうのとは違っても、オレの匂いを嗅ぐのが好きならユキの好きにさせてあげたい。恥ずかしいけど。
「はーい、とうちゃーく!」
寝室の扉を潜り、ベッドの端に腰を下ろすとユキごと仰向けに寝転がる。もちろんユキを押し潰してしまわないよう鍛え上げた腹筋を駆使して体重を支えながらだ。どさりと倒れ込む音が聞こえて「うわっ」とユキの驚く声がした。オレが体を起こして振り返ると、ユキはシーツに長い髪の毛を散らしながら跳ねる鼓動を鎮めるように胸を押さえていた。
「モモ!」
「ふへへ、ごめんねダーリン。でもビックリしたダーリンもウルトラキュート!」
わざとらしく眉をつり上げるユキにオレは笑って謝った。フンと一度鼻を鳴らして、それからユキがニヤリと笑う。ユキは上体を起こすとあののんびり屋さんのユキとは思えない素早さでベッドについていたオレの右手を取り強く引いた。
「うわっ」
さっきユキが上げたのとよく似た悲鳴を上げてオレはベッドに倒れ込ーーまない。オレは数多のスポーツで磨き上げられた反射神経と腕力によってユキの上に覆い被さる前に踏みとどまっていた。
「そこはお前も倒れるところだろう!」
「無茶言わないでよ! 倒れそうになったら手ぇついちゃうだろ!」
ユキが何をしようとしていたか理解して自分の反射神経が憎くなる。オレだってかわいらしく倒れてユキの胸にダイブしたかった。こうやって失敗して、その上一度反抗的な態度を取ってしまうと改めて自分からユキの胸にダイブするのは勇気がいる。もう気が変わってしまっているかもしれない。飛び込んで嫌な顔をされたらツラい。
ふぅとユキが短くため息を吐いた。やっぱりもう嫌になってしまったかなと少し落ち込む。
「モモ」
ユキ涼やかな声が甘さを含んでオレの名前を呼んだ。顔を上げると、ユキはオレの思ったような不機嫌な顔をしていなかった。照れたように目元を赤らめて、不器用に笑っている。
「おいで」
ユキが両腕を広げる。オレに向けられた笑顔も、広げられた腕も、開かれた胸も、全部がオレを誘っていた。キュンと胸が高鳴って、オレはブンブンと尻尾を振りながら飛び付いた。ユキの両腕がオレの体を抱きとめる。身をくねらすようにユキの胸にすり寄ると、ユキは「おい、暴れるなよ」と笑いながら嗜めた。ユキの言うことを聞いて、オレはちょっとだけ大人しくなってユキの顔を見上げる。
「そのままでいいって言ったのに、しょうがないなモモは」
文句を言うわりに嫌そうじゃない声でそう言って苦笑したユキは、いつの間にかポメラニアンになっていたオレのふわふわの毛並みを優しく撫でた。そのままベッドに横たわったユキが、オレの襟巻のような首元の毛並みに顔を埋める。
「モモの匂いがする」
また同じことを言った。犬と人間じゃ匂いは違うと思うんだけど、ポメガの場合はどうなんだろう。オレは犬の状態の他のポメガに会ったことがない。もしかしたら道端で見た散歩中のポメラニアンがポメガだったなんてことはあるかもしれないけれど、少なくともポメガと認識した状態では会ったことがなかった。だから体臭が変化するかどうかなんて知らない。もしかするとオレよりもユキやおかりん、他のオレがポメガだと知る人たちの方が詳しいかもしれない。ユキがオレのことを片手に抱きながらモゾモゾと布団の中に潜る。何度か体勢を変えて落ち着く場所を見つけると、ユキはオレを抱き枕にしてゆったりと瞼を閉じた。
「こっちのモモも悪くないね」
ユキがオレの額に頬擦りする。やっぱり毛玉のオレも嫌いではないらしい。ポメラニアンのオレばかり褒められると少しモヤっとしてしまうのだけど、やっぱりもう一つの自分の姿だって認めて気に入ってもらえたら嬉しい。オレはありがとうと伝えるようにユキの顎先を舐めると、ぐりぐりと頭を押し付けてからユキと一緒に眠った。
オレも疲れていたのかもしれない。次に意識が浮上したのは遠くでスマホの鳴る音を聞いた気がしたからだった。何の音だろうかとぼんやり考えたのは一瞬で、オレはすぐにそれがおかりんからの電話の着信音だと気付いた。ガバリと勢いよく起き上がってスマホを探す。眠る前から戻っていたのかスマホを取ろうとして無意識に戻ったのかわからないけれど、オレの体は人間に戻っていた。ポメラニアンに変わった時脱げてベッドの下に落ちたままになった服の山をさぐり、パンツのポケットからスマホを発見する。大丈夫、今から準備しても十分間に合う時間だ。
「おかりんありがとう! 危うく寝過ごすとこだった!」
受話ボタンを押して間髪入れずにそう叫ぶと、スピーカーから「えっ」と驚く声が聞こえた。
『百くんまで寝てたんですか? また千くんに流されて布団に引きずり込まれたんでしょう』
「えへへ、ダーリンったら強引で」
呆れたように言うおかりんにオレは苦笑する。前にも寝ぼけたユキにベッドの中へ引きずり込まれてそのまま寝てしまったことがあった。人肌のぬくもりというのは凄まじい誘惑なのだ。ユキの安らかな寝顔を見つめていればどうしたって眠くなる。仕方がないと思う。とはいえオレがいると思って安心してくれているおかりんの期待を裏切ったのは素直に申し訳ないので反省した。
『今日は百くんが送ってくれるという話だったから確認だけのつもりだったんですけど、やっぱり迎えに行きますか?』
「大丈夫! ばっちり目ぇ覚めたからちゃんとユキのこと起こして現場まで送るよ」
『わかりました。でも百くんだって千くんほどではないにしろハードスケジュールこなしてるんですから、たまのオフくらいちゃんと休んでくださいね。またポメラニアンになっちゃいますよ』
「はーい。ありがと!」
心配してくれるおかりんをありがたく思いながら、そんなに疲れてないけどポメラニアンになっちゃってるんだよなと胸の内でひとりごちた。最近おかりんのいる時にはポメラニアンになっていないから、たぶんおかりんは知らない。ユキの前でだけそうなると伝えたら生温かい顔で訳知り顔の相槌を打たれそうだ。ユキの前では簡単にポメラニアン化してしまうことはもう割り切ったつもりだけど、おかりん相手でもオレの甘えが知られてしまうのはちょっと恥ずかしい。
オレは電話を切ると、ユキを起こす前に身支度を整えようとベッドの下から脱ぎ散らかした服を取り上げた。ポメ化していたオレは人間に戻った今もちろん全裸で、お互いの裸なんて何度も見ていたけれどやっぱりユキの前でこんな見苦しい姿ではいられない。人に見られてもいいようにボディメイクをしていても、完全に裸の状態は見せていいものじゃないと思う。ユキの裸なら芸術品のようなものだし別だけど。
「もも……」
パンツに脚を通したところでぼんやりと不安そうな声音に呼ばれて振り返る。見ればユキがまだ目の開かない赤ん坊か墓から甦ったゾンビかのように何かを求めてシーツの波間に掌を彷徨わせていた。オレはその情けなくもかわいらしい姿に苦笑すると、パンツを引き上げて伸ばされた手に指を絡めた。
「ユキ~、起きて。撮影行かないと!」
ベッドへと身を横たえて視線を合わせ、顔に落ちかかる長い髪を払ってあげながら声を掛ける。唸りながら猫のようにオレの手に擦り寄るユキにキュンとしながら、メロメロになって添い寝してしまいたい気持ちを律して丸まったユキの肩を揺すぶった。
「ユキ~」
「もも……あと五分……」
「五分待っても起きてくれないじゃん。は~い、顔洗いにいきましょうね~」
夢うつつではあるけれど完全に夢の中ではなさそうだとわかって、オレはユキの両腕を掴むと背中を向けて力の抜けた体を担ぎ上げた。半ば背負うような形でユキを引きずって洗面所へと向かう。このくらい覚醒していればなんだかんだ一人で立てるし、誘導すれば顔も洗える。
「ユキ~前髪上げるよ~」
洗顔用に置いてあるヘアバンドをズボッとユキの頭に通して、後ろ髪を出してからまたグイッと額まで持ち上げる。ユキは顔面の皮膚と前髪を引っ張られてひきつった顔をしかめながら呻いた。切れ長の涼やかな目が薄く開かれる。
「痛い……」
「はいはい、顔がひきつっててもユキはファビュラスなイケメン! 顔は自分で洗って。着替え用意してくる!」
「は~い」
のろのろと袖を捲り始めたのを見届けてオレは寝室へと取って返す。ベッドの上でぐしゃぐしゃになったままの服を見つけて、パンイチのままユキを担いでいたのだと気付いた。思わずボッと頬が熱くなる。恥ずかしさに落ち着かない気持ちになりながらユキに気付かれなくて良かったと安堵した。
ユキの前ですぐにポメラニアンになってしまうオレは、必然的によくユキの前で裸体を晒してしまう。人間に戻るタイミングは本来コントロールできるものなのに、ユキにねだられるとすぐ人に戻ってしまうのだ。それは自分の意思のこともあれば、無意識の所業だったりもした。そんなこんなでユキの前で肌を晒してしまうオレを、ユキは犬にするように可愛がった。抱きしめて、撫でて、キスをする。それがちょっとオレには単に犬相手にしてるようなスキンシップに思えなくて、いつも慌てた。この間「エッチする?」と問い掛けてきたユキの姿がフラッシュバックする。あんなのオレの行き過ぎた愛情表現に乗せられたユキの悪い冗談なのに、もしかして本気だったのではと思って変に意識してしまうのだ。そんなオレの反応が面白かったのか、ユキの前で人間に戻ると毎度のごとくエッチなからかいを受けた。胸を揉まれたり、乳首をつねられたり、お尻を撫でられたり。いつか冗談を真に受けてユキの手に応えてしまいそうで怖い。ユキはオレが本気にしてしまうかもしれないとは思わないのだろうか。
溜め息を吐きながらシワだらけの服を身にまとい、整頓されたユキのクローゼットを漁る。今は多忙なユキを応援することだけ考えよう。きっと唐突に来ては去っていくいつものブームと一緒だ。その内気付いたらやめていたという感じになるだろう。そう自分を納得させてユキに着せる服のコーディネートへと意識を逸らした。撮影現場に行けばすぐに衣装に着替えることになるけれど、行き帰りだけでも楽な格好をさせてあげたい。オレはクローゼットの中身をザッと見回し、首元も袖もつまっていないゆったりした服を取り出した。ユキは自由が好きで束縛が嫌い。それは服についても同じだ。締め付けられるのが嫌いらしい。少しでも快適に過ごせればと締め付けの少ない服を選んで、オレは寝室を後にした。洗面所から人の気配が消えてリビングから物音が聞こえている。あれだけもだもだとしていればそりゃあ洗顔も終わってるよなとユキに申し訳なくなりながらリビングへ足を踏み入れると、ユキは化粧水を叩いていたのか顔を手で覆った状態でソファに倒れ伏していた。
「ユキ~! 寝ないで!」
抱き起こしたユキの上体はそこまで重くない。意識はちゃんとあって、起こすのを手伝ってくれた証左だ。眠くて堪らなくてもなんとか起きようとする意思を感じてオレは心の中でえらいえらいとユキを褒め称える。
「はいはい、手ぇどけて」
ユキの肌を乾燥から守るためオレは乳液を塗ってあげながらその顔を見つめた。ユキの肌はこんな多忙の中でもやはり艶やかで美しかったけれど、ほんのちょっと昼寝をしたくらいでは目の下の隈は消えてくれる筈もない。でもそんな陰りのある姿には凄絶な大人の色気があって、オレの胸はキュンと高鳴り、同時に罪悪感を覚えた。ユキが苦しんでいるというのにオレは何を考えてるんだろう。オレは煩悩を振り払い目標をスキンケアから着替えへと移行する。
「ん~~! 隈があってもユキはイケメンだね! 時間無いから早く着替えちゃお。はい、ばんざーい!」
「……ばんざーい」
オレの掛け声から数テンポ遅れてユキが万歳する。裾をまくり上げて部屋着を脱がすと、頭が抜ける時襟ぐりに引っ掛かった髪の毛がまるで清流か月光の中掬い上げたサハラ砂漠の砂のようにサラサラと白い肩にこぼれ落ちた。こんな風に脱がせたらぼさぼさになってもおかしくないのに、しっとりと滑らかなユキの髪は櫛けずったように整ってしまうから感心する。あまりの美しさに見惚れてしまいそうなのを、オレは服を被せることで包み隠した。まずいまずい、そんな時間無いんだった。
「よっし! ユキ、行こっか! 車の中なら寝てていいからね」
ボトムスも穿き替えさせると、自分の分と一緒にユキのスマホと財布も持って立ち上がる。顔を覗き込むオレの視線を受けてユキはノロノロとだけれど自分でソファから立ち上がった。ユキだって仕事に行かないといけないのはわかっているのだ。眠くて怠くて、少し甘えているだけ。しかめ面しながらもなんとか体を動かそうとするユキが可愛くてくすくすと笑いながら玄関へ向け踵を返す。その途端、ズンと肩口が重くなって腰にユキの白い腕が絡みついた。
「もう、歩きにくいよ!」
ユキがオレの肩に顎をのせながら体重を掛けてくる。文句を言いつつ、そんな風にユキに寄り掛かられるのがオレは嫌いじゃなかった。嫌いじゃないどころか誇らしさや優越感すら覚える。オレは背中に掛る重みにニヤニヤとしながら、おんぶオバケと化したユキを引きずって玄関へと向かったのだった。