猫化オルサー 私の手を引いていたナイトアイが、執務室に入るやいなや、扉を勢いよく閉める。バンッ、と激しい音が、外界から私たちを遮断した。
こちらを振り向いたナイトアイの顔は明らかに紅潮していて、荒ぶる気配を隠しもしない。普段は冷ややかさを感じる目元は、今は別人に思えるくらいに苛立たしさが滲む。ファンやカメラマンたちに押し引きされ、すっかり乱れてしまったスーツからのぞく首筋には、玉のような汗が光っていた。
「えっと、ナイトアイ、なんか怒って……る?」
「当たり前だろう」
暑いな、と舌打ち混じりに吐き捨てて、彼が空いた手でネクタイを緩める。こんなぞんざいな姿のナイトアイ、見たことない。今まで出遭ったどの巨悪なヴィランよりも鋭い、刺すような迫力があって、圧倒されそうになる。手首を握られていなければ、反射的に間合いの外まで距離を取っていただろう。本能が、アラートを鳴らせる。穏便になだめて平穏を取り戻したいと思うのは、私が彼と恋仲であることを差し置いても、別におかしなことじゃあないだろう。
「そんなダメだったかな……別にヒーロー活動に支障はなさそうだったから、そのまま出歩いても大丈夫かなって」
「猫耳と尻尾を生やして? イメクラの客引きでもするつもりか」
イメクラ。それがいかがわしい風俗店を差すとすぐに思い至らなくて、面食らった。清廉潔白、ストイックが服を着てるような彼の口からそんな言葉が飛び出すなんて。言葉を失った私を尻目に、彼が滔々と続ける。
「他者に作用を及ぼす個性攻撃を受けたら、専門医によるメディカルチェックを受けるのが定石だ。後遺症が残る場合もある。あまつさえ、カメラを向けられても、避けるどころかポーズを決める始末。パパラッチが好意であなたを追っているとでも?」
粗野な態度とは裏腹に、整然とした口調が今日はやけに癪に障る。彼の忠告はいつも聞き届けてきたつもりだ。でもここまで言われる筋合いはあるんだろうか。ムカムカと怒りのボルテージが上がってきたところで――
「平和の象徴としての自覚が、少し足りないんじゃないか」
――彼が、私の地雷を踏み抜いた。
「ちょっと、それは言い過ぎじゃないか!?」
あまりの言い分に、思わず怒気が籠もる。声を荒らげてしまったことに、一瞬、後悔が過ぎる。が、少しも怯む様子すら見せない彼を目の当たりして、声量はエスカレートしていった。
「第一、ナイトアイこそ、部下って立場をわきまえた方がいいんじゃないか!? そりゃあ、猫化させられた私が悪いよ! 油断があったことは認めよう! でもさ、いくら君が技を食らってな……あれ?」
ナイトアイは敵の攻撃を受けていない。受けていないはずなのに。
金のフレームが光る眼鏡の、さらに少し上。
緑色の髪が盛り上がるようにして、二対の獣耳が立っていた。