許せチロル 聖バレンタイン。ここ日本では女性から男性へチョコレートに愛を込めて気持ちを伝える日だ。しかし最近ではイベント好きの日本人によって義理用と友人用と自分用に分けて用意するのが主流になっており、もはや送る相手は誰でもいいことになっている。
菓子製造業者の戦略に流されるまま、性別を問わず、感情も問わずチョコレートを送り合うイベント、それが日本のバレンタインなのだ。
異性を意識している思春期の男子がバレンタインデーにそわそわしてしまうのは仕方ない。あちらこちらでチョコを渡す光景を目の当たりにすれば尚更期待もしてしまう。例に漏れず、要圭(アホ)も朝から放課後までずっとそわそわしていた。
今年のバレンタインは平日。校内で女子からチョコレートが貰えるはずと思っていた圭はその期待を見事に打ち砕かれて、放課後の練習中もずっと不公平なこの世に絶望していた。
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おれ、一週間前から甘党アピールして来たのに1個も貰えないなんてありえナイツ。ババアからは貰ったけどあれは数に入らないから実質0個じゃん。ヤマちゃんも葵ちゃんも瞬ピーも貰ってたのに何でおれだけ0個なの? 三人は義理で貰っただけって言ってたけどおれは義理でも貰えなかったんですけど。もしかしておれ、女子に存在を認識されてない? つらい。泣いちゃう。
葉流ちゃんと智将に至っては女子たちがチョコを渡すために列を作ってたし、頻繁に告白で呼び出されて忙しそうだった。野球に魂を吸い取られてる二人はチョコさえ受け取ろうとせずに告白を断って女子を泣かせていたのも許せない。とくに葉流ちゃん。『要らない。そういうの迷惑』と女子からの好意をバッサリ切って捨てていた。ハッキリ言って人でなしだと思う。女子相手にする対応じゃない。そういえばこの人でなし、前に校内で告られてた時も爪切ってて相手の話聞いて無かったなと思い出して改めて清峰このヤローってなった。
表面上丁寧に対応してる智将も女子からのチョコは頑なに受け取らなかった。義理だから受け取って欲しいと言われ、チョコだけでも渡そうとしてくる女子に対し『悪いけど誰からも受け取らないことにしてるんだ。義理だからと受け取ったら本命で渡したかった人が不公平に思うだろうからね』と返すと『そんな……どうしてもダメですか?』と女子に食い下がられる。智将は『ごめん。気持ちだけ受け取っておくよ』と爽やかな笑みを浮かべて颯爽と立ち去った。さきほどまで落ち込んでいた女子は胸を押さえて『はぁ……好き♡』と呟く。列の後ろにいた女子も同様にトキメいていたらしく女子だけでキャッキャッと盛り上がっていた。
『要くんってマジで王子様♡』
『わかる〜、優しいよね♡ 本当はチョコ受け取ってあげたいけど期待させるのは可哀想だから断ってるっぽくない?』
『絶対そう。今は野球に集中したいから恋人作る気無いんじゃないかな。ストイックだよね〜♡』
『それな〜』
校舎の影に隠れながら一連の流れを覗き見ていたおれの目から涙がつぅーと流れ落ちる。
世の中は不公平だ。智将とおれは同じ顔なのに片や王子様で片や透明人間。とても同じ人間だったとは思えない扱いをされている。
それに葉流ちゃんに乙女心を傷付けられた女子は夢から冷めるけれど智将に恋をする女子はずっと夢の中にいた。あの子たちは知らない。智将は優しい王子様なんかじゃない、ってこと。
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智将は校門で出待ちしていた女性たちに囲まれたのでおれと葉流ちゃんは先に下校することにした。帰り道で葉流ちゃんが無言で手を差し出してくる。
「なにこの手?」
「え。無いの?」
「何が?」
「チョコ」
「女子から1個も貰えなかったおれへの当て付けですか清峰コノヤロー」
「違う。圭ちゃんからオレへのチョコ」
「あるわけなくね? 野郎同士で送り合うのはモテない男たちが慰め合うためなのよ? 葉流ちゃんには必要ないじゃん」
「要る。女からは全部断ったから1個も貰ってない。圭ちゃんからしか欲しくない」
「ちょ、清峰さんさぁ……。……まさかおれが前に話した“男同士でも友チョコあげるのが流行ってる”ってやつ、真に受けたの?」
「………………」
「ハァ。わかったよ。しょーがねーな。家にチロルならあるから取りに来いよ」
「やだ、手作りがいい」
「出たよ、葉流ちゃんのワガママ。チョコなんて作ったことないから無理。ワガママ言うならあげない。バイバイ葉流ちゃん」
「ぁ……圭ちゃん……」
おれの自宅は小手指高校から徒歩5分でとても近い。すぐそこが我が家だ。
面倒なワガママを言う葉流ちゃんにプイッと背を向けて玄関の扉を開ける。そのまま家に入ろうとするが葉流ちゃんがおれの手首を掴んで引き止めてきた。
「チロルでいいから。ちょうだい」
「…………」
たかが男友達からのチロルチョコ一つでそんな必死にならんでも……と、思いはしたが幼馴染からの友チョコが欲しいわけではないことは分かっていた。
葉流ちゃんは今日散々切り捨ててきた好意と同じものをおれから欲しがっている。
チロルはヤダって言ったくせにチロルでいいって言ったのは、きっと目に見える形ならなんでもよくて、ワガママを言ってみたかっただけなんだろう。どこまでだったら許すのか、親の愛情を試す子供みたいに。無意識だから本当に面倒くさいしおれも判断に迷う。
葉流ちゃんの気持ちに向き合うのが幼馴染として正しい行動なのか間違っているのか、未だ分からないままだ。
「葉流ちゃん、手作りは無理だけどさ」
「……うん」
「溶かして固めるだけならおれでも出来るかも。それでもいい?」
「! うん、それがいい」
普段滅多に笑わない葉流ちゃんが嬉しそうに笑う。小手指のみんなのおかげで情緒が育ってきてるのか最近はたまに笑ってくれるようになった。葉流ちゃんが笑ってくれるとおれも嬉しくなる。
子供時代の記憶、まだ全部思い出せたわけじゃないけどおれは葉流ちゃんからのお願いにとことん弱いのかもしれない。
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チョコって意外とすぐ固まるんだなぁと思いながらチョコかけクッキーを摘む。
既製品のチョコチップクッキーの表面に溶かしたチロルチョコを雑にかけただけのチョコクッキーが完成した。
さっそく割って味見をする。うん、普通。可もなく不可もなく、想像通りの味だ。
チロル、お前は何も悪くない。悪いのはアレンジセンスのないおれの方だ。許せチロル。
キラキラと目を輝かせて待ってる葉流ちゃんには申し訳ないけどこれなら別にアレンジしない方が良かったまである。不格好で微妙な出来のそれをラッピングする気にはなれなかったので、葉流ちゃんに直接あげることにした。
「葉流ちゃん、あ〜ん」
「!」
素直に口を開ける葉流ちゃんの口の中にチョコかけクッキーを入れてあげた。ぱくんと閉じられた後に咀嚼音が響く。葉流ちゃんがクッキーを味わって食べていると、玄関が開く音がした。対応を終えた智将が帰ってきたらしい。
「おかえり〜」
「ただいま。……葉流火、家に帰らないで何してんだ」
「クッキー食べてる」
「ここで? 家で食えばいいだろ」
「智将もクッキーいる?」
「俺はいらない。……それより、顔も名前も知らないやつから貰ったもんは絶対食うなよ。何入ってるか分かったもんじゃねェからな」
「大丈夫。全部断ったから」
「さっき食ってたのは何だ」
「圭ちゃんからオレへのバレンタインチョコ」
「は……?」
予想してなかった答えだったのか智将が面食らっている。そして次第に顔を顰めピキリと青筋を立てていた。
怪しくなった雲行きにハッとした葉流ちゃんが即時撤退の道を選ぶ。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
「帰る」
「ん、またね」
ペコッと一礼してから荷物をもって足早にリビングを出ようとする葉流ちゃん。うちの合鍵持っているし見送りはリビングでいいかと思いながらついていく。葉流ちゃんは扉の前で急にくるりと振り返った。
「圭ちゃん」
「なぁに?」
葉流ちゃんはおれの左手を救い取って指先に優しく唇を当てる。ごくごく自然にそっと触れられておれは固まった。
高い温度を持った双眸が砂糖を煮詰めてカラメルになったかのように苦みと甘やかさが滲む。
「大好き」
シンプルに真っ直ぐと。葉流ちゃんが投げるストレートと同じくらいの強い言葉におれは二の句が継げなくなった。
葉流ちゃんは言うだけで満足したのか、黙り込むおれのことは気にせずに帰っていく。
おれはしばらくその場に立ち尽くしていたが智将に「主人」と呼ばれビクッと肩が跳ねた。
「……俺のは?」
「何が?」
「チョコに決まってるだろ」
「もう無いよ。智将いらないって言ったじゃん」
「言ってねェ」
「言ったよ」
「主人が作ったもんいらないって言うわけないだろ!」
「作ってない! 溶かして固まるまで待ってただけ!」
「一手間かけてんじゃねェか! クソッ、葉流火のやつ全部食いやがって……」
「元々1枚しか無かったんですけど……」
「……まぁいい。幸いチョコなら手元にある。ほら、これ使え」
要らないと言っていたのに突然欲しくなったらしい智将が持って帰ってきた紙袋からガサゴソと箱を数個取り出して渡してくる。
「全部有名ブランドの高級チョコじゃん。一箱三千円以上するのにこれを溶かせと? 正気? 一体誰からこんなものを」
「俺らのファン。よく応援しに来る年上の女が何人かいたろ。俺と主人で仲良く食べてください、だとさ」
「!? おれにもくれたってこと?」
「そんなことはどうでもいい。葉流火にはやったのに俺にはくれないのか?」
「そういうわけじゃ……。別に意味なんて無いよ。葉流ちゃんが欲しいって言ってたからあげただけだし」
「へぇ? それでわざわざ、溶かして固まるまで待つっていう面倒な作業までしたのか。……でもお前、葉流火がどういう意味で欲しいって言ったのか分かってるよな?」
「………………」
智将はおれの葉流ちゃんに対する中途半端な態度に苛立ってるみたいだった。
「葉流火には随分とお優しいことで」
「……あげちゃいけなかったの?」
「まさか。ただ俺も主人からの情けを恵んで貰いたいだけだが?」
今度は智将に左手を救い取られ、手の平にキスされる。意識しろと言わんばかりのリップ音が一つ。固い意志を宿した双眼でじっと見つめられた。
葉流ちゃんのカラメルのような眼差しとは似てるようで違う。例えるなら炎で炙ってブリュレ化したかのように上の部分だけコーティングされている。まるでその下にある何かが溢れ出てこないよう蓋をするみたいに。
おれに隠したいのか曝け出したいのか分からないし、おれも暴きたいのか気付かないフリをしたいのか分からない。けど、求められてることだけは分かるから拒絶することは出来なかった。
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“自分”相手とキスするようになったキッカケは食べ物の口移しだった。半分遊びのようなもので、もう半分は彼女が出来た時に備えての練習。だから“自分”とのキスに意味なんて無いし、お互いキスしてもいいかなんて確認したりしない。
いつでも、したい時にしていいのがおれたちの暗黙のルールだった。なのに……。
「んっ」
「…………」
ファンから貰ったらしい高級チョコレートの箱を開け、一粒咥えて智将へ口渡しする。智将は顔を傾けてゆっくりとおれの口を覆った。
長い指が後頭部と項を支えてくる。チョコは互いの口の中でみるみると溶けていった。
舐めて溶かしてまた舐める作業は固形物が溶け切るまで続く。もうチョコレートを味わっているのか互いの唾液を混ぜてるだけなのか判断が難しくなった頃、智将が新しいチョコをおれの口の中に入れた。
「美味いか?」
正直、高級チョコを味わう余裕など無い。智将とのキスはドキドキしてゾワゾワするのに気持ち良くて何も考えられなくなってしまう。
「うん……」
カカオの香りで酔ってしまいそうなくらい、強くて濃厚な風味が口全体に広がっていく。
「主人、俺に“頂戴”」
一粒目と同じようにチョコレートを口に含んだまま智将へキスした。開かれた咥内へ小さくなった塊を移す。智将の舌はおれの舌を迎え入れて器用にチョコを間に挟みながら動いた。
ぬろぬろと舌同士を擦り合わせられるとその分チュルチパといった水音も鳴る。おれは恥ずかしさに耐えながらチョコを溶かす作業をひたすら繰り返した。
おれからキスをするのを求められたのは今日が初めてだった。
智将がおれに何かを指示することはあっても、してくれと頼んでくることはあまりない。だから求められた時は応えるようにしている。
「……も、いい?」
「まだ三つも残ってるぞ、主人」
「全部食べるの……?」
「勿論。ファンの望み通り一緒に仲良く食べような」
本命も義理も断ったくせにどうしてこれは持って帰ってきたのかようやく分かった。チョコクッキーの件が無くてもこのチョコはこうやって食べるつもりだったのだ。
ふと一つの可能性に思い当たる。もしかしておれの葉流ちゃんへの曖昧な態度にではなく、智将より先に葉流ちゃんにチョコをあげたから苛立ってたんだろうかと。
智将が葉流ちゃんに焼き餅焼くなんてあまりピンとこない。葉流ちゃんと仲良くしてるおれに焼き餅焼くならまだ分かるけどそういう感じでも無かった。
智将と葉流ちゃんはずっと親友の距離感を保ってる。記憶が欠けてるおれには太刀打ち出来ない二人の絆がある気がした。だから葉流ちゃんとの関係を変えたくなかった。智将と同じでいたい。けどそれは多分無理で、いつかは選ばなきゃいけない時が来るんだろう。
智将が吐息混じりに甘やかなテノールで「主人、続きは部屋でするぞ」と言う。ぼやーとしている間に抱っこで自室に運ばれ、ベットに押し倒されながらキスされた。両手は智将に恋人繋ぎで縫い止められて動かせない。
捕食者然とした智将の様子にこれのどこが王子様に見えるんだろ、と女子たちを不思議に思った。全然優しくなんてないし、意地悪で素直じゃないし、おれと似ててポンコツなとこもあるのになぁと考えながら智将と舌を絡める。あと、おれが嫌がっても無視してえっちなことしてくるから紳士とは真逆だ。本物の王子様はそんなことしない。
こく、とチョコと二人分の唾液が混ざったものを飲む。飲みきれなくて口の端から零れてしまったものは智将が舐めとった。はぁ、はぁ、と呼吸を整えているとシャツのボタンを一つ一つ外される。
またアレされるのかな?
スラックスと下着も脱がされあっという間にすっぽんぽんにされた。素肌を撫でられ鎖骨の下にキスされる。どうやら口付けする場所が広がってしまったようだ。
それから全身をちゅっちゅぺろぺろされ、おれは羞恥の限界を迎えて泣き出した。にも関わらず智将はゾッとするような悦楽の笑みを浮かべて「可愛い」と宣う。
あ、悪魔やんけ。本当にこんな男のどこが王子様なんだよ、と心底思いながら智将が満足して舐めるのをやめてくれるまでおれはずっとえぐえぐ泣いていた。
【終】