きほんのき『笑顔がかわいい』
相方のいいところをフリップで発表していくコーナーで髙羽が書いたわずか7文字を、MCが大げさにひろう。
「今めちゃくちゃスンッてしてるけど!?」
「いや、本当普段はこんなだけど笑うんすよ!」
「そうなん?羂索?」
「面白かったら笑いますよ」
「それ大学ん時の俺じゃねーか!」
「二人は同級生とかなん?」
「いや」
「全く」
収録を終え、楽屋に戻ると既に弁当片手の髙羽がいた。オマエもいる?お茶だけでいいや。緑色のペットボトルを受け取って一口飲んで、なんとなく尋ねる。
「髙羽私のことかわいいって思ってんの」
「んー?普段は全然」
普段は。その言い方だとあるってことだろ。たまに。もしくはしばしば。手にある緑茶ぐらいの苦い顔で、じゃがいもにバターを塗っている髙羽を見る。そこの弁当なんだ。じゃあもらってもよかったかも。
「でも俺多分、オマエ史上最高の笑顔見てるからな〜」
「自信がすごい」
「無いよりいいだろ」
「まあ、君の術式的には」
そうなの?とでも言いたげな顔でカレーを頬張る髙羽を横目に早々に荷物をまとめて楽屋を後にする。明日何時だっけ。オフだよ。そっか、じゃあまたな。
エレベーターでエントランスへ。守衛に挨拶して自動ドアを抜ける。向かいの歩道へ渡ったら、人通りの少ない道をそのまま駅の方面に歩いて行く。何の変哲もない道中。そこに文字通り降って湧いたようなトラックが、ボウリングでスペアを狙うが如く弧を描いてこちらに命中。歩道だぞ。吸血鬼でも乗せてるのか。
既視感とサイレンの音が混ざり合う中、よくある演出そのままに視界が暗転する。目が覚めたら病院ならば上々。
「オマエって保険証とか持ってんの?」
「あるよ。この顔のやつなら」
「怖いこと言わないでくれる?」
診断名は完全骨折。
取り急ぎ、と手渡された過不足のない入院に必要なもの一式から根は真面目なのが窺える。コンビニで買ったにせよ、術式で誂えたにせよ、髙羽の内から出たものという点では違いはない。ここは素直に受け入れておく。
「ケガで入院なんてしたことがないよ」
「1000年だっけ?生きててもまだ初めてのことってあるんだな」
「そうだね」
おもむろに出てきたパンダのパペットを頬に押しつけられる。奪っちゃった〜じゃないんだよ。起因が不明瞭なのは引っかかるが、この状況自体はパペットと同じく十中八九髙羽の術式なんだろう。さて、ならばどうしてこんなことになっているのか。その答えはわかっている。
「君さぁ、骨折してギプスつけて包帯ぐるぐるで入院してる相方ちょっと面白いって思ってるだろ」
絵に描いたような図星のリアクション。
身体の具合にそぐわない、ギャグ漫画でよく見る全身ぐるぐる巻きの包帯姿で目が覚めた時から妙だとは思っていた。本当に折れていそうなギプスのついた右足以外の包帯は髙羽が来る前に勝手に解いた。からなのか、病室の扉を開けた髙羽のリアクションは存外心配の方が勝っていた。ちなみに反転術式は使えない、というか効果がなかった。なんでだよ。
明後日の方向を向いていた髙羽が錆びついた歯車のような動きでこちらを向く。目が合う。引きつった口角とウインク。
「やっぱ君のせいなんじゃん!」
「ごめーん!」
つくづく恐ろしい術式だ。術師本人に殺意がないからか、対象が私だからか、大事に至らないようだが。これに関してはわからないことが多すぎる。おそらく、本人も。
両手を顔の前で合わせてギュッと目を閉じた絵文字のような仕草で謝意を表した髙羽は、その修飾先はあいまいなままにして、ビニールの袋からお見舞いのゼリーを冷蔵庫に移している。ぶどうがいいと告げると、奇遇だな!俺もだ!と、2個目のゼリー片手にこちらを見た。みかん。ジャンケンか⋯というか君も食べるのかよ。
透明のスプーンで紫色のゼリーをすくいながら考える。どこからが髙羽の術式なのか。
あの時ならいざ知らず、仮にも今コンビを組んでいる相方に脈絡もなくトラックをぶつけてくるとは考え難い。ならばあれは本当に?
今だって見方によっては軟禁の様相を呈しているのだが、そんなことは思いもしない様子でテレビカードって病院によって同じ金額でも見れる時間違うって知ってた?などと問いかけてくる。この私を相方にしようだなんて考える人間だ。通念に照らし合わせるのは程々に、可能性を模索した方がいい。何事も。
私たちは互いを知らない。笑いというただ一点に於いて、こうして今日がある。
「いつまで入院させるつもりだよ。正直出オチだったでしょ」
「病院ネタの精度は上がるぜ」
「私のアンテナに懸けすぎだろ。こちとら骨折れてんだぞ」
「毎日ひとネタ持ってお見舞い行くから」
「それはちょっと見たいけど⋯ここじゃネタ合わせしづらいよ。コンビだろ、私たち」
刹那、病院とは思えない音量で病室の引き戸が開き、溌剌とした看護師の声が響き渡る。羂索さんすっかり治ってますね!退院です!
ギプスに患者衣姿で聞いたその台詞に、は?の一声も発さない内にベッドどころか病院ごと消えた。
どこからどこまでが現実なのか。何の違和感もない右足に違和感すら覚える。
「こっわ」
ま、面白いからいいか。
そう言って思わず笑ったら、隣で髙羽がつぶやいた。
「やっぱ間違ってなかったな」
「何が」
「フリップの答え」
「しばしばじゃん」
「何が?」
揃いのスーツでしっかりと両足を地面につけて、夕暮れの街を二人、歩いている。
笑いというただ一点。それさえあれば。