いろはのいファミレスの扉を引いた先の小さな空間を、風除室と呼ぶらしい。外から店内に直接風が入ってくるのを防ぐための場所。さしずめ前室といったところか。
雑談、ネタづくり、解散の話。今まで何度も訪れては実りがあったりなかったり、はたまた全部枯らしたり。ここは俺にとってそういう場所だった。
店員の二名様のご案内でよろしいですか?の声に笑顔で応えたロン毛の男は、案内された席までのほんの少しの距離を何か考えているようないないような顔で、向かいに座るなり一言。ファミレスといえばさあ。
「私の連れが従業員燃やしたことあるよ」
「炎上ってコト⋯?」
「ううん。物理的に」
「極悪人じゃん!?」
突拍子もない思い出話は、嘘か本当かわからない。
従業員っていうか店ごとだったか、なんて続けざまに言われてもさっき以上のワードではツッコめない。何故ならその極悪人の連れもまた極悪人で、なおかつ俺の相方だから。
メニューを眺めながら私あんまりお腹空いてないんだよね、と言いつつも早々にベルを押す。髙羽は?そういうのは押す前に聞くもんだろ。とりあえずドリンクバーで。
「ドリンクバーふたつとミックスグリルとライスで」
「いやめっちゃ食うな?」
注文を終えたところで飲み物を入れに立とうとすると、頬杖に片手を上げて私ウーロン茶氷なし〜の声。自分で行け自分で。
立ち上がる気配がまるでないので仕方なく一人向かったドリンクバーコーナーから見える、レジ横の棚。小さなスペースに並ぶお菓子やおもちゃ。統一感のないごちゃごちゃのそれは見てるだけでなんだかワクワクした。買ってもらえることはほぼなかったけど。ふとよみがえった幼少期の記憶は一旦しまっておいて、アイスコーヒーとウーロン茶を手に席に戻ると、すっかり揃ったご注文の品を前にナイフとフォークを手にしているところだった。早いな。ボケなのかマジなのか判断がつかなかったが、食うならいいか。
ミックスグリルのチキンから食べているロン毛に、今日の本題を切り出す。
「呪力のコントロールね」
まずはこれ。よくわからんが、わからんなりにわかっておいた方がいい気がする。そう思って問いかけたものの、返ってきた答えは予想とは違っていた。
「いいんじゃない。できなくても」
「え、危なかったりすんじゃないの」
「君の場合、危害を加える意思がないんだし。面白いことにしかならないわけじゃない?」
「そう⋯かも?」
「世界を変えられる術式なのにさあ。本当、邪悪な人間が持ってたら今頃どうなってたことやら」
「オマエみたいな?」
「そうそう⋯⋯って誰がやねん!」
「なんでいきなり関西弁!?」
「何人か前は関西人だったから」
「ウソかホントかわかんないこと言うのやめろよ⋯」
本題がものの1分で片付いてしまった。片付けていいのか。そもそも相談する相手が違ったのかもしれない。が、正直そこの真偽より後半の方がひっかかる。
この間だって額の縫い目のことを昔トラックにはねられた時についた傷痕で的なエピソードトークに仕立てていたが、得られたものといえば『過去の傷も隠さずさらけ出して笑いに変える羂くんつよつよ♡』みたいなSNSの反応。暗転した画面に映った苦虫を噛み潰したような顔の俺の背後から、エゴサするのやめな〜?なんて、全く意に介さずの当人。私の場合一から十まで本当のこと言ったとしても世間から見たらそれこそ嘘になるよ、だと。
いくら漫才やコントにも設定という嘘はあるとはいえ、なんというか、コイツはまるで。
薄っすらとした情報によると、この外見さえ人様のもの。よく知らないが良くはないだろ。そう思う一方で、俺は目の前のコイツしか知らない。アイスコーヒーを啜る。不意に目が合う。同じような色。
「これが私だよ」
「⋯人の顔じゃん」
「君だって塩顔のイケメンがロン毛で袈裟着てるだけでちょっとおもろいって思ってたじゃん」
「コイツ⋯人の脳内を勝手に⋯!?」
読心術か年の功。もしくは1000年で培われた洞察力。1000年ってなんだよ。それだけの時間を生きてきたら、人の脳内だって読めるようになるのかもしれない。脳。コイツの本体というのか、それは見たことある。だけど当然あったはずの元々の顔は。
「覚えてないんだよね、1000年も生きてると」
俺の脳からワードを抄っているのか、ただ思考が読みやすいのか。ひょっとしたら顔に書いてあるのかも。自分の顔は自分じゃ見えない。鏡っていつからあったんだろうな。
「感謝祭の並べ替えクイズってあるじゃん」
「あるね」
「あれに歴代自分の顔が出てきても正解できる自信ないね」
「じゃあ俺が早押し最速一位とってやるから教えろよ、歴代オマエの顔」
一瞬面食らった顔をしたかと思えば、結構な声量で笑い出す。いつまで笑ってんだよ。ボケじゃねえっつうの。
長くなるから食べてからでいいかな?ゆっくり食えよ。あと私もアイスコーヒー。氷なし?あり。
「歴史の授業⋯?」
「相方史」
「1000年にも及ぶヤツはいない」
「それが君の相方だよ、髙羽史彦」
「どれが気に入ってるとかあんの」
「今のかな、君と出会った顔だから」
「あっ⋯そぉ⋯」
ホストかオマエは。さらっと適当な言葉で人をときめかすな。ときめくな俺も。
覚えてないなんてことはなかった。嘘か本当かわからないし、確かめる術はない。なら別にいいか。虚構だったとしても騙されてみれば。今目の前でネタ帳代わりのノートに書かれていくネタのような簡易な年表が、俺に提示された相方の人生。たまに描かれる挿絵。面白すぎるだろ。こんなヤツ。
「ここは間に犬が入るから簡単」
「ワンちゃんだったことあるのぉ!?」
講義のようにきっちり90分でお送りされた本日の相方史は、とりあえず終了。全問正解できるようになったら払うよ。そう言って人に会計を任せて扉を押すロン毛の相方の背を、レジ横のテープみたいな外国味のガムも買って追いかける。
「食い逃げ!」
「逃げてないし」
「逃さねえし」
ノリと勢いでつかんだ腕と自分の台詞が思いのほか重く響いて、ほんの2秒の気まずさ。
「ていうかそのガム今あんまり売ってないはずなんだけど」
「普通にレジ横にあったけど?」
「細かすぎて伝わらない術式じゃん」
ガキの頃面白いと思ってたそれが時を経て今俺の手の中に⋯なんて壮大なものではないが、この2秒を帳消しにできるなら。つかんだ腕を放す代わりに手渡した紫色のケースから、テープのようなガムを30cmぐらいカットして返してくる、容赦ないヤツ。
君が面白い限り、私はどこにも行かないよ。
振り向きざまに言われたそれだけは本当だと思うことにするからな、相方。