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    ぐれい

    @gray_i_my
    世界征服組、元相棒、中央東主従

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    ぐれい

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    レモラバ未来捏造 すれ違いと仲直り タグに困っているのでよければ判断してツイートから投票お願いします(?)あとで諸々修正する

    未定 スマートフォンを投げ出しそうになるのを、堪えた。溜息の方は堪えることに失敗した。幸せが口から逃げていくのよ、と幼い頃に母から教わったような記憶があるが、卵が先か鶏が先かの問題じゃないかと疑ってしまう。疲れているのかもしれない、捻くれた考えはよくない。眉間をほぐす。万が一にも皺なんてできてしまったら、唯一の取り柄にもキズがついてしまう。
     ヒースはエゴサなんかするな。時間がもったいない。オレの評価を疑うのか。そうシノからはよく言われるし、自分でも向いていない自覚はある。カインにもSNSと付き合うコツをアドバイスしてもらうけれど、根本的に彼と俺では物事の捉え方が違うから、勉強にはなるけどなかなか難しいものがある。それでも、どうしても、検索をする手が無性に止まらなくなる夜があった。
     明日も早いから、眠らないと。
     充電器に繋いで、手を離す。目を瞑る。
    『シノくんってアイドルなんだ!? 知らなかった』
    『まあ実際、最近の本業は俳優って感じだけどね」
    『アイドルかあ、想像つかないな〜 俳優ずっとやってくれますように!』
     脳裏に、さっき目にしたやり取りが浮かぶ。エゴサーチと呼ぶのは少し不正確だ。自分というより、シノの名前で検索をかけることが多かった。
     高校時代に結成したレモンパイラバーズというユニットで、シノと俺は今でも活動していることになっている。少なくとも事務所の肩書上は。けれど、相方のはずのシノと最後に顔を合わせたのがいつだったかはっきりと思い出せないほどには、俺たちの活動は道を分けている。事務所が借り上げたマンションの隣部屋に住んでいるにもかかわらず、挨拶さえろくにできていないのだ。舞台を主戦場としているシノと、雑誌やテレビの仕事がメインの俺とでは、活動時間も場所もなかなか合わない。
     俺は去年大学を卒業した23歳、1個下のシノも22歳。若手アイドル、と銘打てる期間はそう長くない。それなのに、アイドルユニットとしての活動は、年に一度くらいのリリイベや、たまの配信くらいしかできていない。さっきのようなファンの反応が良い証拠だ。メインのはずだったアイドル活動が、疎かになってしまっているのだ。
     焦っている。2人で輝こうと誓った言葉が、手の届かないところに行ってしまいそうで。


     卒業公演に来た事務所のいくつかから声をかけてもらって、シノと話し合って、揉めて、今のところにお世話になることにした。そもそも、卒業後もアイドルを続けるのかどうかで、長いこと言い争っていたのだ。俺の実家のこと、大学のこと、金銭的なこと。どうにか卒業公演までに折り合いがついて、1年シノの卒業を待ってから、本格的にアイドルとしてデビューすることに決めた。事務所の大きさや方針も様々で、比較して、ここでもまた意見が分かれてぶつかった。はじめはできるだけデカいほうが強い、とシノが譲らなかったが、俺もきちんと意見を汲んでくれそうなところがいいと反論して。危うくデビュー前にまた解散するところだった。先にデビューしていたカインやルチルにもかなり相談に乗ってもらって、なんとか話がまとまった。2人には頭が上がらない。
     
     事務所に所属したての頃は、ふたりで行動を共にすることが多かった。ユニットとして活動する以上、セット売りの戦略は欠かせない。業界内での営業活動もしたし、ファンに向けてのSNSなどでのアピールもマメに行っていた。空いた時間があれば練習室を借りて歌や踊りに専念したし、徹夜でライブ映像の研究なんかもした。仕事は今と比べることもできないほど少なかったけど、ずっと隣にいた。どちらかの部屋で寝落ちたまま朝を迎えるなんてこともザラで、どちらが自分の部屋かわからなくなるくらい、境界線が曖昧だった。今でもクローゼットの中に自分では着ないテイストの服が紛れているのは、その名残だ。返せばいいのに、なんとなく惜しくて、見なかったふりをしてしまい込んでしまう。
     
     芸能活動と並行して、俺は大学に通っていた。大学に行くことは迷っていたけれど、シノが後を押してくれたのだ。
    『やりたいんだろ。やればいい』 
     小さな頃から、細かいものを弄るのが好きだった。ラジオや時計を、分解して、組み立てて。家業とは関係ないし、アイドルにも必要がないけれど、工学の道も考えたことがないわけではなかった。アイドル活動のことを考えれば学業は遠回りになる。学びたくなったときに大学に入ることもできる。だから大学には進学しない、と決心してシノに告げたときに、言われた言葉だ。
    『芸能人としても人間としても、武器は多い方が強いだろ』
     シンプルなその言葉に、言い訳をして楽な方に流れようとしている自分を恥じた。芸能活動に遅れをとる焦りもあったし、学業との両立も厳しかったけど、結果的に行ってよかったと思っている。学歴が仕事に繋がることもあるし、自分の幅が広がる選択肢をとって正解だった。全部、シノの言葉のおかげだ。

     俺が大学にいる間、シノはアルバイトに精を出していた。飲食店や舞台スタッフ、その他聞くたびにいろいろな職種が出てくるものだから、心配したものだ。バイトだけでも体力を使うだろうに、夜は練習や研究に打ち込んで、朝は俺を叩き起こしてまたアルバイトに出かけていく生活。いくらシノがタフとはいえ、身体を壊しては元も子もないというのに。そう何度も忠告したけれど、立ち止まる余裕があったらとっくにそうしていると、シノは聞かなかった。
     俺たちの環境が変わり始めたのは、デビューから半年くらいの頃だった。
     シノは、事務所の紹介で舞台のスタッフのバイトをしていた。その舞台のアンサンブルさんが稽古中に負傷してしまい、急遽代役を務めることになったそうだ。シノはもともと身体が動くから、見事に代役を果たした。殺陣の激しい演目とは聞いていたが、シノは練習の様子を見せようとしなかったから、観劇して驚いた記憶が強い。予想以上の動きだった。終演後、サプライズの方が驚くだろ、と鼻を明かしていたシノを見て、いつも通りだとほっとしてしまったほどに。
     シノが、別の次元に行ってしまったと思った。
     演出家さんの期待以上だったのか、気に入られたシノは、本格的に舞台の世界に足を踏み入れた。
     おめでとう、と素直に喜べたのはいつまでだっただろう。吸収が早く、身体で覚えていくタイプのシノは、演劇と相性が良かったのだろう。ぐんぐん伸びていくのが目に見えてわかったし、それに比例して、スケジュールもどんどん埋まっていった。
     舞台は一作品あたりの拘束期間が長く、連日本番があるハードな世界だ。シノはアルバイトを全部辞めて、昼も夜も、稽古に明け暮れるようになった。本読みをするから、明日も早いから、とまっすぐ自室に帰宅するようになり、部屋を行き来することはぐっと減った。
     あっという間に頭角をあらわしたシノは、2年も経てば、有名な作品の舞台化に抜擢されるまでになった。公演期間は他の舞台に比べて格段に長い。地方公演もあり日本中を移動する。公演内容も質が高いため、稽古もみっちりと行われる舞台だ。オファーを受けてしまえば、少なくとも半年はそれ一本に絞った活動になる。当然、アイドルとしての活動をする余裕はない可能性が高い。
     シノが迷いを見せたのはこの時が初めてで、今のところ唯一だ。キャリアのためになることは間違いない。俳優としてこの上ない名誉だ。シノの目指しているものがアイドルだという点を除けば、断る理由などどこにもない。
     俺の本心としては、断ってほしい気持ちもどこかにあった。このまま道が分たれていってしまうかもしれないと思うと、素直に応援する気持ちが曇ってしまう。けれど、今度は自分が背中を押す番だった。
    『おまえが迷うってことは、やりたいことなんだろ』
     やるつもりがなければ、キャリアだなんだと考えず、すっぱり断るのがシノの性格だ。迷うのは、俺に遠慮しているか、アイドルと俳優を天秤にかけるのを避けているからか。もし、俳優の方に傾いてしまえば。いや、それを恐れているのは、シノより自分の方かもしれなかったけれど。声が震えないか、表情を取り繕えているか。芸能人の端くれとして、見せ方をコントロールする術を知っていてよかった。
    『俺は、応援するよ』
     輝きを増した瞳が、しばらく焼きついて離れなかった。その時からシノは迷わず仕事を受けるようになったと思う。顔を合わせる度に、輪郭が鋭く尖って、洗練されていく。どこか幼いところがあった少年から、風格を備えた青年へ。自分の知らないところでシノが知らない人になっていくようで、必死に変わらないところを見つけて、安心したがっていた。


     今現在、シノはまさに地方公演中だ。東北、関東、中部、関西、九州、東京凱旋というロングラン公演の、折り返しのあたり。各地の名物や観光地の写真がSNSに上がる度に、無事を知って安堵する。シノは環境の変化に強いけれど、俺はあまり得意ではないから、要らない心配をしてしまうのだ。
     初めての長期遠征の頃は個人のメッセージアプリでも毎日欠かさずおはようとおやすみを送りあってたけれど、慣れてからはそれもなくなった。雑誌の撮影の打ち上げで、画面を覗き込まれて『彼女?』と揶揄われたのが少し恥ずかしかったのもある。
     つまり、シノと個人的な関わりはほとんどないと言ってしまえるのが現状だ。これまでは不満があったらぶつけ合って仲直りできていたけど、顔を合わせない以上、言えていないことが募るばかり。
     これが俺たちの目指していたことなのか?
     最近はそんなことばかり考えてしまう。俺は「アイドル」になりたかったのか、「芸能人」になりたかったのか。それとも「シノと一緒に」輝きたかったのか。
     うじうじと悩むのは良くない癖だ。シノには迷いが見えない。ずっと隣にいたのに、似ることはなかった。シノと自分は別々の個体なのだと言ってしまえばそれまでだけれど、なぜか無性に、寂しい。確かにシノが自分の半身のように思えていた時期はあったはずなのに、もう、遠い昔の幻のようで。
     唯一シノが迷いを見せていたあの時を思い出してしまう。シノは、自分がいない方が身軽なんじゃないか。自分が、ユニットが、シノの足枷になっていたとしたら。
     シノのためを思うなら、解放してやるのが優しさなのかもしれない。



     東京凱旋大千秋楽を無事に終えた写真が上がった。キャスト全員が集合した写真の中でも、シノがどこにいるかはすぐにわかってしまう。いつだって眩しくて、存在感があって、目を引かれてしまうから。
     公演期間が長かった分、いつもよりはオフの期間も長くもらえたらしい。オフといっても体力バカのシノのことだから、次の日にはトレーニングに出る姿が目に見えるけれど。
     シノが一作品終える度に、1日おいてお疲れさま会をするのが恒例になっていた。今回も、シノから時間や場所の確認のメッセージがきている。いつもなら楽しみで仕方がないのに、今は変に緊張してしまっている。こんなことは初めてだ。
     ドアノブが回る音。今日の会場は俺の部屋だった。インターホンぐらい鳴らせよと注意したのは最初だけで、今では慣れてしまった。むしろ今さら鳴らされたら他人行儀に感じてしまって傷つく気がする。シノはそんなこと全く気にしていないだろうけど、俺は面倒な性格だから。
    「ようヒース、腹減った」
    「久しぶり、お疲れ様。ご飯できてるよ」
    「やった」
     ご飯を見て頬を緩ませるのは、変わらない。また変わらないところ探しをして安心している自分がいる。それほど、シノは舞台を終えるごとに別人のように磨かれていくから。仕事を自分の糧にして、みるみるうちに先に進んでいく。置いていかれる。見てくれだけが求められる小手先の仕事ばかり受けている自分は、比べ物にもならない。モデルの仕事をさせてもらっているけど、本業のモデルさんの域には到底及ばない。テレビだって、ただにこにこしていればいいポジションだ。
     自分自身の成長を感じない、若さと容姿を消費されるだけの仕事に、いつまでも甘んじている。数年も経てば、自分より若くて見た目の良い後輩が次々に入ってくるだろう。今の枠を奪われた俺が、次に立てる場所はあるのだろうか。
    「ヒース?」
    「ああ、ごめん。座ろうか」
     ダイニングテーブルに向かい合わせて座る。2人分の食事を作ったけれど、食欲がないから、シノの胃に1.8人分くらい吸い込まれていくだろう。俺は20を超えた途端に胃袋ががくんと衰えたのに、シノは今でも食べ盛りだ。小さな身体のどこに入っているのか不思議だけど、見ていて気持ちがいい。
    「簡単なものしか作れなくてごめんね。てっきりネロのお店に行くと思ってた」
    「あいつの飯も美味いからな。でも、ヒースの飯を食べたい気分だった」
    「素人料理だけど……」
    「ヒースがオレのために作ってくれたってのが嬉しいんだ」
     シノはたまにびっくりするくらい殺傷力の高い物言いをする。相手が相手なら転げ落ちてしまうに違いない。俺だってまだ慣れないくらいだから。
     ぺろりと平らげて、美味かったとシノは笑う。皿を下げている間も、椅子を立とうとはしない様子だった。このまま泊まっていくつもりなのか、なにか話したいことでもあるのか。話したいことがあるのはこちらだ。
     今だ、と思った。今言えなければ、今後もずっと、この気持ちを呑み込んだまま、胸の内に抱えたまま、後ろめたさと付き合うことになると思った。シノの真向かいに座り直す。改まった雰囲気を感じ取ったのか、シノが首を傾げた。
    「シノ」
    「なんだ」
    「俺たちさ、解散しようか」
     和やかだった空気がひりつく。コップを下げたのは間違いだった。口がひどく渇いていることを自覚する。
    「理由は」
     冷静に聞き返せるだけ、シノは大人になった。昔だったら、この時点で言い争いになっていたはずだ。これは変わったところ。
    「シノは強いよ。ひとりでどんどん駆け上がってる。
    俺は、……シノの足手まといにはなりたくない」
    「何を言ってる? ヒースだって引っ張りだこだろ」
    「俺の仕事は、実力が評価されてるわけじゃない。シノはさ、舞台一本に絞ったほうがいいんじゃないの」
    「アイドルは辞めろっていうのか?」
     シノの声に怒りが混じり始めた。まだだいぶ抑えられているけれど。
    「嫌だ。オレはお前とステージに立つために仕事を受けているんだ」
    「釣り合わないよ、ちゃんと俳優として活躍してるおまえとは」
     切れた。シノの中の何かが、ぶつりと千切れた音がした。それでもシノは声を荒げることをしなかった。その分、低く重たくなった声の圧で空気がびりびりと震える。
    「ずっとそうだったろ。ヒースと釣り合ったことなんてない。おまえは全てを持っている、ないのは自信だけだ」
     シノは大きな目を伏せた。爆発しないように、なんとか堪えている様子で。ありのままにぶつかってきてくれなくなって寂しいな、と変に冷静な自分が言う。
    「性格も、学も、見た目も、ご両親も、オレにはない。釣り合ってないのはオレの方だ」
    「シノ」
    「オレは何も持ってないから、おまえの隣に並べるよう、できることはしてきたつもりだった。おまえは、オレの行為を否定した」
    「……そんなつもりじゃ、」
    「そう聞こえた」
     一拍置いて、シノが目線を上げる。深紅の瞳に、腐った心臓を射抜かれた。
    「おまえが解散を望むなら構わない」
     切り出したのは自分のはずなのに、嫌だ、と叫び出してしまいたくなった。せっかく久しぶりに会えたのに空気をめちゃくちゃにした勝手さに自己嫌悪する。俺は臆病で、我が儘で、寂しがりで、シノに置いていかれるのが怖くて、羨望と焦燥と嫉妬をぐちゃぐちゃにして、シノを傷つけてしまった。
    「……ごめん、疲れてるだろうに」
    「いい。今日は帰る」
     音も立てず、身体の軸を失ったような歩き方で、シノは部屋を出て行った。隣室の扉の開閉の音が聞こえる。
     俺は、いつから間違えているんだろう。



    ***

     長い間空けていた部屋は、よそよそしくて肌寒い。ヒースの部屋の方がよっぽど居心地がよかった、と思い知る。時々ヒースが掃除に来てくれていたおかげで、埃っぽくないのはありがたいが。上着を脱ぎ捨ててベッドに身を投げ出す。ヒースに見られたら行儀が悪いと叱られるだろうが、ここにヒースはいない。
     ヒースの言葉がこだまする。本気であの言葉を言ったなら、ヒースはなにもわかっちゃいない。足枷になっているのはオレだ。
     舞台は、現地に足を運んでくれた客に、最高のパフォーマンスを提供する仕事だ。編集もやり直しもきかない仕事だから、それは舞台にしかない苦労もある。そのせいか、ヒースはやたらとオレを褒めて自分を貶すけれど、まったく理解できない。あいつの出ているテレビも雑誌も、空間を隔てた相手に最大限の魅力を伝える立派な仕事だ。生で見るより距離があって鮮明さが失われる分、同じくらいの輝きを発揮するのは別の難しさがあるはずだ。ヒースは周りにいる誰よりもきらきらして見える。贔屓目なんかじゃない。それに、日本のどこにいても同じように応援できるのは、ファンにとっても嬉しいことだろう。オレだって地方公演中も欠かさず、ヒースが出ている朝の情報番組を見ていた。
     ヒースがそれに出始めた頃は、多くいる若手のうちのひとりだった。売り出し中の若手が、ネットでバズっているものを日替わりで交代で紹介するような小さなコーナーだ。どいつもこいつも似たようなやつばかりが出ている中で、ヒースはずば抜けていた。スタジオからの急な質問にも柔軟に答えていたし、時折付け加える豆知識には知性が滲み出ていて、スタジオも感心していた。ハプニングがあっても機転を利かせて場を繋いでいた。学園時代のライブではしょっちゅうだったから、どちらかと言えば不得意だったヒースも昔よりは慣れたのだろう。
     番組スタッフの目にも止まったのか、あるいは他の若手が脱落していったのか、ヒースの出演頻度は増えた。最近ではついにコーナーを飛び出して、週1ではあるもののスタジオのコメンテーターの席につくようになった。家柄もあって、ヒースは時事問題にも詳しい。かといって決して出しゃばり知識をひけらかすわけではなく、専門家にうまく質問をして、解説の流れを作るのが見事だ。品性や知性は付け焼き刃で身につけられるものではない。ヒースには、それがある。
     根性だってある。学園時代はオレが起こさないと寝坊寸前ということもあったほど朝は弱いのに、今ではひとりでもあいつが遅刻をすることはない。モデルの仕事を受けるようになってから、趣味だった夜中の機械いじりや読書も我慢して生活習慣を整えるようになって、体調管理にも気を遣っている。我慢の連続でつらいことも多いはずなのに、あいつはなんてことないような顔をしてやってのける。弱音くらい吐いたって誰も責めないのに、オレにすら、滅多に見せてくれない。あいつは意外と見栄っ張りなところがあるから、年下のオレに情けないところを見せたくないんだろう。悔しい。カインのような気を許した先輩にはよく相談しているらしいから、まだいいけれど。
     知的なイメージで売り出す路線がハマったらしく、クイズ番組の出演が決まったとマネージャーから聞いた。地上波の力は大きい。ヒースはどんどん売れていく。
     タレントとして売れて、そのあと、アイドルとしての道に戻ることをあいつは望むのだろうか。それを考え出すと、誇らしい気持ちに雲がかかる。
     オレもあいつも、アイドルとしての知名度はまだまだだ。それぞれの道で成功すれば、アイドルとしての活動にもプラスになると思っていた。だが、たとえアイドルに戻ったとして、この年でまだ駆け出しのオレたちに、未来はあるのか。
     アイドルの賞味期限は短い、と舞台で共演したやつがこぼしていた。彼もアイドルの卵でありながら演劇に足を踏み入れている、オレと似たような境遇だ。
     長く輝けるのは限られた人間だけ。事務所の売り出し方からも、なんとなく感じる。アイドルに戻る路線をそれとなく先延ばしにするかのように、スケジュールが埋まっていく。このままでいいのか。オレの、ヒースの気持ちは、どこにあるのか。スマホを手に取った。

     歌って、踊りたい。ヒースの隣で。



    「待たせた、ごめん」
    「今来たところだ。悪いな、夜中しか練習室取れなくて」
    「ううん、なんかいいね。懐かしい」
     大きな鏡と簡易な音響設備だけのある、事務所の練習室。デビューしたての頃は、お前らだけで占領するな!と先輩に軽く嗜められたほど、ずっと篭っていた場所だ。
     ヒースは端のほうに荷物を置いて、上着を脱ぐ。初めからジャージを着てきたようだ。ヒースが着ればジャージも上等なスーツと変わらないけれど。
     軽く体をほぐす。オレは体を動かす仕事が多いからいつものことだが、ヒースは鈍っているかもしれない。
     体があたたまってきた。目が合ったヒースも頷いたから、準備完了だ。プレイヤーを弄って、曲を流す。
     どちらともなく、自然と音楽に身を任せはじめた。1曲目、2曲目、プレイヤーからシャッフルで流れてくる曲に合わせて、言葉もなく踊る。鏡越しに見えるヒースの口元が動いていて、自分も口ずさんでいたことに気がついた。
     どうしても体格が違う分、振りを工夫して、どうしたらシンメトリーに見えるか夜な夜な研究していた。さすがに細かいところは落としてしまうけれど、半身のような呼吸はそのままで、体が熱くなる。羽を得たような感覚を、2人ならどこへでも行ける気持ちを、取り戻す。
     お互い練習の時間もろくに取れていないはずなのに、どちらも振りを忘れていない。それが、答えだ。
     曲が一巡したのか、プレイヤーが静かになる。ヒースは肩で息をして、座り込んだ。
    「鍛え方が足りないんじゃないのか」
    「はは、そうかも」
     オレも背中合わせで座る。汗でぺたりと張り付いて、でも、ヒースとだから不快じゃない。
     ヒースの呼吸が整うのを待つ。心臓の鼓動まで伝わってくるようで、だんだんゆっくりになっていく心音に、オレも気持ちが落ち着いていった。
    「この間はごめんね、突然解散なんて」
    「……いつものことだろ。で、どうするんだ」
     表情は見えない。けれど、この間のような靄のかかった声色ではないことは確かだった。
    「また、ふたりで、立ちたい。ステージに」
    「奇遇だな、オレもだ」
     ふ、と力が抜けて、ヒースにもたれかかる。緊張していたのか、オレらしくなく。いや、当然だろう。俺からしたら、ヒースの隣に立てているのは、奇跡の積み重ねのようなものだから。
    「マネージャーに相談しようか」
    「そうだな」
     瞼の裏にサイリウムの波が広がる。早く、本物をヒースの隣で見たいと思った。ステージの光に照らされたあいつは、何よりも眩しい。俺には眩しすぎて、焼かれてしまいそうになることもある。それでも、火傷してでも、隣という特等席を手放してなんかやらない。
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