しがふたりをわかつとも ――ロナルド君が、VRCに搬送されたとの報を受けた私は、矢も盾もたまらず、新横浜署を飛び出していた。
一昨日の晩から「サテツたちと遊んでくる」と言って家を出たっきり、連絡がなかったことを気にはしていたが、まさかこんな連絡を受けることになるとは思わず、内心の焦燥を抑えられない。署からVRCまでは、車でたったの五分の距離だが、それでもその時間すら惜しい。
何をしたんだ、死にたがりの君は。
車に乗り込み、エンジンをかける。一度落ち着こうと、ハンドルに額をつけて、はあ、と肺の中から息を搾り出して、動揺で上がった拍動を落ち着ける。
ロナルド君自身、この新横浜に馴染んで、こうして一人で出掛けることが最近増えていた。連絡手段を持たないが、新横浜市内にいればロナルド君は時々念話を送って来ることがある。私からそれに応えることは出来ない一方通行のもので、そろそろ通信機器を持たせようかと思っているのだが、十中八九どこかに落としてくるのでどうしたものかと考えあぐねていた。因みにロナルド君がそんなとんでもない能力を、事もなげに使って私に伝えてくることは大概その日の夕飯のリクエストだ。
そんなロナルド君が、二日も家を空けたのはここに来て初めてのことで、そろそろ誰かを伝って居所を聞きたかった私の下に飛び込んできたのが、搬送されたという連絡だった。
いざ、出発、というタイミングでスマートフォンが音を立てる。落ち着けた心臓が少し跳ねて、そして画面を見て再び激しい拍動を再開した。VRCからだ。
「はい、ドラルク」
声を落ち着けようと努めたが、果たして出来ているか分からない。向こうの挨拶すら時間が惜しく感じられて煩わしく、要件を求めるために余計なことを言わずに黙っていようと決めた。
「……なんだって……?」
私がVRCに到着すると、いつもの職員が玄関ホールで待っていた。案内されたのは、時々ロナルド君を伴った際に訪れる検査室や処置室ではなく、病棟の方だった。
病室のベッドの上で、ロナルド君が身を縮こめて横たわっているのが見える。私はその時点で既に電話で「事情」を聞いていたものの、その姿に焦燥を募らせた。
「ロナルド君」
声をかけながらベッドサイドへ駆け寄る。ロナルド君はぴく、と耳を動かし緩慢な動作で私の顔を見上げた。
「どら、こお……」
何故ロナルド君がこうなっているのか、分かっている。しかし。
髪は乱れ、目に普段の輝きがなくなっている。私の名を呼んだその唇は乾燥して逆剥けていた。痛ましいその姿に思わず声を詰まらせてしまう。
ロナルド君の震える手が伸ばされて、しかと掴む。その手は酷く冷たい。
「どうしてこんな……」
「ごめ……俺……」
悲壮が室内に漂う。私はもっと早くこうなることを予期すべきだった。そんな後悔の念が何度も過ぎった。そうであれば、ロナルド君にこんな辛い思いをさせずに済んだ筈だ。
しかし後悔してばかりではいられない。私は屈んで、ロナルド君の背に手を添える。
「さあ、ロナルド君……体は起こせるかね」
「う……ん」
なんとか身を起こすロナルド君を助けながら、私もベッドに腰を下ろした。私の肩に頭を乗せて寄り掛かるロナルド君は、たったそれだけの動作で呼気を荒げている。
「どら、こう……」
「分かっているよ……さあ、これを」
私は、出る直前でVRCの職員から、あるものを持ってくるように言われていた。それはロナルド君が望んだものだ。
「あ、どらこ……はやくぅ……」
「ああ、すぐに」
「はあ、はあ……」
目に涙を浮かべて、懇願するロナルド君。私は持ってきたそれの包みを開ける。息を荒げ、涙を浮かべて私に縋り付くロナルド君の牙が歯茎から大きく迫り出して、飢えを訴えていた。
「ゆっくりだよ」
「はやくっ……ドラ公……俺もう、我慢できねぇ……っ」
そうして、私は――
ロナルド君の口に手製のおにぎりを突っ込んだ。
「ぁむ」
一口と言うにはやや大きいくらいだったが、ロナルド君は以前私が教えたとおりにそれをよく噛んで咀嚼した。それからは早かった。私の手毎食われるのでは無いかという勢いで、おにぎりをがつがつと平らげていく。あっという間に一つのおにぎりが消えて、ロナルド君の口の周りが米粒だらけになった。
「もっと!」
「鮭?おかか?」
「どっちも!」
流石にどちらもと言う訳には行かないので、鮭を選び、再び手ずから食べさせる。一つ目よりかは落ち着いて食べる姿を見て、ようやく私は安堵の息を吐いた。
「はい、お茶」
「ん」
水筒のコップに移したそれを手渡す。喉を鳴らしてそれを一気に飲み下しながら、ロナルド君はもう一方の手を差し出した。その手におかかの入ったおにぎりをのせる。
「んぐ、んっ……んんー!」
「ゆっくりね」
「んまい!」
「よしよし」
見る見るうちにロナルド君の眼がきらきらとした輝きを取り戻していく。乱れた銀髪を口に巻き込まないよう撫で付けてやった。よく見れば、髪も服も少し汚れているようだった。
『もしもし?VRCです。御手数ですが、いらっしゃる時に、ドラルクさん手作りのおにぎりをご持参ください』
「……なんだって……?」
『ロナルドさんは現在、血液中のブドウ糖値が著しく低下しています。こちらで食事を用意することも提案したのですが、どうしてもドラルクさんのご飯がいいと言って泣いてしまって』
「…………それって」
『空腹時低血糖ですね……お腹がすいて倒れてたそうです』
「吸血鬼って低血糖起こすんだね……」
「ん?」
「なんでもないよ、ほらまたおべんとついてる」
「んーんー」
「動かないの」
どうしたらそんなに口の周りに米粒を付けられるのだろう、と思いながら、一粒ずつ取っては食べていく。いやいやと首を振るロナルド君にもう一度お茶を飲ませながら、私はつい考えてこんでしまっていた。
「食べ終えて問題なければそのまま帰っていただいて結構ですので」
「ああ、わかった」
案内をしてくれた所員がいることを少し忘れていた。顔を上げて礼を述べる。
「自分でペットを飼うことにしたなら、責任もて、と所長からの言伝です」
「……おっしゃる通りで」
嫌味な人格破綻マッドに言われる筋合いはない、とも言いたかったが言葉を飲み込んだ。
「お伝えしておきますね」
察しのよい所員がどこまで伝えるのかは分からなかったが、まぁいい。所員はぺこ、と一礼して退室していった。
「……どうして何か食べなかったの、ロナルド君」
「ん?」
「三日も何も食べないで……腕の人やムダ毛フェチさんも一緒だったんじゃないのかね?」
「んー、んっ……えっと、サテツ達とは昨日の夜には別れてて、なんか久々に体動かしたくなって」
「うん」
「ずっとあちこち飛んでたらシンヨコの場所分かんなくなって」
「……飛ん……?えっ?なに?」
「んで、ドラ公の匂い見つけて、やっと帰ってきたー!っと思ったらへにゃへにゃになった」
様々聞きたいことはあるが、ともかく程々に満腹になったロナルド君の肌艶はすっかり甦っている。
「今までこんな風になったことないの?」
「ない。血は飲みたくなるけど。これなんだ?」
「お腹減ったんだよ」
「おなかへるのか?減ってないぞ?」
そう言って、ロナルド君は自分のシャツをたくしあげて覗き見る。綺麗な腹筋の筋が、一気に三つ食べたおにぎりによってほんの少し膨らんで見えた。
「人間は食べ物を食べないと空腹状態になっちゃうってことだよ」
仕舞おうね、と裾を入れ直してやりながら説明をする。
「吸血鬼の吸血による充足感とは違うのかな。君たちが血液から何を得ているのかは未だによく分かってないみたいだけど。人間は色んな食べ物から、色んな栄養をとって、成長していくんだ。……ロナルド君がこうなったのは私のせいかもね」
「?」
そう。ロナルド君は吸血鬼で、私と会う前は人間の食事を取らない吸血鬼だった。血液も必要以上には取ろうと思わないらしく、以前は動物の血で、最近では血液パックで補填している。それが、私が与えた食事によって人間で言う「空腹」を体が覚えてしまったのかもしれない。
「はぁ……」
ロナルド君がため息を吐いて、私の肩に頭を置いた。
「俺さ……全然力入らなくって、体が震えて、目がぐるぐる回って」
「うん」
全て極端な空腹時の症状だった。吸血鬼の彼がたったの二日でそんな状態になることを、今後頭に入れておかなければならない。中々の燃費の悪さだ。いや私の燃費が良過ぎるのかな……と考えていると、ロナルド君の話はさらに続けられた。
「しぬかとおもった……」
その言葉に、思考を止める。
「俺死ねるのかなって。もしかして、死んで甦って畏怖い吸血鬼になれるかも!と思ったんだけど」
「……だけど?」
「……なんかもしもさぁ、もし蘇れなかったら、……最後の時はお前と一緒にいたいと思った」
私に君の死を看取れってこと?冗談じゃない。内心で勝手に湧いた言葉は、口には出さなかった。
暫しの沈黙のあと、私は寄りかかるロナルド君を起こして立ち上がる。
「……今度から、君が出かける時に持たせるものを用意するね」
「おにぎりか?」
「それがいいなら、それでもいいけど」
さぁ、帰ろうか。そう言って差し出した私の手に、ロナルド君の手が乗せられる。少し前に私が整えた形のいい爪が、少し伸びているのが見えた。
「帰ったらお風呂に入ろうね」
「うん」
「髪も乾かして、爪も切ってあげる」
「うん」
「まだご飯も足りないだろうから、何か食べよう」
「うん」
ロナルド君は嬉しそうに笑って、私の頬にキスをした。
私たちを分かつ死を恐れることを知った君。
そんなものは恐ろしくもなんともないのだと、それほどに君の中を満たしてやろうと思っていることを、今はまだ黙っておくよ。