大侵攻のあとしまつ「一般市民の被害はゼロ。吸対、退治人も被害についても軽微なものですが、戦闘時に管区内の公共物がいくつか破壊されています。請求はどこに回せばいいんだとのことです」
「隊長~、なんかあちこちで吸血鬼化が増えてるみたいで通報止まんないって~」
「VRCから、件の吸血鬼たち全員をいつまでも収容していられないので、さっさとなんとかしてくれと連絡が……」
私はワルド・ドラルク。新横浜署吸血鬼対策課隊長であり、現在とある事態に見舞われている。
二日前の、徒党を組んだ吸血鬼たちによる新横浜への大侵攻。それも全員が驚異的な能力を有する吸血鬼であり、そんな一群がこの新横浜に突如として現れた。
彼らの目的が不明な中、我々吸対は退治人組合と合同でこの事態に対処することとなった。全体指揮をおこなったのはこの私で、結果として被害は想定していたものより極最小に抑えられただろう。
だが、その後が問題だった。
「彼ら、この街が居心地がいいとかで、住み着くつもりのようなんですが……」
「住民票とか、そもそも戸籍とかあるの? あの人ら」
「さぁ……」
「役所からも問い合わせ来てます隊長」
部下たちの言葉から分かるように、彼らの目的はなんと「移住」だった。それも、なんとも気侭な吸血鬼らしく「なんとなく気に入った」「空気がいい感じ」などという行き当たりばったりな理由でだ。
「隊長~、本部長から内線だよ」
「……」
チカチカと自分のデスクの電話機が光っているのを見て、こめかみを揉みこみながら溜息を吐く。
常日頃避けている憎たらしいあの上官に話をつけなければならない。如何に私が優秀でしごできな上、超精密探知性能を有したダンピールであっても、今のこの多忙さに対処するのは中々に骨が折れる状況であり、そしてそれには完全な後ろ盾が必要だった。
「はい、ドラル……」
『まだ報告書があがってないようだが?』
自分の言葉を遮られて気分のいい者はいないだろう。言いたいことは山ほどある。だがここで声だけは荒げまいと、私は喉奥に出かけた声を押し込んで返答をした。
「どう考えても私の管轄外の話まで回されているようですがね?」
『我々の仕事は吸血鬼に関わることの全てだ。知らなかったのかドラルク隊長』
「ほぅ、……なら今回の後始末は私の独断で判断して構わんということですね」
『なんだ、私に泣きつくつもりだったのか?』
「泣きつけるものならね。無責任に仕事を押し付ける上司に泣きついたことなど、一度としてありませんが」
『関係各所の皆様にご迷惑をおかけしないようにな』
それっきり、電話が切れる。私の貴重な三分二十二秒を返してもらいたい気持ちでいっぱいだったが、ともかく言質は取れたと言っていいだろう。
受話器を置いて、すっかり冷めたコーヒーを口にする。そこに溜まっていた砂糖まで飲み切ると、隊員たちの視線が私に集まっていた。
すぅ、と息を吸って顔を上げる。
「……まずは昼の間に役所へ顔を出す。土地企画課へ連絡を」
「はい」
「退治人組合にもだ。吸血鬼化が頻発している地域へ退治人を派遣するよう要請を出す。あの昼行灯を叩き起こせ」
「了解です」
「VRCについては、夕方に私が直接向かう」
「……隊長、なんかやる気満々?」
「なんか押し付けられるの待ってたくらいにキビキビしてるわね」
「……さっさと終わらせてゲームがしたいだけだ」
咳払いを一つして、察しのいい部下たちをさっさと仕事に取り掛かるよう促す。私自身も動かなければならないため、席を立ちながら窓の外へと視線を向けた。
私の脳裏に浮かんだのは、あの大侵攻の夜、私の目の前に現れたあの吸血鬼の姿だ。彼の気配が、遠くに見える十字マークが掲げられたVRCの辺りから感じられた。
「では行くぞ、諸君。後始末に取り掛かろう」
今回の大侵攻において現れた吸血鬼たち。その中で最も驚異的な能力を持っている吸血鬼がいる。その名も、吸血鬼ロナルド。銀の髪に赤い瞳。その身にタキシードを纏うという典型的な吸血鬼然とした格好は、今時逆に珍しい。
かの吸血鬼は不死の能力を持つらしく、吸対と退治人で構成した包囲網を突破した彼は、死んで蘇ることを目的にこの街に来たのだと豪語し、あのヒナイチくんにも劣らない戦闘能力を我々に見せつけた。
吸血鬼ロナルドの戦いぶりで私は作戦変更を余儀なくされた。彼を包囲網に誘導しつつ沈静化させるために使った麻酔弾の数は、両手両足の指を使っても足りないほどのものだった。
そんな彼は最終的に包囲網すらも突破し、ついに私の目の前に現れた。赤い双眸が私を睨みつける中で、二、三言葉を交わした後、私は彼の言動からある憶測を立てた。吸血鬼ロナルドは自身が吸血鬼らしくないことを気にかけていたのだ。
吸血鬼らしさ、というのがどういうものであれ、彼らは常に畏怖されることを望んでいる節がある。だから私は、彼の畏怖欲を刺激するであろう言葉を選んで、献上品を渡す体でバナナケーキを与えることに成功した。考えてみればなんとも無様で付け焼き刃な作戦だろうか。
しかし、それは完全に上手くいってしまった。私自身ですら半信半疑で決行したものの、まさかこうも上手くいくとは思わず、拍子抜けしたほどだ。
そうして吸血鬼ロナルドは、遂にその場に倒れ伏し、それに伴って管区内でおこなわれていた吸血鬼たちとの戦闘は沈静化した。彼らのリーダーは一先ず我々に身柄を預けることに承諾し、投降した後に現在VRCに収容されている。
「詰まるところ、どこも年内の予算で破壊された公共物の修繕に対応したくないのだろうが、特例的に工事費用を用立てる言い訳を考えてやればいい。今回の事件は突発的な災害と同等レベルに予測しえないものだと専門家から意見を出せば事足りるだろう。何人か吸血鬼研究者を派遣してやれ。派遣費用については吸対で出す。先にこちらが幾らか身銭を切ればお役所に一つ貸しにもなるから損では無い。——とりあえず役所のお偉いさんにはそういう形で話はつけてきたから、まとめて関係各所に通達しておいてくれ」
「はーい」
「退治人組合の方はどうなっている」
「対応を順調に進めているようです。吸血鬼化に対して混乱している市民にはカズサさんかヒナイチさんが直接出向いて対処しているようです。うちで以前作った吸血鬼化に対処するパンフレットも配っていただいています」
よし、と私は内心で頷く。一度自分の席に腰を下ろして、淹れたてのコーヒーを口にした。その他にもまだまだ細かな問題は残っているが、ともかくこれでほうぼうへ吸血鬼対策課がこういった状況が発生した際に、どう対応するのかということが知れ回っただろう。
残るは、当の吸血鬼たちのみだ。しかし彼らも、少なくとも彼らのリーダーと目される者は一連の流れから気がついているに違いない。我々が、彼ら吸血鬼たちの移住を受け入れる姿勢である、ということを。
「……これは?」
「君たちの転入届だ」
「転入届って?」
「人間たちは引越しする時必ずこれを提出する義務があるのでね。君たちにもそれをやって貰いたい」
VRCに赴いた私は彼らを一部屋に集めた。差し出した紙切れを、はぁ、と殆どの者が目を瞬いて首を捻って見ている中、リーダーらしき吸血鬼——ゴウセツと呼ばれる吸血鬼だけがチラと慎重な態度で私を伺ってくる。
「随分と素直に受け入れるものですね、我々を」
「君たちに敵意がない以上、受け入れない理由がないのでね。この街は『新横浜』だ。この国でも有数の吸血鬼ホットスポットとして知られている。逆に言えば吸血鬼と人間が共存する街として、我々吸血鬼対策課は吸血鬼にとっても住みよい街にしていくという義務がある」
どこをどうとっても彼らにとって悪くない話である、ということをここで印象つけなければならない。ゴウセツが片目を開けてじっと私を見ながら肩を竦めた。、
「この紙切れ一枚で、我々を恭順させられるとでも?」
「もちろんそんな権限は無い。既にこの街に住んでいる一般人、一般吸血鬼と同じだ。住む場所も食べるものも全て好きにして構わない。だが、こんな紙切れ一枚であっても、これはこの街に住む者全員に提出してもらっているものだ。流石に一切の身元不明吸血鬼を何の書面も通さずに受け入れるのは、役所……引いてはこの国が許してはくれない。だがこれさえ提出してくれれば、この街で自由に暮らすことが出来る、ということだ」
私の説明にゴウセツの背後にいる吸血鬼たちは「へぇ~」と声を漏らし始める。彼らも二日もの間VRCに閉じ込められていることに嫌気が差しているのだろう。大侵攻などというものをするくらいには、彼らは恐らく自由気ままに生きてきた吸血鬼だ。
「随分と昼間のうちにあちこちで動いていたようですが……隊長さんは何をお考えで?」
「……私は私の義務を果たしているだけに過ぎんよ」
「え~、すっごく怪しいわァ。隊長さん、アタシたちになにかして欲しいことがあるんじゃないの?」
「っ!」
ゴウセツの後ろから顔を出してきた巨躯の吸血鬼——確かシーニャと呼ばれる男が口を挟んでくる。その風貌に私は一瞬言葉を詰まらせたが、なんとか気を取り直して彼らを見た。
「……やって欲しいことはもちろんあるとも。先程伝えた通り、この街は年柄年中、何かしら吸血鬼が起こす問題の対処をしている。君たちにも、その対処への協力を頼みたい」
「あら、アタシたちに同胞を退治しろっていうの?」
「知っておりますよ。貴方方は自分の血族以外の同胞に対してはそれほど重きを置いていないことは。これで一応吸血鬼対策課なのでね。吸血鬼の考え方もある程度は分かっているつもりだ」
「あら、流石ワルド家の人ねぇ。ちゃんと分かってるじゃな~い」
「……」
「まぁアタシは別にいいと思うわよ。しばらくはここに居るつもりだし……それよりも、隊長さんのこと気に入っちゃったし!」
「っ、は、ははぁ」
重たげなウインクを投げかけられた私はほんの一瞬視線を別の方に向けてそれをやり過ごし、再びゴウセツへと向き直る。
「頼み事はもうひとつありますね?」
「……ええ」
そう。ここには大侵攻してきた吸血鬼たちの中で、一人だけ呼び出されていない者がいる。
「ロナルドを、どうするつもりですか」
サテツという吸血鬼が不安そうな声で聞いてきた。隣にいるショットと呼ばれる吸血鬼も、私を睨みつけるように様子を伺っている風だった。
戦闘中の報告でもこのサテツとショットは突出して戦闘行為を行うロナルドを追いかけるような素振りがあったと聞いている。その最中でロナルドの行動を窘めるような言葉もあったとか。
「……吸血鬼ロナルドだけは、我々吸血鬼対策課の監視下に置かせてもらいたい」
「!」
ここで下手なオブラートに包んでも仕方が無い。私の言葉に対して、想定通り彼らの気配が私への敵愾心へと色を変える。
「彼は自らを不死の吸血鬼だと言っておられましたね?」
「……それがどうした。まさかあいつをモルモットにしようってんじゃないだろうな」
吸血鬼たちの深紅の虹彩が私に集められる。護衛も伴わずにここへ来たことをあのヒゲヒゲは絶句するだろうか。
私は彼らに両手を掲げて、それを否定した。
「彼の言うことが本当であれば、それは間違いなく誰にとっても驚異だ。多くの者が彼の身柄を抑えようと躍起になるだろう」
「それはお前も同じだろ」
「いいや、違うね」
「どういうことですかな?」
気がつけば私は四方八方を驚異的な能力を有した吸血鬼たちに囲まれていた。その強烈な気配に、私は鼻と口を抑える。何人かの吸血鬼たちが訝しげな表情をした。
「……失敬、貴方たちの気配が強すぎて……」
「あ、す、すみません」
サテツ君はやはり人の良さそうなタイプらしい。彼の気配だけが若干弱められたが、しかし目の前から当てられる気配は緩むことはなかった。
「……何のためにロナルドさんを?」
ゴウセツの問いに私は表を上げる。何のために、私がこの大侵攻の後始末に奔走しているのか。それを彼らに伝えるため、私は大きく息を吸い込んだ。
——————
「これ、本当に全部食っていいのか?」
「……まぁ、構わんが」
手ずから作ったバナナケーキを持参して、私は再びロナルド君と再会した。VRCの面談室。簡素なパイプ椅子の間に挟まれた簡易テーブルの上で皿に盛り付けられたバナナケーキの数に、ロナルド君は口端から涎を零さんばかりに赤い瞳を輝かせている。
「……なんの躊躇いもなく食べるのかね?」
「ん? どういうことだ?」
「例えばこれに何か変なものが混じってるとは、考えないのか?」
私の言葉にロナルド君はぱちくりと瞬きを繰り返す。その間に少し考えつつも右手に持ったバナナケーキを見て、結局意味がわからないと首を傾げた。
「だって普通のバナナケーキだろ、お前がくれたの。これは違うのか?」
「……あの時と寸分違わぬレシピだよ」
大量の麻酔弾を受けながらも私の前に現れた吸血鬼ロナルドは、随分と眠そうに足元をふらつかせていた。
麻酔弾による眠気と、大暴れしたことによる空腹の中、ロナルド君は私の差し出した献上品を口にすると、眠りに落ちる前にこう言ったのだ。
「これ、もっと食べたい……」
三つ目のバナナケーキを頬張るロナルド君を見ながら、私は小さな溜め息を吐いた。それに気がついた彼は、ん、とケーキをひとつ私に差し出してくる。
そういえば、このために昼間の間ひたすら奔走して、ろくな食事を取っていない。
差し出されたケーキを一齧りする。口の中に柔らかな甘みが広がって、疲れた体に染み渡る。
「……美味しいな」
「うん! すげー美味い!」
「……」
そう言って笑う吸血鬼により、私の心臓が鷲掴みされたかのような錯覚を覚えたのは、これが二日ぶりで、二度目の事だった。
「ヒヨシにはなんと説明しましょうかねぇ……」
「どうせ何言ってもダメよあいつは」
ゴウセツは、シーニャの呆れたような声と、隣で肩を竦めるヴァモネに、確かにそれもそうだなと頷く。
VRCから解放された吸血鬼たちは各々好きなように街へと散っていったが、ゴウセツら三人は屋上のVRCの正面玄関が見下ろせる場所へ留まっていた。
まもなくして、ロナルドを伴ったドラルクが出てくる。一瞬、ドラルクの視線がゴウセツたちの方に向けられたが、直ぐに隣のロナルドへ向き直るのが見えた。
「それにしたってやり方が怖いわぁ~あの隊長さん。たったの一日で外堀埋めちゃった……器用そうなのに、考え方が斜め上じゃない?」
「悪い案では無かったですがね」
あのワルド・ドラルクはゴウセツ達にこう言った。
『ぶっちゃけあのロナルドという吸血鬼に惚れてしまった。ので、私は今後、私の全権限を持って誰の手も、指一本たりとも触れさせないよう手を回すつもりでいる』と。
「——しかし、我々にロナルドさんがどう考えているかとか、そういうのを尋ねてこないあたりは、相当の意固地か自信家なんでしょうかね」
『違うと思う』
「?」
ヴァモネの言葉に、ゴウセツとシーニャが首を捻る。あの男の思惑は別にあるというのだろうか。察しのよいヴァモネが、一体何を見抜いているのかと、二人は二の句を待つ。
だが、ヴァモネの言葉は至極単純なものだった。
『初恋なんじゃない?』
「……」
「まぁ~……それは……ちょっと……」
あんなことを言っておいて、もし何かあれば。そんな警戒が少しづつ緩んでいく。
『楽しくなりそうだね』
「そうですね」
「そうねぇ」
享楽的で、面白そうなことを第一の行動基準にすることを久しぶりに思い出した古い吸血鬼たちは、ダンピールの男と昔なじみの弟の姿を見下ろす。
ニヤケ面を、堪えて。