夏の果てに 祭囃子が聞こえる。
目を開けるとそこは幼少期に住んでいた村にある神社の石段の前だった。石段の両端には祭り提灯が灯されており、石段を見上げると仄かに明るく、祭囃子に交じって楽しそうな人々の声が聞こえた。
石段を上がっていくと香ばしい美味しそうな匂いもしてきた。出店がいくつか出てるのだろうか。
そんなことを考えながら登り初め、暫くすると色とりどりの屋台が十店舗ほど見えてきた。不思議なことに屋台を見るとわくわくとした気持ちになる。それにつられて石段を登る速度もあがってきた。
登り切るとそこには確かに屋台も灯りもある。だが人が一人として居なかった。祭囃子や人々の喧騒は聞こえるのに人の気配は一切無い。
不思議に思いながら本殿の方へと歩みを進めるとお賽銭箱の前の石段に黒い半狐面をつけた少年が座っていた。
少年へ近付こうとさらに歩みを進めると祭囃子の音がいっそう賑やかになった。
少年の目の前で立ち止まる。話しかけようとしたところで気がついた。これは夢だと。浮世離れしているのに嫌に現実味のある夢。最近毎日のように見る夢。
少年に話しかけたところでいつも目が覚める。返事をされていることはわかるのにそれを認識させて貰えないのだ。
今回は話しかけずに驚かせてみようか。目の前にいる男にどうされれば驚くだろう。少し思案していると半狐面がこちらを見ていることに気がついた。
「ちょっと待ってくれるかい? 今驚きを……あっ」
話しかけてしまった。意識が覚醒するのを感じる。少年の口元が動いているのが見えたがやはり何を言ってるのかは分からなかった。
目を覚ます。時計を見ると時刻は午前五時を回った位だった。
最近この夢を見ることが増えた。理由は分からない。特に最近変わったこともなく、幼少期に祖父母の世話になっていた頃のあの村に帰りたい気持ちはあれど夢に願うほどかと言われれば微妙である。
まだ重い体を起こして寝間着から外着へと着替えた。まだ起きるべき時間には早すぎるが目が覚めてしまったのだ。寝られる気もしないし少し気分転換に外を散歩しようと思った。
外に出ると既に明るく、夏になって日が長くなってるのを実感した。日中の暑さに比べると随分涼しいが、それでもやはり半袖でいた方がいいのだろう。それなりに涼しいと思って上着を着てきたことを少しだけ後悔した。
歩き出すと僅かに風を感じ、それが少しだけ心地よい。絶対に日中には味わえぬ感覚に早起きは三文の徳というのは本当なのかもしれないなと思った。
しばらく歩くと前方からランニング中の青年が走ってくるのが見えた。その姿に見覚えがあり声をかける。
「伽羅坊じゃないか! こんな早朝からランニングかい?」
「げ、」
「げ、とはなんだ、酷いじゃないか。」
そういいながら肩を組むと伽羅坊は一層顔を顰めた。
伽羅坊は俺が所属していたサークルの後輩で今は大学一年生だ。俺が今修士課程二年なので活動時期が被ったことは無いが、たまに顔を出した時によく会って話をするのでそれなりに親交がある。
「なんだなんだ、つれないなぁ?」
「やめろ、引っ付くな……暑苦しい。」
「そんなこと言うなって! それで、こんな早朝から何してるんだ?」
「……ランニングだ。見ればわかるだろ……というか、お前かさっきそうかと質問してただろ。」
「おっと、そう言えばそうだったな!」
笑いながら背中をバシバシと叩くと伽羅坊は鬱陶しいとでも言いたげな顔をして俺から距離をとった。
「…それで、お前こそこんな早朝から何をしている。」
「俺かい? 少し散歩をしているんだ。」
「……こんな早くからか?」
「あぁ、少し早く起きてしまってな。最近不思議な夢を見るせいかあまり寝られてないんだ。」
「夢、か。確かに隈がある気がするが、寝不足でフラフラ歩いて轢かれないように気をつけろ。俺はもう行く。」
そう言うや否や伽羅坊は俺の腕を振り払い、背を向た。
「おっ? なんだ伽羅坊、俺のことを心配してくれるのかい? 優しいなぁ! 優しさついでに少し相談に乗ってくれないかい?」
「……相談? 夢の話か? 悪いが俺は夢占いなどは信じない。」
俺の発言を聞いて伽羅坊は再びこちらを見た。その顔は少し困惑してるように見える。
「俺もだぜ? ただ少し聞いて欲しいだけさ! 今日の昼餉の時に大学の食堂集合でどうだい? 光坊も呼んでくれ!」
「待て、なぜ俺が、お前が声をかければ」
「じゃ、よろしく頼んだぜ!!」
そう声をかけて俺は踵を返して家に戻った。後ろでまだ伽羅坊が何かを言っていた気がするがまぁ気のせいだろう。
本当は相談するつもりなどなかったが、話してみれば少し不思議な夢の正体が掴めるかもしれないとも思ってしまったのだ。伽羅坊達に心配をかけたくはないが、探求することへの好奇心が抑えられそうにない。
兎も角いい気分転換になったので目的も果たせたし、今日は研究室を使えるのは午後からで、午前は理論を組み立てるだけだ。いつ行ってもいいから帰ったら二度寝をしようなどと考えながら家に戻って布団に入り眠りについた。
祭囃子の音がした。
目を開けたら石段の前に立っていた。
今度は明確に夢を見ていると自覚している。
夜以外にこの夢を見るのは初めてだったか……とりあえず半狐面の少年のいる本殿まで歩く。
屋台のご飯独特の美味しそうな香りも食材が焼ける音も人々の話し声も聞こえるのにやはり人の気配も姿も一切ない。話し声に耳を傾けてみても何か話している以上のことは分からなかった。日本語のようで日本語ではない。と言うよりどの言語でも無さそうだ。脳が理解を拒む感じがある。一旦聞くのをやめて屋台の方を見ると焼きそば、射的、串肉、かき氷、わたあめ……色々並んでおりどれも出来たてのように見える。だがやはり店主も売り子も居ない。
……食べてみたらどうなるのだろうか、そう思うが生憎お金を持っていないためそもそも買うことが出来なさそうだ。
特にこの道でできそうなことも無いため本殿への道を急ぐ。矢張り賽銭箱の前の石段に黒い半狐面の少年が座っていた。
さて、ここからどうしようか。少年の面を見つめながら思案する。いつも通りなら少年に話しかければ夢から覚めるが……いっその事少年から話しかけられるのを待ってみようか。
少年が話しかけるまで待つと決めたので、石段を少し上がり少年の隣へと腰を下ろした。こうすれば話しかけない訳にも行かなくなるだろう。
少年の口元が一瞬驚いたとでも言うように開かれ、その後笑ったように見えた。
「ははっ、相変わらず坊やは面白い子だな……だが、ずっとこうしていたら遅刻しちまうぜ?」
初めて声を聞けた気がした。初めて何を喋っているのか言葉を理解できた。
全てが初めてのはずなのに声も笑った時の口元にも凄く見覚えがあって、懐かしい気持ちに包まれる。それと同時に意識が覚醒していっているのも感じた。
「……また来るぜ!」
その時はもっと沢山話せたら嬉しいな!最後にそう言うと少年の口角が更に上がったのが見えた。
目を覚ます、時刻は午前八時だった。
伽羅坊と別れてからすぐに寝た気がするので2時間半は眠ったのだろうか。心做しか疲れが少し取れた気がする。
リビングに向かうと食欲をそそろる香ばしい香りがした。今日の朝餉は卵焼きと焼き魚だろうか。
リビングに続く扉を開ける。兄の石平が台所に立って料理をしていた。
石切兄さんは俺がリビングに入ったことに気づくと顔を上げた。
「おはよう、鶴丸さん。」
「おはよう、石切兄さん。」
「さ、座って。朝ごはんできてるから、よそってしまうね。どのくらい食べるかな?」
「普通くらいでいいぜ!」
「わかったよ。」
そう言うと石切兄さんはご飯やお味噌汁を盛り付け始めた。
俺は一度座ったが再び立ち上がり石切兄さんの分と自分の分をまとめて配膳する。
一通りリビングにご飯が並んだところで二人で席につき手を合わせた。
「「いただきます」」
味噌汁を飲み、焼き魚へと箸を伸ばす。焼き加減も塩加減も完璧でとても美味しかった。卵焼きもふわふわでほのかに甘い。小さい頃から大好きな味だ。
「石切兄さんは相変わらずご飯を作るのが上手いな! この魚も卵焼きも味噌汁も全部美味い!! 驚きだぜ!」
「ふふ、ありがとう鶴丸さん。所で、ずっと気になってはいたんだけれど……なんで石切兄さんなんだい? 私は石平(いしひら)という名前だから不思議でね、」
まぁ小さい頃からずっとそうだったから慣れてしまったんだけれど。と石切兄さんは続けた。
なんでだったか……俺も小さい頃からそう呼んでいるし。小さい頃の俺のことだ、なんとなくでそう呼んでいた可能性の方が高いだろう。
それをそのまま石切兄さんに伝えると、少し笑った後に「確かに小さな頃の鶴丸さんは突拍子もなかったからね。」と言った。
言うほどだった記憶は正直ない…というより村にいた頃の記憶が曖昧なためわからない。
「そんなにだったかい?」
「そうだよ、いつも迷子になっていて、特に夏祭りの時なんかは……」
夏祭り、あの夢のことが頭を過った。続きを聞こうと少し身を乗り出したところで石切兄さんは何かを言い淀んだ。
「……それより、夏休みはどうなりそうかな?去年は研究がしたいからと大学が閉まる日以外全て研究室に行っていたけれど……今年もそうするのかい?」
「え、夏休みかい? そうだな……今年は研究がかなり進んでいるし……二週間くらい纏めて休んでもいいかと思ってはいるぜ?」
「そうか。では、その休みで旅行でもどうかな? 鶴丸さんが覚えてるかは分からないけど、三月(みつき)兄さん達が会いたがっでいてね、三月兄さんたちも誘って……どうかな?」
三月兄さん……確かあの夢の村の祖父母の家に住んでいた時に可愛がってくれた兄さんの一人だ。確か三月兄さんのことを三日月兄さんと呼んでいた記憶がある。
「三日月兄さんだよな?覚えてるぜ! 俺も久しぶりに会いたい。」
久しぶりに会えるのは嬉しい。何よりあの夢のことが分かるかもしれないからな。
「ふふ、そういえば鶴丸さん、三月兄さんのことをそう呼んでいたね。それもきっと直感でだろうけど……わかった。鶴丸さんも会いたがっていると伝えておくよ。」
そこで一旦会話が終わったので石切兄さんも俺もご飯の残りを食べ始めた。
食べ終えて二人でごちそうさまを言いお皿を下げる。食器を洗うのは俺が担当なのでサッと終わらせて部屋に戻り大学に向かうための支度をした。
家を出て電車に乗る。
スマホを確認すると光坊から連絡が入っていた。
『鶴さん、食堂での件了解したよ!』
『頼ってもらえるなんて嬉しいな』
良い後輩を持ったものだと思わず嬉しくなった。俺は『ありがとう』と返信し、鶴が羽撃くスタンプを送信し画面を閉じた。あの可愛い後輩たちに会えると思うと少し昼が楽しみになった。
昼になり食堂へと向かう。結局午前中はあの夢のことがチラついて中々理論を組み立てられなかった。この調子だと午後の実験で事故でも起こしかねないので、早急に解決をしておきたい。光坊達にどのように説明すれば一番伝わりやすいかを考えていたらいつの間にか食堂に着いていた。
カツ丼、うどん、カレー、定食……色々ある中から何にしようか悩んでいると、後ろから声をかけられた。
「よ! 鶴さん!!」
随分低い位置から聞こえた声の方を見ると、貞坊がいた。
「貞坊じゃないか!? どうしたんだい?」
ここで会うとは驚きだなぁ、と言うと、貞坊は俺の隣に立った。
「ん〜、みっちゃんが四年生になってからなかなか遊んでくんないからよぉ、丁度俺は夏休みだし遊びに来ちゃったぜ!」
にこにこといたずらっ子のように笑う貞坊が愛おしくて、思わず頭を撫でるとやめろよ〜と少し抵抗された。
「みっちゃん食堂にいるかな? こっちの方に歩くのは見かけたんだけどよ、途中で見失っちまって……」
「光坊ならここにいるはずだぜ、丁度俺と伽羅坊と3人で昼餉を食う予定だったんだ。」
「え〜! 伽羅も!? いいな〜俺も早く大学生になりてぇ!」
「はは、それはいいが、貞坊が大学生になる頃にはみんな卒業しちまってるだろうな。」
「ん〜! 鶴さん意地悪ばっか言うなよな!!」
今から飛び級すれば……等とブツブツ言ってる貞坊を見ながら再び昼餉について考える。
日替わり定食にしようか、何が出てくるのか分からないあのわくわく感が面白い。
順番が来て注文をすると横から貞坊もハンバーグ定食を注文した。会計を纏められてしまったので貞坊の分も俺が出した。
「悪ぃな鶴さん、はいこれ俺の分。」
そういいながらお金を手渡そうとする貞坊を制止する。
「え〜なんでだよ、借り作るのは嫌だぜ?」
「それは君が大切に持っておけ。その代わりと言ってはなんだが……鶴さんは今から光坊達に相談があるんだ。それを一緒に聞いてくれるってのはどうだ? これはその代金ってことで。」
「? 相談なんて珍しいな? いいぜ! なんでも話してくれよ!」
「こりゃ心強い、よろしく頼むぜ!」
さて、貞坊の話が本当であれば光坊達は既にこの食堂に来てるということになるが……。
食事が乗ったお盆を持ちながら貞坊と光坊と伽羅坊を探していると、少し離れたところで光坊が立ち上がって手を少し挙げているのが見えた。
近づくと光坊の声が聞こえる。
「鶴さーん! こっちこっち! ……って、え!? なんで貞ちゃんもいるの!?!」
「みっちゃん似合いに来たぜ! 驚いただろ!」
「えー! ほんとに!? 嬉しい!!」
貞坊はお盆を光坊達がいる机に置いた途端に、光坊に飛びついた。光坊もそれに応えて貞坊を抱きとめ持ち上げる。
しばらく二人で騒いだ後、二人共自分の置いたお盆の前に座った。