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    SS置き場
    ある程度溜まったら支部に置きます

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    凛潔/現軸からのプロ軸

    カラーバスより鮮明な 無機質なコンクリート壁の頭上にある埋め込み式ライトが点々と灯り、先が見えないくらい長く伸びた廊下を照らし出している。
     どことなくひんやりとしていて一歩間違えば病院のような重い空気を連想させる空間の中、パタパタと滑りの悪いスリッパの裏面から発せられる音は何ともマヌケだ。そうしてこんな場所で一人さまよっている自分も。
     もうこの施設に来て随分と経つ筈で、そこまで複雑な構造はしていないのも十分に承知している。
     逆を言えば余分なデザインを削ぎ落しているからなのか、方向感覚を狂わされるのだ。
     しかも今日はどうにも寝付けなくて、頭の整理がてら色々と考えながら適当に歩いてきてしまったのもあって余計に混乱していた。
     理由にするには苦しいとわかってはいても、それくらいの言い訳は許されたい。
     「もぉー……どこだよここ……」
     いくつかのドアを潜り抜け、何ヵ所か曲がったのは覚えている。でもそれがどこの扉でどの曲がり角なのか分からないのなら意味が無かった。
     そこからさらに自分を信じて突き進んできた結果、おそらく本来いるべき棟では無い所まで来てしまったような気もする。
     どうしようという焦りが首筋を伝って、そのまま誰も居ない廊下でついに俺は足を止めた。
     やはり現在位置を把握しなければ、時間がかかるばかりだ。
     もういっその事行ける所まで突き進んで全部の棟を一周すれば、元の場所に戻れる可能性もあるが、その前に朝日を拝むのが先になる可能性の方が高い。
     片っ端から部屋を開けてみて誰か見知った顔を探そうにも、こんな深夜に誰ともしらない奴が入ってきたらそれこそ大騒ぎになるだろう。

     しかも違う棟に来てしまっているのなら、本当は通行許可証が必要なのだ。こんな事で何かペナルティーなど課されたらたまったものではない。
     うんうんと唸っている間にも静まり返った空間が段々と事の深刻さを増幅させていくような気がして、息苦しくなってくる。
     『お散歩してもいいけど、あんまり遠くにいかないようにね』──子供の頃に聞いた母さんの忠告が耳奥に木霊するが、まさかこんな年になってまで迷子になる息子を探しに来てくれる筈も無い。
     ハァ、と深い溜息をつく。左手の法則でも使うか? 自嘲気味に枯れた笑いが洩れそうになる。
     しかしそれよりも先に前方にあるドアがひとりでに開いて、中から誰かが出てくるのが見えた。
     薄暗いのもあってまだ誰かは分からないが、自分よりも体の大きそうな相手だ。ちょっと歩くだけのつもりだったから今はイヤホンをしていない。
     仮に全然面識のない海外選手だった場合でも、なんとか身振り手振りで伝わるだろうか。
     慌てて人影を追いかける。するとこちらの足音に気が付いたのか、立ち止まり振り返ったその人物はよく見知った男だった。
     「……凛……!」
     「潔?」
     いつもよりも見開かれた瞳と、薄く開かれた唇が凛の動揺を明確に示している。
     やはり自分はドイツ棟を通り抜けて、フランス棟まで来てしまっていたようだ。
     とにかく知っている相手に出会えた安心感で凛の元へと駆け寄ると、まだ現状が飲み込めていない様子の凛が俺を見下ろしていた。
     顔にかかる黒髪の長さや目線の位置が少し変わったような気もする。
     まさかコイツ、またでかくなった? 嘘だろ。成長期が過ぎる。
     身長が変わってはいなくとも体の厚みが明らかに増しているのを察して、羨望の眼差しをつい向けながら日本語で話せる事に安堵した。
     「あー、よかったぁ、凛に会えて……」
     「……は……?」
     「……いや……実は……迷っちゃって……」
     「迷うって、どこでだよ。第一ここはフランス棟だぞ」
     「……う……」
     胸を撫でおろして囁く俺に対して、さらに困惑した顔になった凛にそれもそうだよな、なんて思う。自分だってビックリしているのだから、突如としてそんな風に言われた凛の方が驚いている筈だ。
     「考え事をしながら歩いていたら、違う棟に来ちゃいました」なんて、俺が他の奴に言われても絶対に嘘だと思うだろう。

     けれどここで凛に見捨てられたら本当に困る。
     多分、凛は俺の事なんて視界にも入れたくないくらいだろうが、それでも今だけは我慢して貰わなければ。しっかりと目を見つめ、真剣に悩んでいるのをアピールしてみる。
     すると、黙ったままの凛の眉がどんどんと顰められ、苛立ちを示すように鋭い舌打ちが聞こえた。
     「……マジで言ってんのか」
     「大マジなんだよ……。おねがい凛、ドイツ棟との廊下までで良いから連れてって……」
     「ハァ……」
     心底呆れたような溜息の後、不意に首元に衝撃が走った。
     何が起きているのか理解するよりも先に引き摺られる感覚に足が勝手に前へと進んでいく。
     スウェットの首元を引っ掴まれて連行されているのだとようやく理解して、すぐ隣を歩く凛へと声を上げる。
     「お、ま、凛ッ……苦しい……」
     「うるせぇ、デカい声出すな。気が付かれてぇのか」
     「っ……だってなんでそこ……持つんだよ……!」
     これでは親猫に無理矢理運ばれる子猫みたいだ。
     そんな事をしなくたってちゃんとついていくというのに。ブルブルと首を振ると鬱陶しそうにその動きに合わせて凛の手も動く。
     もしかして、俺をからかって面白がっているのか? 隣の凛の顔を見たくともうまく顔が動かせない。
     「ちゃんとくっついてくから離せよ……もぉ、やだってば……怒るぞ!」
     「……ぐずぐず言ってんなよ、アホ潔」
     「うわっ」
     まるで勢いよく放り出されるように他の扉より二回りほど大きなドアの前に押し出される。そのドアの上には英語でドイツ棟と書かれていた。
     連れてきてくれたのはありがたいけれど、うなじのところが絶対にちょっと伸びている気がする。
     そのままクルリと背を向けていなくなろうとする凛に、流石に何も言わずに帰るのは少しばかり気が引けた。
     「……ありがとな……助かった……」
     急いで凛の方へと振り向き、その背に声をかける。
     かと言って、なんだか素直に感謝を伝える程の丁重さは感じなかったのでぽしょぽしょと小さな声だったが、凛はしっかりと聞き取ったらしい。
     顔だけをこちらに振り向かせたかと思うと、冷たい瞳が俺を見据えた。
     「道も分かんねぇならこんな時間にひとりで出歩くな、カス」
     「……はい……」
     ごもっとも過ぎる正論に何も言えない。
     けれど偶然とはいえ、久しぶりに凛に会えたのは自分の中では結構ラッキーだなんて思ってしまったのはしょうがないだろう。
     これまでの凛の試合は全部隅から隅までしっかりと見て研究している。
     だが実際にこうして凛と対峙すると、もっと自分も努力しないといけないと思えたからだ。
     「……でも俺、たまたまでも凛と会えてうれしかったのは本当だから。んじゃ、おやすみ!」
     いっきにそれだけを告げると、さっき俺と出会った時と同じくらい目を丸くした凛が何かを言う前に急いで大きな扉を潜り抜ける。
     自動で閉まった扉の向こうの気配などもう分からないけれど、確かにさっきまで凛と一緒に居たのだ。
     イレギュラーな出来事過ぎて、まるで夢でも見ているかのようだった。向こうにとってはとんだ災難だっただろうけれど。
     「……はやく戻んなきゃな」
     なんだかそこから離れるのが妙に名残惜しくなって、自分の背を叩く為に呟いてみる。
     やはり一枚扉を隔ててもこの施設はどこもかしこも似ている所ばかりだから、無事に部屋に帰りつくまでは実際のところ安心できない。
     夜の散歩は出来るだけしないか、それこそ考え事をしすぎないように配慮すべきだな。
     そんな事を思いながら、自分の部屋へ続くだろう方角に足を進めた。

     □ □ □

     国によって感じる匂いというのは、多少の差異はあるけれど、五感の優れた俺にとってはすぐ分かるくらいに異なる。
     例え同じヨーロッパ圏だったとしても、鼻先を掠める気配はまるで違うのだ。空からの出入り口であり、大勢の人たちが行き交う空港では特に顕著に表れる。
     シャルル・ド・ゴール空港の到着口を抜けた先、何度も来ているお陰で嗅ぎ慣れたフランスの空気を胸いっぱいに吸い込みながら、左手で握っているスーツケースのハンドルを引っ張った。
     日本を離れて早数年。"青い監獄ブルーロック"を飛び出し海外プロサッカー界へと足を踏みいれた時から使っているこのスーツケースは、年季が入っているのが一目見て分かるくらいに擦り傷だらけだ。
     年棒も恐ろしいくらいに貰えているのに、なんてチームメンバーにからかわれたりもするものの、まだ使えると思えば手放す気にはなれない。
     こういう所をわざわざ会いに来てやった男には『ケチくせぇ』なんて言われるのだが、どれだけ稼ぐようになろうともこれはこれ、それはそれの精神だった。
     それに日本とは違い、海外でのスーツケースの扱いなど恐ろしく適当で乱雑だ。買い換えたところですぐにボロボロになる未来は目に見えていた。
     「おーい」
     ガラガラという音を引き連れながら、黒縁眼鏡をかけ、髪をセンター分けにしているもののどう頑張っても隠し切れないオーラを醸し出している奴の元へと向かう。
     スラリとした長身に似合う茶系のロングコートに身を包んだ凛は、とっくに俺に気が付いていただろうに、眺めていたスマホをわざとらしくポケットにしまい込むと、薄いレンズの奥側からこちらの上から下まで一度目線を走らせた。
     ビデオ通話はしょっちゅうしているものの、こうして直接会うのは互いに忙しくて間が空いている。

     "青い監獄ブルーロック"での戦いが終わり、海外に飛んでしばらくしてから俺達はいつしか宿敵ライバル兼恋人という括りに収まった。まさかこんな事になるとは……それは今でも思う。
     こんな風になったキッカケとしては、好き勝手に書かれたゴシップ誌のスクープに凛がブチ切れてわざわざ単身ドイツまで乗り込んできた事件が一番大きい。
     『サッカーと俺以外に目を向けてんじゃねぇ!』と怒鳴り込んできた凛の姿は今でも鮮明に思い出せる。
     勿論、俺の隣に映っていた女性はただ道案内をしてあげただけの他人であり、その時はお付き合いをしている相手もいなかった。
     日々サッカーで成長する事だけを考えていた俺にとって、誰かと付き合うなんて考えてもいなかったし、こんな見え見えの飛ばし記事に本気になった凛がドイツまで乗り込んできたのにも驚きだった。
     けれども、粉雪の舞うひんやりとした冬の夜、寒さのせいか色白の頬を赤くした凛がまさしく俺を射殺さんばかりに睨みつけてドアの向こうで仁王立ちしているのを発見した時、俺はこの男がビックリするくらい可愛らしく思えた。
     前々から凛のそういう部分をなんとなく知っている気ではいたものの、本当にコイツは俺しか視ていないのだと実感出来て、だったら思惑通りにしてあげても良いかな、なんて魔が差したのだ。
     後悔はしていないけれど、想像以上に凛は俺の事が好きだったらしい。
     それから俺も俺で独占欲やら執着やらを垣間見せる凛が可愛くて仕方ないので俺達の相性はきっと悪くは無いのだろう。──閑話休題。

     そんなこんなでオフシーズンは互いの国に行くのが俺と凛の当たり前になっていた。
     やっとの事で訪れたオフシーズン初日、フランスに来れる日をずっと前から楽しみにしていた。それは多分凛もそう。
     でも相変わらず素直じゃないので、ツンと澄ました顔のまま俺の前に立った凛はフンと鼻を鳴らした。
     「……まだそれ使ってんのか」
     「スーツケースの事? いいじゃん、これ気にいってんの」
     「あっそ」
     「それより早く見せてよ、凛の新車」
     やっぱり素直じゃない。久々に会う恋人に言うセリフでは無いと思うものの、さり気なく俺の手からスーツケースの持ち手を奪い取った凛の隣に並ぶ。
     そのままさっさと歩き出した凛の横顔はただ真っすぐ前を見ているが、眼鏡の弦越しででも分かる穏やかさがあった。

     人の流れに身を任せ、一番広い空港の出口へと向かう。
     ガラス製の自動ドアを潜り抜けた先に広がる空には、ポツポツとかすかな星の輝きが薄暗くなり始めた空間に浮かんでいた。
     本当は朝から来たかったが、提出しなければならない諸々の仕事に加え、流石に数日間家を空けるとなると自宅をそれなりに整えてからでないと不安で夕方の便に決めた。
     それに外が暗い方がこの目立つ男の存在感もちょっとは薄れるだろうという考えもあったが、あまり関係無いだろう。
     現に颯爽と歩く凛はガラガラという音を立てているのにも関わらず、妙に輝いてみえる。恐らく惚れた欲目だけではない。
     そんな凛は出来るだけ人の目を避けたがるのもあって、渡仏して少し経ってから免許を取得し、基本的には自分の運転でどこへでも行ってしまう。
     俺も俺でドイツでは車で生活する人たちがほとんどなのもあり、普段は車移動が多い。
     だが、そこまでこだわりが強くない自分とは違い、凛は時々車を買い替える。
     あまり同じ車種に乗っていると、面倒なファンや下世話なパパラッチがしつこいと文句を零していたので、そっちの方が理由としては大きいのだろうが。
     ちなみに俺はフォルムに一目惚れし、清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで購入したボルドーカラーのBMWに今後もずっと乗り続ける予定ではあるが、凛から【伊勢海老カー】なんて不名誉なのかも分からない名称をつけられていた。赤くてごつめのフォルムがカッコいいと思うのは昔からだ。
     「おい、こっちだ」
     「うぐ」
     ボンヤリとしていたせいで違う方向に進みそうになっていた俺のパーカーのフードを容赦なく掴んだ凛が引き寄せてくる。
     ぐっと首元が詰まる感覚がして、勝手にうめき声が喉から出てしまい、振り返って凛を睨みつけた。
     「ッだから、それやめろっつっただろ!」
     「……掴みやすい位置にあるのがわりぃ」
     「もー……咄嗟に掴んで良いところじゃないっていつも言ってんじゃんか」
     何かを言いたい時や俺を止めたい時、凛はこうやってこちらの首元を引っ張ってくる癖がある。
     それを止めろと言うのはもう何回目か分からないが『次にやったら本当に怒るぞ』と伝えたのを凛も思い出しているのだろう。
     どこか焦った様子かつ、普段のふてぶてしさがちょっと薄まっている姿を見て怒りのメーターが若干下がった。

     凛と恋人関係になって俺がキレた事など数回しかないけれど、その恐ろしさはキチンと凛の身に染みているらしい。
     自分で言うのもなんだが、フィールド以外では滅多に怒る事の無い俺が本気で怒るのはきっと恐ろしいのだろう。
     そうして瞬間的な怒りよりも、持続する怒りの方が凛が苦手としているのも知っている。だから俺は本気でキレた時、そういう怒り方をするようにしていた。
     結局はしょぼくれる凛が可哀想になって俺が折れる羽目になるのだから、ちょっとくらい溜飲が下がる方法をとったって罰は当たらない筈だからだ。
     しかもまだオフシーズン初日。こんな初っ端から喧嘩したくはない。
     「こーいう時、どうすんだっけ? 凛?」
     わざとらしく凛の顔を覗き込みながら囁いてみせる。
     実際、そこまで怒ってはいないのだが本気で嫌な所は直して貰わないと困るのだ。
     ジッと見上げていると先に顔を反らした凛が気まずそうに口を開いた。
     「……お前が」
     「うん」
     「ひとりでどっか行ったらすぐ迷うだろうが……」
     「そーだな。それはありがと。……でもさ、他に方法あるだろ?」
     不貞腐れた顔をしながらもそういった凛が俺を見下ろす。
     凛が発端で喧嘩になりそうな時、俺は凛に状況説明を求めると決めていた。

     言葉にするのが苦手なこの男の思考がある程度分かるとは言え、それでも口に出させる事に意味があると思うからだ。
     最初のうちは思った以上にたどたどしかった凛の説明も、今ではまだ分かりやすくなった方ではある。
     まぁ今回は自分がよそ見をしていたのもあるから、そっと凛の隣に立ってするりと手を伸ばした。
     生暖かい掌が擦り合わさって、指先が絡まる。
     自分よりも大きなこの手に触れると安心するようになったのは、全部凛のせいだ。
     「俺は、こっちのがいいな。……凛は?」
     ガタリと凛が手綱を掴んでいるスーツケースの音がひと際大きく響く。
     壊すなよ、と思いながらも凛を見上げたまま微笑んでみせれば、気まずそうな顔をした凛が悔しそうに唇を軽く噛み締めていた。
     求めてくる行為の激しさなんかは凛の方が数段上なのに、こういう手を繋いだりするのは何年経っても恥ずかしいらしい。こういう所が可愛いくって仕方ない。
     無論、俺だって恥ずかしい気持ちもあるにはあるけれど、寂しがり屋で執着心の強すぎる彼氏を持つとこれくらい何てこと無くなるのだ。
     「……お前は本当に昔っから……」
     「なに? 昔から俺の事が好きって話?」
     「うざ」
     「いででで」
     最近さらに図々しくなっただとか言われるが、そんなのは凛に対してだけだ。それが分かっているからこそ、凛だって満更でもない顔をする。
     絡ませた指先に強い力が籠るのだって、照れ隠しだと思えば気にもならなかった。
     そのままちょっとだけ歩幅を狭くした凛が再び歩き出す。今だってこんな風に言いながらも手を放す気なんてさらさら無いのが微笑ましい。
     「うそうそ。怒んなよ。……でもさぁ、凛って結構心配症だよな」
     遠くからでも分かるくらい丁寧にワックス掛けを施された車に一直線に向かう凛を横目にそんな事を言ってみる。
     すると心底呆れた風に溜息を吐いた凛がジロリと睨みつけてくるのが分かって、車に向けていた顔を凛へと向け直した。
     「あんな狭い建物内でさえ、道が分かんねぇって泣きついてきた奴を放っておけるワケねぇだろ」
     その言葉にすっかり忘れていたあの夜を思い出す。
     間違えてフランス棟に迷い込んでしまい、凛に助けられた日の事など凛だってもう覚えていないと思っていたのに。
     だから事あるごとに俺が夜に一人でどこかに行こうとすると凛が付いてきたがったり、ちょっとでもフラフラと違う場所に行こうとするだけで怒ったりしてきたのだとようやく合点がいった。
     「……そ……そんな事も……ありましたっけねぇ……」
     「ッチ」
     「あはは。……今日は俺の奢りで凛の好きな物、なんでも食べていいよ……」
     「当然だろ。バカ潔」
     凛の独占欲の強さ故に気が付いていなかったが、自分にも非があったとは思いもしなかった。
     そうしてあの日の出来事を忘れるどころか、ずっと気にかけてくれていた凛の優しさが今になって照れ臭くなる。
     『お前の照れるポイントが分からない』と周囲から言われる回数は多いが、単純に些細な事でも忘れずにいてくれるだけで嬉しく感じてしまうのは当然だろう。ましてや他人にあまり興味を持たない凛相手なら余計に。
     「荷物入れてくる」
     まるで本物の飴でコーティングされたかのように光沢ある黒みがかった青いベンツの前に立った凛が絡ませていた指先を離してキーを解除してから、スーツケースを引いて車の後ろへと回り込む。
     その広い背中を見送りつつ、他にはまだ誰も乗せた事の無い皮の匂いを漂わせているピカピカの助手席へと乗り込んだのだった。
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