小話1 白く煙る視界と、その湯気に混ざって漂うかすかな硫黄の匂い。
それらの発生源である湯に肩先までしっかり浸したまま、四肢を出来るだけ大きく伸ばす。
自宅のバスタブでは絶対に叶わない、温泉ならではの贅沢に自然と首を上向かせた凛は、冷えた身体に巡る血流をさらに感じるられるように深く息を吸った。
そんな凛から少しだけ離れた場所で、パシャリと軽い水音が響く。
ちらりと顔を動かせば、湯が熱かったのか、おっかなびっくりな様子で足先で湯を混ぜてから静かに湯船に滑り込んでくる潔の姿があった。
ほぅ、と緩く吐息を洩らした潔はいつもは下げている前髪を全てかきあげて、いくつになっても変わらぬ滑らかな額をあらわにしている。
張り付く前髪が鬱陶しいのは凛も同じだったのもあって、普段はやらないが潔の真似をして前髪をかきあげた凛はそのまま視線を空へと向けた。
群青色の中に散らばっている砂粒めいた星の数は、都心で見るよりもよほど多い。
澄んだ空気が自慢の土地に加えて、冬も佳境となれば、恐らく美しい夜空を見られる筈だと予想していた凛の想像以上の光景が広がっている。
「……凛、ありがとな。こんないいとこ予約してくれて」
その言葉に上向けていた顔を横に戻せば、濡れた頬とは異なり心底嬉しくてたまらないと言わんばかりの潔が凛の為だけに、満点の笑顔を浮かべていた。
近頃、色々なしがらみに囚われて難しい顔をしがちだった潔をこの小さな温泉宿に誘ったのは凛からだ。
けれどもけしてそれは潔の為だけに遂行されたのではない。
「いいからもっとこっち寄れ」
「わっ、……もぉ……誰も居ないからって……」
ほどよく引き締まった二の腕を引き寄せ、潔の身体を抱き込めた凛は、そのまま二人分の皮膚と体温が湯の中で触れあって生じる心地よさに身を預ける。
誰も来ないようにしっかりと貸し切りにしたのは、これまた凛の計画のうちだ。
「……凛の手、あったかくてきもちいい……」
「そーかよ」
腰に回した腕で胸にもたれかけさせた潔の穏やかでとろけた表情。
これを独り占めする時間を得る為ならば、どれほどの労力をかけたって構わないのだと潔の首筋に顎先を擦りよせた凛は波打つ湯の上で反射する光の粒を見ながらボンヤリと考えていた。